第3話 風呂は一人で入りましょう

 菘との同居が決定したその日は準備するものがあるからと菘は早々に帰っていった。

 そして次の日、学校が終わり放課後を迎えた。俺は一人帰路についている。どうせ菘と同じ家に帰るんだから一緒に帰ればいいだろうとは思われるだろう。しかし、これは菘が望んだことなのだ。

 終礼が終わるや否や俺の元へと来て、


「私、先に帰るから。涼はゆっくりでいいよ」


 と、俺に有無を言わさずそそくさと教室を出ていった。

 しかし、こればっかりはなんとなく理由を察せられた。大方、同じ家に帰っていく様を学校の人間に見られたくないとかだろう。しかし、今まで幼馴染として一緒に下校していたので今更感が半端ない。

 ご要望通り大きく回り道をしてから家に着く。扉に手をかけると、当然鍵はかかっていない。


「ただいま」


 何の気なしに言ったけど、そういや両親はいないんだった。今、この家にいるのは……。

 ドタドタと似つかわしくない足音をたてて菘が玄関に顔を出す。


「お、おかえりなさい」

「う、うん。ただいま」

「おかえり……なさい」

「……」


 え、なにこの空気。新婚かなにか? 新婚旅行に行くべきは俺たちなんじゃ。 


「ていうか、なんでエプロン?」


 俺を出迎えた菘は、制服の上からエプロンを着ていた。まあ家事を任されているからと言ってしまえばそうだが、そこまでする必要はあるのか。


「ええと、似合ってない?」

「いや、そんなことはないけど」

「よかったぁ……」


 確かに制服の上から明らかに着慣れていないエプロンというのはアンバランスではあった。しかし、そもそも顔がいいのでモーマンタイ。いつもはおろしている黒髪も、今は三つ編みおさげで素朴な感じだ。


「って、こんな所で話してるのもあれよね。あがってあがって」

「……ここ俺の家なんだけどなあ」


 靴を脱いで菘に続く。リビングに入ると、隣のキッチンからいい匂いが鼻をついた。

 俺の視線に気が付いたのか、菘は俺の前に立ちはだかり、


「まだ見ちゃダメ」

「ダメもなにも料理してるのモロバレだけど」

「それでも、まだダメよ。完成したら呼ぶから」

「あいあい」


 しかし、こいつ料理できるんだな。今にして思えば、好きな女の子と言っておきながら知らないこともたくさんあるのかもしれない。

 少し抜けたところのある控えめな性格で、顔がいい幼馴染。それが菘だ。

 もちろんそれだけで好きになったわけではない。これまで何年も積み重ねてきた時間がその好きになった理由を占めている。

 けれど、こうして料理をしてるところを見て、まだまだ知らないことがたくさんあるのだと気づかされた。そして、これから一年間色んな菘を見れるのだと思うと、両親に感謝の一つでもした方がいいのかも。


 それからしばらくして、菘が俺の部屋の扉をノックした。おそらく、飯ができたのだろう。


 しかし、扉を開いた先には予想外の景色が広がっていた。


「……菘さん? その格好はいったい?」

「ええと、お風呂の前にお風呂はどうかと思って」

「言い間違えには言及しないとして……。つまり?」

「背中流してあげようかなって」

「……」

「あの、涼? 黙られると困るというか」


 思わず目に額に手をあて上を向いてしまう。けれど本能が指に隙間を作り菘を見ろと言っている。

 今の菘は、家の中にもかかわらずうちの学校指定のスクール水着だけを着ていた。

 ……どうしろと? なに、手出されたいの? それとも美人局か? ああもうわからん。

 あらゆる可能性が脳内をめぐる。この場合の正解はなんだ? 俺はどうすればいい。

 菘が若干天然なのは今に始まった話ではない。学校ではクールでミステリアスみたいな評価を受けているが、こいつはそんなのはではなくただボーっとしてるだけだ。

 とはいえ、ここまでの奇行に走ったところは見たことがない。

 というか、こうしてまじまじとスクール水着を着た女を見るのは初めてだが、これ学校指定にしていいやつなのか? 身体のライン出まくりだけど……。ビキニとかのほうが露出は多いけどまだマシなのでは。

 ただでさえでかい胸の形がありありとわかってしまう。そのまま割と肉付きのいい腰を経て股のところで収束する。端的に言って、卑猥だった。


「手の隙間から見てるのばれてるけど」

「そりゃ見るだろ……」

「それで、どうするの? 一緒に入る?」

「うん」


 当然ながら即答だった。確かに菘の行動は意味が分からないし、もはや不気味でさえある。しかし、今の俺はこの誘惑に抗うことはできない。

 そうして、二人して脱衣所へ。とはいえ、菘は既に水着なのですることはない。いや、脱いでくれるならそれでも俺はいいんだけど。

 俺も服を脱ぎ、ズボンを下ろしたところで、


「って、俺はすっぽんぽんか?」


 突然のラッキースケベに浮かれていて思わず忘れかけていたが、俺はこのままでは全裸を菘に晒すことになる。いくらなんでも恥ずかしい。それに俺は菘の身体なら見たいが、別に見られたい欲求はない。


