第2章〜中学校編〜

第26話 再出発


 真新しいワイシャツに腕を通して、その白さを小さな鏡に映す。これを着ることによって、小学校の時よりもだいぶ大人になった気分になった。


 中学ではどのようなことが待っているのか、という期待が僕の胸の内で暴れ、居ても立っても居られなくなる。とにかく早く学校へ行きたい。とは思っていても、起きるのはいつもと変わらない、遅刻間際であった。


 折本は先に学校へ出発しているらしく、部屋にはいない。そのことが僕を余計に僕を焦らせる。教科書等の入ったリュックを担ぎ、急いで児童園から出て歩道を慌ただしく踏みつけた。


 隣を電車が颯爽と駆け抜けていき、あっという間に僕を追い越して行く。僕も負けずと地を蹴る。春のほんのり暖かい風が僕の髪を揺らすと同時に、真新しい制服の匂いが辺りに舞った。


 いつも通っていた小学校を通り過ぎて、いくらか進んだところにある道路を渡れば到着。目の前には中学校がそびえ立ち、僕を圧倒するが、走っている勢いでどうにか押し切った。


 車がすぐそこまで来ていたが、絶対に轢かれないという自信があったので、道路を飛び出した。道路の横幅は車2台分ということもあり、安心しきっていた。


 そして、勢いをそのままに、道路を渡っている途中、丁度半分くらいの場所で『あの』光景を記憶から無理矢理引きずり出された。小さな店が並ぶこの道にはいくらかの通行人がいるはずなのに、何故か正確に、彼に目が向いてしまう。彼もこちらを見ている。


 自分以外の時間が遅くなったのか、自分の頭が高速回転を始めたのかわからなくなるほど、目まぐるしい情報が脳内に入ってきた。


 どうしてここにいるのか? どうして僕を見ているのか? この不敵な笑みは何なのだろうか? 嫌な予感は当たっていたのだろうか? これは僕の見間違いではないのか?


 津久田蒼馬は親指を下に向けたまま、残った4本の指を手のひらにしまった。そこで僕の脳も、周りの時間も戻る。だが、津久田のことで頭がいっぱいになったせいで、走る速度は確実に遅くなり、僕の計算は音を立てて崩れていった。


 左から車が突っ込んでくる。それに対応することも出来ず、ただ呆然としていた。津久田の示した指の意味を理解すると、これは必然的な事故であり、僕は抗うことは出来ないのだと思い込む。あと一歩前に出れば助かっていただろうという位置にいた。


 終わった……。


 走馬灯が見えかけたその刹那、胸ぐらを掴まれて強く引っ張られた。走馬灯はその衝撃で消えて無くなり、代わりに金髪の美男子の顔が拳一個分空けた先にある。


 引っ張られた勢いで、僕と引っ張った相手は倒れたらしく、同じ高校の校章が付いた制服を着た男子生徒の上に乗っかっていた。


 我に返った僕は何を思ったのか、津久田を探さないといけないという使命感に駆られ、起き上がって津久田のいた場所に顔を向けた。しかし、津久田の姿はそこに無かった。


「大丈夫ですか?」


 言葉とは裏腹に、機嫌の悪そうなイケメンボイスが問いかける。それに続いて車から降りてきた男性が訊く。


「君たち大丈夫かい?」


「僕は大丈夫です」


「俺も大丈夫です」


「そうか、何とも無くて良かった。しかし、急に飛び出してきたら危ないから、次からは気をつけるんだぞ」


「すみませんでした。次から気をつけます」


 周囲の通行人がこちらをチラ見しながら通り過ぎて行くことに、無性に腹が立った。男性は車に戻り、男子はゆっくりと立ち上がる。


「その、ありがとうございます」


「別にお礼はいいんですよ。あ、同い年か」


 僕の制服にある校章の色で学年を判断したような様子を見せ、話を続ける。


「おまえ、轢かれたかったのか、止まる勢いで走るスピード落として」


 人が変わったように目つきが鋭くなる。


「その、よそ見してたらボーッとしちゃって」


「まぁ、今回は運が良かったと思え。次はないからな。じゃあ」


 彼は手を挙げて別れを告げ、学校へ向かった。僕はそれを遮るように彼の肩を掴んだ。彼は僕を心配してくれた良い人なのだ、彼と友達になりたい。そう思った。


「僕、和田啓太。もしよければ、学校まで一緒に行かない?」


「俺は岩井 練二いわい れんじ。よろしくな」


 やはり、友好的なことを言っているにもかかわらず、機嫌の悪そうな声である。髪も、地毛だろうが、金髪なので一昔前のヤンキーみたいだ。


 時間ギリギリに学校に到着し、校門のすぐそこにある掲示板に貼られているクラス表から自分の名前を探すと、3組の欄に自分の名前があった。


「岩井は何組だった?」


「俺は2組だ。そっちは?」


「隣の3組。まぁクラスは違うけどよろしくね」


「こちらこそよろしくな」


 周りでおしゃべりしている生徒たちの声の中から僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。声のした方向には亜子がいる。


「啓太、おはよう」


「おはよう。亜子は何組だった?」


「私も啓太と同じ3組だよ」


「同じクラスか、よかった。周りが知らない人だらけだったらどうしようって思ってたから」


「亜子さんですか。俺は岩井練二といいます」


 隣で会話を聞いていた岩井が急に積極的になり、自己紹介を始める。その後も趣味やら特技やら紹介した。しかし、さっき僕を事故から救ったことを自慢しなかったので、やはり彼は良い人なんだなと思った。


「あ、そろそろ教室行かなきゃ」


 亜子は呟き、校舎へ歩き始めたので、僕と岩井もそれについて行った。早速、友達もできて中学校生活が楽しみで仕方がない。それなのに、どこか不安もある。勉強とか、友達関係とは全く違う、もっと重要で危険なことに対しての不安であった。


 さっきまで晴れていた空の奥に怪しげな雲が浮かび、ゆっくりと近づいてくる。

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