邂逅 四
「君、呪われているよね」
「・・・え」
「それも、並大抵のものじゃない。かなり強力なものだよね」
私は呆然と彼を見つめた。
「・・・どうして、それを?・・・為辺さんですら、分からなかったのに」
動揺が声に出てしまっていた。狛井さんは少し微笑んで返す。
「呪いにも色々種類があるからね。君のはちょっと、厄介だからな。あいつが分からないのもしょうがない。自分はまあ、専門だから」
専門?どういう意味なのだろう。尋ねようとした、その時。
「ギャーーーッ」
先程狛井さんがお茶を運んできた方から、叫び声が聞こえた。人間の声じゃない。直感的にそう思った。
「ごめんごめん。ちょっと待っててね」
そう言って狛井さんは、声の聞こえた口に消えていった。どうやらこの口の向こうは、廊下になっているようだった。
そして、そんな時間も掛けずに狛井さんは戻ってきた。
「ごめん、驚かせちゃったね」
「あの声は、霊のですよね」
私が聞くと、狛井さんは頷いた。
「こういう仕事やってるとね、所謂『曰くつき』を手にする事が多いんだ。古道具ってさ、前の持ち主とかの思い入れが強いものが多いから、そういうものには残留思念が残っていたりする」
要するに、地縛霊が場所ではなく古道具という物に捕われたバージョン、といったところだろうか。
「・・・じゃあ、さっきの声は、その曰くつきのものに捕われた霊、ですか?」
「そうだよ」
「そういうのって、どうするんですか?」
まさか店頭に並べたりするのだろうか。
「まあ、基本的には売るかな?
「・・・浄霊?」
初めて聞く言葉だ。
「霊を浄化させる・・・成仏みたいなものだよ」
「じょ、成仏、できるんですか!?」
思わず大きな声を出してしまった。
「うん、できるよ。除霊に比べて少々手間は掛かるけどね」
狛井さんはあっけらかんと答える。
「除霊はさ、真言だったりお札、式を媒介にして霊界に作用させるから、術者が現世にいる状態で間接的に霊に干渉するでしょ。自分のやってる浄霊っていうのはね、自分自身が霊界に入って、霊に直接干渉するんだよ」
そんな事が可能なのか。私は、呆気にとられつつも尋ねる。
「直接、霊界に?でも、それって危険じゃないんですか?」
「うん、危険だよ。霊界は霊の
「・・・なんで、霊界に入ると浄化ができるんですか?」
「霊はさ、人間に悪さをする時に、念力を使うでしょ?」
「はい」
霊界と現世の境界は霊による念力で脆くなる。境が脆くなっているところで嫌な感じがするのは、霊力の高い人間が、霊による念力を直感的に感じ取っているからだ。
「だから、自分も霊に同じ様な事をしてるんだよ」
「同じ様な、事?」
「そう。霊が負の感情の念力で人間に不安を感じさせるなら、自分は正の感情の念力で、霊に安心してもらえばいいんだよ。念力の顕在化しやすい、霊界に直接出向いてね」
「可能なんですか?そんな事」
霊の負の情念は凄まじい。仮にこの人が、その正の感情の念力を霊に送る事が可能だとして、霊の怨恨を和らげる事は可能なのだろうか。
「君も知ってのとおり、霊、特に地縛霊は、良くも悪くも単純だからね。ちょっとした慰めの言葉で、簡単に成仏しちゃったりするんだ」
「そんな簡単にいくものなんですか?」
「まあ、言葉ひとつで浄化っていうのは難しいかな。霊にも色々いるからね。まあどの道、除霊より手間は掛かるし下準備も必要になるね」
「・・・そこまで、するんですか?」
「うん?」
「そんな霊界に行くリスクを背負ってまで、成仏させたいですか?その霊は、赤の他人なのに」
無粋な問いだと分かっていたが、聞かずにはいられなかった。
すると、彼は立ち上がり、私の方に歩いてきた。が、そのまま私を通り過ぎ、後方に飾られている骨董品の小物入れを手に取った。
「死は人生の終末ではない。生涯の完成である」
そう言って彼は、こちらに向き直る。
