第3話 醜い人間の性


 給食室は椅子と長テーブルがあるだけのシンプルなデザインで、先生用のテーブルに食缶が置かれている。手を洗って食器にカレーを入れた。ニンジン、玉ねぎ、じゃがいも、豚肉などの具材が見え隠れしている。


 喉の奥によだれが溜まってしまったので、大きな音を立てながら勢いよく飲み込む。席に着いてうずうずしている口と腕を宥める。


「みんな席に着いたね? それじゃあいただきます!」


 幼稚園から中学3年まで計17人の生徒全員が席に座ると号令がかかった。その中で小学2年の子は僕を含めて男子3人に女子2人の計5人が同じテーブルの椅子に座っている。


「いただきます!」


 その合図と共に鳴り出した皿とスプーンが擦れ合う音が給食室を騒がしくする。


「――おかわり!」


 開始わずか3分。 口に付いたカレーを気にも留めることなく、1番に食べ終わった上級生の1人が叫ぶ。そして、カレーとデザートであるフルーツポンチを皿に入れていった。それに続き、空っぽの皿を持った子供が次々と食缶に集まる。


 どうしても自分もおかわりしたくなった。それで焦りが出る。僕が食べ終わる頃には1人分しか残っていなかった。それなのに目の前におかわりを待つ男の子がいる。歳は同じくらいに見えるが、体格が僕より一回り大きく喧嘩したら余裕で負けるだろう。


「よーし、ジャンケンで決めるか」


「いいよ」


 僕は頷き、手を構える。理由は無いけど勝ちたかった。


「最初はグー、ジャンケンポン!」


 僕はチョキで相手はパー。見事勝利を収め、おかわりできる権利を得たのは僕であった。しかし、相手の方は悔しがるどころか喜び出した。


「やったー! じゃ、もらうぜ」


 そう言って彼は自分の皿にデザートのフルーツポンチを盛り付け始めた。


「え、僕が勝ったのに……?」


 僕は不満を口にしながら睨みつけた。


「は? 俺が勝ったんだろうが。何嘘ついてんだよ! なぁ、俺が勝ったんだよな」


 彼はたまたま通りかかった男子に威圧するような口調で問いかけた。その通りかかった男子は、給食室に入って来たばかりでジャンケンの様子など見ているはずがない。それなのに。


「あ、あぁ、うん」


 威圧に負けたのだろうか。その男子は嘘をつく。それを受けて、ここで下手に抗ったらどうなるのか想像出来た。先生に訴えても勝ち目は無いし、いじめられる可能性だってある。そんな考えが電光石火の速さで脳内を巡った。抵抗の無意味さを理解する。それと同時に抵抗する事がいかに醜い行動であるかも知ってしまったのだ。


 たかがおかわりのためにインチキをするなんて醜い。こんなことでムキになる必要はない。一応、みんな均等にデザートを与えられているのだ。それ以上を望むことすらおかしいのかもしれない。


「ごめんね。見間違えたみたい」


 僕はそう言い残して退いた。心の奥底にしまっていた記憶が蘇る。昨日の夜殺された父と母、それから殺人鬼の笑顔が現実であることを思い出してしまった。何故、嫌な記憶を掘り起こしたのかは自分でもわからない。


 他人なんて信じてはいけないのだ。あんなに優しく接していた両親の友人だとしても、簡単に裏切る。友達なんていなくても生きていける。だったら友達を作らなくてもいいじゃないか。下手に希望を持って絶望するよりはマシだ。脳が暴走を始め、負の感情が溢れているのがわかる。


 何かが喉に詰まった感覚。自分の首を絞めてそれを潰そうと考えたが、そんな勇気はなかった。


 その場で佇んでいると、先生が声をかけてきた。


「あ、そうだ。啓太くんの部屋は105号室。ルームメイトはこうくんだから仲良くしてね」


「わかりました。ありがとうございます」


 やることもないので、部屋に行こうと思い、廊下へ出た。1階の一番奥の方に105号室はあり、さっそく中へ入ってみる。


 中は机と布団が2つずつあるだけ。それと、さっき嘘をついた男子がいた。彼は同じテーブルで食事をしていた。ということは同じ小学2年生だ。彼は申し訳なさそうにこちらの様子を伺う。しかし、話しかけてくることは無かった。気まずかったのか、謝罪の気持ちがないのか。どちらにせよ、他人なんて信用できない。


