第10話 激化するいじめ


 次の日、いつものように学校で外履きから上履きへ履き替えたその時、上履きの中に硬い何かが入っていることに気がついた。何だろうと思いながら取り出してみると……。


「うわっ!」


 湿った手触りに鳥肌が立ち、反射的に地面に捨ててしまった。いきなり奇声を上げたため、周りの児童が驚きながら振り向く。


 出てきたのはりんご。昨日の給食に出たりんごのようだ。まだ腐ってなかったから許せるものの、これからいじめの内容は悪化していくだろう。教室に入ると走り回っていた男子とぶつかった。


「あ、ごめん」


 僕が悪いわけではないけど、とりあえず謝る。すると、周囲にいた男子が叫び出す。


「うわぁ! あいつ菌に触れたぞ!」


「こっち来るなよ!」


 僕は菌扱いされていた。もちろんお風呂入っているし、爪も切って、部屋も定期的に掃除している。


 そんな真面目な回答は置いておき、人を菌扱いさせるよう仕向けたのはおそらく笠原だろう。教室の中で浅ましい菌の付け合いが始まった。


「なぁ、君が不清潔で汚いって噂聞いたんだけど、笠原が流したデマだよな?」


 とりあえずりんごをゴミ箱に捨てて席に座ると、関崎が話しかけてくる。


「やっぱり笠原か……。昨日の内で相当仕組んだんだな」


 ため息の混じった言葉が溢れた。薄々気づいてはいたけど、昨日いた4人以外にも笠原のいじめに加担している人がいる。今さっきのやつらはその一部かもしれない。


 周囲の人間ほとんどが敵。それに圧迫されながら学校生活を送るなんて無理だ。さすがの僕でも不登校になってしまうだろう。一刻も早く状況を変えなければならない。改めてそう思った。


「頑張れよ! 俺は手伝えるほど勇気は無いから応援してる」


「ありがとう」


 朝の始まりの鐘が学校に響く。休み時間になれば菌扱いや消しゴムを隠したりと地味な嫌がらせ。ただでさえ将来に関わる大きなテストがある今日に限ってこれだ。


 今回初めて受けるこのテストでは現段階で就職できる職業がわかる。完全に学力社会となった今、自分のレベルを確かめるための貴重な経験なのに消しゴムが無いのは辛かった。


 放課後になり、帰ろうとすれば呼び止められて八つ当たりをくらう。彼らの気が済むと集団は去っていった。その後亜子の教室に行ってみる。そこでは涙を浮かべた亜子が散らばった教科書を拾い集めていた。


「大丈夫?」


「あっ、啓太」


 僕も教科書を拾い上げるのを手伝う。すると、亜子は慌てて顔を伏せた。


「う、うん。ありがとう」


 涙を拭っているようだったので、その姿を見ないように周りを片付ける。僕に心配かけさせないよう、彼女なりに強がっているのだろうと思った。


 どうすれば彼女を慰めることが出来るかなんて知らない。でも、彼女が傷つかないようにすることは出来る。


「絶対に笠原のいじめを止めさせよう」


「もちろん!」


 決意を言葉にし、亜子の方を向く。彼女は大きく頷き、盛大な笑顔を作った。


「昨日、笠原の部屋が見えるいい場所を見つけたんだけど……今日も行く?」


「いいね! それじゃあ、今日はそこに連れて行ってほしい」


 亜子は嬉しそうにしてあの歌を口ずさみながら片付けする。片付けが終わると、学校を出ていい場所に案内された。


 途中までは昨日と同じ道を歩き、笠原の家の少し前の方で左に曲がった。そこは緩やかな上り坂になっていて、方向的に亜子の言ういい場所を察する。歩いていると、いつの間にか周囲にある住宅街から木々の多い林になっていた。


