第8話 静寂を誇る教室
翌日、いつものように時間ギリギリで学校へ着くと違和感を覚えた。痛いほどに周りの視線が集まっている。大体の予想はついていたが、ここまできついものとは思わなかった。これが毎日続くだけならいいのだが。
「おい、大丈夫か?」
自分の席の前まで来ると関崎に話しかけられた。彼とはそこまで関わりが深いわけではないが、心配そうな表情を浮かべている。
「うん、心配しなくても大丈夫だよ」
「おまえが悪者っていう噂が――」
朝の会の始まりを知らせる鐘によって話が中断された。
休み時間になると教室中の目線がこちらに集まる。それだけでなく、時々会話も聞こえてくるのだが意味を理解しないように本へ意識を向けた。
未知の感覚に包まれること約8時間。長い長い学校が終わる。亜子がいじめられていないか心配になり、彼女のいるクラスまで足を運ぶことにした。
彼女は同学年なのだが、教室の場所は6年3組の真下なので、一つ階を降りて廊下を歩いていると右手を掴まれた。それに続いて左手も自由を奪われる。
振り払おうとするも、両方の手首を両手で握られていて動かせもしない。見ると右手を坊主頭、左手を目つきの悪いボサボサ頭のやつが掴んでいた。前に亜子をいじめていた連中だ。
「やっぱりあの時のやつだぞ!」
坊主頭のやつが叫ぶ。
「なんだよ、離せ!」
僕は手を振りほどこうと暴れる。しかし、力で勝つことは出来なかった。
「この、離せよっ!」
僕の抵抗は無意味に終わり、2人は無言で6年1組の教室へ連行される。こいつらを蹴れば逃げることはできただろうが、それでは負けを認めたようで嫌だった。
教室にはあの時のいじめっ子メンバーと亜子がいる。そして、僕が来たことに気がついた笠原が待ちくたびれた顔でお出迎えしてくれた。静寂を破ること無く笠原の前に立たされる。笠原の後ろには亜子が女子2人に挟まれていた。
風の音すら聞こえないまま笠原がこちらへ一歩進む。僕よりも大きな体をしていて怯んでしまう。それでも僕は笠原を睨み続けた。
笠原は右腕を振り上げる。全身が恐怖で満たされて足がすくむ。避けるという考えは恐怖に捻り潰され、圧倒された体は瞬きを忘れて声を失う。
力強く握られた拳に頬を殴られ、同時に掴まれていた腕をその辺に放り投げられた。僕は地べたに倒れ込む。頬の痛みと地面に当たった右肩の痛みに挟まれて目の奥から何かが姿を現わす。男子3人が僕の周りに集まったと思えば今度は背中に痛みが生じる。
「……っ!」
歯を食い縛って言葉を飲み込んだ。黒板の手前で殴る、蹴るの暴力を受け、挙げ句の果てには唾を飛ばされた。痛みだけが全てを支配する。背中、腹、顔、腕、足……と。
その攻撃は見苦しい格好になるまで続いた。途中、亜子の叫び声が聞こえた。何を言っているか聞き取れるほど余裕は無い。
僕への攻撃は止んだと思えば、机の間から亜子が何かされているのが滲んで見える。笠原が亜子の机を蹴って中身を散乱させた。腕を離した女子2人が散らばった教科書と笑顔を教室中にばらまく。
今気がついたのだが、教室には他の児童も数人残っていた。どうして止めないのだろう。
口の中で血の味がした。きっとボコられている時に噛んでしまったのだろう。立ち上がろうにも力が入らない。
笠原が坊主のやつに何か命令した。すると坊主はネームペンを筆箱から取り出してきた。
「まさか……」
怠さを忘れて立ち上がり、机を掻き分けてペンを奪いにかかる。
「やめろぉぉぉ!」
すかさず笠原に近づけないように2人の男子が押さえ込んできた。掻き分けた机が大きな音を立てながら教科書を吐き出す。教室が絶叫で染まった。
亜子は女子2人に体と顔を押さえつけられていた。笑みを浮かべる笠原がペンのキャップを外して先っぽを亜子の顔へ近づける。彼女も僕も抵抗するが意味を成さない。
笠原は余裕の表情をこちらに見せつけて挑発する。どうすることもできない自分に嫌気がさす。ペン先が頬に触れると負け犬の遠吠えが最高潮となった。
顔に文字が並んでいく。その文字の組み合わせが織り成す意味は決して快いものではなかった。むしろ見たくないくらいだ。こんな整った美しい顔をどんな気持ちで汚しているのだろうか。僕には想像出来ない。
笠原は満足するまで書き終えると帰っていった。他のメンバーも僕たちを地べたへ投げ捨て帰る。後を追っかけて殴りたい。顔面が崩壊するまで殴りたい。全員だ。でも、ここでやり返しをしたら僕も彼らと同罪になる。
気持ちを抑え込み深呼吸をする。今僕の目はどうなっているだろうか。酷く恐ろしいことになってると自分では思っている。亜子の方を見ると教科書を拾い集めていた。
僕も倒した机を直していると教室の中は2人だけになり、亜子に話かける。
「南原さん、大丈夫?」
「大丈夫だよ。それより、亜子って呼ぶって約束したじゃん!」
「あ、ごめん。次から気をつける」
彼女は元気であることを装った返事をした。毎日このようなことをされていたらさすがに耐えきれない。彼女はいつからいじめを受けていたのだろうか。そんなことを考えているうちに机を直して教科書を全て拾い終え、2人でベランダへ出た。
僕はかけられた唾を、彼女は顔に付いたインクを落とすため冷たい水を手に持つ。風が吹くとより一層冷たく感じる。付いた唾をある程度誤魔化せたなと思い、亜子の様子を確認したが、まだ彼女の顔の汚れは落ちていなかった。
「手伝う?」
「あ、じゃあお願い」
僕は湿らせた手を優しく亜子の皮膚に当てる。傷つけないように指を滑らす。柔らかい感触が僕の顔を熱くした。
「ほんと恥ずかしいなー。こんな姿見られてさ」
亜子が苦笑いしながら言う。
「僕だって、醜態を晒して恥ずかしいよ」
「しゅうたいって何?」
「醜い姿って意味。まぁ、こっちも見られたからお互い様ってこと」
ティッシュも使って綺麗に拭き取り、完全に消える頃には下校時刻を過ぎていた。教室の戸締りをして教室を出る。そして、鍵を返しに職員室へ向かう。
「いじめを止める良い方法ない?」
並んで歩きながら僕は聞いた。もちろん回答に対して期待はしていない。僕が一晩考えても思いつかなかったのだ。彼女がいじめを止めること自体を忘れているのがオチだと思う。
「そうだった! 作戦考えてなかったね」
やはり。なんとなくわかっていた返事だ。
「でも!」
急に声量を大きくするものだから反射的に亜子の方を向いた。すると得意げな顔が目の前にあった。
「今思いついた!」
「え? 作戦を?」
「うん!」
その自信満々の表情には希望が詰まっていた。
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