少女は狼の夢で踊る6

嫉妬、などという安易な推測をする余地すらないほど、狼牙が怒っているのを肌で感じる。


「君は、深森君…だね。悪いけど表で少し待っていてくれるかな。

今彼女の面談中なんだ。」

「は!来たばっかのセンコーが何の面談だ?

りんご、オラ、早く来い。」


…狼牙がここまで言うのは、何か考えあってのことだと、思う。


でも誘宵先生は、さっき私の話をちゃんと聞いてくれた。親身になって真剣に相談に乗ってくれた恩人だ。

そんな人に…、少なくとも本人の目の前でその態度をとるのような彼に少しむっとした。


「…心配かけてごめん、狼牙。私は平気だから先に帰って。


先生、ごめんなさい。深森君が失礼なこと言って。私からお詫びします。」


先生と一緒にいる、その意思表明はしたつもりだ。

しかし普段ならここで気まずさに耐え切れなくなって出て行ってしまうだろう彼は、微動だにしない。


「…何日か前のニュースで、会社員が路上で寝かされてたってのがあったろ。」


確か、男女何人かが深夜に路上で怪我をして昏睡状態で倒れていた、という事件が最近あった。

現場は通学路にほどなく近い場所で犯人も捕まっていないので、朝礼で校長先生も厳重注意を呼び掛けていた一件だ。


「…それが今何か関係ある?」

「4日前、俺は、銀髪のでかい優男がそいつらに絡んでんのを見た。」

「!!?」


先生がその事件に関わっている…?

まさか…


「…。」


ごくりと固唾を飲み先生を見上げるが、先ほどから柔らかでどこか妖しげなその表情をピクリとも崩さない。


どうして否定しないんですか…。


「ただの酔っ払い同士のいざこざなら珍しくもねぇ。


だが、『狼男が人を襲う』のは、普通じゃねぇだろ。」



狼 男 ?



狼牙は比喩表現なんて、

めったに使わない。


ましてやこんな場面ではったりや冗談なんて…。


「なぁセンセイ、アンタ何もんだ?」


先生、早くなんとか言ってください…。

急激に血の気が引いていき、先生に手を置かれている右肩のほうからじんわり悪寒が走る。

もう、顔も、まともに見れない。



「…言ったろう、芦野りんご。


『君の全てを奪いに行く』


と。」



夢と全く違わない、耳元で囁かれたトドメの言葉に、戦慄が走る。


「やっ…!!」


とっさに先生を突き飛ばし、強張る足を懸命に動かし狼牙の元へ駆け寄った。

腕にぎゅっと縋り付く私を、狼牙は庇うように一歩前に出る。


「全く…邪魔が入らなければ優しくしてやってもいいと思っていたんだがね。」


先生の雰囲気が、変わった。

そしてそれに呼応するかのように、チカチカと蛍光灯の昼白色が不自然に揺らぎ出す。

奇妙な現象の中、時折はっきりと照らされる誘宵先生の姿が見覚えのない異形に変わり、呼吸が止まる。


私にも、見えてしまった。


金色に光る獰猛な肉食獣の眼が。

大きく割けた口と鋭い牙が。

全身銀の毛で覆われた巨大な獣人が。


誘宵先生の…本当の姿が。



今まで感じたこともないような、命を握られる恐怖と緊張感に支配され、私は完全に平静を失い、只々立ちすくむ。


怯える教え子の様子を意にも介さず、先生は太い腕を上げ鋭い爪で空を薙ぐ。


すると、狼牙の腕の肉が突然ざっくりと裂けた。


「うっ!?…ああアァっっ!!!」

「!!?」


苦痛に喘ぐ声が教室に反響し、シャツの袖は見る見るうちに真っ赤に染まっていく。

触れてもいないのにどうやって!?


片膝をつき痛みに耐える狼牙。

私は支えることもできず、泣きながらその場でへたり込んでしまう。


泣いている場合ではないのに。狼牙と一緒に逃げなければならないのに。


狼男がこちらにのしのしと近づく。


体が動かず、声すら上げることができない。まるで金縛りにでもかかっているかのように…。


「俺は見ての通り、闇の世界の住人でね。たまに無性に人の子の生気を吸いたくなるのさ。」


怖い。


「クク、芦野りんご…。」


怖い。


「悪いがお前には餌になってもらう。」


怖い。


獣の口が、私の眼前に迫る。


もうだめかとあきらめかけたそのとき、


狼牙が木椅子を狼男に叩きつけた!


「くっ。」


直撃!!…のように見えたが、狼男はそれを片腕で振り払い難なく防ぐ。

しかしその衝撃は凄まじく、椅子は木っ端みじんに砕け散る。


木屑が飛び、その巨体がわずかにひるむ。

私は自分を縛っていた見えない圧力が消えていくのを感じた。


「走れ!!!」

「う、うん!」


私は差し出された狼牙の手を取り、自由の利くようになったその足で校舎の外まで一気に走り抜けた。

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