第2話 奇怪な事件と宝石調律師の少年
「いらっしゃいませ、さあどうぞ」
扉を開けた途端、仄かな紅茶の香りと柔らかな声に出迎えられた。
店内は小さいものの、居心地の良い雰囲気に包まれている。
おっとり微笑んだ女性が、この店の主人だろう。エメラルドの双眸が優しく緩む。
紅茶色の地に金糸で細かく刺繍が入った、落ち着いた色合いのドレスに、夕暮れ時の空のような赤みがかった金髪がよく映える。
ルメスリージュの貴婦人のような華やかな美しさ、とは言いがたいが、清楚でふんわりと柔らかそうな雰囲気を纏う可憐な女性に違いない。
女主人と呼ぶには若すぎるように見えるが。
こちらの風体を見て、すぐに気付いた様子で首を傾げ、
「ペルフィールドさんのお客様ですよね? ライア・クライと申します。さあ、どうぞ」
さほど広くもない店の中、案内を受けたのは、通りに面した窓際の席。
美しい、石畳の街並みが綺麗に見渡せる。
窓から見える景色がそのまま、キャンバスに描かれた絵のようだ。
「一番綺麗に街が見渡せるお席ですわ」
「そりゃありがたい」
エディンが礼を言って座ろうとした、ちょうどその時。
「いやいや、お待たせいたしました!!」
飛び込んできた騒がしい声と扉の閉まる音が、待ち人の来訪を告げた。
「いらっしゃい、ペルフィールドさん」
「や、どうも、レディ・クライ。ああ店の中は涼しいですねぇ!」
「風が通りますからね。皆様、お待ちかねでしたよ」
臙脂色の制服を翻し、ドスドスと駆け寄り敬礼をしてみせたのは、縦にも横にも恰幅が良い男。
「いや申し訳ない! お待たせしました! 遠方よりはるばるようこそ!」
走ってきたのだろう、身体全体で息をしながらもニッカと笑って見せた。
顔は身体に比べて存外小さく、目や口といったパーツも小さく中央に寄っている。
「エルヴァンスドリス警邏隊副警邏長、グリノス・ペルフィールドであります!」
口元を緩め、エディンが軽く敬礼を返す。
「サングウィン隊隊長、エディン・サングウィンです」
「同じく副隊長、フォート・ラズウェルです」
「ランス・アルドであります!」
隊長にならい、二人も敬礼を返す。
すると、その時、カウンターの方からクスクスと楽しげな声が寄越された。
「遅かったのではない? 本来ならば彼等が到着する前に待っているのが礼儀だろうに」
その高い声にペルフィールドが、驚いた表情で振り返る。
その視線の先で、カップを片手にこちらを向いて笑っていたのは、なんとも美しい少年。
ブルネットの髪の下で、なかなかに珍しい、オニキスの双眸が楽しげに弧を描いている。
どこか大人びた笑みに模られた唇。
手には純白の手袋をして、傍らにたてかけられているのは、大人用のステッキ。
黒のコートに真珠色のシャツ、首元には淡い青のクラヴァット。
服装、持ち物を並べ立てれば、立派な紳士の出で立ちだ。
貴族の子供か。連れもいない様子で一人、カウンターの椅子に腰掛けている。
ペルフィールドがすぐに破顔して敬礼をしてみせながら、
「これはアダマント殿! お久しぶりですな。いやあ、会議で足止めを喰らいましてね。剣闘会の日、闘技場近辺の警邏にうちからも出向することになっているんですが、その選出で揉めに揉めて」
「今国一番の話題じゃないかしら? いらっしゃるご婦人方も大会の話ばかりするのよ。出場者の名簿も裏では高額で出回っているのですって」
ライアが客から仕入れた噂話を横から挟む。
「では、そちらの方々の名もあるのでしょうね。サングウィンといえば、軍の若手の中では最も有望株だと聞いていますから」
少年がにこやかに漏らした言葉に、エディンの表情が微かに曇る。
こんな小さな貴族の子供にまで、名が知れてしまっているのだろうか?
