第46話☆ 秘密は秘密のうちが楽しい

 香澄と飛鳥が交際を始めてから、数日が経ったある日。

 二人は香澄の部屋で、意味もなくゴロゴロしていた。

 涼と菘カップルと同じく、この二人も付き合い始めたからといって劇的に生活が変わるタイプではない。

 いつも通りの延長線。その中にある小さな変化が嬉しい時期。


「ねえー、かしゅみー」


 飛鳥が香澄に後ろから抱きつく。

 これも今まで通り。


「なんだよ」

「結局、あたしってなんで一回振られたの?」

「そういや、まだ話してなかったな……」


 とはいえ、香澄も覚悟を決めた以上、隠すつもりはない。

 ないのだけど、カミングアウトする機会に恵まれないことには言い出しにくいことでもあった。


「教えてよー。……あ。お茶とって」

「ん」


 部屋に一つしかないコップを飛鳥に手渡す。大きめのコップに並々とお茶を注いでおけばわざわざコップを分ける必要がないと飛鳥が言うのでそうしている。

 実際は同じコップを使いたいだけなのだろうけど。


「まあ、恋人にはなってくれたし、言わなくてもいいっちゃいいんだけど」

「そういう訳にもいかない、というか避けて通れないことだからな……」

「なにそれ。あたしたちの未来に関わるの?」

「そうだな。それも、そう遠くはない未来」

「なんかカッコイイね」

「お前は意味深な発言には全部そう言ってそうだな」

「にへへ、ばれたか」


 相好を崩し、ついでに体勢も崩して飛鳥はもたれかかってくる。

 身体に程よい熱と重みがかかる。

 それは他でもない幼馴染の、好きな女の子のもの。

 自然と鼓動が早くなる。

 香澄は立ち上がり、飛鳥を膝に乗せる形にした。


「……んっ」


 そのまま飛鳥の唇を奪う。優しく、掠めとるように。

 口を離すと、朱に染まった飛鳥の顔が間近に広がる。目が合うと、恥ずかしそうに笑って、それでもジッと視線はそらさない。


「ね、香澄」

「なんだ?」

「もっかい」


 香澄の確認を待たずして、飛鳥は言うなり唇を押しつけてくる。

 そして、押しつけてきたものは唇だけではなかった。


「ちょっ、飛鳥っ……」


 香澄の静止も聞かず、飛鳥は舌を口内にねじ込んできた。

 舌と舌を絡ませ、口内の粘膜を舐め上げるようなキス。

 

「ぷはっ……。あはは、舌いれちゃった」


 飛鳥がゆっくりと顔を離す。ツーっと光で反射する液体が二人の間に落ちていった。


「いれちゃったじゃねえよ……」

「だって、香澄の方からはなんもしてくれないから」

「そういうのは順序というものがだな」

「あたしとエッチしたくない?」


 飛鳥はコテンと首を傾げ問う。


「そんなわけ!」


 思わず、大きな声が出そうになり、寸でのところで押しとどめた。

 一度、息を吸って落ち着いてから話す。


「そんなわけないだろ。でも、俺たち付き合い始めてまだちょっとだぞ」

「そうだね、ちょっとだけ」


 だけど、と前置きしてから飛鳥は香澄の首に腕を回して抱きつく。

 そして、耳元で囁いた。


「でも、あたしは香澄を、香澄はあたしを好きになってどれくらいが経つ? 一年? 二年? そんぐらいじゃ済まないよね」


 香澄が飛鳥に対して、明確に恋心を自覚したのはいつだったか。

 もはや記憶にすら残っていない。これというイベントもない。

 気付いたら、じわじわと全身を蝕む毒のようにそれは成就していた。


「つまりあたしたちは熟年主婦みたいなもんなのさ」


 と、飛鳥は馬鹿げた、それでいて納得もさせられるような結論を出した。


「だから、そういう気遣いはあたしたちには今更不要だよ」


 言いたいことが終わったのか、飛鳥はじゃれつく猫のように身体をすり寄せてくる。

 凹凸こそ少ないけれど、やはり女の子らしく柔らかさがある。

 こわれものを扱うかのように、香澄もそっと飛鳥の身体に腕を回す。


「んへえ、やっと香澄からも抱きついてくれたねえ」

「汚いから涎を垂らすな」

「香澄も垂らしていーんだよ?」

「……」

「うわっ」


 飛鳥の小言を無視して、香澄は膝に座る飛鳥をそのまま持ち上げ立ち上がりベッドの上に投げ捨てた。


「ムードもへったくれもないねえ」

「それこそ今更だろ」

「んまあ、そうだけどさ」 


 飛鳥は枕を手に取り、それを抱きかかえる。

 顔を埋めて、スーハースーハーと荒い呼吸。


「ああー、香澄の匂い」

「枕カバーはお前が来るのわかってたから洗濯済みだぞ」

「……いや、人の匂いってその家の柔軟剤次第なところあるでしょ?」

「わからなくもないけど。そもそも、お前さっきまで俺に抱きついてただろ」

「ほんとだね。虚しくなってきた」


 飛鳥はポーンと枕を放り投げる。宙を舞ったそれは飛鳥の顔に着弾した。

 鬱陶しそうに枕を払いのけると、飛鳥は手を広げて香澄に詰め寄る。


「てことであたしは今日から本物志向になりました」

「……まあ、時と場所を弁えてくれるならなんでもいいよ」

「ちなみに学校は?」

「アウトだ。常識的に考えてくれ」

「でもでも、菘ちゃんと涼くんは――」

「あれは例外。珍獣を参考にするな」


 平然と人前で乳繰り合うあのバカップルを基準にするわけにはいかない。

 香澄としては飛鳥には道を違えて欲しくなかった。

 とはいえ、既に手遅れ感があるけれど、見なかったことにしている。

 むしろ正式に恋人になったのだから、言い方は悪いがこれから調教すればいい。

 

「じゃあ、手繋いだり腕組んだりは?」

「それぐらいなら、まあ」


 妥協できる、というかカップルなら日常な範囲だろう。


「なんなら首輪とリードでもつけるか?」

「……え?」


 香澄の唐突な発言に飛鳥がキョトンとする。

 引いているというよりは、言葉の意味を理解できていなさそうな顔。

 目が滅茶苦茶瞬いている。きっと、必死に頭を回転させているのだろう。

 飛鳥のCPUは二世代ぐらい前のものなのでとても遅いけれど。


「――はっ、冗談か! もー、香澄ったら何言ってんの」

「……」

「え、なにその意味ありげな笑みは? 怖いよ」

「大丈夫だ」

「うん? よくわかんないけど、そっか」


 深く追求することなく、飛鳥はすんなりと納得した。納得したというよりは、思考するのが面倒になったようにしか見えないが。

 もしも。

 香澄が秘密をカミングアウトしたとしたら、飛鳥はどんな顔をするのか。

 ここまで来たら、もはや楽しみですらある香澄だった。

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