 しばらくして入浴時間を知らせるアラームが鳴り、風呂場へ向かった。お風呂場は小さな個室が5つあるだけ。そこで体をさっさと洗って水を拭き取って髪を乾かし、部屋に戻った。お風呂が終わると次は勉強の時間。勉強といっても遊ぶやつは遊ぶ。


 僕はつい数日前に両親に大事な話をされたばかりだった。最近法律が変わり、成績が低ければ肉体労働しかできないと聞いた。


 父さんがやっていたような力仕事は見ているだけでも疲れる。だから、たくさん勉強して、たくさん本を読んで、賢くなるのだ。


 次は就寝時間を知らせるアラームが鳴り、僕は本を閉じて布団の上に倒れた。ルームメイトの男子……孝は他の友達と遊ぶため出て行ったきりだ。電気を消して1人眠りにつこうとした時、部屋のドアが開き、ルームメイトが帰ってきた。彼も自分の布団に潜り、僕に向かって


「おやすみ」


と言ってきたが、無視した。完全に彼と関わらないよう努めるつもりだ。




***




 転校したことをきっかけにその日から他人と関わることを避け、1人で本の中に引き篭もった。男子が鬼ごっこに誘ってきても、女子がままごと遊びに誘ってきたとしても断る。そんな事を続けているうちに、自然と誰も近寄ってくることはなくなった。


 完全なる孤独を築き上げ、周りから蔑んだ目を向けられる。そんな苦痛でしかない生活がずっと続いた。でも、誰かを信用して裏切られた時の絶望を味わうよりはマシだと思う。


 もちろん、授業は真面目に取り組んで発表もしっかりするし、グループ活動の時はクラスメイトの人と普通に接する。運動会や学芸会では自分の役割に集中し、周りとの連携は避けた。そうして和田啓太はそういう人なんだ、という認識が広まり、僕は空気のような存在になった。


 自分で言うのも変ではあるが、僕は成績優秀で真面目だ。趣味は読書。と言っても読書なんて現実逃避のためであって、好きというわけではない。とにかく他の事に集中していないと自分を保てなくなりそうで怖い。


 それだけではない。何かに集中していないと考えてしまうのだ。『僕は何のために生まれ、生きているのだろう』と。僕には人生の目標が無い。夢が無い。楽しみも心から喜べるような出来事も無い。そして、両親もいない。


 僕には何があるのだろうか。


 そんな馬鹿馬鹿しい人生を送り始めておよそ4年が経った。僕は小学校6年生になってある本を読んだ。その本の主人公は周囲の人と距離を置いて自分の非凡さを隠そうとした結果、凶暴な猛獣になってしまう。このままでは自分も"異類の身"となるのではないかと思い始めた。


 もしもこの状況が続けば僕はまともにコミュニケーションを取ることが出来ず、社会に出てもクズ扱いされるだけ。そんな最悪の事態を避けたい。いや、ただ単に友達が欲しいだけなのかもしれない。


 どちらにせよ現状を打開しなければならない。そういう使命感が湧き出る。しかし、どうすればいいのか考えれば考えるほどわからなくなる。誰も信じたくないという気持ちとの矛盾を抱えて生きていた。


 そんな時、僕に転機が訪れる。授業参観日で親への日頃の感謝を伝えることになった。きっと、いつもの僕ならばなんとも思わなかっただろう。しかしこの時は違った。両親についていろいろ知りたくなったのだ。


 どうして両親は殺されたのか。両親の友人は優しく、面白いジョークやボケで場を和ませるような面白い人であった。それなのにどうして人殺しをしたのか。そして、両親はどんな風に騙されたのか。いや、本当に友達に騙されて殺されたのだろうか……と。

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