中国貴州省どたばた視察記

吉村 剛

第1話 前書きにかえて、出発

『中国貴州省ドタバタ視察記』

前書きに変えて


はい、皆さんお久しぶりです。吉村 剛です。東京中野ドタバタ日記を書き上げてから

早1 ヶ月になります。その間校正をしたり、この視察記の資料を見直したりしておりました。でもその間も、何か書きたい症候群というか、そういうむずむずした感情に襲われ (ここに書くほど深くはありませんが)ておりました。そして、とうとうオンボロパソコンにて書き始めるわけであります。この話は、今から丁度10,年前になります。和歌山県庁に文化国際課という課があり、そこは、いろんな国と和歌山県との交流や支援等の活動を取り扱う課なんですが、そこの担当の方が2 人わざわざ勝浦に来られて、「国の外務省の機関であるJICAの事業で中国で一番貧しいといわれる貴州省に行って観光のアドバイスを行ってほしいという要望があり、ぜひ勝浦の方から僕たち県の担当者と一緒に3週間視察にいっていただける方をお願いしたいのであります」と当時の観光協会長と事務局長に頼みにきたのであります。県のお二人が帰った後、私吉村は、事務局長に呼ばれ「吉村くん、中国へ行ってくれ」といきなり言われたのであります。「えっ、何、私は何をしたというの。なぜ中国に行かされるの。なぜ、教えて。おじちゃん」状態の僕に、あとからじっくりと訳を話す事務局長でありました。先に理由を言ってもらわんと動揺するがな。あとからでも動揺しましたが。僕は「3週間留守にしなくては、いけないので嫁に相談しますので1日返事待ってください。」といい、その夜、奥様に「仕事で3週間中国の貴州省というところへ行ってくれんかと言われたんやけど、かまんか。」と聞いた。僕は奥様は「えっ、今何を言ったの。私を置いて、そんな遠くへ行ってしまうのね。私と中国どちらが大事なの」としがみついて、泣きじゃくると思っておりましたが、「ああ、そう。行って来たら」のお返事。世の旦那様、世の中そんなに甘くないのよ。というわけで、翌日事務局長に、嫁は大変心配していましたが、何とか説得し行くこととにしましたと、吉村君は返事をしたのであります。世の旦那様、男は格好つけることも大事なのよ。この時で平成19年の6月位でそれから8月末の出発までの約3 ヶ月県の担当者の方やJICAの方との打ち合わせをしていくこととなるわけです。簡単に書いておりますが、この事業は日本の外務省と中国貴州省との国対国の事業なのであります。そして吉村君は、県というか国代表の観光アドバイザーという肩書きなのであります。大変なのであります。買いましたよ。「とっさの中国語」。全部マスターしました。もちろん日本語しゃべれる現地スタッフは付くのですが。挨拶やちょっとしたことは、しゃべれるようになろうと必死で覚えました。当初は、県の担当者も1人一緒にいくこととなっていましたが、急遽行けなくなり僕一人で未知の世界へ旅出すわけであります。これから書いて行くこの視察記は、いくつかの章に分かれ、出発まで、出発、現地での視察模様約3週間、帰路、という風な感じに分かれると思います。出発までの準備期間にも県の担当者が急に行かなくなったりドタバタがあるので、この視察記全体でどんだけドタバタがあるか想像できません。まあ、これから少しずつ書いていくわけですが、許される限り実名(僕の名前実名違いますか。笑)で、また表現の仕方にも注意しながらドタバタ劇を書いていきたいと思います。あくまでも事実に基づきたいと思いますが、盛るところも多々あると思いますのであしからず。

では、これからの期間またまた、よろしくお願いします。

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『中国貴州省ドタバタ視察記』

第一章 出発 1

はい、出発と書いておりますが、まだまだ出発いたしません。出発するまでもドタバタするのが、私吉村ならでは、なのであります。ここで、ちょっとお勉強しましょうか。えっ、またお前変なこと考えてるなって。そんなことありません。やはり貴州省の事を書くので、貴州省の事勉強しましょうね。こら、そこのあなた、鼻くそほじくってるんじゃない。また、そこの彼女、でっかい口開けてあくびしてるんじゃない。はい、行きますよ。まず、貴州省は中国大陸の西南の省というかほとんど下の方にあります。もうほとんどベトナムに近い省であります。ローマ字で、Guizhouと書きます。読み方はグイゾーかな。省都は、貴陽市(きようし)ローマ字でGuiyang(グイヤング)と書き、読みます。面積は17万6100平方メートル。気候は、年間平均14度~16度...で過ごしやすい。ただし雨が多い。

人口は、約3,799万人。ミャオ、ブイ、トン等56の少数民族のうち48の民族が住んでいる。要するに少数民族のめっかである。主な都市は、遵義(じんぎ)、安順(あんじゅん)、凱里(がいり)、六盤水(ろくばんすい)、興義(こうぎ)など。安順市の担当者は、何回も和歌山県を訪問していて、僕が貴州省に視察に行く前年当時の県知事や、勝浦の町長や団体の長等が安順市を訪れ日本一の那智の滝と東洋一の黄果樹瀑布と友好提携を結んだのであります。那智勝浦町の職員と和歌山県の職員の皆さんもっともっと貴州省と交流をしてくださいね。ちゃんと署名も残っていますよ。色々な化石もよく発見され日本の関係者もよく訪れる。僕が行ったときは、関空から北京へ飛び、何時間か待って北京から貴陽空港まで飛んだのだが、今は関空から直通便で約4時間で行ける。ということでお勉強はとりあえず終わりです。この視察は、前書きにも書いたけど、JICAの平成19年度草の根技術協力事業でタイトルは「中国貴州省地域振興ための観光開発人材育成事業」という素敵なタイトルであります。ちょうど北京オリンピックの前年です。この年の8月22日から9月12日まで視察に行くこととなり、インターネットで治安や関空での手続きの仕方やら、注意すべき事やらを毎日調べたり、イオンに行って一番大きなスーツケースを調達したり(なんせ3週間の長旅でありますんで、荷物も多いのであります)、貴州省への那智勝浦町のお土産の選別や事前の観光資料の作成や、ちょうど那智勝浦町の秋のイベントの時期なんで、仕事の引継や、県の担当者と連絡を取りながらの旅券の手配や、向こうでのスケジュールの調整、向こうでの携帯電話の手配(当時は皆ガラケーで、スマホなんてなかったんであります)等着々と出発に向かって準備をしていったのであります。毎晩、「とっさの中国語」という中国語のテキストで勉強していたのであります。自己紹介や両替くらい自分できないとね。あっそうそう、宿泊代や旅券代等すべて中国側と日本のJICA負担でありました。僕は自分で使う分だけ日本円で現金とトラベラーズチェックという金券みたいなもの(今は無いそうですね)で持参しました。僕は関空から中国国際空港の飛行機で北京に行くことになっていたが、実はその1週間前に関空でこの会社の飛行機が事故を起こした。また帰路は貴陽市から北京に飛び北京にあるJICA中国事務所で視察の報告会を行うこととなっていて、その後天安門に連れて行ってもらうこととなっていたが、僕が天安門に行く1週間前にNHKのニュースで見たのだが(NHKはどこでも見れた)で白人の記者が天安門で射殺される事故が起こっている。そんな中で僕は中国行きの日を迎えるわけである。つづく。 もっと見る

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『中国貴州省ドタバタ視察記』

第一章 出発 2



出発は8月22日で、それまでの間準備をし、また『とっさの中国語』という本で勉強した。そしてあと1ヶ月で出発という時なんと、文化国際課の担当者(偶然にも吉野さん)が行かなくなり僕はたったひとりで未知の貴州省へ行くこととなった。人間こういう時はおもしろいもんである。ええ風ええ風にとらえようとする。「二人やったら相手に気を使うけど、ひとりやったら気使わんでええし、楽やん」と考えたのである。そして時が過ぎ、関空から飛び立つ前日の朝、周りの皆からの激励の中勝浦から特急に乗りひとまず和歌山市へ行った。その日の午後県庁で副知事に直に激励されその日は和歌山市のホテルに泊まり翌日僕は朝早く空路関空から北京に向かい、北京空港で5時間待ち(その間勉強した中国語と英語で両替と飲み物の購入をこなし)北京から貴陽空港に...降り立ったのである。北京での5時間待ちの間、僕は喉が渇いたので両替した中国紙幣を手に売店へ行った。そして英語で「俺は飲み物がほしい」と店員に聞いた。店員は冷蔵庫の方を指さした。そこには、いくつかの缶に入った飲み物らしきものが。ひとつには牛の絵が書いている。「おお、牛乳やないか。ええやん。乾いた喉に牛乳最高やん。」と店員のお姉ちゃんに「これくれ」と英語でいって見事牛乳を手にしたのである。そして待合室に戻りイスに腰掛けプシュッと開けた。「えっ、牛乳がプシュッというか。あれ。」と僕は思い一口飲んでほほえんだ。「あ~、やられた。牛のマークはそう言う意味やったんか。」北京空港の、ど真ん中でおっきいスーツケースを持った田舎者の日本人が牛のマーク入った缶もって、にやりと笑っているのである。周りの皆はさぞかし気味悪かったろう。その中身は、そう、もうお気づきでしょう。栄養ドリンクでありました。つまりオロナミンCみたいなやつ。でも渇いた喉には、うまかった。ここで2人とかやったら大変なのだが、なにせ一人ほっち。逆に迷惑かける相方もいない。人間こんな時強いよ~。もう、自分信じるしかないんやから。関西空港での出国手続きも一人で難なくこなした吉村です、こわいもんなんかありゃへん。そんなこんなしているうちにトイレ行きたくなってきた。空港の職員みたいな男の人に今度は中国語で尋ねる。「ザイナール、ツゥオシォ」(トイレはどこですか)その人はむこうやと指さしてくれた。男と女のマークがあった。北京空港でもここは、中国。トイレットペーパーは、水に流しては行けないのだ。便器の横にあるバケツに丸めて入れた。そしてやっと5時間経ち北京発貴陽空港行きの飛行機に乗り込んだ。北京空港での乗り換えも初めてのおっちゃんでもスムーズに行った。俺って天才ちゃうか。一人で世界どこでも行けるで~とアホな吉村君は思ったのである。時間は午後5時頃。腹が減っている。ありがたいことに機内食が出た。AとBがあるみたいなんだがアルミ泊で包んでいるので中がなんなのか分からない。説明も中国語やし。周りの乗客が食べているのを見て「あれくれ」と指さした。それは、ご飯はベトナム米みたいに細長くチャーハンみたい。鶏肉の照り焼きみたいな物とチンゲンサイとミニトマトが入っていた。まあまあうまい。腹が減ってるし。飲み物も欲しかったんで「う~ろんちゃ」とゆっくり言ったが最初通じなかった。なんとか冷たいお茶をもらい飲んだ。そんなこんなで約3時間で貴陽空港へ午後8時頃着いた。北京で待っている時に僕の携帯に貴陽空港に迎えに来る担当の方から電話があった。飛行機に乗る直前だったので簡単に挨拶だけして電話をきったが、その声はまさしく女性で(僕は男性だと聞いていた)しかも若い声だった。貴陽空港に着いた僕は入国手続きを済ませ待ち合わせ場所に向かった。そこには一人の男生とそして美人な若い女性がにっこり笑い、立っていたのである。何か楽しくなりそうやぞと僕は思った。      つづく。


























『中国貴州省ドタバタ視察記』

第一章 出発 3


      

前回の投稿で、貴陽空港で担当のきれいな若い女性と出会うところまで書いたのだが、全国の吉村ファンの女性達からは悲しみのコメントもひとつもなく寂しい思いをしており、むさんくさいおっさんの同僚からは、この先どうなるのか早よ書けといわれておる僕ちんであります。それでは、行ってみよう。


薄暗い夜の帳の降りた空港には白い雪のような肌の黒髪の似合う女性が立っていた。男は大きめのスーツケースを押しその女の元に歩み寄った。「お迎えありがとう、君が厳微(げんび)さんだね」男は、向こう側から差す車のライトに照らされた女にそう言った。

「吉村さんですね。お待ちしておりました。お疲れになったでしょう。こちらは、専属運転手の陳です。」「ニイハオ」陳という男は一言だけ言い少しだけ微笑み男のスーツケースを受け取った。男も「ニイハオ」と言い、3人は用意していた専用車で男の滞在するホテルに向かった。女は男に「おなかはすいていませんか。何かお店でお買いになりますか」と訪ねた。男は日本ならホテルに泊まるときはルームサービスを頼むのだが、初めてのそして言葉の分からない異国ではそうはいかない。男は「スコッチウイスキーのボトルとビスタチオと気取って女に言いたかったが、思わすオレンジジュースとパンが食べたいと本音を口走ってしまった」車は、一軒の店の前に止まり女は小走りでその店でオレンジジュースとパンを2つ買い車に戻り男に、にっこり微笑みながら渡した。「ありがとう」男は一言だけ礼を言った。女の笑顔は男の長旅の疲れを夜の闇に消してしまったようだ。とハードボイルド風に書いてみましたが、いかがですか。まあそんなこんなで僕たち3人は空港から約30分走り5つ星のでっかいホテルに厳微(以下厳さんと書きます) にチェックインの手続きをしてもらい僕は自分の部屋に入り2人は、帰っていった。部屋はさすが5つ星だけあり広くトイレも水洗で紙を流せ、生水が飲めないのでミネラルウォーターのボトルが3本置いていた。僕はシャワーを浴び、買ってもらったパンとオレンジジュースを口にし、家と事務局長に無事着いた電話をした。そしてオレンジジュース(水割りやビールが本当は飲みたかったけどルームサービスもめんどくさいし疲れていたので我慢した。)を飲みながら、明日からのスケジュール表に目を通した。3週間の間に貴州省を横断しながら色んな観光地を訪れ色んな視察をし、それを最後にレポートにまとめて提出する。もちろんその場でアドバイス等もする予定だ。僕の3週間の行程を簡単に書くと1日目旅遊局訪問、副局長と会談、外事弁公室(省の外務省みたいなところ)の室長と会談。市内視察。

