第5話 映画館

 映画館は歩いて10分程の所にある大型ショッピングモールの中にある。

 エントランスには大きなクリスマツスリーのホログラムが映し出されている。

 行き交う家族連れや、イチャつくカップル達を横目に、早足で映画館に向かう。

 映画館はやはり混雑していた。

 そういえば、朝ごはんを食べてなかった。もう、お昼になる。

 ポップコーンとコーラ、ハンバーガーを買った。


 最近の映画の流行は1980年代後半から1990年代のリバイバルで、「役者さんが体を張っている」事が人気だ。

今の映画作品はほとんど全てがCG作品になってしまい、人間味と面白さに欠けて空々しい気がする。いくら映像技術が素晴らしくて臨場感を感じられると言っても心に響かない感じがする。それに比べると、昔の映画はスクリーンから溢れ出る様な「役者の気迫」が感じ取れて面白い。人間の「気」と言うものは画像の中にも閉じ込められる物なのか?映画が生きているような気がする。

 時空を超えたシンパシーなのか…。映像に意識も閉じ込められるのか?

 もう1世紀前の映画になる作品の昔の人が考える未来と現状を比較して、すでに可能になった事と、まだ出来ていないことを事を考えるのも面白い。


ただ、今でも唯一、体を張ったスタントをする事で有名な「デヴィッド J テイラー」と言う俳優がいて、ビルからビルに飛び移るシーンや車に轢かれるシーン、滝壺に落ちるシーンも自分でスタントしていると言う噂だ。私はこの俳優さんが好きで出演している映画は欠かさず見るようにしている。

今回は残念ながら、彼の作品はなかった。


 今日の作品はワイヤーアクションと画像合成で作られている時代のものだ。

 ストーリーはこうだ。

 人間が知らないうちに仮想世界で生活をさせられている。肉体は捕われていて人工知能の操る機械の栄養源になっていて、それと闘う…。と言う設定の映画だ。

 人間の頭の後ろにジャックがあって、仮想世界とつながると言う設定は、今のニューロクラウドに似てる。もっと昔の日本のマンガがアイディアの元だそうだ。


 ただ、現実では人間は希望してニューロクラウドしている。

 映画の中で、仮想世界に戻してくれと言う裏切り者が出てくるが、その人の気持ちがよく分かる。(まぁ、裏切りはよくないけれど)

 でも、仮想世界なら面倒な衣・食・住、食料不足や環境破壊、人口爆発、全て解決してくれるだろう。人間は、人類は地上から消える日が来るのではないか?


 ー脳は体を捨てたがっているー


 コーラを飲んで、ハンバーガーを食べた。


 ま、美味しいからいいか!

 クラウドしても美味しいってあるのかな?データとして、美味しく感じるのかな?などと考えながら食べていたら、ポップコーンが喉に引っかかってしまった。(咳が出ちゃう‼︎)慌ててコーラを飲もうとしてむせこんでしまった。


 前の席の人から睨まれてしまってちょっと気まずい思いをしながら

(この格好悪いのが現実だな)と思った。


 映画を見て、役者さんのカッコ良さに惚れぼれして、ちょっと身体でも鍛えようかな?なんて考えつつ、夕ご飯のチキンと酎ハイをコンビニで買ってアパートに帰った。

 鍛えようなんて思っただけで、結局のところ何も変わらなかった。

 だって、体を動かすって本当に脳が疲れることだもの…。




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