「・・・て言葉、知ってる?」
「ルターの格言、ですよね」
見たことがある。確か、歴史の教科書の豆知識コーナーみたいなところに書いてあった。
「このアクセサリーケースね、実は未完成のものなんだ」
そう言って、彼は小物入れ・・・もとい、アクセサリーケースに視線を移した。
「とある芸術家が亡き娘の為に作った作品・・・。ただ、完成の前にその芸術家は病死してしまってね。完成させる事のできなかった未練が、このアクセサリーケースに残留思念として刻まれたんだ」
彼は、少し目を伏せて、言葉を続ける。
「それで、その芸術家の霊は、購入した人を次々と困らせちゃったみたいでね。持ち主を転々と回って、うちに来たんだよ」
そう言って、アクセサリーケースを元の場所へ戻し、苦笑いした。
「最初は大変だったよ。殺意はなくても、結構洒落にならない悪さをするし。でも、こっちも色々調べてみてね。その芸術家が、いかに芸術に力を入れていたか、どれ程娘を愛していたか、分かったんだ。彼は、決して悪い人じゃない。ただ、芸術や娘を愛していたからこそ、その想いを込めた作品を最後まで手掛けさせてくれなかった世界を、憎んでしまったんだよ」
困ったように笑いながらも、その表情は穏やかだった。そして、やはりどこか儚げだ。
「それで、その霊は・・・」
「うん、成仏してくれた。最初はこっちの声は聞く耳持たずだったけど、段々説得に応じてくれてね。気のせいかもしれないけど、自分の事を、少しずつ認めてくれた気もしたよ」
「・・・そうなんですね」
言葉とは裏腹に、納得出来なかった。霊との和解も、この人がそこまでして霊との対話を試みるのも。
「まあ、もっと厄介な霊はいっぱいいるけどね。それでもほとんどさ、悪い人じゃないんだよ。只、失意に捕われて、どうしようもなく人を傷つけてしまう。だから、霊の望みを完全に叶える事は出来なくても、せめて自分に出来る事はしたいって思うんだ」
「自分に、出来る事」
私は、狛井さんの言葉を復唱した。すると、彼は微笑んだ顔をそのままに、芯の強い表情を浮かべて言った。
「うん。生涯というパズルに、嵌められなかったピースを、代わりに嵌めて完成させてあげられるような、そんな事。彼等が、現世への未練を断ち切れるようにね」
一点の曇りもないその瞳は、彼の迷いのない志しを示しているようだった。
「凄い・・・ですね」
心からそう思って言った。私にはとても出来ない。
「でも、出だって成仏させる事はできるだろう?自分のとは方法が違うけど」
「・・・え?」
為辺さんが?
「君は、彼が扱う式は、見たことがあるかい?」
「あります」
「あれは、『
「・・・知らなかったです。式に、そんな効果があったなんて」
私は、先日の公民館での一件を思い出していた。あの時、何故彼は、成仏させる事は出来ないと言ったのだろう。そう思っていると、狛井さんは、あ〜と少し苦笑いをして頭を掻いた。
「調伏で一人の霊を浄化させるには、かなり時間が掛かるから。自分がやる浄霊よりもずっと、ね。その時間に比べて霊被害が多いから、最近はあまりやってないのかも。調伏は出以外の霊能者でも出来る人いるけど、前々から
互助組織の方針で調伏はあまりやらない、という事なのだろうか。
「狛井さんはその、互助組織には入ってないんですか?」
気になったので、ソファに座り直した狛井さんに尋ねた。すると、彼は少し困ったように笑って言った。
「自分は、霊力があるとはいえ、厳密には霊能者じゃないんだ。出以外に霊能者の知り合いもいないし。代々骨董店を営んでいて、残留思念に捕われた霊に触れる機会が多かったから、趣味でやっているようなもんなんだ。自分がやっているような方法での浄霊は、除霊以上に出来る人間が限られるから」
「何か条件があるんですか?」