2日目市内視察、3日目休日 市内視察、4日目ろうけつ染め視察、竜宮風景区視察 5日目黄果樹瀑布視察、6日目馬嶺河峡谷視察、7日目ブイ族の村視察、8日目南江大峡谷視察、9日休日 ホテルでレポートまとめ、11日目中間報告 旅遊局にて

12日目 世界遺産れいは 視察、 13日目 ヤオ族の村視察、14日目凱里ミャオ族視察、15日目ミャオ族村視察、16日青岩古鎮視察、17日休日 レポートまとめ、

18日 貴陽市市内ホテル視察、19日目貴陽市から北京へ移動 、中国JICA事務所でレポート発表。その後初めて天安門に行く、 20日北京から関空へそして帰宅というスケジュールだった。僕は、少しだけ中国語のテレビを見て携帯を目覚まし時計代わりにセットし早めに眠りについた。 つづく。






























『中国貴州省ドタバタ視察記』

第二章 視察 1


「ピコピコピコ、ピコピコピコ」目覚まし代わりのノキアの携帯が鳴った。8月24日木曜日。貴州省での初めての朝である。ホテルは貴陽華美達神奇大飯店、5星のホテルである。中国では飯店と言えばホテルのことを指す。時間は朝7時。テレビを付けNHKのニュースを見る。ほかのチャンネルも回してみたが、ドラマやオーディション番組のような番組が多く当然、言語も分からないのて゛どうしても日本語放送になる。日本の出来事もしっとかないと。それと視察期間、言語は分からないが、中国語のニュースもよく見た。なんとなく感じで意味が分かる。僕は、部屋着を着替え、顔を洗い、ルームキーを持って1階のレストランへ向かった。前日に厳さんからホテルでの「朝食は1階のレストランで食べてね」といわれていたので、入り口で受付のきれいな女性にルームキーを見せて席に着いた。

朝からきれいな女性に、にっこりされるのは、気分が良い。自然な笑顔である。余談だが

この女性とは朝食で良く顔を合わせた。バイキング形式だった。料理を取るトレーにサラダやスクランブルエッグ、ハム、ウインナー、青梗菜、おかゆ、肉まんのようなもの、ぎょうざ、水餃子、パン、炒飯、ケーキなどなどいろいろなものがある。鮨もあったので食べてみたがあまりうまくなかった。でも他のものはまあまあおいしかった。飲み物もウーロン茶やオレンジジュース、コーヒーもあった。ひととおり朝食を済まし僕は部屋に戻り、

パソコンにおとといと昨日の行動を日記風に打ち込んでいった。毎日その日の行動をノートを書きまくったノートを見てその夜にパソコンに打ち込まないと報告書ができないからだ。今日は、厳さんといっしょに陳さんの運転で、貴州省外事弁公室と貴州省旅遊局を訪問。ここで少し書くと外事弁公室というのは簡単に書くと外務省かな。あと旅遊局は和歌山県の観光振興課や交流課にあたるだろうか。厳さんは、旅遊局の職員で大学で日本語を勉強したので日本語は達者であり今回の僕の担当となった。色白の黒髪のきれいなひじんであり、25歳である。しかし皆さんご安心ください。もうすぐ結婚する彼氏がいるのでありました。あと、陳さんは、旅遊局専属の運転手でありました。日本語は、しゃべれない。

僕たち3人は、僕のホテルの玄関で午前10時30分に待ち合わせだつたので。僕は10時20分に部屋を出て玄関に向かった。玄関には貴州省旅遊局と書かれたワゴン車が停まっていてその横に陳さんが立っていた。僕は必要なものだけ入っているショルダーバックを肩にかけ陳さんに、「ザオシャンハオ(おはよう)」と挨拶した。陳さんもにっこり笑い、「ザオシャンハオ(おはよう)」と返した。僕らは厳さんを待った。10時30分になってもこない。10時40分になってやがてゆっくり歩きながら「吉村さん、おはようございます」と厳さんは車に近づいてきた。後で知ったのだが、中国ではなかなか時間通りというのはないらしい。現に厳さんは、視察期間中いつも遅れてきた。ホテルから10分のところに住んでいるのに。それが当たり前のようである。僕らは車に乗り込み、貴州省弁公室に向かった。道は車が多く、そして何と日本車が多かった。町並みはちょうど和歌山市の大通りみたいなところだ。「吉村さん、昨日は良く眠れた」厳さんが、僕に聞いた。厳さんは、あえて敬語を使わないようにしているみたいだ。「うん、よく眠れたよ。厳さんの買ってくれたパンもジュースもおいしかったし、ホテルの朝食もおいしかったよ。寿司はおいしくなかったけと゛、はっははは。」「そう、良かった。でも寿司はおいしくないね。ゆはり日本のじゃないと。」と厳さん。陳さんは、何と日本の演歌が大好きで、車で日本の演歌を小さい音でかけいる。陳さんに「陳さん、演歌OK」と聞くと陳さんは運転しながら大きくうなづいた、日本に帰ったら陳さんに演歌のテープ送ってあげようと思った。僕は、移動中、日本から持ってきたお土産の風鈴を陳さんと厳さんに渡した。厳さんは「ありがとう。すてきです」と、陳さんも「シェィシェィ」と喜んでくれた。約30分で外事弁公室についた。今から僕は、対談をすることになっていた。     つづく


























『中国貴州省ドタバタ視察記』

第二章 視察 2


貴州省外事弁公室に到着してから、僕は応接室に案内され通訳の張偉(ちょうい)を通して姚(よう)主任と蒔(せつ)処長と会談を始めた。お二人は「遠いところお越しいただきましてほんとうにありがとうございます。」とお礼を述べ僕は、「お招きいただいてありがとうございます。今年7月の茘波(れいは)の世界自然遺産への登録おめでとうございます。これから約3週間お世話になります。少しでもお力になれるよう頑張ります。よろしくお願いします。」と答えた。それから姚主任は、今の貴州省について大要以下の通り説明した。

中国には、日本人、フランス人の観光客が多い、人口の多くが農業に携わっていて省としても生活改善を目指している。各地からの交通アクセスの発展が原因で観光客数が伸び悩んでいる。高速道路は省内に8つあるが、開発整備にも力を入れたい。貴州省には1

つの国際空港を...含み4つの空港がある。貴州省のことを外国の方はあまり知らない。PR不足を感じる。中国の方も和歌山県と貴州省との関係に興味を持っている。今後は和歌山県と力を合わせてより多くの観光客に来ていただけるように取り組んでいきたい。

僕は和歌山県と那智勝浦町の観光の取り組み方等を話し約1時間の対談は終わった。陳さんと厳さんは、その間別室で待っていた。僕はお土産を渡し、お二人からは記念品をいただいた。そのあと近くのレストランで貴州省の代表的な料理をごちそうしていただいた。

そのあと、今度は貴州省旅遊局を訪問に向かった。移動の車の中で厳さんは「どうだった。吉村さん、緊張した」と聞いてきた。「厳さん、そりゃ緊張するよ。たって向こうは弁公室の処長やぞ。日本でいえば県の観光のトップクラスやぞ。緊張するよ。」「そう、大変だったね、今度は旅遊局の副局長だけど日本語も話せるしきんちょうしなくてもいいよ。」「そうかな。」そうこういっているうちに到着した。時計は午後3時30分を指していた。厳さんの案内で傅(ふう)副局長の部屋に行き会談した。副局長は和歌山にも何度も来ており、

「吉村さん、ようこそおこしくださいました。お待ちしていましたお会いできてうれしいです。どうぞこちらへ。貴州省のお茶を入れましょう」厳さんが2人分のお茶を持ってきてくれた。貴州省のお茶は大きめのコップにお茶葉を入れて熱湯を注ぎお茶葉を除けながら飲む形だった。おいしかった。まず僕の方から持ってきたお土産を渡し勝浦と和歌山県のパンフレットやDVDを見ながら説明した。そしてそのあと副局長は貴州省のシDVDを見せながら説明してくれた。ゆっくりと会談し副局長からは貴州省の立派な写真集を何冊かいただいた。其のあと副局長はじめ旅遊局のスタッフと夕食を共にした。僕がいた3週間の食事はすべて貴州省が負担してくれた。夕食は貴陽市の代表的な料理で、例の丸テーブルに豚肉の角煮、ホタテと春雨の炒め物、牛肉入りスープ、トムヤンクンのような川魚のスープ(これが抜群にうまい。貴州省ではほとんどが川魚。酸湯魚という料理。)

水餃子、ニワトリの足の煮物、チンゲン菜の炒め物、エビのから揚げ、飲み物は青島ビール(おなじみチンタオビール、うまい)とマオタイ酒(貴州省の特産品、日中国交正常化提言の席で時の田中角栄と周恩来が交わしたことでも有名。日本の徳利のような杯で飲み乾杯と言いながらお互いに飲みあう。飲み終わったら相手に杯を見せるのが中国風のマナーとのこと。度数は50度くらい。うまいけど、飲みすぎると倒れます)。僕はしこたま食べ、そして飲みまくりました。貴州省の料理は油こくなく食べやすく、3週間で一度も腹をこわしたことなく帰って貴州省に行く前より健康になって帰ったという感じです。そして僕はお礼を言い陳さんの運転する車でホテルに送ってもらい、部屋で今日の事をパソコンに打ち込みシャワーを浴び少しテレビを見てから眠りについた。時計は12時をまわっていた。

つづく。




























『中国貴州省ドタバタ視察記』

第二章 視察 3


8月25日土曜日、貴州省3日目。午前7時30分起床。曇り時々雨。気温26度。少し蒸し暑い。この視察は3週間動きっぱなしいうわけではなく、休日もあるのです。土曜日と日曜日は休日でレポートをまとめる等の日となっていた。僕は朝食を食べるため顔を洗い、着替えて1階のレストランに行き、昨日と同じ笑顔の素敵な受付嬢が「ザオシャンハオ」と挨拶してくれ、僕は、おかゆを中心に朝食をとった。そして部屋に戻り、テレビを小さな音でかけながらパソコンで、報告資料を手直し出した。午前10時頃に係りの女性がシーツやトイレットペーパー等の補充のため部屋にやってきた。僕は片言英語でもう2本ミネラルウォーターをくれないかと言い、なんとか通じミネラルウォーターのボトルを4本確保した。生水が飲めず今日は一日部屋で過ごす予定だったからだ。しかし、そのあと僕の携帯が鳴った。相手は厳さんだった。「おはようございます。吉村さん起きてた。」「うん、大分前に起きて朝食食べて、今レポート手直ししやるんやけど。」「そう、偉いね。ねえ、吉村さん、昼から市内見学しない。貴陽市の有名な公園や建物も見てほしいんだけど。あとお昼ごはんもいっしょに食べない。陳さんも誘うから、12時にロビーで待ち合わせね。構わない。」「ああ、ええよ。」会話だけ聞いていると恋人どおしみたいな会話だが、彼女は僕より20歳年下で娘みたいである。そして結婚も決まっている彼氏がいる。僕は、11時30分頃までレポートをまとめ、身支度を済ませ12時前にロビーに下りて行った。陳さんが例のごとくワゴン車で待っていてくれ、例のごとく厳さんは10分遅れてきた。「ごめんね。待った」少しもすまないと思っていない厳さんであった。それから演歌を少し小さな音で流しながら陳さんの運転で黔霊山公園(けんれいざんこうえん)へ。貴州省についた時から思っていたが、貴陽市内の車の運転はほとんどの車はクラツションを鳴らしすごいスピードで走っていて、人もその車の流れを巧みにすり抜けている。日本ならあちこちで事故が起きているだろう。厳さんに聞いたが、貴州省の車はブレーキより先にクラッションがダメになるそうだ。公園までホテルから約15分。貴陽市の北西に位置する。野生のサルが、うじゃうじゃいる。きれいな女性が群がってくるのなら良いが、サルが群がってくる。たまったもんじゅゃない。観光客が餌をやるから餌をもらえると思って群がってくる。公園内に黔霊湖(けんれいこ)という綺麗な湖がある。毎朝5万人の人々が太極拳や、踊りの練習、ジョギングなどをするそうだ。さすが中国、規模が違う。ケタが違う。

公園の山中に貴州省最大の仏教の寺、弘福寺がある。入口近くには、九龍浴仏(九つの龍が水をはいて真ん中の仏を敬っている)壁画があり、その絵の少し前から目をつむり、手を前にした状態で壁画に向かって歩き、見事仏の絵に触ることができると福が来るといわれている。「厳さん、俺やってみるわ」と僕はやってみたが外れた。厳さんは、見事成功。子どものの様に喜んでいた。僕は視察もかねてこの寺のトイレに入ったが、うわさには聞いていたが、小便は溝があり、そこにするようになっていて、昔の駅のトイレみたいだった。また大きい方は便器が、4つあり壁はあるが、しきりがなく用をたしているところがこちらから丸見えである。現に僕が入ったときは2人が用を足していて目があってびっくらこいた。ちなみに厳さんに聞いたが女性の方も同じだと言っていた。でも私は使用しないと言っていた。この公園の風景がトイレをのぞききれいだったので僕は写真を撮った。、それから、市内の食堂に入り豆腐麺を食べた。「吉村さん、よく食べそうだから大盛りにする」と厳さんに言われたが、食べたことがなく味がわからないので、「いや、普通にするよ」と答えた。きしめんのように太い麺と豆腐がどんぶりに入っている。それをたれに付けて食べる。つけ麺みたいだ。貴州省で一番有名な麺だそうだ。たれが少し辛いが、おいしかった。「おいしいてしょ」厳さんは、にこにこしながら聞いてきた。「うん、辛いけどうまい。大盛りでも良かった」「おかわりする。」「いや、腹八分目にしとく」「腹八分目、ああ、オーケーね。」それから僕らは喫茶店に入り、コーヒーを飲んだ。その店には、偶然、厳さんの彼氏が友達と来ていた。つづく。

