「涼の裸なら昔見たことあるから平気」

「そういう問題じゃないよね」

「そう? 昔って言っても、もう中学生だったしそんなに変わってないと思うけど……」

「いや、まあ……」


 そう、今菘が言った通り俺たちはあろうことか、中学二年生ぐらいまで一緒に風呂に入っていた。原因はうちの母親だ。思春期真っ只中の俺たちを、幼稚園児かなにかと勘違いしていた母さんは、それまで通り俺たちを風呂に入るよう勧めていた。

 当然ながら俺も菘も拒みたかった。二人して顔を真っ赤にしながら入る風呂など、リラックスできるわけもない。けれど、俺たちはそれでも二人で湯船を共にしていた。

 菘がどう思っていたのかはわからない。けれど俺はびっくりするほど子供みたいな理由だった。ようは意識していると思われてたくなかったのだ。菘など、取るに足らない幼馴染。もし拒んでしまえば、母さんに菘を意識しているのかと勘繰られてしまう。いや、実際にはそんなことを考えている時点で意識しまくりだったのだが。

 ……と、まあ。そんな感じで、俺たちはいい歳して一緒に風呂に入っていた過去があるのだ。


「ていうか菘さん、ちゃんと覚えてるんですね」

「あっ……」


 なんだそのしまった的な顔は。確かに失言だろうけど、今から行なおうとしてることのほうがよっぽど人生における汚点になるぞ。


「じゃあ、涼も水着着る?」

「そうだな」

「ん、わかった。じゃあ、私先にお風呂で待ってるわね」


 そう言って菘は浴室の中へ。俺は部屋に戻って水着を探した。何故、十月なんかに学校の水着探してるんだろう。冷静にならなくても十分理解不能だ。

 お目当ての水着を見つけたのでその場で履いた。家の中を水着で闊歩するのは中々違和感がある。

 そして再び脱衣所へ。すりガラスの向こうには、入浴中の菘がシルエットとなって映っている。思いっきり緊張しつつも、ドアノブに手をかけた。


「……なんで正座?」


 浴室で待っていた菘は、湯船につかるわけでもなければ、髪や身体を洗うわけでもなく、何故か床に直で正座していた。そこに椅子あるんだけどな。


「……なんで、かしらね」

「いや、俺に聞かれても」

「……」

「……」


 いや、なにこの空気。今更にも程があるけど、なんで俺たちは水着を着て風呂で向かいあってるんだ。俺はどこに視線を向ければいんだ。菘を凝視するものあからさまなので、とりあえず宙に目線を逸らす。


「水着だから、見ても大丈夫だけど」

「水着でも大丈夫じゃないんだよ」

「そうなの?」

「そうなの」


 俺の気苦労も知らず菘は小首を傾げている。調子に乗って菘の突飛な提案を受け入れたはいいが、これはこれで生殺しでしかない。とっとと済ませること済ませて、風呂をあがろうそうしよう。

 俺は菘が何故か使っていない椅子を手繰り寄せそこに鎮座。そしてシャンプーに手を伸ばしワンプッシュしようとしたのだが。


「ストップ」

「うおっ。なんだよ」


 菘が背後から手をぬっと差し出し、俺を腕を掴んで制止してきた。当然、菘の腕はそんなに長くない。俺の腕を背後から掴もうと思えばそれなりに近づかなければならないだろう。

 つまり。つまりだ。今現在、俺の背中に感じる、肌触りは水着でザラザラとして、しかし感触は柔らかいあれはあれなのだ。

 こうもテンプレなハプニングが続くと、もはやドッキリすら疑いたくなる。


「涼の頭は私が洗う。じゃないと、一緒に入ってる意味ないでしょう?」

「俺的にはもう大満足な結果なんですけどね」

「……? よくわからないけど、貸して」


 言われるままにシャンプーのボトルを菘に手渡す。すると伸びていた菘の腕も引っ込み、背中に当たる感触も離れていった。これ以上は身体に毒なので、名残惜しいとも思わない。