「着いたよ!」


 予想通りの場所に着くと亜子は決まり文句を言う。いい場所というのは丘ノ第二公園というところであった。幼稚園くらいの子供たちが遊具の周りではしゃいでいた。


 そこにある展望台から僕たちの住む丘ノ市を見下ろすことが出来る。そして、展望台の中間地点から笠原の家がいい感じで見えた。


「はい、これ使って」


 亜子はランドセルから双眼鏡を2つ取り出し、その片方を僕に渡す。


「ありがとう」


 受け取り、笠原の部屋を覗いてみる。リビングと笠原の部屋が少しだけ見えた。最新式の外から中が見えないタイプの窓じゃなくてよかったと一安心する。


 それから、初めて双眼鏡を覗いたが、思っていた以上に鮮明に見えたので、この時代の技術を侮りすぎたなと少し反省した。


「それにしても、よく双眼鏡なんか持ってるね」


 30年くらい前に生産中止となったものだ。実物を見るのも初めてで、こんな身近に持っている人がいるなんて思わなかった。


「実は、お父さんがこういうちょっと古いものが好きで昔のパソコンとかCDとか持っていて、ちょっと借りてきたの」


「なるほど。なんかそういうの憧れるなぁ」


 そんな会話をしていると、リビングに変化が起きた。笠原が帰ってきたようで、お母さんのような女性が笠原に対して怒っている様子が伺えた。


 その後、笠原は浮かない表情で自室に入ってランドセルの中からプリントを出し、宿題をやり始める。


「あれ? やっぱり……」


 急に亜子が呟く。


「どうした?」


 双眼鏡から目を離し、亜子に顔を向けた。彼女は双眼鏡を覗いたまま続ける。


「今、笠原がお菓子取ろうとしてたの。昨日、あの後も少し見張ってたんだけど、昨日はお父さんが許可して宿題しながらお菓子食べてた」


「ん? それで、今日はお母さんに禁止されたってこと?」


「うん。それに、昨日の笠原の様子を見たら、お母さんを避けているような気がしたの。もしかしたらお母さんは笠原に対して厳しいんじゃないかな?」


 可能性としては十分にあり得る。笠原は父が甘やかしているせいであんな性格になったのかもしれない。しかし、母が厳しい人であれば父の甘さを叱ったはず。


「うーん、まだ証拠が不十分だからなんとも言えない」


 結局、この日はこれ以外の収穫が無いまま帰ることになった。




 翌日、教室に入ると中にいたクラスメイト1人が僕を睨みつけながら近寄って来る。


「なぁ、麻友まゆの体育着盗んだのおまえだろ」


 男子の一人が怒りの混じった声を震わせた。クラスメイトである麻友とは関わったことすらない。興味があるわけでもないし、彼女の体育着を盗むはずがない。


「体育着なんて盗まないよ。それに、名前書いてあるからすぐバレるよ? 馬鹿じゃないんだし、僕は盗まないよ」


「どうしたんだ? そろそろ鐘鳴るぞ」


 ちょうどいいところで戸村先生が教室へ入ってきた。これで僕への疑いが晴れるだろうと一安心する。男子達が先生に状況を説明した。そして、先生が一言。


「啓太くんが盗んだならどっかに隠してると思うぞ。もちろん、盗んでないならどこ探しても見つからないわよ」


 その台詞を完全に言い終えた瞬間、クラスメイトの男子全員が僕の机やロッカーを漁り始めた。そして数秒も経たないうちに奇声が聞こえる。その声の方向を見ると僕のロッカーから“内原 麻友”という刺繍のある体育着が出てきた。


「やっぱり犯人はこいつだったか」


「うわぁ、変態だな」


「クソ野郎じゃん」


「サイテー、キモっ、マジ死んだ方がいい」


 罵声が教室を埋め尽くし、鉛筆、消しゴムなどの物が僕の頭や背中、お腹に当たる。反論も出来ないまま呆然と立ち尽くす。


「笠原っ……!」


 怒りに満ちた声が漏れるが、誰の耳にも届くことはなかった。怒りとは別に心の奥底から何かが沸騰する。笠原に対して怒りを通り越して殺意が芽生えた。


 その日、学校が終わるまでずっとその事だけを考えていた。授業中も休み時間も給食、掃除中も体育着の件で先生に怒られている時も。


「大丈夫だ、俺はおまえの味方だ。辛いのはわかるけど、今は我慢の時じゃなかったのか?」


 関崎がこちらのイライラに気づいて励ましてくれた。笠原が視界に入っていたら首を締めてでも殺そうとしていただろう。


 事実を知っている存在はとても大きく、なんとか自我を保つことが出来た。その後の亜子と一緒にいる時間がどれほど僕の救いになったかは計り知れない。


 亜子は相当な傷を負っているだろう。それなのに僕のことを励ましてくれた。この頑張りを無駄にしないためにもどうにかしなければ。


 今日も亜子と一緒に笠原の家へ行って偵察したが、めぼしい情報を得ることはできなかった。そして、虚しい1日が過ぎていった。

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