『中国貴州省ドタバタ視察記』

第二章 視察 4


僕と厳さんが店に入っていくと入口近くに厳さんの彼氏が友達とコーヒーを飲んでいた。

厳さんは、彼氏に何やら話し僕に向かって「彼です」と紹介した。僕は「ニイハオ、僕は吉村 剛といいます。」と中国語で挨拶した。彼も「こんにちわ、僕は黄 周院です」とにっこり立って握手しながら挨拶してくれた。とても好青年である。それから厳さんと彼は何か会話を交わし僕たちは奥の席に向かった。「何飲む。吉村さん。私はオレンジジュースにしよっと。」「僕はアイスコーヒーにするよ」「分かった、注文するね」厳さんは、ウエイターに注文してくれた。「厳さん、僕とお茶飲んでいても彼氏なんとも思わんのかな。」「えっ、大丈夫よ。吉村さんの担当のことは、ちゃんと彼氏に話しているし、仕事で会っているんだし、彼もそれを分かってるしね。大丈夫だよ」「そうか、了解。ところで彼は仕事何してるの。」「建築士よ。マンション建てたりしてるの。今度二人で住む予定のマンションも彼がリフォーム計画したのよ。今度良かったら見に連れてってあげるね。」

「へー、建築士か、すごいね。収入もええんじゃない。ぜひマンション見せてもらうよ。」「うん。行こうね。今貴陽市は、開発が進んでいて、マンションとかも、どんどん建ってるのよ。彼はしばらくは仕事は途切れないと思うって言ってるわ。彼は日本語分からないので、英語で会話するといいと思うよ。英語はしゃべれるから。」「あのね。厳さん俺、英語も片言やぞ。会話できるかな。」「大丈夫よ。なんとなく通じると思うよ。今度会ったときはゆっくり会話してね。」「うん、頑張るよ。」そして僕らはコーヒーとオレンジジュースを飲みながら、今後のスケジュールを再度確認し、陳さんの運転で僕をホテルに送ってくれた。途中厳さんは、彼氏に電話していたらしく「ねえ、吉村さん今晩貴州省の民族ショーを見て晩御飯も一緒に彼氏も交えて食べない。」「うん、ええよ。ぜひお願いするよ。」「分かったわ。それじゃ。午後6時にホテルに彼氏と私のお母さんとで迎えに行くね」そして僕をホテルに送ってくれて、僕は約束の時間までしばらく部屋で、くつろいだ。

約束の時間の10分前にロビーに下りていくと、しばらくして彼氏の運転する車で迎えに来てくれた。僕は彼には英語でこんばんわと、お母さんにはニイハオと挨拶した。厳さんが、お母さんに僕のことを紹介してくれ僕は、後部座席に乗り込んだ。車で約10分のレストランへ入り苗族(ミャオ族)の料理である酸湯魚(さんとうぎょ)という料理を食べた。お母さんは「二人が結婚することがたいへんうれしい。黄も私の事を大変気遣ってくれる。ほんとうにうれしい。吉村さんは、結婚していると思うが、奥さんや家族は3週間も家を開けて寂しがらないのか。吉村さんはどうか。」と話した。僕は「お二人は僕からみてもとてもお似合いだと思います。黄さんには会ったばかりですが、とても優しそうです。あと、僕の家族は大丈夫です。元気に頑張っておいでと送り出してくれました。僕もいろいろな方に会えて全然さびしくありません」と答えた。黄さんとは、片言英語で、時々厳さんのフォローも入りながら、お互いの仕事の事や日本の事とか話したが、厳は、吉村さんのお役にたっていますか。との問いに僕は大変お世話になっています。こうやって休日も気を使ってくれているところも大変感謝しています。と答えた。

料理は、とてもおいしく今後僕は何回も酸湯魚を食べることになるがどこの店もおいしかった。トムヤンクンのような酸っぱいスープにナマズのような川魚を煮込んでいる料理である。全然生臭くもない。魚の身もうまいが、このスープが絶品である。食後僕らは車でこれまた約10分位の劇場での多彩貴州風民族ショーを約1時間鑑賞した。黄州省の劇団図観光客相手に様々な貴州省にすんでいる民族の衣装で踊りを披露する。来日してショーを行うこともあるらしい。毎週土、日に行っているとのこと。僕らは絢爛豪華なショーを楽しんで僕はホテルまで送っていただき、そのあと部屋でシャワーを浴びながら洗濯もし

洗った服をロープにかけシャワー室に干した。なんせ3週間なので服もときどき洗濯しないといけない。日本から洗剤も持参していた。それから少しパソコンで報告書を打ち眠りについた。晩御飯の時にお酒も飲んでいたのですぐに寝てしまった。つづく。

























『中国貴州省ドタバタ視察記』

第二章 視察 5


8月26日日曜日、雨のち晴れ 気温28度 本日も視察は休みだが、昨晩厳さんから

昼より貴州省の有名な公園や施設の見学に連れて行ってくれる約束をしていた。なので午前中はレポートまとめ。午前7時30分に起き顔を洗いホテルの付近を散歩することにした。途中パン屋があったので、チョコレートパンとシーチキンのようなものを挟んでいるパンとオレンジジュースを買った。いくらかと中国語で聞くと電卓を押して数字で教えてくれた。そのパンを手にホテルの部屋でテレビでNHKのニュースを流しながらパソコンに向かった。オレンジジュースはよく冷えてておいしかった。チョコレートパンは日本のパンより甘く、シーチキンを挟んでいると思ったパンはピーナッツの粒粒を挟んだパンでまずくはないが、シーチキンを期待していたので少しがっかりした。午前中はそうして時間を過ごし12時に、やはり厳さんは、10分くらい遅れてやってきて陳さんの運転でホテルから約30分の花渓公園(かけいこうえん)に向かった。「吉村さん、おなかすいていない。公園の近くで牛肉粉(ぎゅうにくふん)という麺食べない」「うん、ええね。食べよう」僕たちは、食堂に入り牛肉粉を頼んだ。しばらくして運ばれてきた。厳さんは普通、僕と陳さんは大盛だった。「貴州省の名物麺で麺は米で出来ているのよ。それに貴州省の牛の角煮が入っているのよ。おいしいよ。」僕は一口食べた。うまい。特に角煮がうまい。「これ、おいしいね。角煮もおいしいよ。麺もうどんに似ているし。うん、おいしい。」店内は日曜のお昼時ということもあり、かなり混んでいる。3人とも完食した。そして公園へ。黄陽市中心より南西へ約18キロ、自然のままの公園である。さっきまで降っていた雨も上がった。園内には看板がほとんどなく逆に自然のままの風景が非常に良い。陳さんは、駐車場で待っていて僕と厳さんとで公園内を視察することとなった。「ここはね。約1キロの遊歩道があって、途中、百歩橋(ひゃくほきょう)」という飛び石でできた道があるのよ。」僕らは、しばらく歩いて厳さんの言った百歩橋にさしかかった。厳さんは、少しヒールの高い靴を履いている。「厳さん、大丈夫か、渡れるかい。」「うん、大丈夫よ」と僕の後ろから歩いてきていたが、「きゃっ」と声がした。厳さんの片足が川につかっていた。「ああ~。寝れちゃった。」

厳さんは、笑いながそう言った。「しょうがないなぁ。はい。」と僕は彼女の手を取り最後まで渡った。「ありがとうね。吉村さん」「うん、どういたしまして」恰好ええ男はどこの国でも恰好ええんである。(えっ、あほか、おまえって、まあええやん。)僕らは、約1

時間の視察を楽しんだ。川が流れていて泳いでいる人、釣りを楽しんでいる人、自然が豊富で素晴らしい公園なのだが、残念だったのは時々物乞いをしている人がいたことだ。

僕らは、そこから陳さんの運転で今度は貴陽市のシンボルである甲秀楼へ向かった。明代の西暦1598年につくられた。四角形三層の木石構造で、ひさしの先端がとがった楼閣であり、高さは約20mである。橋の上には噤碧亭(こんへきてい)があり歴代の文人の作品

が残されている。しばらく僕らは見学し、そして陳さんの運転で僕はホテルに戻った。

厳さんは、「どうしても抜けられない用があるので、今晩はホテルのレストランで晩御飯食べてね」と本当にすまなそうに言ったが「いやいや、休みの日まで付き合ってくれて本当に感謝してるよ。全然気にせんどいてね」と僕は答えた。僕は別れ部屋に戻りしばらくテレビを見てくつろぎ、1階のレストランに向かった。部屋のキーを見せて席に着いた。

朝と同じくバイキング形式になっていた。僕は水餃子、炒飯(卵や色々な種類の炒飯がある)

、ローストビーフ、おかゆ、チンゲン菜の炒め物、鶏肉の炒め物等取り皿に大盛り取り、

ビールと酒を飲みながら食べた。これがすべておいしかった。なかでも炒版がうまい。米はベトナム米のように細長く、どの種類もうまかった。僕はこの視察期間中ほとんど毎日炒版は食べていた。それほど気に入ったのである。ビールと酒で良い気分で部屋に戻りパソコンに向かった。しはらくして酔いも落ち着いたところでシャワーを浴び、眠りについた。明日からは、本格的な貴州省横断視察が始まろうとしていた。  つづく。

























 『中国貴州省ドタバタ視察記』

第二章 視察 6


8月27日 月曜日 雨時々くもり  気温26度  第5日目

そういえば、曇りか雨の日ばかりである。午前7時30分に目覚ましで起きて、顔を洗いいつものごとく1階のレストランへ。いつもの笑顔の素敵な受付嬢にルームキーを見せて、おかゆ中心の朝食。本日から4日間本格的な移動視察である。担当は厳さんに代わって貴州海外旅遊総公司の陳秀芬(ちんしゅうふん)さんという日本担当の既婚女性で僕より2歳年下の方だ。陳さんは、僕が視察を終えてからの10月から翌2月まで僕とは逆に観光の事について研修するため勝浦に5カ月来日した。その陳さんと運転手の陳さんと(陳さんばかりでややこしいね)と朝9時にロビーで待ち合わせで貴州省の西部へと向かった。今回はでっかいスーツケースごと車に積み込んだ。途中売店で担当の陳さんがミネラルウォーターを2ケース買ってくれた。生水は飲めないからだ。「陳さん、よろしくね。」僕はそういって、持ってきていた日本のお土産を車中で渡した。「吉村さん、こちらこそよろしくね。あっ、お土産ありがとうございます。色々と分からないことなんでも聞いてくださいね。」「うん、ありがとう。」「これから約1時間半高速道路を西の方に走り安順市へ行くよ。日本の那智の滝と友好を結んだ黄果樹瀑布のあるところですよ。」運転手の陳さんは相変わらず演歌のテープをかけて鼻歌を歌いながら運転している。貴州省の西部の方は湖や鍾乳洞の風景区が多い。東と南は少数民族の観光が多い。民族では西部はブイ族が多く住んでいて衣装は刺繍の物を着ている。東・南はミャオ族とトン族が多く住んでいてロウケツ染めの衣装を着ている。「さあ、安順市に着いたよ。初めに天竜屯堡古鎮(てんりゅうとんぽこちん)を見学します。古鎮とは、集落のことです。」江南の漢族(今の中国の方はほとんど漢民族である)風俗習慣を持ってきた軍人たちはそれ以来この少数民族の地域で生息してきて、600年を経て依然として残っている。老漢民族(ろうかんみんぞく)が住んでいる集落であり女性は髪型で人生の身分を3つに分けている。まず、長い黒髪は未婚の女性、白い鉢巻は既婚女性、黒い鉢巻は孫のいる女性である。入口には案内所があり民族衣装の女性がガイドをしてくれる。僕たちも案内をお願いした。これまた笑顔の素敵な女性である。1周約1時間で、途中お客をもてなす駅のお茶(もともとは宿駅で通りかかる将兵をお茶でもてなしていたが、今は観光客をもてなしている)、地劇(面をつけて演じる劇で約10分。演劇史上の生きた化石とも呼ばれている)、民家(石を材料として防御式の家、このあたりは石で家を建てるのだ)を視察した。僕はお茶のおぱちゃん達ともすぐ友達になった。そのあと食堂で軽く昼食。豚肉やチンゲン菜の炒め物、もちろん炒飯、水餃子等食べた。「これから近くの天台山へ上ります。吉村さん天台大師知っていますか」「うん、知っているよ。天台宗の人だよね。」「そうです。」運転手の陳さんは、待機で僕と担当の陳さんは、山道を約1時間登った。天台山は約600mであり、頂上には伍竜寺(ごりゅうじ)があり、釈迦が祭られており寺の中は清代の武将の剣、官服も展示されていた。僕らは、ふうふう言いながら戻り、それから車で洪福ロウケツ染め技術館を視察した。安順市中心より車で5分である。実際に絵付け等見学できる。ローケツ染めはブイ族の物が有名でそのローケ染めが見学できる。そのあと、竜宮風景区を視察。風景区というのは、簡単に言えば観光地区とでも言えようか。黄陽市より車で約2時間。竜宮鍾乳洞は長さ約800mで、洞窟の中には大広間の様なところが前後5つあり、それらを世界でも珍しいが、船に乗り見学できる。「うわー、きれいやな」と僕は感動した。「そうでしょう。ここは、すごく人気があります」と担当の陳さんは誇らしげに笑った。続いてブイ族の石板寨(せきばんざい、石頭寨ともいう)を視察。寨とは村のことである。石でできた家々が並んでいて家の中ではローケツ染めをやっているのを見学した。

そのあとは、宿泊の貴果樹ホテルへ。大きなコテージのようなホテルだった。森の中なので静かだが、少しさびしい。僕らはそのホテルのレストランで地元の料理と酒とビールを楽しんだ。もちろん炒版も。それから僕は部屋に戻り酔いが心地よいところでパソコンに向かい、寝る前にシャワーを軽く浴び眠りについた。明日は貴果樹瀑布である。