「あら! その名前は聞いていたけれど…軍の有望株という人がこんなに若くて素敵な方だなんて知らなかったわ」
少年の言葉を受けて、ライアが興味を惹かれたようににこにことエディンを見上げた。
直接向けられるのは、興味と好意。
……正直、困る。
苦笑してみせ、当り障りのない言葉を捜す。
「そんな大した人間じゃあないんですがね……ありがとうございます」
「うふふ、剣闘会には参加するのよね?」
「あ、ええと」
「もちろん長剣かしら? あら、でも長剣は佩いておられないわね。じゃあ、別の…」
「隊長。お話途中に失礼ですが、あの方をご存知で?」
ライアの言葉に、返す言葉を詰まらせたエディンをチラ、と見たラズウェルが、涼しい顔で続くライアの言葉を遮った。
「あ、いや、知らない」
「副警邏長、そちらの少年は?」
「あ、ええと、あの方は」
ラズウェルをちらりと見やり、少年は傍らのステッキを手に椅子から飛び降りる。
そのままテーブル越し、エディンの正面に立ち、ニッコリと笑いかけた。
あたふたと汗をハンカチで拭いながら、ペルフィールドが、紹介を始める。
「こちら、キスト・アダマント殿です。この方は、風貌は確かに幼いのですが」
「宝石調律師、をしております。以後、お見知りおきを」
言葉を遮り、キストが深く頭を下げた。
握手を請われるままに細く小さな手を握り返しながら、エディンは首を傾げる。
「エディン・サングウィンです。…宝石調律師?」
宝石調律師など、聞いたことがない。
その上、この少年はどうみてもまだ、両親の保護下にいる年齢……まだ
印象で結論つけた時、過ぎる面影がある。
棘がチクリと刺すような痛みを感じて、エディンは軽く顔をしかめた。
「ねえ、それはいいけれど、お座りなさいな。立ったままじゃあ紅茶もお出しできないわ」
「あ、これは失礼」
着席を女主人より促され、一同は席につく。
ラズウェルは不機嫌な様子で、探るようにキストへ言い放つのが、
「調律とは本来、ピアノなどの……楽器の調音や整律のことでは? 宝石を『調律』するなどというのは、聞いた事がない」
対して、キストは軽く肩をすくめて笑ってみせたのみ。大人を小馬鹿にするような落ち着きで、そうですね、と頷く。
「表立って活躍する事はないので、知られていないのは無理もないかもしれません」
「調律が必要な宝石ってどんなもので?」
興味を惹かれたのか、アルドが身を乗り出して問うた。
「アルド!」
ラズウェルが話に乗るなと目で咎めるが、どうやら横目で見て見ぬふりのよう。
「あるべき状態ではない石を調整すること、ですね、あえて言うならば」
その説明に、エディンが首を傾げ、
「んーつまり、その宝石は何かが狂っちまってる、てこと?」
「察しがいい。中々素直な性質のお方だ」
キストと名乗った少年はその通り、と大人ぶった態度で頷く。
その態度に礼節を重んじるラズウェルがム、と眉間に皺を寄せた。
「キスト、二杯目をどうぞ」
「ありがとう、ライア嬢」
ライアが傾けたティーポットから、湯気と芳香が静かに漂い、少年のカップに注がれる。
そのまま慣れた手つきでそれを口元へ運びながら、
「宝石は生きている。ただの鉱物だとお思いになられないように。人と同じです。美しくありたい、持ち主に愛されたい、と願うから輝き、だからこそ度を過ぎれば狂う」
狂えば、周囲に害を及ぼし、持ち主に不幸を招く。
だからこそ、そうなった宝石を『調律』し、あるべき状態へ戻すのだ、と続ける。
「不幸を招く宝石を浄化させる、とか、そんな感じですな」
何度も聞かされている様子のペルフィールドが汗を拭き拭き、口をはさむ。彼はこの少年とその生業の詳細をよく知るらしい。
「ここらでは名の知れた方なんですよ」
「だが……不幸を呼ぶ宝石といえば、いくつか名前は聞きますが、迷信でしょう」
「お前は己の目で見たものしか信じないもんな。ああ、そういや占いも信じなかったか」
迷信だと言い切ったラズウェルにエディンが笑う。己の目で見たものしか信じないとは、いかにも彼らしい。
「そういった類の話は、人の思い込みと都合の良い解釈によって生まれるものと相場が決まっているのですよ」
