第24話 痴話げんか
胃が痛い。比喩でもなんでもなく、キリキリと締めあがっている。
埴輪ちゃんが、俺と恋人になったというウソの報告をした。
唐突すぎるカミングアウトに、菘と香澄は目をひん剥いている。
目論見通りの反応ではある。もしここで、なんの驚きも見せなかったら俺たちの計画は全て無駄になるところだった。
衝撃のあまりに立ち上がった菘と香澄とは対照的に、俺と埴輪ちゃんは椅子に腰を落ち着けたまま。見下ろされる形になっていた。
「飛鳥、お前今なんて?」
やっとのことで香澄が掠れた声を絞りだした。
思えば、この昼食会が開かれて香澄が埴輪ちゃんに話しかけたのは、これが初だ。
「なにって、もう……。二度も言わせるつもり? 恥ずかしいじゃん」
「茶化してるんじゃなくてな」
笑いながらはぐらかそうとする埴輪ちゃんに香澄は詰め寄る。
そのまま見つめ合う……もとい、にらみ合う。
こんな時だけど、やっぱり埴輪ちゃんには香澄が似つかわしいと思う。目から火花を散らす光景でも様になっていた。
「だから、涼くんと付き合うことになったの。ていうか、なんで香澄がそんなに怒った顔してるの?」
「なんでだって……? そんなの」
「そんなの?」
「……くそっ」
苛立たしげに香澄は埴輪ちゃんから離れ、乱暴に椅子へ座った。
眉間にしわを寄せ、明らかに機嫌が悪い香澄とは対照的に、埴輪ちゃんはどこか満足気な表情をしている。
きっと、香澄が感情を乱してくれたことが嬉しいのだろう。ここで無感情に祝われていたら、埴輪ちゃんだってこうは落ち着いていない。
「いつからだよ」
香澄が俺たちに視線を向けずに聞いてくる。
「ちょうど昨日だね」
「……飛鳥は、もうわかったよ。涼、お前はそれでいいのか」
「いいって、なにが?」
「わかってるくせに一々言わせるのか」
――菘を諦めていいのか。香澄が聞きたいのはそれだろう。
もちろん、いいわけがない。だからこそ、こんな芝居を打っている。
「まあ、いつまでも未練がましいのもな」
と、俺は心にもない返事をしておた。
それを聞いた香澄は顔をひん曲げて、そうか、と呟いた。
その形相は、失望を表している。
またも静寂が教室を包んだ。香澄が足を揺する音だけが虚に響く。
「……ね、この際だから教えてよ。なんで香澄はあたしのこと振ったの?」
ここまでは前哨戦。香澄のメンタルをかき回すことができた。
なので、作戦は次の段階へ移行する。
埴輪ちゃんを振った理由、それを香澄問い質す。
「この際って……。もう関係ないだろ」
「そう言わずにさ~」
「……」
「むぅ……」
香澄は閉口してしまった。埴輪ちゃんは困ったように口をとがらせる。
ふと、今頃になって気づいたことがある。
菘が、俺たちが恋人になったというカミングアウトをしてから一言も発していない。
人差し指を唇にあてる――何かを考え込んでいるポーズを取っている。その顔には既に平静が取り戻されていた。
……どうして、そんな平気そうなんだよ。
香澄は明らかにキレている。言うまでもない、埴輪ちゃんが奪われたからだ。かと言って、それは香澄自身がまいた種でもあるので、俺にあたってくることはないが。
けれど、菘は違った。初めこそ驚きは示していたものの、香澄のように慌てふためくこともない。ただ静かに香澄と埴輪ちゃんのやり取りを見ていた。
菘は、俺が埴輪ちゃんと付き合うことになろうが、どうでもいいらしい。
得も知れぬ虚脱感が俺を襲う。
自爆、そう言って差し支えなかった。自分の立案した偽装恋人作戦で、こんな痛い現実に直面するとは。可能性としては考えてはいた。けれど、それはないはずだと、勝手に高をくくっていた。だから、余計に反動がでかい。
しびれを切らしたのか、香澄は立ち上がり、俺と埴輪ちゃんを一瞥してから教室を出ていった。
結局、なんの情報も引き出せず、余計な不和を生んだだけだった。
もちろん、これからの行動次第なところはある。しかしそれが、何時になるかはわからない。
去っていく香澄の背中を見ていた埴輪ちゃんも椅子から立ち上がった。
「香澄のこと追いかけてくる」
「ダメよ」
埴輪ちゃんをいさめたのは、やっとのことで口を開いた菘だ。
「今、飛鳥に話しかけられて、山科君が素直に答えるかしら」
「それは……。でも、だって」
「大丈夫よ。私に任せておいて」
柔らかな笑みを浮かべ、埴輪ちゃんの手を取る。ちょうど、昨日俺がかけてもらった言葉と同じだ。
一瞬、その目を菘は俺に向けた気がした。昨日と変わらない、慈愛に満ちた目。
それから、菘は香澄を追って部屋をあとにした。
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