                             つづく。
























『中国貴州省ドタバタ視察記』

第二章 視察 7


8月28日 火曜日 晴れ 気温27度  第6日目


貴州省にきて初めての晴れの日である。すがすがしい朝を迎え午前7時30分にレストランに集まり男女の陳さん達と朝食。「ザオシャンハオ、よく眠れましたか。ここの肉まんおいしいよ。」と担当の陳さんが教えてくれた。簡単なバイキング形式でおかゆ、水餃子、肉まん、野菜サラダ、卵焼き等食べる。最近結構野菜が多いので、いたって健康だ。ここの卵焼きと肉まん、うまかった。午前8時30分にスーツケースを車に積み込み出発。「これから黄果樹瀑布へ行きますよ」担当の陳さんが、ミネラルウオーターを渡しながらそう言った。那智の滝と友好提携を結んでいる。ホテルより車で約10分。安順市の鎮廉県(ちんねいけん)に位置し、貴陽市から南西に130キロになる。僕の視.察の仕方は貴陽市を中心として西に何日間、南に何日間、東に何日間という感じである。車で貴陽市から約1時間30分である。アジア一の滝で幅81m、高さ70mである。幅がすごいのである。昨日までの雨のせいで水量がすごく勢い があるみたいだ、音がすごい。「さあ、着いたよ。あっという間だけどね。」担当の陳さんは、そういいながら笑った。入口の方まで担当の陳さんと歩いていき

看板を見た。陳さんが「水廉洞(すいれんどう)という滝の後ろにある洞穴から水のカーテンみたいに見ることができるんだけど、今日は水量が多いので行けません」と陳さんは残念そうに言った。「あのエスカレーターで下まで降りれるけど、せっかくだから遊歩道でいきましょうよ」と陳さんは言った。「うん、ええよ」僕らは滝に近づくため遊歩道を歩いていった。途中子供たちがしきりに雨カッパを売りに来る。陳さんは、しきりに追い払うが、しつこい。「陳さん、しぶきで濡れるから買おうよ。僕出すから。」そういって2

人分のカッパを買った。実際下まで降りたらカッパもダメなくらいすごい水しぶきだった。

「すごいね。さすがアジア一やなぁ」「そうでしょう。世界遺産に申請も考えているみたいですよ。しかし近くの電線等が問題になっているから中々むずかしいです。」僕らはしはらく滝を眺めそして来た道を戻った。黄果樹とは、オレンジの意味もあるそうだ。そして車に乗り込みそこからまたまた約10分の天星橋風景区(てんせいきょうふうけいく)へ。

 「ここもすごくいいよ。」陳さんは自慢げにそういった。黄果樹の滝の下流へ約6キロ離れた位置にある。主に3つの観光地からなる。1つは、天星盆景、2つめは天星洞という鍾乳洞、3つめは水上石林である。全部廻ると3時間かかる。今回は天星盆景を視察。約1時間の飛び石の遊歩道となっている。ここも運転手の陳さんは待機で、担当の陳さんと視察した。亜熱帯の植物があちらこちらに生えていて天然の盆栽の様である。「この飛び石はひとつずつ一年の月日が印されていて自分の誕生日の石の上で記念撮影ができるよ。」陳さんが教えてくれた。もちろん、僕は写真を撮った。一周廻り終わりまた僕らは車に乗り込み、滑石哨ブイ族の村を視察。石でできた家々がある。それから僕たちは近くの食堂で昼食をとった。米粉で出来た麺を食べた。野菜とか牛肉が入っていた。結構うまかった。そして僕らは午後約3時間30分かけて興義市へ。運転手の陳さんは演歌ばりばりで高速をかつ飛ばしている。時々日本語の歌詞をくちずさむので面白い。そしてホテルへ到着。宿泊は民航ホテル。設備は4つ星で非常に良かった。僕らはレストランで、ゆっくり夕食をとった。僕は夕食後部屋にもどりパソコンに報告を打ち込み、シャワーを浴び、陳さんの買ってくれたビールを飲み、そして眠りについた。

                             つづく。





























『中国貴州省ドタバタ視察記』

第二章 視察 8


8月29日 水曜日 晴れ 気温27度 第7日目


昨日に続き良い天気だ。すこし暑い。僕たちは、おかゆ中心の朝食を食べ、ホテルのロビーで待ち合わせた黔西南州旅遊局(けんせいなんしゅうりょゆうきょく)の龍所長、黄さん、張さんもガイドに加わってくれ、僕たちは車で約10分の馬嶺革峡谷(ばれいこうきょうこく)へ向かった。峡谷は、貴陽市から南西に約360Km離れたところにあり総延長は約75km、峡谷の深さは平均で約100m、約110の滝が有り一番高い滝は約170mの直下形である。要するにたとえが悪いが、日本一の滝クラスの滝が一つの観光地に約100あるのである。規模が全然違うのである。なんと俺は小さいところで、騒いでいたのかと思うのである。世界観が変わるのである。世界は広いのだ。龍所長たちは「ど...うですか、すごいでしょう」と言っていたが、本当にすごいのである。遊歩道みたいになっている道を僕たちは龍所長たちのガイドで約1時間30分かけて歩いた。峡谷の底の川はカーブが多くて流れが急である。何日か前の雨で水かさが増えており、色も茶色く濁っていた。とにかく迫力がすごく大自然のすばらしさを肌で感じることが出来た。続いて興義結婚式民族博物館を視察。博物館のスタッフがガイドをしてくれた。ここは清の時代の建物を利用し貴州省の各民族の結婚式の模様を初めとする生活様式を写真や実際使っている道具等を展示している。中国の民族の歴史について学びたいのなら貴州省に行くべきである。非常に勉強になるし興味深く面白い。また、興義市からは、たくさんの化石が発見されており、日本からの研究者も訪れるとの事であった。建物自体も清時代の歴史的建造物である。そのあと、僕たちは近くのレストランで興義市の民族料理(豚肉とチンゲン菜の炒め物や)焼き鶏肉(鳥のかたちそのまま)、水餃子や川魚のスープ等の昼食をたべ万峯林風景区へ約15分移動した。ここには、専用の見学車があり、それに乗りブイ族の民族衣装を着たきれいな女性が説明してくれる。「うおー、きれいやね」と僕はその景色に思わず声を上げた。「そうでしょう。ここは一年中きれいですよ。四季により色々な形と色に変わります」と担当の陳さんも感動しながら言った。ラクダのこぶのような約2万の小高い山々が群がり立ち、非常に絶景で壮観である。山々と田園風景がベストマッチしている。春になると菜の花が咲き色の風景画ができるそうだ。その風景を楽しみ僕たちはホテルに戻った。まだ夕食には早かったので、僕たちは各人部屋でくつろぎ、その後龍所長たちの心遣いでその夜は夕食を共にした。昼間の料理を豪華にしたようなおもてなしで、当然、マオタイ酒で乾杯。かなり度数がきついので、運転手の陳さんも担当の陳さんも酔っていた。当然僕もほろ酔い。そのレストランには、タクシーで移動していたので、皆かなり飲んだ。しばらく歓談し、その日のお礼をのべて僕たちはホテルに戻った。僕は、いつもなら、しばらくパソコンに向かうのだが、さすがにその日は酔っぱらっており、すぐに寝てしまった。夜中に目が覚め、喉が乾いたのでミネラルウォーターを飲み、また眠ってしまった。貴州省の酒は、うまいのだが、度数が高くまた、何杯も薦められ飲むのが結構つらいもんがある。やはり、つがれたら飲まないのが申し訳ないからである。僕は、この視察期間中1回だけ飲みすぎてぶっ倒れた。 

              つづく。
































『中国貴州省ドタバタ視察記』

第二章 視察 9


8月30日 木曜日 晴れ 気温27度 第7日目


本日も良い天気だ。朝7時30分にホテルのレストランで待ち合わせ、バイキング形式の朝食を食べる。担当の陳さんの勧めで、目玉焼きと肉まんを食べる。ここのホテルの卵は放し飼いの鶏の卵でおいしいとの事。また肉まんも好評とのことでそれも食べた。「どう、吉村さん、おいしいでしょ。大体ここに泊まった人は、ほとんどこの目玉焼きを食べますよ。だから何回も入れ替えるね。」そういえは、周りの人たちもほとんど目玉焼きを食べている。「うん、うまい、おかわりするよ。あと、肉まんもおいしいね。」「そうでしょう。豚肉がおいしいんですよ。」陳さんの皿にも、運転手の陳さんの皿にも肉まんが、のっている。

「あー、食べた。食べた。」僕はそういって部屋に戻った。しばらくくつろぎ、午前8時30

分にホテルのロビーに集合。僕はどでかいスーツケースを車に積み込み、車に乗り込んだ。運転手の陳さんは今日は北島三郎のテープをかけ鼻歌を歌いなか゛ら車を走らせている。今日は貴陽市に帰る日だ。「吉村さん、今日は貴陽へ帰るんだけど、何か所か観光地に寄って帰ろうと思うけどいいですか。」「うん、ぜひお願いするよ。」僕はそう答えた。担当の陳さんは中国語で、運転手の陳さんに行先を伝えた。運転手の陳さんは、あまりぺちゃくちゃしゃべるタイプではない。顔は全然違うが、高倉健さんのような男だ。僕らはホテルから約30分かけて、貞豊双乳,峰(ていほうそうにゅうほう)が見えるところまで車走らせた。

字のごとく乳の形の山である。いわゆるおっぱい山である。担当の陳さんは「吉村さん、あれがおっぱい山よ。おっぱいの形にみえるでしょ。吉村さんだいすきでしょ。」陳さんは、

にこにこ笑っている。ここで、格好良く「いや、そんなことはないよ。イヤー実に芸術的な山だ」とか言っとけばよかったのだが、なにせ目の前の山が、いかにもおっぱいなので、思わず僕は「うん、おっぱい大好き。うん、ええなぁー」と本心を口走ってしまったのであります。それからは、担当の陳さんには、吉村さんは、変態のスケベなおっさんになつてしまったのである。まあ、当たりやけど。そのあと貞豊県珉谷鎮納蝉村(ていほうけんみんやちんのうぜんそん)のブイ族の村を視察。「ブイ族は石造りの家に住み、ろうけつ染めの衣装をきていますよ。ほら、あそこにもあるけど、とうもこしを干していたりしますよ。」

僕らは村に入り家々を訪ねた。ブイ族だけでなくどの民族の方も人懐っこく優しい人が多い。世間では中国の方に対していろいれるが、それは一部の人であり、中国が好きだ。

もしもう一度貴州省に行けるなら喜んでいく。今もその当時お世話になった人々とは、交流が続いている。僕たちは、そこに住んでいる方々と写真を撮ったり、ある家では、「お茶を入れてあげるからどうぞ中へ入ってくださいね」とある夫人は快く僕たちを家に入れてくれ、お茶を入れてくれた。「あー、うまいね。」「うん、おいしいね」僕と陳さんはそういった。僕たちの横では、その家の老婆が、かわいい孫を抱いている。子供どもの笑顔は、最高に癒してくれる。僕は、許可をいただきお二人の姿を写真に収めた。僕は視察中当時、今のようにスマホや性能の良いデジカメもなかったので、性能の良くないデジカメで写真を撮った。風景とかは当たり前だが、僕は人をとりたかつた。道端で遊んでいる子供たち。

とうもろこしを干しているおばあちゃん。みんな良い表情をしている。僕はいろんな人に「ニイハオ」と声をかけ、写真をとり「シェィシェィ」とお礼をいっていった。みんな笑顔であった。ありがとうという言葉はすごい言葉だ。誰もありがとうって言われて怒ることもない。皆笑顔になる。僕たちはその村で何人かの方と写真を撮りお礼を言ってくるのに乗り込んだ。そして約4時間かけて貴陽市に帰り、夕食を食べ今まで利用していたホテルまで送っていただき、再度チェックインし僕は部屋に入り、スーツケースを机のそばに置いた。テレビをつけて意味が分からない歌謡番組を流しながら、陳さんに買ってもらった缶ビールを飲みながらパソコンに向かった。途中厳さんに無事もどってきた旨電話をした。「おかえり。疲れたでしょう。今日はゆっくり休んでください。明日は、外事弁公室の張偉さんが、南大渓谷へ連れて行ってくれますよ。午前9時30分にロビーで待ち合わせになっているよ。私は、日本の大阪からお客様が来るのでいけないけど。」「うん、わかった。ありがとう」視察中毎日、厳さんからは電話があったが、無事帰ってきたことは、こちらから電話した。そしてしばらくしてシャワーを浴び眠りについた。     つづく。 も




















『中国貴州省ドタバタ視察記』

第二章 視察 10


8月31日 金曜日 晴れ 気温26度 第8日目


早いもんで、貴州省に来て早1週間経った。8月最後の日である。今日も良く晴れている。僕は、午前7時30分に起き顔を洗いホテルの1階のレストランに行き、あの笑顔の素敵な受付嬢にルームキーを見せて朝食を食べた。おかゆと炒飯と水餃子を食べた。そしてしばらく意味の分からない中国語のニュースを見て午前9時30分にロビーで外事弁公室の張偉さんと待ち合わせ運転手の陳さんの演歌流しの運転で南江大渓谷(なんこうだいけいこく)へ。貴陽市から車で約1時間である。ゴムボートで川下りを体験。張偉さんは、地元の一流大学である貴州大学を卒業した30歳の好青年で、ちょっとおかしい発音もあるが、日本語が話せる。川下りは約5kmを竹の棒で漕ぎ下る。専用のTシャツとパンツに.着替えライフジャケットとヘルメットを着用し乗り込む。荷物は到着地まで運んでおいてくれる。これは、かなり迫力がありスリル満点である。僕らは男同士だが、ギャーギャー言いながらゴールした。もちろん全身べたべたである。「吉村さん、どう面白かったでしょ。」「うん、張偉さん、これは、面白いね。これは大いにPRすべきだと思うよ。日本人も喜んで体験すると思うよ。」なんか一寸法師になった気分だ。(えっ、おまえ、一寸法師になったことあるんかって。ありましぇん。笑。まあ、細かい事言いっこ無しで。)。到着後荷物を受け取り着替えて、帰りは出発地点まで専用の車で送ってくれる。これで一人168元。日本円で約2700円。ぜひ体験してみてください。その後僕達はそこから約5分の十里画廊生態観光地へ。十里とは、距離のことで、そこに流れている川の長さで約5kmである。その川に沿ってブイ族とミャオ族が一緒にすんでいる。上からみると絵画のように美しい景色であった。