「夢がないねぇ。面白い話じゃないか。俺は好きだぜ。ちなみに占いも信じるしな」
「……隊長」
馬鹿な事を言わないように、という叱責が聞こえてきそうな声音に、エディンが笑って首を竦める。
アルドはどちらに味方すればいいものやらと苦笑顔だ。
そんなやりとりを悠然と見ていたキストが、カップをソーサーに戻して、
「では、失礼するとします。私はお邪魔のようですから」
完璧な笑顔で立ち上がった丁度その時。
「あの、すいません……ッッ!」
勢い良く開いた扉から、花束を抱えた少女が駆け込んできた。
「おや、随分と可憐な花のご来店」
キストが笑って呟けば、
「あらリヴィ、どうしたのそんなに急いで」
花束の一輪のごとくに可憐な少女に、ライアがにっこりと微笑んでテーブルにティーポットを置いた。
「こんにちは、遅くなってしまってすいません、ライアさん」
「ま、そんなこと気にしないでいいのよ」
亜麻色の髪に、小さな花をあしらった髪飾りが、お辞儀をした拍子に揺れた。
若草色のドレスは質素だが、少女の可憐さを際立たせている。
手にした花束は、どうやらこの店を彩る為のもののよう。
「あの、お花、持って来ました」
「ありがとう。今日も素敵ね」
「やあ、確か画廊通りの花屋の娘さんですな。よく利用させていただいとりますよ」
「ありがとうございます」
ペルフィールドがにこやかに手を上げると、彼女は微かに口元を緩めて深く礼をした。
彼女の顔にはわずかながら翳りが見て取れるようだ。
笑みを浮かべれば可憐な中にも華やかさが増すだろうに。
「ライアさん、あの、じゃあこれで」
「あら、一緒に飾りましょうよ。貴女のセンスを信頼しているのよ。時間が都合よければ美味しい紅茶も飲んでいってね」
ごめんなさい、席を外していいかしら。
申し訳なさそうに振り返るライアにペルフィールドが、むしろゆっくりしていてくれて構わない、と冗談めかして笑った。
「どうぞごゆっくり。私どもはこれから秘密の会合ですから」
「うふふ、そうね。では皆様、少し失礼させていただくわ。お茶、どうぞ召し上がってね。フォリシクスのアールグレイよ」
見れば、テーブルには人数分のティーカップが用意されている。その傍らには、一人一つずつティーポットが置かれていた。
おかわりはこのポットに。なくなったら遠慮なく声をかけて。
言い残し、ドレスを軽く手で持ち上げていそいそとライアは少女の下へ。
キストも後を追うようだ。
「我らは美味しい紅茶で喉を潤したところで本題に入りましょう」
客が声の届く位置にいないのを確かめ、ペルフィールドがようやく声のトーンを落とす。
「……実は、殺人事件がありまして、ご協力を仰ぎたいのはその件なのです」
「殺人?」
エディンは眉を顰める。
犯人探しが本題なのだろうか。
言わんとしていることを察したのか、副警邏長はゆるく首を振った。
「いえ、犯人は捕まっているのです。というより……もう死亡しておりまして」
「死亡、ですか?」
「はい。事件があったのは三日前でして……。ある准男爵の別宅が襲撃されました。男は……玄関から、出会った者を順番に剣で。屋敷内にいたほぼ全ての家人が亡くなりました。彼は、最後に自らに刃を立てて、悲劇に幕をひいたらしく」
美しい絨毯から、白磁の壁、その全てが緋色の染みを残して。
現場はひどい状態でした、と思い出す自らが青ざめ口元を抑える。
「死亡しているものの犯人はわかっている。では、何が難航しているんですか?」
話を聞いていたアルドが片手を挙げて質問を寄越す。途端、ペルフィールドの薄い眉がフニャリ、と情けなく歪んだ。
「動機がわからんのです。個人的な恨みも考えにくい、むしろ好意を抱いていたほど。自殺の理由もわからない。あるいは第三者が黒幕として存在するのではないか。被害者が被害者なだけに、慎重にならざるを得んのです」
「では、その被害者とは? 准男爵とおっしゃいましたが…有名な方なのですか」
「ある方面では非常に。
「リダースン? どっかで聞いたこと……」
エディンが、聞き覚えがあるぞと首をひねった丁度その時。
ガチャン!!
