第4話 これからの方針
無事、風呂は乗り切り今は部屋で夕飯を待っていた。いくら菘が家事をするために我が家に来ているとはいえ、指を咥えて眺めているのは気が引けたのだが、手伝おうとすると、
「涼は部屋で待ってて」
と、菘にしては珍しく強い口調でいさめられた。なので、こうして部屋で一人惚けている。決して亭主関白などではない。
……しかし、俺はこんなに幸せでいいのだろうか。ついこの前まで、振られたショックで地獄の底をのたうち回っていたはずだった。それが一転。好きな女の子と二人屋根の下。
それどころか風呂まで一緒に入る有様である。
けれど、懸念がないわけではない。
それは言うまでもなく菘の行動、その根拠が不透明なことだ。
確かに俺たちは中学二年生まで風呂に一緒に入っていた。だが、だからと言って高校生になった今もそうする意味が分からない。ましてや、あいつは俺の告白を拒否した。恋仲にはならないと突きつけた相手に肌を晒すのは不可解極まりない。
いや菘なら、昔見られたから今見られても同じ、とか言い出しそうではあるけれど。
とにかく、菘の一挙手一投足は、振った相手にするものにしては明らかにおかしいのだ。
そこになんの目的があるのか。俺は探らなければならない。にもかかわらず、水着一枚の菘を前にして俺はそんな崇高な目的など当然ながら忘れており、目にその姿を焼き付けることにただただ腐心していた。
まあ、時間ならいくらでもあるし焦ることはないだろう。これから一年間、俺はこの生活を続けていかなければならない。裏を返せばそれだけチャンスはあるのはずなんだが……。
……あれ、思ったより辛くない?
何を贅沢な、と思われるかもしれないが、手が届くところに想い人がいる、しかし手を出すわけにはいかない。同意なしでそういうことはしていけないという至極全うな倫理観もさることながら、単純にこれ以上菘に嫌われるわけにはいかないのだ。
つまりこのジレンマを解消する為に俺が取るべき手立てはただ一つ。
菘の好感度を稼いでもう一度告白。そしてちゃんとお付き合いにこぎつける。
これだ、これしかない。そしてこれはなるべく早急に成される必要がある。早くしないと両親が帰ってきてしまうからな。
ここで菘との関係を一旦整理しよう。
俺と菘は家族ぐるみの幼馴染、そんな稀有な関係性は高校生になっても続いていた。
しかし、俺は告白に失敗。ここだけ切り取れば完全に脈無しだ。
けれど、菘はどういう訳か母さんから依頼された、我が家の家事担当お手伝いさんを引き受けた。挙句の果てには俺と風呂に入るとか言い出した。
つまり、常識的に考えて――決して俺の自惚れや楽観視ではなく、菘は俺のことを嫌っているわけではない、そう考えてもいいだろう。じゃなきゃ、誰とでも風呂に入るビッチになってしまう。そんな菘は……悲しいから想像しないでおこう。俺はNTRじゃ抜けないんだ。
「涼、開けて大丈夫?」
「ん、いいぞ」
控えめなノックと共に菘が扉越しに聞いてきたのですぐに承諾。
ドアを開けるとそこには――普通にエプロンの菘がいた。よかった、さっきはスク水だったから、今度は裸エプロンとかしかねないと思っていた。
「用があるなら別にいつでも入って来ていいんだぞ」
「そうなの? 男の子だから、困ることもあるかと思ったんだけど」
「余計なお世話だよ……」
「さっき、私とお風呂入ったのに?」
「だからってすぐにするわけないだろ!」
「じゃあ、あとでするのね」
うんうん、と頷く菘。やばい、ちょっとむかついた。
「というか、なんだ。お前は俺にオカズにでもされたいのか?」
なので反撃と言わんばかりにそう言ってみる。
「されたいっていうか、もうしてると思ってたけど……。だって、涼は私のこと好きなんでしょ? それに加えて、中学生のころ一緒に裸でお風呂入ってたんだから……」
「ごめんなさい、負けました」
自らの立場の弱さに泣けてくるな。そう言えば俺こいつに振られたんだった。上下関係において俺が下なのは明白。更に家事の面倒まで見られている以上、頭が上がらないことこの上ない。