「吉村さん、今から市内のホテルで貴州省の旅行会社とアメリカのエージェントとの意見交換会があるけど行きますか。厳微さんも行くっていたけど。」「うん、行くよ。アメリカの方々の意見を聞くのも視察のひとつやしね。行こう。」「分かりました、陳さんお願いします。」僕らはそこから約30分で会場のホテルに着いた。受付に厳さんがいて「吉村さん、久しぶりね。元気だった。私が日本語に訳してあげるね。」僕と厳さんと張偉さんは横に並んで座ってやり取りを聞き厳さんは、僕に日本語に訳して説明してくれた。アメリカ側からの意見は大体次のようなものだ。日本人と同じくトイレの使い方や設備の問題がある。また、ホテル等の料理に対しては、いつも同じようなものばかりという意見だった。もっと日にちごとに、バリエーションがほしいとのことだった。約2時間で意見交換会は終了し別会場で、料理を食べながらの懇親会になった。僕たちは、貴州省の旅遊局のメンバーの席に座り沢山の種類の料理と飲み物を味わった。「さあ、吉村さん、遠慮しないで好きなものを食べて飲んでね。」厳さんは、僕にそう言ってくれた。僕らの席にも貴州省のマスコミの方やアメリカのエージェントの方が時々やってきた。その度にみんなで乾杯する。僕の席の横に旅遊局の黄さんが座っている。彼は、旅遊局の職員で少しだけ日本語ができる。貴州省に来て初めて旅遊局に挨拶しに行ったときの夕食会で意気投合して仲良しになっていた。黄さんが僕に言った。「吉村さん、彼は地元の新聞記者の陳さんです。僕の親友です」「ニイハオ」僕は、そう言いながら名刺を渡し彼も名刺を渡してくれた。そのあと僕たち3人は、料理をあまり食べず、ひたすら「乾杯」といいながら、マオタイ酒をグラスに約10杯、ビールの中ビンを一人約30本ラッパ飲みした。初めは調子が良かったが、この量を飲んで僕はトイレに立つときぶっ倒れた。なんとか這うようにしてトイレに行き思いっきり戻した。トイレから出てきたら、陳さんも黄さんもぐったりしていた。僕の顔を見て厳さんは、「馬鹿だねー、張偉さんにホテルまで送ってもらうからね。今日はゆっくり寝る方がいいよ」「うん、ごめんな。また、明日電話するよ。じゃ。」と張偉さんに支えられながらタクシーでホテルまで送ってもらい何とか自分の部屋にもどり死ぬように朝まで眠った。この視察期間でこの1回だけ酒に負けてぶっ倒れた。後で聞いた話だが、県の担当者も中国に行ったとき1度は歓迎の酒に酔い、ぶっ倒れたことがあると言っていた。酒は好きが、ぶっ倒れるほどいらない。まあ、唯一の苦い思い出である。                                 つづく。























『中国貴州省ドタバタ視察記』

第二章 視察 11


9月1日 土曜日 曇り 気温24度 第10日目


「プルプルプルプル」目覚まし代わりにセットしていた携帯のアラームが鳴った。「うーん、喉が乾く。水飲みたい」昨日の酒が少し残っていて少し頭が痛い。そして無性に喉が乾いている。僕は冷蔵庫に冷やしているミネラルウォーターのボトルを手にラッパ飲みした。

「あー、うまい。」喉の渇きは収まった。時間は午前8時。いつもなら顔を洗ってレストランで朝食を食べるのだが今日は食べる気がしない。少し2日酔いだ。今日は休日なので、ゆっくりレポートでもまとめるかと思った。お昼ご飯は前に行ったパン屋で何か買って食べようと思った。軽くシャワーを浴びついでに汚れている服もシャワールームで洗濯し ...

僕はテレビをつけ、意味の分からない歌謡番組を流しながらパソコンに向かって、レポートをまとめだした。しぎらくして「プルプルプル」携帯が鳴った。厳さんからだ。「もしもし」「あはよう、どう気分は。体大丈夫」「うん、あれから死ぬように寝たから体は大丈夫だけど、ちょっと2日酔い気味。」「そう、大丈夫。良かったら車で1時間くらいの貴定音寨(きていおんさい)という田園の集落に視察を兼ねてバーベキューしにいかないかなと思って。どうする。」「そうだな。まあ、2日酔いも時間たてば大丈夫だと思うし、行くよ。」「そう、良かった。川で泳ぐこともできるよ。」「そうか、でも泳ぎは、ちょっとな。で、何時に出発かな。」「12時にロビーに迎えに行くよ。友達の車で行くから。彼も先に行って用意してくれてるから。張偉さんも来るよ。」「そうか分かったよ。じゃ、あとで」僕はまだちょっと2日酔いだったが彼女たちの心遣いがうれしかったし、決して無理じゃなかったので行くこととした。出発までまだ2時間ある。僕は、のんびりレポートをまとめた。約束の時間に厳さんと、その友達がやってきて、僕らは貴定音寨に向かった。友達の名前は、またまた陳さんである。中国には陳さんが多いのである。「吉村さん、昨日は大変だったね。張さんも本当に申し訳ない事をした。吉村さんに謝りたいといってたよ。」「いや、張さんが悪いんやないよ。あんな飲み方した3人とも悪いんやよ。だから張さんにそう言っといて。謝ることないよって」「うん、分かった。まあ、今日は楽しみましょう」やがて風景はきれいな田園風景に変わり一つの大きな中国の城みたいな建物の前に着いた。いわゆる貴定音寨である。寨とは、集落の事である。石造りの家が立ち並ぶ集落である。城みたいな建物は宿泊施設であり、また屋外レストランもある。そこでバーベキューができる。厳さんの彼氏や張偉さん達は先に来ていて、バーベキューの用意をしてくれていた。僕らが着いたらすぐに宴会が始まった。魚介類や、野菜、牛肉、豚肉など焼いていく。日本のバーベキューと似ている。というか同じである。おいしい。厳さんの彼氏の黄さんが、ビールを注いでくれた。2日酔いだが、僕はありがたく飲んだ。でも飲み続けている間に良い気分になり、なんか2日酔いも分からなくなった。しばらく、バーべキューを楽しみそのあと周りの建物や風景を見るためみんなで散歩した。黄さんの妹の静さんが、日本語を学校で習っているというので、やたら僕のそばで日本語の発音の仕方や意味を教えてほしいと聞いてきた。僕は快く教えてあげた。その都度「ありがとう。先生、ありがとう」と言われた。そして周りが夕焼けに染まるころ、厳さんや友達たちは、宿泊施設に泊まっていくということになり、僕は遠慮して張偉さんと帰ることにして、申し訳なかったが厳さんの友達の運転でホテルまで送ってもらった。最初川で泳ぐかもしれないと言っていたが雨の日の後で川の水かさが半端なく泳ぎは断念した。僕らは皆にお礼を言って車に乗りホテルに戻った。そして僕は部屋に戻り、日本の家に電話した。昨日は、酔っ払っていたので電話できなかったからだ。しばらくして奥様が出た。「1日遅れましたが、お誕生日おめでとうございます。あっはははは。悪い、悪い、昨日飲みすぎて電話できなんだ。すまん。」

「アホヤねえ。お土産にダイヤの指輪こうてきなさい。ちゃんと食べるもん食べやるん。視察ちゃんとしやるんかん。」「あたりまえやん。食べるもんもうまいよ。ぜんぜん腹こわしてないし。子供は」「おるよ、ほら、お父さんやで」「もしもし、お父さん、元気なん。お土産こうてきてよ。じゃあね」電話は切れた。相変わらずの家族だ。そして、しばらく意味の分からないテレビを見て、シャワーを浴び眠りについた。明日も休みである。少しゆっくり眠ろうと思った。  つづく。






















中国貴州省ドタバタ視察記』

第二章 視察 12


9月2日 日曜日 曇り 気温24度 第11日目


視察は休みなので、ホテルの部屋でゆっくり休む。つもりだったが「プルプルプル」と電話が鳴った。「もしもし」「おはよう、起きてた。」僕は部屋の時計見た。午前9時を少し回ったところだ。「うん、寝てた。どうしたん。」「あのね、お母さんの様態が良くなくて帰ってきたの。今病院から。前からお母さん、心臓悪いんで。今落ち着いたとこだけど。今日はお世話できないけど、ごめんね」「いやいや、今日は休みやし。そんなことはええよ。でもお母さん大丈夫なん。」「うん、点滴打ったから大丈夫。彼もそばにいてるし。」「そうか、今日は、僕の事はええんで、とにかくお母さんのそばにいてあげてよ。」「うん、ありか゜とう。じぁあね。」そういって電話は切れた。それから僕は、顔を洗いレストランに...行き、ケーキとコーヒーだけ飲んだ。そして部屋に戻らず、近くのスーパーまで行ってみようと思った。前にガイドの陳さんが来た時にいっしょにスーパーまで連れて行ってくれたことがあるが、その時はホテルの前の道を車がびゅんびゅん通っている間を陳さんに続き渡って向かいのスーパーまで行ったのだが、とてもじゃないが一人では車の間をすり抜けていくことは無理だ。先ず、ひかれるだろう。それくらい中国の道は横断できない。横断歩道なんか意味をなさない。僕は仕方ないので渡ると約3分のスーパーまで地下道を使い10分かけていった。そして、カップラーメンとビールとビスケットとオレンジジュースと洗剤とを買いホテルに戻った。そしてオレンジジュースを飲みビスケットをかじりながらレポートをまとめていた。「プルプルプル」電話が鳴った。見たこともない番号だ。少し迷ったが電話に出た。「もしもし、吉村さんですか。」「はい、そうですが」「突然ごめんなさい。私は天馬旅行社の姚(よう)と申します。実は、厳微さんに頼まれて今週の火曜日から吉村さんをご案内し視察にいくこととなっています。もしよろしかったら今日の午後近くのシェラトンホテルで屯堡文化キャンペーンのマスコミ発表会がありますけど一緒にどうでしょうか。お休みとは聞いていますが。」「そうですか。お世話になります。午後からなら特に急いでやることもないのでぜひ連れて行ってください。」「分かりました。そしたら午後2

時にタクシーでホテルのロビーに迎えに行きます。よろしいですか。」「はい、、お願いします」姚さんは、男性で非常に日本語が上手だった。僕は、それからお湯を沸かし買ってきた中国のカップラーメンを食べた。量は日本のカップラーメンの大きいやつ位で担担麺のような味で辛いけどうまい。僕は完食し意味の分からない歌謡番組をしはらくながめそしてじかんの10分前にロビーに下りて行った。そこには、メガネをかけた優しそうな男性が立っていた。「こんにちは、吉村さん、姚です。お会いできてうれしいです。」「はじめまして。吉村です。ぼくもお会いできてうれしいです。」「さあ、行きますか。タクシーで約10分です。」僕らはシェラトンホテルの大きな会場に入りマスコミへの説明会を聞いた。姚さんが、分かりやすく日本語に訳してくれた。約1時間30分聞いて、僕らは会場を後にした。

時間は午後4時前である。僕たちは近くの喫茶店に入りコーヒーを飲み火曜日からの視察について姚さんから簡単に説明してもらった。「まあ、そんな感じですが、どうですか。良ければ、この後いっしょに夕食を食べませんか。この近くにおいしい餃子の店があるんですが。」「良いですね。僕は餃子大好きです。ところで中国の餃子は水餃子がメインですよね。そこも水餃子ですか」「中国では、餃子と言えば日本の水餃子を指します。焼餃子もありますけどね。その店はおいしくて有名ですよ。さあ、行きますか。」僕らは、店の外に出てしはらく歩いた。店の名前は北京餃子店、お客さんでいっぱいだったが、なんとか席に座れた。しはらくして定員がメニューを持ってきた。いろんな種類がある。姚さんは僕に任せてくれますかと言って、注文した。野菜の水餃子40個(中国の店は個数売りで何個でも注文できる)。チンゲン菜の炒め物、卵の炒飯1人前、スープ2人前、ビールとりあえず3本。すぐに炒飯とチンゲン菜の炒め物、ビールが運ばれてきた。僕らはビールを注ぎあい乾杯し食べ始めた。ビールもよく冷えていて料理もうまい。「姚さん、おいしいです。」

「そうでしょう。有名店ですから。餃子もっとおいしいよ。」しばらくして餃子が運ばれてきた。スープに入っているのでそのまま食べる。「うまい。」程よく、刻まれた野菜類と豚肉が混ざっている。何個も行けそうだ。「姚さん、これはおいしいね。何個でも食べれそうですよ。」結果僕らは、2人で40個の餃子を平らげあと30個食べビールもあと4本飲みほして店を出た。姚さんのおごりだった。「姚さん、いいんですか、子供が生まれたばかりなのに、おごって。奥さんに怒られるよ。」「いやいや、大丈夫です。今日は日本のお客様と夕食を楽しむといってますから。」「そうですか、ありがとうございます。でも早く帰って、赤ちゃんの顔見たいでしょ。じゃ帰りましょう。」「すいません、でも早く見たいね」

そういって姚さんも僕も笑った。タクシーでホテルまで送ってもらい、そのままタクシーで姚さんは、帰って行った。それから僕はまた、レポートをまとめ、シャワーを浴びながら洗濯をして、買ってきておいた缶ビールを1本飲みほした。そして眠りについた。

