レクチャー 四

 それから少し歩くと、件の横断歩道がある大通り――と言ってもそこまで車通りは多くない――に到着した。まずは少し離れて様子を伺う。

 「あそこにいるの、分かります?」

 宵村さんの言葉で目を凝らしてみたが、俺にはよく分からなかった。藪を視た時のような、嫌な感じもしない。

 「視えないですか?単体の霊だしさっきの藪程の強い怨念は無いから、この距離だと分かえりにくいか。只、やってくる事は相当悪質だから気を付けて」

 「怨念の強さと危険さは別って事ですか?」

 「ケースバイケースですけどね。さっきの藪の霊は、鬱蒼とした場所に複数の浮遊霊が集まって、あの場所自体の怨念が強くなってるだけって感じです。逆に横断歩道にいるのは、単体で怨念も飛び抜けて強い訳じゃ無いけど、場所が場所だけに危険度が高いって感じですね」

 成る程。藪の中だったら多少足を掴まれてもすぐに死ぬ事は無いけど、横断歩道だとそれだけで車に轢かれて死ぬリスクがある。

 「というか、なんでそこまで分かるんですか?浮遊霊とか、単体とか」

 俺の質問に、「まあ、そのうち分かるようになるよね」と砂流さん、「第六感ってヤツ?」と宵村さんが答えた。出来れば慣れる前に霊感体質とはおさらばしたいものだ。

 俺は、横断歩道を一人で渡る事になった。その場所に近付く程に、嫌な感じが強くなっていく。横断歩道に到着した時は赤信号だったので、車道の手前で足を止める。そこに来てようやく霊の姿が視えた。

 霊は長い髪の女だった。服装はトレーナーにジーパンという出で立ちだったが、ところどころボロボロに破けていて、血が滲んでいるのが分かった。下を向いて這いつくばっているので、顔は分からない。

 よし、この程度なら俺でも驚かないで行けそうだ。

 歩行者信号が青に変わる。とおりゃんせのメロディが流れた。

 俺は横断歩道に足を踏み出す。女は横断歩道から少しだけ離れた車道にいたが、俺が歩き出すとゆっくりと這って近付いてきた。

 このスピードだったら追いつかれないな。そう思った俺は足早にその女を通り過ぎ、気をそらす為に流れるとおりゃんせのメロディに合わせ歌詞を思い浮かべていた。

 ――天神さまの 細道じゃ

   ちっと通して 下しゃんせ

   御用のないもの 通しゃせぬ――

 反対側に到達した。俺は初めて振り返る。

 女は、横断歩道に達する少し手前で止まっていた。

 ――この子の七つの お祝いに

   お札を納めに まいります――

 そこまで流れると、とおりゃんせのメロディが警告音に変わり、信号が点滅する。赤信号に変わると、女は少しずつ後ろに這って、元の場所に戻った。

 俺は目線を上げ、先程通った道で待機してる砂流さんと宵村さんの方を見る。砂流さんが頭上で丸を作っていた。オーケー、という事だろう。それから、こっちに戻って来いというジェスチャーをした。俺はまた横断歩道を渡る羽目になったが、それ程恐怖は感じていなかった。女はこちらから見て反対側、つまり最初に渡って来た側の車道にいるので、もし同じ様に這ってきたとすると、先程よりも女がより近くに来る可能性が高くなる。

 だが、女の這ってくるスピードを考えると、足早に歩けば捕まる事はないだろう。

 俺は自分でも不思議なくらい自信に満ちていた。これが二人のいう「慣れ」というものなのだろうか。

 車が二台目の前を通り過ぎた後に信号が青になり、とおりゃんせが流れる。俺は同時に足を踏み出した。なるべく女の方は視ないようにして、先程と同様とおりゃんせの歌詞をなぞる。

 ――通りゃんせ 通りゃんせ

   ここはどこの 細道じゃ

   天神さまの 細道じゃ

   ちっと通して 下しゃんせ

   御用のないもの 通しゃせぬ

   この子の七つの お祝いに

   お札を納めに まいります

   行きはよいよい 帰りはこわい――

 ちょっと待て。さっき渡った時、この歌詞の所まで流れたか?まだ向こう側まで距離がある。一回目に渡った時は、もうとっくに反対側に付いてたはずだ。

 行きはよいよい、帰りは・・・。

 歌詞が頭の中に再度蘇り、俺は思わず女の方を向いてしまった。

 女は顔を上げていた。顔は、判別がつかないくらいグチャグチャになっていた。

 「ああ・・・あ」

 喉の奥から叫び声にならない音が漏れる。ふいに足を引っ張られ、俺は地面に尻餅をついた。女の赤黒い手が、俺の足を掴んでいた。

 「は、離せ、離せ・・・・」

 頑張って暴れるが女は手を離さない。信号の警告音が鳴り響く。ヤバい。どうしよう。このままじゃ・・・。頭が真っ白になりかけた、その時。

 「ワン、ワン!」

 犬の鳴き声と同時に、白いものが突っ込んで来た。耳が立った、大きくて白い犬。砂流さんの式だ。式は、女の腕に噛みつく。女は、ギャアッと叫び声をあげて、消えてしまった。

