私――宵村維純は、店主に教えられた部屋の前に来ていた。その部屋に、私はまだ入った事がなかった。

 この骨董店は、店主の住居も兼ねた一階建てだ。入り口から入ってすぐにあるのは、言う迄もなく店頭スペースであり、そこから応接間と廊下に繋がっている。廊下に出るとすぐに、事務や鑑定等で使う部屋――店主は事務部屋と言っている――があり、その事務部屋の中から、目的の部屋に行ける。因みに、廊下の先の曲がり角の向こうには、店主の居住スペースがあるらしい。

 私はまだ、店頭スペースと応接間にしか入った事がなく、故に、店主に示された部屋に入るのに少しだけ緊張していた。

 この部屋には、様々な骨董品が置いてある。

 ただそれだけなら、店頭スペースと何ら変わらないのだが、異なる点として、この部屋には店頭にものも置いてある。こうして部屋の前に立っているだけでも、異様な気配を感じているのだが、ヤバい場所に踏み入れた時の気配とは違い、敵意はあまり感じない。店主曰く、「今は厄介な子はいない」との事だ。

 決して怯えているわけではないのだが、いつもと違う、今までにあまり感じたことのないだったので、僅かに逡巡してしまった、という感じだ。

 気を取り直して、事務部屋からの灯りを頼りに――その部屋には窓が無い――、暗い室内を見渡す。鏡、柱時計、足踏みミシン・・・というような、一見して何なのか分かりやすいものから、一見よく分からない細々としたものまで、色々と置いてあった。

 私は、店主に言われたとおり、入り口から入ってすぐの机の上に、例の物――ルアーを見つける。ルアーとは、釣りで使う擬似餌で、その中でもこれは、それなりに値打ちのある立派なアンティークらしい。・・・只の魚のおもちゃにしか見えないのだが。

 私はそのルアーを手に取り、踵を返す――否、返そうとした。

 

 部屋の奥の方から、抑制された、だが確かに強い気配を感じた。

 敵意ではない。しかし、今までに感じた事がない程、強い「脅威」を感じたのだ。

 私は、その気配のある部屋の奥に目を向けた。そして、すぐにの正体が分かった。


 刀だ。

 部屋の奥に、一見無造作に置かれた刀。

 しかし、他とは明らかに区別して置かれているように見えた。

 ――禍々しい――

 私はその刀を目にした時、そう思った。

 今までも、禍々しいと思えるものは腐るほど見てきた。

 しかし、今までの「禍々しいもの」は全てこちらに敵意があったが、この刀からはそれを感じない。

 それなのに、今まで見た「禍々しいもの」より、この刀の方が、ずっと恐ろしく思えた。

 私は、一歩、一歩とその刀に近付いていた。

 呼ばれたわけではない。

 恐ろしいと心では思いながら、それでも、、歩み寄らずにはいられなかった。

 私は、の目の前で足を止める。

 その刀は、しっかりと鞘に収められ、刀掛けの上に鎮座していた。

 

 何故、そうしようと思ったのかは分からない。

 

 私は、ゆっくりと、それでいて躊躇なく、その刀に手を伸ばした。


 その時。


 「維純」


 背後から声が掛かる。


 私は、急に声を掛けられた事よりも、そのに、心臓が止まりそうになった。

 手を止め、恐る恐る振り返る。

 部屋の入り口に、店主が立っていた。

 逆光になっている為、表情は分からない。

 それなのに、彼の瞳は冷たい光を放ち、こちらを見据えていると分かった。入り口から何メートルも離れているここからでも、分かった。


 「それに触れてはいけない。こちらに来なさい」

 今まで見てきた温厚な人柄からは想像も付かない、抑揚のない冷たい声。

 例えようのない、内側に孕まれた不気味さ。

 私は微かな戦慄せんりつを覚えながら、大人しく彼の言葉に従った。

 足を進めるにつれ、店主の表情が見えてくる。

 彼は何の感情もない、能面のような顔をしていた。


 店主は私がその部屋から出るのを確認すると、無言で踵を返し、事務部屋から廊下へ出る。私も慌ててその後を追った。

 そのまま無言で店主の背後を歩いていたが、やがて彼が口を開いた。

 「あの刀はね、狛井家の呪いの元凶なんだ」

 その声は、依然として重々しさを孕んでいたが、先程の冷たさは消え失せていた。

 その事に少しだけ安堵を覚えながら、彼が続ける言葉に耳を傾ける。

 「狛井家の先祖、由不ゆふ正一せいいち。数多の人間を屠った彼の、二本目の刀」

 現実離れした言葉の羅列に、暫し思考が停止する。

 「・・・二本目の刀?」

 ただ、彼の最後の言葉を鸚鵡返ししただけで、特段が気になったわけではなかったのだが、店主はその部分を気になったと思ったらしく、言葉を続けた。

 「刀って、人を斬りまくると使い物にならなくなってしまうからね。何十人も斬った彼は、刀を一本なまくらにしてしまったんだよ」

 「・・・戦国時代の話ですか?」

 刀で何十人も斬るというと、それしか考えられなかったのだが、彼は首を横にふった。

 「ううん、明治だよ。それも、廃刀令の出た後のね。それに、由不正一は帯刀なんてできない身分の庶民だった」

 私はその言葉に目を見開く。何となく、武士や兵士の話だとおもっていたからだ。私は、動揺の隠せない声で言った。

 「じゃあ、犯罪者ってことですか?何十人も殺した・・・でも、それだと大事件なんじゃ・・・?」

 そんな大それた殺人なら、それなりに有名な事件になっているはずだ。そう思ったのだが、店主は再び首を横にふった。

 「勿論、判明すれば大事件だよ。ただ、由不正一の殺人は、完全犯罪だったんだ。死体は決して発見されず、被害者との関係も匂わせなかった。時期や場所だってバラバラだった。・・・恐らく、無差別殺人だったんだよ」

 「・・・なんで、そんな事をしたんでしょうか」

 「さあね。自分には分からない。殺害時期が数年に渡ってバラバラだったって事を考えると、趣味だったのかもね」

 店主は、淡白な口調で答える。その事に僅かな違和感を感じて、思わず黙りこんでいると、店主は再び口を開いた。

 「・・・そして、由不正一は、殺された人間達の怨念によって死んだ。当然だよね。武士や兵士が持ってるような死への覚悟のない人間が、何の恨みも買った覚えのない人間に突然殺されるんだ。その上、裁かれないときた。非道い理不尽へのいかりは、強い恨みを生む。・・・それが何十人もだ」

 店主はそこで一旦言葉を切った。前を歩く彼の足が止まる。あと一歩で店頭スペースに入る、というタイミングで。

 「・・・由不正一は子を成さなかったが、彼の弟の一族が末代までの呪いに絡め取られた。短い命の末に、悍ましい最期を迎える呪い。――こうして自分達は、呪いを抱くようになったんだ」

 そこで言葉を切ると、店主はこちらに振り返った。

 微笑んでいた。いつもの彼の笑顔だ。

 「さて、浄霊のお仕事を始めようか」

 その変わりように唖然とする私を置いて、彼は何事も無かったかのように、店頭スペースに入っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る