というか、こいつはなんでこんなに飄々としてるんだ? 普通、照れるなり嫌悪感を示すなりなんかあるだろ。
「そんなことよりも」
俺の性事情をそんなことで片付けないで欲しい。
「ご飯、出来たから呼びに来たの」
「ああ、わかった」
二人で階段を降りてダイニングへ。テーブルには料理や箸などが既に並べられている。
カレーとハンバーグと唐揚げと……。え、多くない? 全体的に茶色だし。野球部の弁当みたいだな。
「あの、菘さん……」
「どうしたの? もしかして苦手なものあった?」
「いや、そうじゃなくて。作ってもらっておいてなんなんだけど量が多すぎやしませんかね……」
「男の子ならこれぐらい食べるんじゃないの?」
「さっきからお前の中の男の子はどうなってるんだ。ていうか、毎日俺と昼飯食べてるのに何を見てきたんだ……」
「……言われてみれば」
菘は今更ながらハッとしたような顔をする。しかし、時すでに遅し。作られた料理が元の食材に戻ることはない。
「まあ、最悪冷凍なりなんなりすればいいか。菘に毎食作ってもらうのも悪いしな」
「私はもとよりそのつもりでこの家に来たから、遠慮しなくてもいいのだけど」
「頼りっぱなしってのも面目が立たないというか。料理……は未知数だとしても、俺だって家事ぐらいできるし」
「涼は私から存在意義を奪って、この家から追い出そうと言うの?」
「お前のレーゾンデートルはそんなショボいものなのか」
「ショボくないわ、大事なことよ」
と、話の終着点を見失ったあたりで、そんな話をしていても目の前に積みあがっている大量のご飯が消化される訳もないことに気づいた。
「……とりあえず、食べ始めるか」
「そうね、話なら食べながらでもできるでしょうし」
「じゃあ、いただきます」
「どうぞ」
二人とも箸を取り、食事にありつく。菘の作った料理はどれもこれも肉ばっかりだが――そこに目を瞑れば、とても美味しいものだった。ぶっちゃけ、母さんよりも美味い。母の味更新。
次は唐揚げかなと皿に目を向けると、菘がじっとこちらを見ていたことに気付く。
流石の俺でも、菘が何待ちなのかは言わずともわかる。
「美味しいよ」
そのたった一言で、菘は安心したように顔を綻ばせた。しかし、そんなに心配そうにするということは、案外料理を始めたのは最近だったりするんだろうか。
「でも、菘が料理できるなんて知らなかったな」
「一応、お母さんが帰ってくるのが遅い時は私が作ってたんだけど、それでも心配だったから最近急に色々仕込んだというか……」
俺は深い事情は知らないが、菘の家はシングルマザーだ。少なくとも俺に物心がついたときからそうだった。
菘の母――葵さんは菘とは似てもつかぬ快活な人で、仕事に対しても熱心だ。もちろん、一人で娘を育てなければならないという重責もあったのだろう。その都合、家を空けることも多く、それが理由で菘はよく俺の家に預けられていた。
とはいえ、菘ももう高校生。今では葵さんが帰ってこない程度では騒ぐこともない。
そうして家を任された時に、菘は料理を習得したのだろう。
「へえ、まあ一朝一夕にはできないよな」
「けど、お母さんには下手だーって言われて。だから、必死で勉強してた。涼に、不味いご飯食べさせる訳にはいかないから」
「もはやそれ花嫁修業だよな……」
「……私と涼は、そういうのじゃ」
「わかってるよ」
揺さぶりをかけてみるも、またも告白を断られた時と同じ文句を菘は発した。
――そういうのじゃない。
端的に捉えるならば、私は涼とは幼馴染なのであって恋人とかそういうのじゃない。という意味になる。というか、おそらくこれだろう。
ただの幼馴染の家に泊まり込みなんかするかという疑問はさておき、とにかく菘の中での俺はやはり幼馴染に過ぎないのだ。つまりそれは、恋愛感情が介入する前の段階。幼少期からの関係の延長線だ。一緒に風呂に入ったのも、こじつけに近いがこれで理由にもなる。
だとすれば、俺がすべきことはただ一つ。菘の認識を変えるのだ。俺を、幼馴染にとどまらず、同い年の男と認めさせるしかない。
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