                                   つづく。 も












『中国貴州省ドタバタ視察記』

第二章 視察 13


9月3日 月曜日 雨 気温23度 第12日目


「おはよう、雨嫌だね」案の定、厳さんは、待ち合わせに10分遅れて僕のホテルにやってきた。運転手の陳さんは、笑っている。「おはよう、雨うっとうしいね、お母さんの具合どう」「ありがとう、大分落ち着いてる。」「そうか、良かったね。」「さあ、行きましょ」僕たちは車に乗り込み、外事弁公室に向かった。僕のホテルから約30分。陳さんのBGMは、今日は吉幾三だ。雪国が好きみたいだ。しばらくして外事弁公室に着いた。「明日は、簡単な中間報告と今後の打ち合わせよ。」昨晩厳さんが、電話で言ってくれてたので、今までのレポートをUSBに入れて持ってきていた。玄関で副処長の岑鵬(しんほう)さんと張偉さんが出迎えてくれた。岑鵬さんは、何回も和歌山県を訪れており、日本語も...べらべらである。「お会いしたかったです。今日はよろしくお願いします。」「吉村さん、ようこそおいでくださいました。私もお会いできてうれしいです。さあ、こちらへどうぞ。」僕達は応接室に案内され、向き合う形で座った。「張偉さん、すいません。これに今までのレポート入ってますから申し訳ありませんが、人数分印刷お願いできないでしょうか。」「了解です」張偉さんが、印刷してくれている間、僕と岑鵬さんは、和歌山へ来た時の話や今回の僕の視察で感じたことなどを話した。しばらくして資料が出来たので、僕はそれに基づき簡単に説明した。「すごい細かいとこまで、まとめていただいてありがたいです。参考になります。後半もよろしくお願いします。明日からは、南の方と東の方に行かれると聞いています。頑張ってくださいね。」「はい、茘波(れいは)と凱里(がいり)市へ行く予定です」「そうですか。どちらも良いところですよ。少し遠いですけど。ぜひ色んなところを見ていただきどんどん改善するべきところを教えてください」「教えるなんて、恐縮します。でも頑張って視察します。」「よろしくお願いします。この後良ければ近くのお店でお昼ごはん、いっしょにどうですか。」「宜しければ、ぜひお願いします。」僕たちは外事弁公室から歩いて5分の高級そうなレストランに入り、おいしい料理を堪能した。「どうもありがとうございます。ごちそうさまでした。明日からも頑張ってきます。帰る前にまたお会いできると思います。」「そうですね。視察の話また聞かせてくださいね。お気をつけて。」僕たちは車に乗り込み、今度は旅遊局に向かった。ここから約10分である。旅遊局の事務所に行きここまでのレポートを何部か印刷し厳さんに渡した。そして、明日からの視察について打ち合わせをした。明日からの担当は、前にも書いたが天馬旅行社の姚さんである。「姚さんには、昨日会っていっしょに餃子食べに行ったよ。中々面白い人やね。初めてあったけど、昔からの友達みたにすぐ打ち解けたよ。明日から楽しみや。」「そう、良かったね。」「うん、おっちゃん、3人旅や、面白いと思うで」「馬鹿なことは、しないでね」「面白い行動はすると思うけど馬鹿なことは、せんよ。はっははは。」「元気で頑張ってね」「うん、頑張るよ」それから、厳さんは、おかあさんの事もあり家に帰った。僕は陳さんにホテルに送ってもらい、しはらく部屋で明日からの視察の準備をして、それから1階のレストランでティナーバイキングをビールを飲みながら食べた。そして部屋に戻り、シャワーを浴びて、意味の分からない中国ドラマをしばらく見てから見て眠りについた。             つづく
































『中国貴州省ドタバタ視察記』

第二章 視察 14


9月4日 火曜日 晴れ  気温26度13目


貴陽市内にいて晴れたのは久しぶりである。今日の午後からは今回の視察として最後の大きな移動視察で南と東に行くことになっている。午前中は旅遊局に日本の大阪市の観光業者が訪れ懇談会を開く事になっており僕も参考のため同席させていただく事となっていた。僕は午前7時30分に起きいつものように1階のレストランに行き笑顔の素敵な受付嬢にルームカードを見せて朝食を食べた。最近はおかゆ中心の朝食になっている。

このホテルのおかゆは、おいしかった。午前9時にロビーに迎えに来てくれて僕と厳さんは、陳さんの運転で旅遊局に向かった。午前10時からの懇談会だった。懇談の前には、僕も大阪の観光業者の皆さんと少しだけ話しして、現在視察でこちらに来ていることも説明した。懇談の通訳は...厳さんが務めた。傳副局長初め旅旅遊局の皆さんとの懇談会は約1時間行われ、大まか次のような話だった。大阪と貴州省との交流がもっと深まればと思う。今貴州では、日本の温泉が有名である。また、日本の桜。紅葉も有名だ。大阪の魅力はグルメとショッピングだと我々大阪人は思っている。観光で黄果樹瀑布以外にはどんなものがあるのか。貴州省は自然が有名でカルスト地形です。あと、少数民族の村の観光です。昔ながらの暮らしが見れます。また、気候もすずしく素晴らしいと思います。日本の企業の進出はどうですか。貴州にもたくさんの日本の会社が進出してきてます。また、車も日本車を乗っている人が多いです。貴陽へ入ってくる航空便はどこが多いですか。中国国際航空と南方航空が同数です。大体こんな話だった。懇談が終わり姚さんが見えたので、車に荷物を載せて陳さんの運転で出掛ける用意をした。「気をつけて言ってきてね」厳さんはじめ旅遊局の皆さんに送られて僕たちはいざ貴陽市より南に向かった。途中貴陽市内で鳥料理のおいしい店で昼食をとることになった。裏通りの怪しそうな店だったが「ここは、隠れた名店ですよ。陳さんも知ってますよね。」姚さんは、僕にそう言って陳さんに中国語で話しかけた。陳さんは大きくうなずき僕に親指を立てて笑った。僕たちは店の中に入ったが昼時でもありほぼ満席である。何とか座り蒸し鶏肉とチンゲン菜の炒め物、焼き鳥、もも肉焼きを食べた。かなりうまい。「姚さんの紹介してくれるお店は、どこもうまいね。」僕がそういうと、姚さんは笑顔でうなずいた。陳さんも「ハオチー」を連発している。本当にうまかった。これからの視察がものすごく楽しい視察になりそうだった。少しおっゃん3人旅である。姚さんもかなり酒を飲むし。僕らは、途中でミネラルウォターを1ケース買ってそれを飲みながら貴新高速をブッ飛ばした。(たぶん、制限速度は守っております。公用車ですので。両サイドにばっちり貴州省旅遊局の文字入りです)。貴陽市から新寨(しんさい)まで約250キロ。頭の中は、ハイウェイスターが流れている(分かる人には、分かると思うが)。カーブなんかほとんどない。ひたすらまっすくだ。約4時間走り市内の道に入った。前を牛車が通っている。その横をすりぬけ走る。景色も変わる。茘波県に入った。宿泊は三力ホテルだったのだが、中国の副首相が来られるというので急きょホテルが変更され、大鵬ホテルになった。ここがひどかった。3星ホテルだが、うんざりした。受付の女性は外国人の受付表の書き方が分からず、姚さんが変わって書いて上げ、部屋にはミネラルウオーターがおいてなく、冷蔵庫もない。世界遺産の場所のホテルとしては、非常に残念なホテルだった。でも他になかったので僕らは我慢した。しかし、その夜の晩御飯は、ホテルに近い姚さんお勧めのお店で、ゆっくりとよく食べ、そして飲みました。それからホテルに戻り僕は少しだけテレビを見てレポートをまとめシャワーを浴び眠りについた。  つづく




























『中国貴州省ドタバタ視察記』

第二章 視察 15


9月5日 水曜日 晴れ  気温27度 14目


貴州省に来て2週間たった。良い天気で少し暑い。午前8時30分にホテルのロビーにて待ち合わせ。瑶山瑶族郷(やおざんやおぞくごう)の政府役員の孔(こう)さん・女性、黔南日報(けんなんにっぽう)という地元新聞記者の莫(ばく)さん・男性のお二人がガイドとして加わってくれ世界遺産の大七孔(だいしちこう)へ。大七孔とは大きな7つの穴の橋という意味で入口に大七孔古橋という1888年に出来た橋が当時のまま残っている。ホテルより28km、車で40分のところにある。大七孔風景区には遊歩道が作られており、川に沿って歩くとまず虎跳峡(こちょうきょう)にさしかかる。昔はこのあたりに虎が棲んでいたという。さらに進むと恐怖峡に出る。崖に3つの洞窟があり、大きな声をだすと岩が落ち...てくると信じられていたのでこの名前が付いたそうだ。この洞窟にはサルが棲んでいるそうだ。4しばらく歩くと前方に天生橋(てんせいきょう)が見えた。高さ80m、幅10mの天然のトンネルである。大七孔渓谷は書いている通り渓谷・洞窟の多いことで有名だ。さすが世界遺産ということで午前早くても観光客でいっぱいいた。天生橋あたりに来ると川の流れが速くなりシーズン中はゴムボートで川下りをするそうだ。しばらく歩くと妖風洞(ようふうどう)の前に出る。この先は現在工事中で行けなかった。僕たちはUターンして入口に戻った。遊歩道は片道約2kmで1時間30分で往復で来る。ちなみに茘波県は次の4つに分かれる。1つめは大七孔、2つめは小七孔、3つめは川(樟川、しょうがわ)沿いの景色、4つめは川下り(水春川・すいしゅんがわ)である。僕たちは続いて車で約10分のヤオ族の村に行った。ヤオ族は3つの種類に分かれる。1つは青ヤオ族(着物が青い)、2つめは長衫ヤオ族(着物が長い)、3つめは白古ヤオ族(男性が白いズボンを履いている)の3つだ。訪れたのは3つめのヤオ族の村だ。ヤオ族は太陽を信仰している。穀物を保管する倉庫も面白く倉庫も家も高床式である。家の中も見せてもらった。また近くに小学校があったので見学させてもらった。休み時間で校庭に子供たちがいた。めずらしい日本人が来たので子供たちはこちらに集まってきた。カメラで写真を撮るポーズをするとみんなは、カメラの方に向いてボースした。子供たちの笑顔は世界共通で輝いている。

僕は何枚か写真を撮り後日孔さんに頼んで現像して子供たちに渡してもらった。その後

孔さんたちが、「ヤオ族の昼食を食べませんか」と近くの食堂に連れて行ってくれた。

田舎料理というのか、卵焼きとか、野菜の炒め物や炒版、蒸鶏肉、豚肉の炒め物など食べた。とじれもおいしかった。その後、小七孔へ。ここも入口に小七孔古橋がある。今度は7つの小さな穴の橋である。1836年に作られて当時のまま残っている。小七孔風景区は川が流れ大くの滝がある風景区で、いわゆる大自然の盆栽である。多くの滝の中でも登竜瀑布(とりゅうばくふ)が一番美しかった。ここは遊歩道がかなりの距離があるため車で移動し途中要所、要所を車を降り視察した。世界遺産ということで非常に興味あったが、孔さん達の話では、「風景区にあったホテルを町の方に移設した。看板等自然の風景を損なう物を極力立てない。自然環境の保全に現在力を入れている。」との事だ。遊歩道は歩きやすいが観光客が多いときすれ違いにくい点もある。トイレは洋式もあり水洗で綺麗である。また、掃除が行き届いていてゴミがひとつも落ちていない。この点はすごいと思った。世界遺産登録前からゴミ箱を各所に設置しているとのことだ。まあ、これだけの景色ならゴミを落とす気にもならないだろう。その後ホテルに僕たちはもどり

その夜孔さん達と一緒に夕食を食べた。僕は改めて本日のお礼を言いまた、興さん達からは、訪問のお礼をいただいた。僕たちはヤオ族のおいしい料理と酒を堪能しそして

ホテルに戻った。僕は明日は移動なのでレポートをパソコンに打ち込んだら早めにシャワーを浴び眠りについた。世界遺産の街の夜の静けさが心地よかった。  つづく


























『中国貴州省ドタバタ視察記』

第二章 視察 16


9月6日 木曜日 曇り  気温26度 15目



「おはようございます。良く寝れましたか。今日は貴陽市の東、凱里(がいり)へ行きますよ。さあ出発しましょうか」ガイドの姚さんは、そういって荷物を車に積み込んだ。僕も車に荷物を積み込んだ。朝早い出発なのに孔さんが見送りに来てくれた。僕は丁重にに御礼をいい何もなかったが、愛用している3色ボールペンをプレゼントした。孔さんは、「シェィシェィ」と言いながらハグしてきた。(中国でも吉村君はもてるのである)僕らは孔さんが見送る中、演歌ばんばんの車で凱里へ向かった。「ねえ、姚さん昨日の夕食のとき孔さんがいきなり立ち僕に歌を歌ってくれたけど、その時姚さんが訳してくれて吉村さんにささげる愛の歌ですよって言ったけどほんまなん。」「本当ですよ。あの歌は愛の歌みたいですよ。莫さん...に聞いたのですが、孔さんは日本の男性が来るのを本当に楽しみにしていたみたいですよ。吉村さん、気に入られたんじゃないですか。」「うーん、うれしいけど、僕には妻子がいるからなぁ。でも気持ちはうれしいなぁ。視察中、間違いは起こせんからね。」「当たり前ですよ。」「そりゃそうやね。わっははは。」僕はミネラルウォーターをごくごくと飲んだ。車は高速を走っている。大自然のパノラマが流れいていく。あいかわらず陳さんは、演歌を鼻歌で歌っている。出発して約4時間で凱里市に到着。地元旅遊局の願(こう)副局長等の出迎えを受けトン族の料理で昼食。野菜の炒め物や焼き豚などがあったが、にわとりの姿そのまま蒸しや虫の山盛りがあり、しきりに虫を食べてみろと言われたが、少し口をつけてにっこり笑ってごまかした。ガイドの姚さんや陳さんは、おいしそうに食べている。鶏の姿蒸しは、鶏肉なんでうまい。ただ、血管が浮きでているのでそんなんダメな人は無理だろう。虫は無視してください。そのあと姚さんの知り合いがいる凱里民族博物館へ。そこのスタッフに聞いたところ年間約15,000人の観光客が訪れるそうだ。見学料は一人15元(150円)。1988年に出来た国営の建物で立派な大きさの3階建ての博物館である。ミャオ族やトン族をはじめその他の少数民族の生活様式を展示している。開館時間は9:00~17:00で年中無休。団体割引もある。職員は15人。実際3階より姚さんの説明で約1時間見学。各民族の生活様式の物品は珍しいものばかりで勉強になった。見学し終わって姚さんの知り合いの広報課長がぜひ視察していただいた感想をお聞きしたいというので応接室でお茶を飲みながらざっくばらんに懇談した。姚さんの通訳で「お越しいただきありがとうございます。ぜひご感想をお聞かせください。思ったままおっしゃってくださって構いません。今後の役にたてたいのです。さあ、遠慮しないでお話しいただけませんか。」「分かりました。感じたことをそのままお話しします。」「まず、館内の電気がところどころ点いていなく暗くて展示がわかりにくい。3階まで階段はあるが、エレベーター等ない。身体障害者や足の不自由な方は見学できない。またモニター等も各所にあるが何も映っていない。展示はすばらしいが失礼だがスタッフのやる気がまったく感じられない。これでは観光客の数は伸びない。厳しい意見だが事実です。」広報部長は大きくうなずきながらメモを取っている。笑顔が消えている。