 「大丈夫でしたか!?」

 砂流さんの声が聞こえる。

 「あ、早く歩道に入って!」

 俺は車道に座り込んでしまっている事を思い出し、急いで歩道に入った。

 「ありがとう、パブロフ」

 砂流さんは、白い犬を撫でてあげた後に呪文を唱えた。白い犬は消え、紙人形が砂流さんの手中に収められる。車道を青い車が走り抜けていく。交通量の少ない道で良かったな、と思った。

 「まんまと掛かっちゃいましたね」

 振り向くと、背後に宵村さんが立っていた。パーカーのポケットに両手を入れ、感情の無い顔――常にそうだが――でこちらを見ている。俺はその場で胡座をかいて答える。

 「今回はいけると思ったんですよ。一回目はうまくいきました。でも、二回目の時、とおりゃんせの歌詞が延びて、渡るのが遅くなっちゃって・・・」

 「あの地縛霊が長く居座ってる所為で、ここも霊界との境がそこそこ曖昧になってたんですね。楠木さんは霊の念力ちからで距離を見誤り、偽りの音を聞かせられていたんですよ。彼奴等は恐怖を感じさせる為にはなんでもやりますから」

 俺は「はぁ〜」と声に出して溜め息をつき、仰向けに転がった。「何やってるんですか、迷惑ですよ」と言う宵村さんの言葉を無視し、「因みに、さっきの脅かし方は今まで何回ありましたか?」と聞いた。

 宵村さんは間を置かずに「203回」と答えた。

 「・・・全部覚えてるのかよ」 

 俺は彼女の記憶力に脱帽しながら、少し雲のかかった青空を見つめる。彼女等のようになるには、まだまだ時間が掛かりそうだ。


 「おう、お帰り。何処に行ってたんだ?」

 夕方になって、フィールドワークを終えた俺達が天会寺に戻ると、為辺さんが帰ってきていた。

 「師匠お帰りなさい。楠木さんの実践を積む為に、霊のいる場所を廻ってました」

 結局あの後、昼休憩を挟んでから追加で三軒梯子はしごした。かなり疲れたが、おかげで霊への耐性が少しついた気がする。

 「透君、今日はどうだった?力になれたかな?」

 為辺さんが目の前に来て訪ねる。相変わらず、無理して物腰を柔らかくしているような話し方だ。

 「はい、とても助かりました。最初変な自己紹介された時はどうなる事かと思いましたが」

 「・・・変な自己紹介?」

 為辺さんが二人の方を振り向く。俺の方からだと彼がどういう表情をしているのか見えないが、代わりに砂流さんの顔が恐怖に染まっていくのが見えた。

 「そ、そんな事言ったら、楠木さんだって師匠の事ホストって言ってましたよ!」

 「ちょ、それは・・・!」

 「兎に角、仲良くなったようでなによりだ」

 為辺さんが咳払いをして仲裁に入った。良かった、ホストは流してくれるみたいだ。

 「まだまだ大変だと思うが頑張ってくれ。もしまた困った事があったら、連絡して欲しい」

 そう言って、為辺さんは電話番号の書かれたメモをくれた。

 それから俺は、砂流さんと宵村さんにお礼を言って、外に出た。為辺さんが寺の門まで送ってくれるというので、並んで歩く。夏至という事もあり、まだ外はだいぶ明るかった。

 「君の母親から、だいぶ参ってるって聞いていたが、今は大丈夫か?」

 為辺さんが俺の目を見て聞いてきた。

 「はい、お陰様で。今日色々な霊と会って、霊感体質って大変だなって改めて思いました。でも、砂流さんや宵村さんみたいに年下の女の子があんなに気丈なのに、男の俺がいつまでもへばってられないので」

 「そうか、それは何よりだ」

 俺の言葉に、為辺さんは安心したように微笑んで言った。もしかしたら、仕事中もずっと心配してくれていたのかもしれない。俺は、ホストだの見た目担当だの考えてしまった事を申し訳なく思った。 

 門に着き、俺は「それじゃあありがとうございました」と言って頭を下げて出て行こうとした。が、為辺さんに「透君」と呼び止められる。

 「はい?」

 「いや、君には関係無い事で申し訳ないんだが・・・」

 少し歯切れが悪い。俺は静かに為辺さんの次の言葉を待つ。

 「維純は、どうだった?ちゃんとお前と仲良くできていたか?」

 維純・・・宵村さんの下の名前だ。

 「はい。最初はおどおどしてて壁を感じたんですけど、いつの間にかその壁がなくなってたというか、打ち解けてくれたと思います」

 寧ろ図々しい位でした、とは言わないであげよう。為辺さんは俺の答えに少し考え込んでいる様子だったが、すぐに微笑んで「分かった、ありがとな。じゃあ頑張って」と言って手を振った。俺も手を振り返してから、長い階段を降り始めた。

 今日の朝にここの階段を昇った時とは打って変わって、心が軽くなっていた。もうなってしまったものはしょうがない。この先霊感体質の所為で数多の困難が俺を襲うだろうが、彼女達のように受け止めてみせようではないか。そう心に決めて、俺は夕日を見据えながら階段を降りていった。


 この時の俺は知る由もなかった。もう既に、俺にの魔の手が伸ばされていた事を。

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