第12話 原点へ


 思い切り肩を押されて尻餅をつく。放課後、職員室へ行こうとした俺は呼び止められて理不尽な八つ当たりを受けていた。


「ほら、立てよ」


 クラスメイトの男子が見下しながら軽蔑する。前まではこんなことするような人ではなかったのだが、笠原の影響で彼もいじめっ子の1人になってしまったのだろう。笠原の影響は女子にも及んでいて、周囲から距離を置かれていることがわかる。


 仕方なく立ち上がった。すると、ランドセルで殴りつけられて倒れ込んでしまった。もう痛みなんて感じない。いや、どうでもいいと思えるようになったのだ。


 男子が去ってから職員室へ向かった。そして、去年の担任である仲松(なかまつ)先生を呼んだ。


「どうしたかね?」


 その先生は頭のてっぺんだけがハゲていて、かわいそうなことになっている。だからと言って馬鹿にする人がたくさんいたが、とてもいい先生だ。


 思いやりとやる気は他の先生と比べ物にならないくらい強い。だから、この先生ならば、僕のお願いを聞いてくれると思ったのだ。


「ビデオカメラとプロジェクターを2週間ほどお貸りしたいのでが、よろしいでしょうか?」


「もちろんいいですよ。何に使うんですか?」


「学芸会の前に使いたい場面がありまして」


 とっさにでまかせが出た。流石に笠原への報復のためなんて言えなかった。


「そうですか。プロジェクターは今すぐ貸すことはできませんが、カメラは今持って来ますよ」


 そう言って少しも怪しまずに職員室の奥に引っ込んだ。数分もしないうちにカメラを持って戻ってきた。


「壊さないように気をつけてくださいね。プロジェクターは来週でもいいですか?」


「はい。では、また来週来ます」


 一礼して6年1組の教室へ向かう。とりあえずビデオカメラとプロジェクターを借りることに成功した。あとは、いじめている場面を動画に収めるだけ。


 2階の廊下を歩いていると、ちょうどいいタイミングで教室から亜子が出て来た。


「カメラ借りれたからさっさと仕事に入ろっか」


「うん……」


「そうだな、いつもいじめられてる人を撮影したら早いかも。誰かいい人いる?」


 亜子は静かに腕を持ち上げ、教室の中にいる男子を指差す。早速、椅子に座っているその男子に近づいて話かける。


「ねぇ、ちょっといいかな?」


 振り向けた顔は怯えていた。彼は返事も返さないまま無言で震える。あたかも俺が笠原の仲間であるかのような態度にイラつきを覚えた。


「君に笠原へ仕返しするために協力してほしい」


「そ、そんな……。あいつに仕返しなんてしたらっ!」


 彼も犠牲者の1人だから怖がっていても仕方ないことだ。彼の肩に優しく両手を置いて目を合わせる。


「大丈夫。君はいじめられてる時になんらかの抵抗をすればいいんだ。それだけやれば、あとは俺が笠原を捻り潰すから」


 穏やかに言い聞かせようとしたつもりだったが、信用できていない様子であった。


「でも……」


「別に、君が恨まれることは絶対に無い。だから安心して。『やめて』と言うだけでいいんだよ。簡単なことでしょ?」


「わ、わかった……やるよ」


「よし、じゃあ頼むぞ」


 そう言い残して次の被害者の元へ行く。そんな作業を繰り返して3人を説得することに成功する。話かけた瞬間に悲鳴を上げて逃げていく人もいた。


「まぁ、3人いれば十分かな。あとは、いじめの現場を撮影するだけかな」


「うん。そうだね、もう少しで……」


 言葉に詰まった亜子はそのまま黙り込んでしまう。それを無視して靴を履き替える。夕焼けの中、児童園に帰る道をまっすぐ進む。俺の隣には歩幅を合わせる亜子がいた。家の方向が逆であるにもかかわらずついてくる。


「どうしたの」


 ぶっきら棒に尋ねた。いつも一緒にいるからそこまで不思議に感じなかったのだ。


「その……一緒――たいな、って――ただけ」


「そっか」


 正直、車の音が邪魔でしっかりとは聞き取れなかった。しかし、大したことを言ってないのは確かであったため、聞き返すことはしなかった。


 道端に一匹の子猫が座っている。それを見た亜子は猫に駆け寄った。


「可愛いー、あれ? 首輪付けてる」


 彼女が立ち止まっても俺は足を止めることはなく、ひたすら目的地へ歩いた。早く家に帰って横になりたかったのだ。疲れたし、怠くて歩いていることすらしんどいのだ。


「啓太、一緒にこの子猫を飼い主のところまで届けない?」


 はぁ、とため息を吐く。重たい足がゆっくりと止まる。


「なんで俺も行かないといけないんだ?」


「えっ……」


 そして、また歩き始める。飼い主がいるならとっくに探してるはずだ。こいつが見つかるのも時間の問題であるなら、届けた俺らは無駄に時間を費やしたことになる。


 人それぞれが不平等に与えられた貴重な時間が少しでも削れるのはさすがに耐え難い。


 帰り道へ一歩踏み出した瞬間、腕を掴まれた。そしてか細い声が訴える。


「ねぇ、きっと飼い主もこの子も困ってるんだよ? なんで助けようとしないの?」


「別に、そいつほって置いても飼い主がすぐ見つけるでしょ。助けるだけ時間の無駄だよ」





 パチンッ


















「最低」


 そう聞こえた気がした。


 振り返って言った無気力な言葉は痛みと共に吹き飛び、頭が真っ白になる。


 何が起きたのかわからない。ただただ痛い。頰と頭、とにかく全身……それから胸が抉られたかのようにもの凄く痛む。


 周りの建物から跳ね返ってきた音がやけに心を突き刺し、吐き気もする。涙も溢れそうになる。


 こんな感情、聞いたことも無ければ感じたことも無く、存在自体今この瞬間知った。この感情を言葉で言い表すのは決して簡単では無い。いや、表すことは不可能だ。


 自分が壊れていくような感覚に襲われ、愕然とした。自分の中にある善意が復讐へと変わっていたのだと自覚する。


 自分の心が弱いことを痛感し、亜子の優しさがどれほどの支えになっていたかも改めて思い知った。1人じゃ何も出来ない。僕一人じゃ無力なのだ。


 側で支えてくれる人や協力してくれる人がいることで力や勇気が出るし、それが動機になる。亜子の協力と支え、関崎の励ましによって今の自分がいるのだ。しかし、自分が脆いせいで目的を見失ってしまった。


 せっかく臆病な性格を卒業したのに今度は尊大になりすぎて道を誤るところだったのだ。


 これ以上クズになってはいけない。そのことを気づかせてくれた彼女には感謝しなければならない。そして、目標を改めたら絶対にこの事件を解決させる。その前に……。

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