何か重いものが落ちる音と共に小さな悲鳴。
意識を奪われて振り返れば、持参した花を切り整えて花瓶に飾っていた少女が慌てて床に落とした鋏を拾い上げるところだった。
すぐ傍で一緒に花を選んでいたライアが心配そうに大丈夫、と問う声に、慌てたように二、三度頷く様子が見て取れる。
すぐに意識を戻したペルフィールドが、気を取り直したように、
「リダースン卿は絵画の収集家として有名で、隣国から買い付けたものを含めると、コレクションは相当数にのぼると言われています」
「ああ、思い出しました。本も執筆していらっしゃいますよね? 『アンゲル・スタンスの田園風景に見る闇空と昼の大地について』。興味深く拝見した覚えがあります」
ラズウェルが反応して知識を披露する。
絵画の収拾にとどまらず、新鋭画家の作品ばかりを集めた著書まで出版してしまったのは記憶に新しい。
階級は准男爵と低いが、絵画の収集を通して隣国とのパイプラインもある、貴族院でも重要な人物の一人だ。
エディンもさすがに顔色を変えて身を乗り出した。
「ああ、それでわかった。おいおい……トランスエルドとの友好条約締結時の功労者じゃねーか。とんだスキャンダルだぞ」
「まだルメスリージュには何の情報も入っていませんでしたが……」
「緘口令がしかれております。が……漏れ出すのも時間の問題でしょう。人の口に戸はたてられませんからな」
「もって一、二日くらいでしょうね」
冷静にラズウェルが計算してみせる。
思ったよりも時間がない。
「すいません、副警邏長、気になったのですが……家人はほとんど死亡、って、まさか後継ぎも全員死亡ですか?」
仮にそうなると、膨大に遺された准男爵のコレクションの相続でひと騒動ありそうだ、というアルドの懸念は、即座に否定された。
「いえ、唯一生き残りが。嫡子のタリス様は意識不明ですが軽症ですんでおります」
「嫡子が」
「はい。幸いにも命に別状はありません」
なるほど、とエディンは肯きながらカップをあおった。
カチャンとソーサーにカップを戻して腰を浮かせると、ラズウェルも腰を浮かせた。
カタンと響いた椅子の音に反応したのだろうか、花屋の少女がちらとこちらを見た。
「じっとしていてもしょうがない。現場を見るとするか」
「隊長、嫡子の様子も見ていきましょう。何かわかることがあるかもしれません」
「ん、そうだな」
「ご案内しますよ。ライア嬢! 慌しくて申し訳ないがこれで失礼しますよ」
「あら、もう? 残念だわ。皆さん、またいらしてね」
「ええ、また来ますよ……っ、と?」
待っているわ、と誘う声に見送られ、ペルフィールドに続いて扉をくぐるその途中、エディンはふと歩みを止めた。
「隊長?」
ラズウェルが怪訝な表情で見上げてくる。それを手で制して、振り返る。
抗いがたいほどに強い視線が突き刺さったのを、感じた。
無視できずに振り向けば、花屋の少女との会話を楽しんでいた少年の目が笑っていた。
「……一つ、ご忠告」
「え?」
俺に?
隊長、と無視を促す声を聞かなかったことにして、エディンは少年に向き合った。
艶やかで形のよいその目が細められ、口元には微笑。何かを含む声音で。
「油断しないように。……そうだな、具体的には、常に殺気に気をお配りになるように」
「何…?」
問い返しながら、得体の知れない緊張感を握りつぶす。
油断しないように、とは……?
「ああほら、副警邏長がお待ちかねのご様子。……また、お会いしましょう」
スッと慇懃に礼をして見せたその小さな体から目を離せない。
ごきげんようでもなく、機会があれば、でもなく、必ずきっと。
予言のように響く言葉に、翻弄された。
またお会いしましょう。
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