第5話 宝石調律師

 辺りは燃え尽きる朱から静寂の蒼の世界へとゆるやかに表情を変える途上。

 エディンが息を殺して潜むすぐ側のガス燈にも、火が灯った。

 庭園に残るのは、小さな宝石調律師のみ。

 彼はゆったりとベンチに座したまま、ガーネットに視線を落としている。

 不意に、胸元からハンカチーフを取り出し、膝の上に一度、ガーネットを置き、左の手袋に手をかける。

 幼さの残るふっくらとした唇が緩み、楽しげな囁きは、盗み聞く者の存在を知る響きで。

「……知っているか、ガーネットは持ち主を護ると昔から信じられてきた石だ。身に付けていれば災いから護ってくれると言って、兵士達が甲冑の下に隠し持ったという。この石の由来を知って贈ったのだとしたら、どれだけ深い想いだろうな」

 なあ、そう思うだろう、と。

 明らかな意図をもって囁かれ、エディンは瞠目した。

「出てきたらいい。お前が欲しい情報をくれてやろう。……なぁ、エディン?」

「……最初から、気付いて?」

「さあ、どうだろう? そんなところにいないで、こちらへ来たらどうだ?」

 よく通る高めの声に促され、エディンは強張った表情のまま、キストへと近付く。

 背を向けている彼の背後に立った時、左の手袋がパサリ、ベンチへ落とされた。

 その、手の甲に大きく刻まれているのは。

「な」

「……何を驚いている? 古くから続く貴族の嫡子であれば、身体の一部に紋章を刻まれているのは不思議ではないだろうに」

 笑う声は、少し低い。

 その手に、錫杖と王冠を二匹の狼が護るという図柄の盾、を咥える獅子の図。

 どこかで、見たことがあるような……?

 喉の奥が熱くほてり、不可思議な強張りに見舞われるよう。

 それは、緊張のような、恐怖のような。

 記憶を手繰りかけたところで、スッとその左手が膝上のガーネットを持ち上げた。

 貴婦人の小指の爪ほどの、小さな雫形のそれは、キストの左手に触れられた途端に、

「一つ、彼女には嘘を吐いた。本当は、微かに負の力に傾いている」

 囁く声に反応を示すように、ユラリ。

 柘榴のような紅の靄をまとった。

 手品でも、見ているようだ。

 不可思議な、焔のような揺らぎ。

「な、んだ、これ、は」

「……見えるか? このガーネットの持つ……力、と言えばいいか?」

 不意の突風がエディンとキストの髪を乱す。

 だが、その焔は風の影響を受けることもなく、小さな手の中で揺らめいている。

「人に悪さをするほどの傾きではないが、正しておくにこしたことはないだろう。ちょうど腹が減っていたところだ」

 少なからず足しにはなるだろう、と。

 笑った少年が、オニキスの目を伏せて石へ唇を寄せた。

 軽く、口付けを一度だけ。

 その瞬間、パキン、と。

 ごくわずかに聞こえるくらいの、小さな音がした。

 例えば、ガラス細工が欠けた時のような。

 すると一瞬のうちに、赤い雫にまとわりついていた靄が口の中へ吸い込まれて。

「き、消えた?」

「見ろ、本来の輝きを取り戻した石を」

 目を伏せたままのキストが、頭上にガーネットを掲げてみせる。

 石は、澄んだ輝きを纏い、沈黙するのみ。

 だが、心なしか鮮やかさが際立ったような。

「宝石は人と同じ。さらに言えば、婦人と同じだよ、エディン。呪いをまとい平静を失っているレディには、軽く口付けをするのが効果的だ」

「あんたは、一体」

 何者なんだ。

 かすれた呟きに、キストが楽しげにさあ? とはぐらかす口調。

「それよりも、エディン。このレディよりもヒステリックな貴婦人は今どこに? 本来ならば、リダースン卿がこの場に持ってくる手筈になっていた。お前は知らないか? 隣国で持ち主を使い捨てにしていった貴婦人を」

 『ローレライの薔薇 ばら』と賞賛された、アクアマリンの首飾りを。

 その言葉に、エディンは今度こそ、大きく目を見開いた。

「じゃあ、やっぱりアレが……?」

 タリスの首に輝いていた、あの首飾り。 

 あの首飾りが、事件の原因になっているというのか?

 立ちすくむエディンを見上げ、キストが喉の奥で笑った。

「どうやら、心当たりがあるようだな。それは今どこにある? 哀れなアルフが持っていなかったか? 押収物の中にあるのなら、気をつけた方がいい。あれを調律しない限り、血なまぐさい連鎖は終らない」

「終らない? 殺人は続くっていうのか!?」 

「可能性は高い。あれはまるで持ち主を選んでいるように人の手を渡り歩いているから」

「まずい……!!」

 さっき、タリスが寝込む部屋で聞いた、凍てついた女の声。

 あの声が、纏わせていたのは。

 執着と、嫉妬、だ。

「首飾りは、タリスがしている……!」

「……何だって?」

 キストの表情から笑みが消える。舌打ちと共に館を彼が振り仰いだ、丁度その時。

 騒々しい物音と、何かが割れる音。

 それから、取り乱した女性の叫び声。

 聞き違いでなければ。

 リヴィ!! と。

「くそ!! ローレライが動いたか!! 来い、エディン!!」

 コートを翻して立ち上がったキストがエディンを振り返る。

 館へと走り出そうとしたエディンは不意に、

「え」

 小さな手に脚を掴まれ、視線を落とした。

 何だ、と見下ろしたその時に、

「目を閉じていた方がいいぞ」

 余裕のない声が告げた、と思った、その次の瞬間。

「うわ!!」

 その手の大紋章が、蒼く輝いて。

 激しい眩暈と共に、目の前が歪んだ。


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