「ありがとうございます。今までほめていただくことはありましたが、吉村さんみたいにダメなところをずばり話してくれた方はあまりいません。今言われたことは、今後改善していきたいと思います。スタッフ全員で話合い改善していきます。本当にありがとうございます。」「いいえ、ほめるだけが視察ではありませんので。悪いところを伝えるのも僕の今回の役目です。」「そうですね。」「ぜひ、また来てください。その時は、もっとほめていただきます。」僕と広報部長は固い握手を交わした。そして僕たちは今夜の宿の金冠ホテルへ向かった。大通りに面したホテルで4つ星だった。スタッフの対応も素晴らしかった。この日の夕食は陳さんが、この近くの友人に会いたいとのことで姚さんといっしょに姚さんお勧めの店に行き料理も酒も堪能した。本当に姚さんはうまい店をよく知っている。まあガイド業なので当然だが。僕らはゆっくりとした素晴らしい時を過ごし、そして部屋にもどり、いつものごとく、レポートをまとめシャワーを浴びNHKのニュースをみて眠りについた。   つづく





















『中国貴州省ドタバタ視察記』

第二章 視察 17 『


9月7日 金曜日 曇り  気温27度 16日目

「おはようございます。吉村さん。陳さん、ザオシャンハオ」姚さんが、ロビーでチェックアウトの手続きをしてくれている。「姚さんおはようございます。陳さん、ザオシャンハオ。」僕は、車に荷物を積み込んだ。陳さんは、車をぞうきんで拭きながら「ザオシャンハオ」と笑顔で答えた。「さあ、行きますか。今日はミャオ族の村へ行きますよ。」そういって姚さんは、僕と陳さんによく冷えたミネラルウォーターを渡した。午前9時に車は郎徳苗族村(ろうとくみろゃおぞくむら)に向かい走り出した。貴陽市から約2時間30分。ホテルから約1時間だ。国の重要文化財保護指定を受け、中国文化部に中国民間芸術の里と命名されている。昔から変わらないミャオ族の生活様式と何と言ってもそのきらびやかな...衣装が特徴である。「ねえ、陳さん昨日は友達と会って楽しめましたか」姚さんが訳して聞いてくれた。陳さんはにっこり笑い「とっても楽しめたよ。久々に飲みすぎた。でも会えてうれしかった」と姚さんが訳してくれた。「そうか、それは良かった」姚さんが訳すと、陳さんは、うなずき親指を挙げた。「ようし今日もちょっとおっさん3人旅やぞ。頑張ろう」僕はそういった。しばらくして車はミャオ族の村に到着した、村人が沢山民族衣装で歩いている。「姚さん、なんかすごいね。まさか僕たちの歓迎やないやろ」「違うと思うけど、なんなんでしょう。誰か偉い人でもくるんでしょうか」午前10時に雷山旅有局の女性、楊(よう)さんと合流し、楊さんのガイドのもと、村の中を見学した。途中姚さんが楊さんに、なぜ多くの人が集まっているのか聞いてくれたが、なんと午前11時に中国の中央組織部のトップクラスの方々が視察に来るので村人総出の歓迎式があるとの事だ。僕たちは普段みれない特別な歓迎式を運よく見学できた。2日前の茘波に行った時も国の副首相が来られていて、昨晩も夕食の場所に日本でいう県の副知事が来られていた。何でか分からないが、僕の行くところ国のトップが後を追うように視察に来られる。不思議なもんだ。とにかく歓迎式は盛大なもので、昔ながらの踊り場(銅鼓坪、どうこひょう)で来賓達を歓迎した。姚さんが「この村にはミニスカートのミャオ族もいるんですよ。」と、にたにたして

ある方向を指差した。そこには、本当にミニスカートというか、そういう衣装の若い女性たちが何人も立っていた。いつもは、カメラで写真なんかとらない姚さんが、バックからカメラを取り出しひっきりなしにシャッターを押している。負けずに僕もカメラのシャッターを押す。僕のデジカメは動画機能つきだ。しっかり動画も撮りました。「いいでしょ」「うん、いい。最高やん」スケベおっさんたちの会話である。でも素直に衣装はすごくきれいで、ミニスカートのミャオ族の踊りもすばらしいかった。姚さんは、「僕は何回もガイドしてますが、今回ほど盛大な歓迎式は初めてです。今まで見たことありません。」と興奮している。やはり吉村君が日本から来られたという理由か。そんなはずはない。

やはり、俺は何かもっているものがあるのか。一人で喜んいでいた。そのあと、ミャオ族の民宿で、昼食をとった。老夫婦と若夫婦、お孫さんのかわいい小学生の女の子が出迎えてくれた。その民宿が歓迎式のきれいな司会の女性の控室ともなっていて、その女性もいっつしょに昼食を食べた。もちろん一緒に写真も撮りました。そこの料理はおいしかったが、お酒での歓迎があり度数の高い酒で茶碗一杯ずつ一人ひとりついでくれ、老夫婦、若夫婦、司会の女性とお孫さん、つまり一人6杯飲むことになる。それも立て続けに飲み干す。はっきりいって死にそうだった。僕も姚さんも半分酔った。でも楽しかった。しばらく食事をし、酔いをさまし、お礼を言って僕たちは、少し移動し雷山県大塘村ミャオ族、水上粮倉を視察した。

大塘村は若い人は出稼ぎに行っており、老人が多かった。また、水上粮倉は高床式の倉庫で今は水が濁らないよう工事していた。視察後僕たちは、陳さんの演歌ばんばんの車で約3時間かけて貴陽市に戻った。これで大きな移動視察は終りであった。

                     つづく
























『中国貴州省ドタバタ視察記』

第二章 視察 18

9月8日 土曜日 曇りのち雨  気温25度 17目


移動視察もすべて終了し、僕の貴州省滞在もあと4日となった。早いものである。

本日は、土曜日で休日だったが姚さんの心遣いで青岩古鎮へ。古鎮とは、集落のことだ。午前8時30分に運転手の陳さんと姚さんとホテルのロビーで待ち合わせて出発した。

「休みの日やのに、姚さん、陳さん、すいませんね」「いやいや、吉村さんと会えるのももう少しだし喜んで御一緒しますよ」姚さんは、そういって僕の言葉を訳して陳さんに伝えてくれた。陳さんもにっこり笑ってうなづいた。ありがたかった。青岩とは字のごとく青い岩のことでこの石で出来た家が並ぶ集落の事である。貴陽市から車で約1時間で到着した。明代(1378年)に作られ、かっては軍需要衡だった。ここには8つの寺など中国の伝統的建築...物をみることができる。朝早かったがかなり観光客がいた。ここを視察して思ったのは古鎮の中にトイレがなく店のトイレを借りなくてはいけない。観光地化されていて駐車場もあるので公衆トイレの整備をするべきだと思った。続いて貴陽ゴルフ・リゾート・センターへ。雨が降っていたがここも観光客が多かった。施設は広く大きかった。貴陽市から17km。車で約30分である。ゴルフコースは18ホール、他に練習場、テニスコート、釣り場、ホテル、レストラン等設備が整っている。しばらく見学した。そのあと昼食をとり貴陽市の郊外、白雲区苗族文化博物館へ。ここが本当すごかった。姚さんも「ここは、すごいですよ。感動すると思います」といっていた。写真家でもある曽(そ)さんが、個人で収集して展示している。スタッフの方に説明してもらいながら鑑賞したがどれもが大変貴重なもので一見の価値が十分ある。貴陽市に来たならば必ず観光コースに入れるべきところである。また、普段は撮影が許可されていなが、貴州省旅遊局が手を打ってくれていて2枚のみ撮影させてくれた。今回許可をもらっているのでfacebookにもアップする。この2枚は非常に貴重なもので、中でも7,000年前の鳥などの模様が発見され中国5,000年の歴史が7,000年に塗りかえられることになったが、その模様を取り入れた苗族の衣装を展示していた。これがこの博物館の一番の展示物とのことである。博物館のスタッフと旅遊局の皆さんに感謝である。姚さんも「これは、何回みてもすごいです。まして写真に撮れるなんてすごいです」と興奮していた。その後応接室でスタッフの方と少しお話をし名刺も交わした。「門外不出と聞いているが他の場所で展示会をしたことはないのか」と聞くと、あるそうである。出来れば日本の博物館で一時的に展示できれば素晴らしいと伝えた。あと個人経営なのでやはりPR不足なところがある。ぜひ貴州省のパンフレットに載せるべきだと旅遊局に伝えます。と伝えた。スタッフは「それは、ありがたい。ぜひお願いしたい」といっていた。僕たちは丁重に御礼を言って貴陽市に戻った。それから姚さん、陳さんと少しおっさん3人組で僕のホテルの近くのレストランで豆鍋という豆を中心とした鍋を食べた。もちろん鶏肉とかも入っているのだが、これがまたおいしかった。陳さんは運転するので申し訳ないが酒は飲めなかったが、僕と姚さんは、ビール、酒とまたまた、素晴らしい時間を堪能した。ホテルから近かったので店の外で別れ僕はホテルの部屋に戻った。そして厳さんに電話し博物館のお礼をいった。「良かったね。喜んでもらってよかった。」と厳さんは、いっていた。明日は日曜で休みなのでホテルでレポートをまとめると厳さんに伝えた。そして、しばらくいつものごとく意味の分からない歌謡番組をしばらく見てシャワーを浴びて眠りについた。     つづく































『中国貴州省ドタバタ視察記』

第三章 さらば貴州省 1

9月9日 日曜日 雨  気温23度 18目


昨日で視察は、終わったが今日は一日かけて最終報告書の作成だ。今思うと忙しい中でも

毎晩パソコンに向かいノートに走り書きした事をパソコンにまとめておいてよかったと思う。それに少し手を加えたら立派な報告書になるからだ。朝7時30分に起きて顔を洗い、シャワールームで洗濯し、そしてホテルの1階に下り朝食を食べた。あの笑顔の素敵な受付嬢と会うのももう少しだ。今日も笑顔が素敵だった。僕は、肉まんとおかゆとコーヒーで朝食を取り、部屋に戻った。昨晩買って置いたオレンジジュースをコップに注ぎ小さな音でテレビを流し、パソコンに向かった。外は雨が降っている。昨日までの原稿を読みながら校正していった。お昼前にその作業は終わった。僕はこれも昨晩買って置いたカップラーメンに湯を注ぎ...昼飯に食べた。辛いがうまい。それから厳さんに電話した。「こんにちは。報告書進んでる?」「うん。今作り終わったところや。疲れた。あっ、厳さん、お願いがあるんやけど。」「えっ、何、何でも聞いてあげるよ」「やさしいね。あのね、もう少しで日本に帰ってしまうけど、お土産を買いたいんやけど。どこかお土産店教えてほしいんやけど」「あっ、そうだね。なんかさびしくなるね。うーん、いいお店あるよ。夕方彼氏と会うことになっているから連れてってあげるよ」「そうか、悪いね。」「ううん、いいよ。じゃ午後4時にホテルのロビーでいい?」「うん、すまんね。じゃ、あとで」電話は切れた。僕は待ち合わせの時間までスーツケースの中身を整理し、お土産リストを作って時間をつぶした。午後1時くらいに電話が鳴った。黄果樹瀑布に一緒に行った陳さんだった。「吉村さんお久しぶりです。お元気ですか。もうすぐ日本に帰ってしまうので、旦那もいつしょに夕食でもどうですか。と言っているんだけど、どう。」「陳さん元気ですよ。うーん。すいません、今日の夕方は出掛ける予定になってるんです。」「そうですか。残念ですね。それじゃ、お土産渡したいので、これからそちらに向かいますが、おられますか。15分位で行けると思いますが」「あっ、いますよ。いいんですか、わざわざ来ていただいて。すいませんね。」「いやいや、いいんです。じゃそちらに向かいます。」15分後前に僕はロビーに下り待っていた。陳さんは旦那さんといっしょに来られお土産を僕に渡してくれて、「今後の陳の日本での研修よろしくお願いします。」と丁重にお願いした。「お土産どうもありがとうございます。せっかくお誘いいただいたのにすいません。陳さんのことは、日本の皆が責任もってやります。ご安心ください。」「また、必ず貴州省に来てくださいね。」旦那さんはそういって固く握手してきた。「必ず、また来ます。また、ぜひ日本にもお越しください。」そして陳さん夫婦は帰って行った。僕がマオタイ酒が、うまいうまいと言っていたのでお土産の中に入れてくれていた。そして午後4時前にロビーに下り厳さんの彼氏の車でお土産店に向かった。「厳さん、黄さん、せっかくのところ僕のためにごめんよ」「いいよ、私たちも久しぶりにその店に行きたいとも思っているから」車で約30分、大きなビルの1階にあるお土産店に着いた。店の店員が「ニイハオ」と笑顔でそばに寄ってきた。厳さんに日本語で書いたお土産リストを見せて、厳さんは、そのリストを中国語に一つ一つ訳して店員に説明してくれた。「店員さんが上からよさそうなものを紹介してくれるよ」「厳さんありがとう。」そういって僕は店員のあとを歩き出した。「私たち向こうの方見てくるね。ゆっくり探してね」「あっ、ありがとう」僕はリストに書いているものを店員にみせてもらい選んだらカゴに入れていった。すべて選び終えてレジでお金を払っていると、「これ私たちからのプレゼントよ」と高そうな水彩画の書かれた扇子のセットを厳さんたちは僕に渡した。「減さん、黄さんありがとう。すごいうれしいよ。大事にします。」「気に入ってくれて私たちもうれしいよ」それから、僕は2人のデートを邪魔したら悪いのでホテルに送ってもらった。それから僕はホテルのレストランに向かいディナーバイキングを食べ、部屋に戻りゆっくりした。雨は止んでいた。久しぶりに日本の家族に電話し、シャワーを浴びビールを飲み眠りについた。                  つづく


























