第22話 決戦前日

 作戦決行日。という名の恋人になったことを菘と香澄に知らせるのは、二人同時に行えばいいだろうということで、休み明けの月曜日になった。

 今日は日曜日。昨日と同じく菘と二人で家にいた。

 相変わらず、菘は俺の部屋で本を読んでいる。もう既に、菘が自宅で使っていた家具類は空き部屋に運び込まれているし、夜だって菘はその部屋で寝ている。

 だけど、菘は日中はわざわざ俺の部屋を毎日訪れていた。本を読むにしろ、勉強をするにしろだ。

 俺としては、菘と一緒にいられるに越したことはないので一向にかまわない。むしろ、嬉しいまである。

 しかし、今日に限っては違った。できれば、菘と会話をしたくない。


「……なに?」


 本から目を上げて、菘は訝しげにこちらを見る。


「いや、なんでも」

「そう」


 と、菘は読書に戻る。このやり取りを、今日だけで五回ほど繰り返しいた。

 悪いのは俺だ。というのも、もう気が気でないようで、無意識に菘を見てしまっている。

 明日、俺は菘に埴輪ちゃんと恋人になったという嘘をつく。もちろん、それにはれっきとした理由がある。けれど、心が痛まないかと言えば、それも嘘になってしまう。

 ……菘はどんな顔をするんだろうか。

 驚くのか、それとも悲しむのか。

 もしかしたら喜び祝ってくるかもしれない。それは、嫌だなと思う。

 身勝手な話だ。でも、菘が俺に対してなんの執着心も持ってないとわかったら、俺はもう駄目だろう。多分、今度こそ耐えられない。

 またも、本を閉じた菘が、こちらに近寄ってくる。また、無意識に菘を見つめてしまっていたのだろうか。

 俺の目の前に膝立ちになった菘は、手を俺の額に当ててきた。


「……熱は、なさそうね」

「菘? どうかしたか」

「それはこっちの台詞よ。さっきから、ずっとぼーっと私のこと見て……。いや、涼が私のことばっかり見てるのはいつものことだけど」


 いつものことなのか……。いやまあ、自覚はあるけども。


「けど、今日は何か違う。なんというか、上の空。だから、熱でもあるのかと思って」

「心配かけて悪いな。まあ、ちょっと頭痛いかも。でも大丈夫だから」

「なら、いいのだけど」


 と言いつつも、菘は俺から離れようとしない。手こそ額からは離れたものの、その代わりに俺の手の上から握っている。


「なにか、悩み事?」


 優しい声音が耳に届く。俺は明日、この子に嘘をつくらしい。

 俺が提案したこととはいえ、やはり心苦しくなる。


「いや、別に。さっきも言ったけど、頭痛がするだけ」

「……私には、相談できない?」


 ……俺はあくまで体調不良と訴えてるんだけどなあ。

 今更、菘に隠し事は難しいのだろうか。なら、埴輪ちゃんとの偽装恋人も、すぐに看過されてしまうかもしれない。

 その時は、どうしようか。まあ、なるようになるか……。

 俺がまた考えにふけっていると、目の前が真っ暗になった。

 俺の視界を覆っているのが、菘の身体であると気づくのには少し時間がかかった。

 菘が、俺を抱き寄せたのだ。


「……涼が何を考えているかはわからない。だけど、大丈夫よ。私がなんとかしてあげるから」

「……菘」


 今こうして感じている柔らかさを享受する権利を、俺は有しているのだろうか。疑問に思う。

 なのに、菘を振り払うこともできず、こうしてされるがまま。つくづくダメな人間だ。

 菘はひとしきり俺の頭を撫でると、やっと身体を離した。

 そして、俺の顔を見て満足気な表情になる。


「うん、大丈夫そうね。ちょっと顔が赤くなったけど」

「誰のせいだ、誰の」

「嬉しかったくせに」


 そう言われてしまうと、何も言い返せないのだが。

 ただ、多少は元気になったのは本当だ。単細胞と揶揄されても否定できない。

 それにだ。確かに俺は菘を騙すことになる。やんごとなき理由があるとしても、それが絶対に正しいことかどうかと問われれば、言葉に詰まってしまう。

 だけど、俺は決して菘を諦めたわけではない。むしろ逆だ。

 菘と、正式に恋人となるため。大義名分がある。

 そう言い聞かせることで、俺は自分を鼓舞した。

 決戦は、明日だ。

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