少女は狼の夢で踊る7

先生から命辛々逃げ延びた私たちは、ひとまず人目のつかない体育館裏に身を隠すことにした。


走っている間に徐々に平静を取り戻し、周りに気を配る余裕が出てきた。

血の滴り落ちる狼牙の腕も気になったが、驚いたのは、普段この時間生徒がそこそこいる廊下や階段を使ったにも関わらず、今日に限っては誰ともすれ違わなかったことだ。

体育館や校庭から部活組の声のするところを見ると、あらかじめ化学室に続く通路だけ、あの謎の力で人払いされていたのかもしれない…。


そして後ろを何度か振り返ったが先生は追ってこなかった。


「ハァ、ハッ…、この馬鹿!

だからっ、言ったじゃねぇか…。近づくなってよ!」


「うん…、うん…。

ぅっ、ごめんねぇ…迷惑かけてっ。」


私は歪む視界で、狼牙の腕を取り怪我の具合を見る。

出血は大分おさまっているようだったが、故に3つの大きな肉が避けた痕が、余計に痛々しく感じられる。


自分の浅はかさのせいで、大好きな彼にこんな重傷を負わせてしまったことが悲しくて、申し訳なくて、たまらない。

謝罪の言葉と涙がとめどなくこぼれる私に、狼牙は頭を怪我のない方の手で掻き、参ったように口を開いた。


「…お前さぁ、俺のこと好きなんじゃねぇのかよ。


なんでアイツのとこいったんだよ。」


裂傷を診ている手を掴まれ、体をグイっと胸元に引き寄せられる。

熱いくらいの体温と、彼の匂い、鳴り響くどちらのものともわからない鼓動の音に彼が無事であることを改めて実感した。


不安が消え、私は嗚咽交じりに泣きじゃくることしかできない。


「もう俺から離れるな。

俺が…っ…

その、ずっと、お前を…のことを、守ってやるから、…だから。」


顔を上げると、動揺で耳まで真っ赤になった切なそうな、子供のような表情があった。

上手く動かない口を必死に動かしたどたどしく私のための言葉を紡ぐ、そんな彼の体の奥にある温かい思いは、痛いくらい伝わっていて、とても愛おしい。



狼牙、私の、一番大切な人。

心配して助けに来てくれてありがとう。

痛い思いをさせて本当にごめんなさい。


あなたが体を張って私を守ってくれたんだもの。

私だって、もう迷ったりしない。


「だからっ俺と…

…っ!?」


私の泣き顔を直視できないのか、照れくさいのか、目をそらしたながら続ける彼のセリフを遮り、顔をくっと引き寄せ、

私は、

後悔のないよう、心を込めて彼に口づけをした。


「大好きだよ、狼牙。」


――――――――――


時刻は深夜1時を回った頃。

夜の街には灯りが満ち、酔いのまわった陽気な会社員やカップルで賑わいを見せている。


その手前にある、既に営業時間を終えた店の軒下で、長い銀髪を持ったサングラスの青年は電子タバコをふかしながら、遅れてきた待ち人を見下ろし短くため息をついた。


「全く。小娘一人喰うのに3日がかりの大仕事とはな。」


「ああ、アンタが頼んでもいねぇくっっせぇ茶番入れなきゃ秒で済んでたんだがな!

チッ、アイツの魂が俺とアンタの間をユラユラユラユラ…やりづらくて仕方ねぇ!」


その場に似つかわしくない学ランを几帳面に折りたたみ、下したナップザックに詰め込みながら、狼牙はシローに悪態をつく。


「フ、ああいうドラマ性があると尻の青い坊やでも、ヒーローごっこしやすいかと思ってな。

…『お前俺のこと好きなんじゃねぇのかよ』。ハハハ、最後、結構本気だったろう。」

「うっせぇ顎割んぞおっさん。」


「それよりあの娘の周辺、後片付けはきちんとしてきたろうな。」

「たりめーだろ、ガキみてーにいちいち聞くなうぜぇ。」


心底鬱陶しそうに顔をしかめた狼牙がしゅるしゅるとりんごが施してくれた応急処置の包帯をとる。

深く掻かれたはずの腕の傷は、綺麗に失せていた。


そして黒のパーカーを羽織り、大股で繁華街を闊歩し始めれば、シローもやれやれとタバコをしまい、ブランド物のコートをなびかせそれを追う。


「威勢がいいのは結構だがね。


お前のクソ童貞ムーブが治るまでは、当分狩りは2人でやる。

ヤルンヴィドと言えど余りに杜撰な喰い方では俺まで目を付けられるリスクが高い…。


指図されるのが嫌なら、さっさと餌の扱い方ぐらい覚えることだな。」

「チッ。」


ネオンの中、互いに視線を交わすこともなく、距離は近いがまるで赤の他人のように、2人は歩み続ける。


しばし会話が途切れた後。


「…俺たち、俺たち『人狼』は。

このどうしようもない魂の渇きに、死ぬまで縛られるのか?」


苛立ちと疑念と不安がないまぜになったような声色で、狼牙がシローに問う。


「女を誑かし、『紅雫(コーダ)』を啜り、癒えたと思えばまたすぐに飢え…、いつまでたってもそれの繰り返しか?」


「人と獣の狭間を生きながら、人の世に溶け込もうとする者の性だ。

抑圧された獣の本能は渇きとして表れ、人としての理性を蝕み、最期は本物の獣に成り果て自我を失う。


人の体と貧弱な理性を保ち続けるには、人間の、とりわけ若い女の穢れなき魂『紅雫』をこの身に取り込むのが肝要だ。


その呪縛から解放される方法はいくつか思いつこうが…、どれも合理的とはいいがたい。

それこそ俺たちが最も尊ぶ狼の、人の、己の、全ての誇りをかなぐり捨てなければならなくなる。」


このコンクリートとガラスの森に、狼の野生の居場所はない。

人の躰は本性を押し込める器として足りず、あふれた狂気は仮初の同朋を脅かす。

さりとて狼男としての気高さは、本能の限りを尽くすこと、下等種の街に尾を向けることを許しはしない。


「…。」


「フ、まぁ生まれを嘆いたところで意味はないし、精神力の無駄だ。

さ、景気よく次の獲物を探すぞ。俺はもう干からびそうだ。」

「アァ?てめっ!ちょっと前に2匹食ったろうが!

この俺に後始末ばっかさせやがって、眠みーんだよ!!」


2人きりの獣は、再び人間の群れの中に消えていった。

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