『中国貴州省ドタバタ視察記』

第三章 さらば貴州省 2

9月10日 月曜日 曇り  気温20度 19目


とうとう、貴州省滞在最後の日となった。ということでこの視察記も間もなく完結となる。

いつものごとく僕は午前7時30分に目覚まし代わりの携帯のアラームで目覚め顔を洗い、1階のレストランで朝食をとった。いつもの笑顔の素敵な受付嬢が、ルームキーを見て今日も素敵な笑顔を見せてくれた。明日の朝は、6時30分にホテルを出発なので、朝食を食べるのは今日で最後だ。「いつも、素敵な笑顔をありがとう。君の笑顔のおかげで毎日素晴らしい朝食とすばらしい一日の出発をすることが出来たよ。今日で会えなくなるけど、いつまでもその素敵な笑顔でお客様を幸せな気分にしてよね。」と言っている僕を妄想した。妄想しただけである。僕はシャイなのでそんな事はできません。いつものごとく、おかゆと肉まんとコーヒーの朝食を済まし午前9...時前にロビーに向かった。運転手の陳さんが待っていた。「ザオシャンハオ」陳さんと挨拶を交わした。10分後、「おはよう」と遅れたのを全然気にしない厳さんが現れた。本当に最初から最後まで遅れてきた。でもかわいいので許す。「吉村さん、とうとう最後の日だね。今日は今から外事弁公室など挨拶に回るよ。」「うん、頼むよ」陳さんの運転でまず、貴州省外事弁公室へ。各部屋を回りお会いした方々に

お別れの挨拶をして回った。そのほか関係機関を回り、厳さん、陳さんと軽く昼食を食べ

午後1時に貴州省旅遊局に。ここでも各部屋を回りお会いした方々にお礼を言って回った。そして旅遊局の会議室で外事弁公室のスタッフ、旅遊局のスタッフに僕の報告書を基に

かいつまんで報告会を行った。皆さんからは「約3週間、本当にありがとうございました。また、ご苦労様でした。本当に細かいところまで視察していただきまとめていただいた報告書だと思います。旅遊局で中国語に訳し各関係機関にお渡しします。今後貴州省の観光発展のため大いに活用させせていただきます。」との言葉があった。僕は「こちらこそ大変お世話になりました。3週間本当にありがとうございました。すべてが初めて見るものばかりで、良いことも改善すべきところも思った通りまとめさせていただきました。少しでもお役にたてれば光栄です。本当にありがとうございました。また、必ず来たいです。」

僕は丁重に御礼を言って約1時間で報告会を終え、陳さんにホテルに送ってもらった。

午後5時30分から旅遊局の近くのホテルのレストランで、僕の晩さん会を開いてくれることになっていた。それまで僕はホテルでゆっくりし、午前5時前にロビーに陳さんに迎えに来てもらった。晩さん会の会場に着き、旅遊局や外事弁公室の皆さんとで、今まで食べたことのないような高級中華料理とマオタイ酒やビールを飲み、本当に楽しいひと時を過ごした。最後にみんなで記念写真を取り握手を一人一人と交わし別れた。陳さんの運転でホテルに戻った。車中、厳さんから、「明日朝6時30分にホテルに迎えに行くね。なんかさびしくなるね」と言われた。「うん、分かった。なんか本当にあっという間やったなぁ。厳さんにも陳さんにも本当に世話になったね。また、必ず会おうや。貴州省にまた必ず来るよ。」

厳さんが訳し陳さんに伝えた。陳さんは、運転しながら右手の親指をかざした。ホテルに着き僕は部屋に戻った。そして、再度荷物の整理をし、訳の分からない歌謡番組を何気なく見ながらゆっくりした。そしてシャワーを浴び、午前6時前にアラームをかけ最後の貴州省の夜での眠りについた。            つづく































『中国貴州省ドタバタ視察記』

第三章 さらば貴州省 3

9月11日 火曜日 曇り  気温23度20目 帰航前日


「プルプルプルプル」携帯のアラームが鳴った。午前5時50分。僕は目覚め顔を洗った。

とうとう貴州省を離れる日が来た。あっという間の3週間だった。食べ物の不安、飲み水の不安とかあったけど、一度も胃薬飲まないで済んだ。というか、日本にいる時より野菜ものを多く食べたので健康になった感じだ。テレビを点けNHKのニュースを見た。午前6時30分前に荷物でいっぱいになったデカいスーツケースを持ってロビーに下りた。ルームキーをフロントに渡しチェックアウトの手続きをした。ロビーには陳さんが待っていた。めずらしく厳さんは、時間通りきた。「おはよう、よく眠れた。とうとうお別れだね。」

「よく、寝たよ。ところでお母さんの具合はどうなん。」貴陽空港までの約30分僕は厳さんと話した。「うん、前より.は大分落ち着いてるよ。お母さんも吉村さんによろしくと言っていたよ。あと彼氏も。」「そうか、お母さん良かったね。お母さんにも、彼氏にも本当によろしく言っといてよ」「うん、必ず伝えるよ。」そうこうしているうちに空港についた。

車からスーツケースを下ろし「陳さん、ほんとうにありがとう。また、会いましょう」厳さんが訳してくれた。僕と陳さんは、固い握手を交わした。「ロビーまで送るよ」厳さんは、そういって、僕らは受付カウンターに向かった。荷物の受付をしたが、なんと20キロオーバーで追加200元払った。その20キロはあちこちで、もらったパンフやDVD写真集、そしてお土産だった。「厳さん、本当にありがとうね。また貴州省にくるよ。皆さんによろしくね」「うん、絶対来てね。」僕らは握手し、そして僕は搭乗口に向かった。午前8時発の北京行きに乗り込んだ。これから北京に寄りJICA中国事務所に立ち寄り終了報告をし、北京に宿泊、明日の朝の便で北京から関空へ帰ることになっていた。ほぼ予定時刻に飛行機は飛び立った。「さらば、貴州省またくるぞ。」僕はそう思いながら北京に向かった。約3時間後北京空港に到着。タクシーでホテルまで行こうと思い、空港の掃除のおばちゃんに英語で「エクスキューズミー、ウェアータクシーステーション」と流暢な英語(ほんまかいな)で聞いた。おばちゃんは、指差してくれた。その方向に歩くとタクシーが停まっていた。

タクシーの傍に行き今度は中国語でこのホテルに行きたいと言った。一度窓をあけるが、すぐに閉められた。仕方ないので後ろに停まっていたタクシーの傍に行って同じことをしたが、同じ事をされた。「なんなんな。北京のタクシーは、ものすごい無愛想やし。なんで乗せてくれんねん。ふざけんなよ」とおこって、ふっと向こうをみるとタクシーと書かれた看板が大きくあり、そこにもタクシーが何台も停まっていて人が並んでいる。「あっ、そうか、ここじゃないんや。俺割り込んで無理やりタクシーに乗ろうとしてたんや。俺の方があかんやん。」僕は、自分のアホさに、笑うしか無かった。今度はちゃんと並びタクシーに乗りホテルに向かった。午後12時前だった。チェックインの手続きをし、部屋に荷物を置いて1階の喫茶店に行き、英語でサンドイッチとコーヒーを頼み食べた。とにかく腹がすいていた。そして歩いて約10分のJICA中国事務所の入っているビルに向かった。タクシーでホテルに来るとき見えたので大体の位置は分かった。少し迷ったが無事到着した。ドアを開けて、「すいません、こんにちは。貴州省に行っていた吉村です。」「あー、吉村さん、本当にご苦労様です。今担当の王さん呼びますね。」中から髪の長い綺麗な女性が現れた。「あー、吉村さん、お待ちしていました。さあ、こちらへどうぞ。」椅子に腰かけ王さんはお茶を出してくれた。「オー、リーです。よろしくお願いします。」「あっ、改めて吉村 剛です。よろしくおねがいします。」僕らは名刺を交わした。「お疲れだと思うので、早めに簡単に報告をお受けしようと思うのですが、かまいませんか」王さんは、中国人だが、日本語が上手だ。JICAの職員なので当然か。「あっ、疲れてはいませんので。でも今からでも大丈夫です。報告書もコピーして持ってきてます。」「そうですか。それじゃ、奥の会議室でご報告お受けします。」僕たちは会議室に移り所長を初め何人かのスタッフに対し簡単に報告をした。皆さんから「本当にありがとうございました。良くまとまっている報告書だと思います。」という声があった。報告会が終わり、まだ午後3時位だったので、僕は「王さん、もしお忙しくなかったら、初めて北京に来たもので、ぜひ天安門に行きたいと思っているのですが、案内していたたくことはではませんか。」「そうですか、かまいませんよ」「本当ですか、うれしいです」僕たちは、タクシーで天安門に向かった。  つづく


















『中国貴州省ドタバタ視察記』

第三章 さらば貴州省 4

9月12日 水曜日 曇り  気温23度21目 帰航日


僕と王さんは、JICA中国事務所からタクシーを飛ばし約20分で天安門広場に着いた。途中大きな繁華街があり、「あのあたりのマンションが私のお家です。」「へー、王さん高級マンションに住んでるんですね。」「そんなことないですよ。家族で住んでますから」。女性に歳は聞けないが、王さんは20代前半だと思う。王さんのマンションあたりは、大通りに面し大きなビルや、デパートが立ち並ぶところだった。ちょうど北京オリンピックの1年前で急ピッチでいろんなものが作られていた時である。「さあ、吉村さん、着きましたよ」「へえー、ここが天安門広場か、広いですね」僕はカメラを取り出し写真を撮り始めた。毛沢東の肖像画、人民英雄記念碑、毛主席記念堂、中国国家博物館、人民大会堂など王さんは説明しながら紹介してく...れた。約1時間見学し僕らはまた、タクシーにて僕の泊まるホテルに向かった。「王さん、お忙しいところ本当にありがとうございます。お会いできてうれしかったです。写真日本に帰ったらメールで送りますね。」「いえいえ、私も久しぶりに来れて、うれしかったです。写真楽しみにしてます。また、ぜひ北京に来てくださいね。短時間ですけど吉村さんに会えてうれしかったです。明日気を付けて日本にお帰りください。それじゃ。」王さんは、タクシーで事務所に戻った。僕は、王さんに教えてもらったセブンイレブンに行き、お弁当やビールなど買い込み部屋でゆっくりすることにした。店員は日本人だったので支払いもやりやすかった。お寿司とかも売っていた。部屋にもどりテレビを付け弁当とかを食べた。日本の味付けと同じである。寿司もまあまあ、うまい。午後6時くらいに、隣と前の部屋におそらくアフリカのあたりの観光客グループが、やってきて部屋に入った。アフリカの言葉はもちろん、どんな言葉か分からないが、僕がホテルに戻った時にロビーで話していたアフリカ人たちの言葉と似ていたのでそう思った。僕は明日の空港までのタクシーを予約するためフロントに電話し、英語で「エクスキューズミー、マイルームナンバー561、マイネームイズ タケシヨシムラ、アイウォントコールタクシー トゥモローモーニング 6:30 OK ?」

フロントは、「イエス、ミスター ヨシムラ トゥモローモーニング タクシー OK 」と答えた。単語並べるだけでも何とか通じるのである。僕は弁当をまた食べ始めたが、隣の部屋がうるさい。何語かわからんが、前の部屋の連中も集まり、ワイワイガヤガヤやっている。それも大声で。まだ7時位なんでええが、なんとこれが夜中の1時頃まで続いたのである。うるさくて寝れない。まあ、明日は飛行機で関空に行き、和歌山から勝浦まで列車なんでいくらでも寝れるからええが。うとうとしていたら、「プルプルプル」とアラームが鳴った。午前5時40分、顔を洗い、昨日セブンイレブンで買っておいたクロワッサンとコーヒーで朝食を取り、6時20分に部屋をでてチェックアウトした。しばらくしてタクシーがやってきて、中国語で北京空港まで頼むといい、北京空港へ向かった。約30分で空港に着き、搭乗手続きをし、午前8時30分発関空行の飛行機に乗り込んだが中々動かない。

なんと、空港の周りがすごい霧で飛び立てないらしい。1時間遅れでなんとか飛び立ち3時間半後の午後2時頃関空に到着。日本へ帰ってきた。懐かしい風景だった。それから和歌山駅までバスで移動。午後3時頃和歌山駅に到着。列車の時間を余裕もって決めていて良かった。今はないが、勝浦行のホームには、立ち食いそばがあり、そこのエビ天そばを食べた。とにかく日本食が食べたかった。本当に、本当にうまかった。やっぱり日本はええなぁ。午後4時発のくろしおに乗り、勝浦に午後7時頃着いた。

僕の約3週間の中国貴州省ドタバタ視察がこれで終了した。     完。































あとがきにかえて。

皆様、愛読していただき本当にありがとうございました。何とか本日完結を迎えました。-僕の拙い小説としての3作目を、この7月から書き始めて約4か月、やりきりました。これで悪趣味の小説書きは辞めたわけではありません。しばらく別の姿で頑張ります。また、できれば何か書きたいとも思ってます。また、応援よろしくお願いいたします。 謝謝。

あとがきにかえて  平成29年10月24日午後4時 自宅にて     吉村 剛


























































































































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中国貴州省どたばた視察記 吉村 剛 @yoshee50

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