 菘は二回シャンプーのボトルをプッシュすると、俺の頭に手を伸ばした。

 正面の鏡に目を向けると、当然ながら菘に髪を洗われている俺がいた。こうして、客観的に見ると、その光景の異様さが極まる……はずだった。


「なんか、中学生の時みたいね。あの時も、こうやって髪の毛洗い合いしてたっけ」

「……髪だけな」


 あろうことか、俺はこの状況に違和感を覚えるどころか懐かしさを感じていた。

 当時は水着すら着ていなかったので、流石に身体は避けていたが、髪の毛はこうしてお互いに洗いあっていた。菘の艶やかな黒髪はの手触りはよかったことを今でも覚えている。


「はい、流すから目つぶって」

「俺は子供かよ……」


 なされるがままに俺の洗髪は終わった。となると、次は……。


「じゃあ次は涼が私の髪を洗う番ね」


 やっぱりそうなりますよね。

 俺は椅子から立ち上がり、菘と立ち位置を入れ替える。

 菘はゴムで結んでいた髪を解いた。あの頃と変わらない、綺麗な髪だ。

 シャワーでお湯をかけながらその髪を梳く。するすると、詰まることなく絹のような指通り。思わずシャンプーをすることを忘れそうにすらなった。すんでのところで自我を取り戻し、シャンプーを適量手のひらに出す。

 そしてワッシャワッシャと菘の髪で泡立てた。毛量が多いから、俺よりもよく泡立つ。その代わりに洗わなければならない箇所も当然たくさんある。これ、自分で洗うの面倒だろうなあ……。

 ふと前を見ると、鏡越しに目が合った。


「……どうかしたか?」

「いえ、別に……」


 気まずい。が、中学の頃よりはマシだった。あの時はお互い全裸だったものだから、気が気ではなかった。しかし、今はお互い薄っぺらい布一枚とはいえ隠すべきものは隠している。いや、菘の胸はこれ隠れていると言っていいのか甚だ疑問ではあるが。

 そんなことを考えているうちに、無意識でも手は動いていたようで髪の毛全体を満遍なく洗えたのでシャンプーで流した。

 すると、見覚えのない容器が菘から渡された。


「これ、私がいつも使ってるトリートメントだから」

「了解。でも、昔こんなの使ってたか?」

「私ももう高校生だし……」


 よくわからん理由であったがトリートメントを受け取り、シャンプーとは違い手に馴染ませてから髪に触れる。その程度の知識は俺でもあるのだ。

 髪全体に馴染ませるために洗い流さずにしばらく放置するらしい。菘は椅子から立ち上がり湯船に入った。……水面に乳が浮かぶことはなかった。水着だしそりゃそうか。


「涼は入らないの?」

「いや、お前が絶賛入浴中じゃん」

「でも、風邪引いちゃうわよ。それにここ涼の家」


 先に湯船に向かった奴が言うことかそれ。

 それなりに大きい方の風呂であるとはいえ、高校生二人が入るには流石に手狭だ。

 無理矢理入ろうものなら、身体が密着することは必至だ。


「ほらほら」


 そこまで頭が回っていないのか、菘はおいでおいでと手招きしている。

 ……まあ、菘が誘ってきてるし俺は悪くないだろ。

 意を決して湯船に。菘とは向かいあう形で湯に身体を沈めた。しかし、当然ながら心が休まるわけもない。こうして湯船で向かいあっていると、否が応でも中学時代のことを思い出してしまう。あの時の菘は一縷も纏わぬ姿だった。それを今フラッシュバックしてしまうのは非常にマズい。

 だから、俺は努めて目を閉じて心を無に帰していた。俺は釈迦。俺はガンジー。

 ――ガンジーって青年期はヤリチンだったんだけどな。


「……涼? どうして目、閉じてるの?」

「なんか良からぬものが見えそうだから」

「私の身体、そんなに変? ……昔はあんなに見てきたのに」

「……バレてたのか」

「むしろバレてないと思ってたことに驚いたわ。……滅茶苦茶見てきたくせに」


 そこで初めて菘は恥じらいの表情を浮かべる。こいつにも恥ずかしいって感情はあるんだなと、何故か安心した。


「やっぱり、水着脱いだ方がいいのかしら」


 と、菘は肩のところに手をかける。正直、そのまま傍観していれば菘は本当に脱いだかもしれない。けれど、流石にマズいと思ったので止めることにした。


「……大丈夫、今の菘もちゃんとエロいから」


 俺の発言はどこも大丈夫じゃないけどな。通報されたりしない? この場面見られたら勘違いでは済まないよな。

 そんな俺のきっしょい発言を受けて菘は顔を口のあたりまでお湯に沈めた。

 ……やっぱりひかれたか?

 と思ったのだが。


「だったら、もっとちゃんと見ればいいのに」


 と、予想外の言葉を漏らした。

 まあ、菘がそう言うならと凝視してみたのだが……。


「見すぎよ」


 と顔にお湯をかけられた。どないやねん。

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