「うん。自分以外が出来ないというより、自分以外がやったらリスクが高いって言うべきかな。霊界に人間が行くと、霊から念力で悪さをされるよね。取り憑かれたり、最悪殺されたり・・・。この念力によって及ぼされる害が、所謂『呪い』というものなんだ。だけど、自分は呪いに耐性があるんだ。そして・・・」
彼は、私を指差して言った。
「君もね」
「・・・え、私?」
私も、思わず自分自身を指差して言った。
「うん、自分も君も、強い呪いをかけられているからね。既に強い呪いにかかっていると、それらが他の呪いをある程度ガードしてくれるんだ」
説明されても、あまり実感が湧かなかった。そもそものスルースキルのおかげで霊に取り憑かれる事自体が減っているし、取り憑かれてもすぐに対処が出来たからだ。対処できないものといえば、夜中に定期的に首を絞めにくる、あの女くらいだ。
――あの女が私に呪いをかけているから、私はあの女以外から呪われにくい、という事なのか――
「・・・貴方も、呪われているんですか?」
「そういう家系でね。末代までの呪いを少々・・・」
彼は頬を掻き、微笑んで言う。茶化した言い方だったが、この人も中々大変なバックボーンだな、と思った。
「だからさ、よかったらうちでもバイトしてみない?」
「・・・へ?」
急な話題変更に、思わず間抜けな声を出してしまう。
「うちは骨董店なんだけど、今言ったみたいに、浄霊もやっているんだ。曰くつきのものを買い取って浄化したり、買い取らないで浄化したり、又、骨董品関係なく浄霊しに行ったりもしてるよ。さっきも言った様に、浄霊って結構大変だから、少し人手が欲しいんだよね。うちでも働いてくれると嬉しいな」
狛井さんは、にっこりと営業スマイルを浮かべて言った。さっきのような儚げな微笑みではなく、キャッチセールスを彷彿とさせる微笑みだった。
「あー、折角なんですけどすみません。今のバイトも大変ですし、一応学生ですので。これ以上はちょっと・・・」
このまま押し通されたらどうしようかと少しヒヤヒヤしていたが、彼はあっさりと引き下がってくれた。
「そっか。じゃあ、しょうがないね。気が変わったら、いつでも連絡頂戴よ」
彼はにっこりと微笑んで言った。勿論、営業スマイルの方で。
「ごめんね。話が長くなっちゃって」
狛井さんは、店の出口まで送ってくれた。時間の割りに、まだあまり外は暗くなかった。久々に晴れたから、日没時間が伸びたのに気づかなかったのかもしれない。
「すみません。どうもありがとうございました。あと、お茶もご馳走様です」
「こちらこそ。お菓子ありがとうね」
そう言って、店の扉が閉じられた。緑色の扉のドアノブには、『close』というプレートが掛けられていた。
・・・あれ、最初に来た時に、こんなプレートあったっけ?
確か、来た時はなかった。という事は、私が入って、狛井さんが扉を閉めて・・・その時にプレートをノブに掛けた?私と話している時にお客が来ないように、わざわざ、私をバイトに誘う為に?
そう考えると、私の中で狛井さんのイメージが、「儚げで健気で良い人」から「胡散臭いセールスマン」へと変貌を遂げていた。
いやいや、恩人なんだし、疑うのは失礼だ、と頭を振る。たまたま閉店時間だったのかもしれない。そもそも、私みたいなジメジメした日陰に生えてる毒キノコみたいな人間に、人様を格付けする資格なんてないだろ。
階段を降りながら一通り自虐してすっきりした後に、そういえば為辺さんに会わせろとかそういう事は言わなかったなぁ、と思った。会いたいはずなのに。もしかしたら、私の立場が悪くなるから、言わないでいてくれているのかもしれない。
そして、彼が浄霊への志しを語った時に見せた、一点の曇りもない瞳を思い出す。
私だったら、浄霊が出来るとして、彼の様に真摯に霊と向き合う事が出来るだろうか。
――
私は、多少の同情の後、簡単に霊を見捨てる事が出来た。彼の様に手を差し伸べる事なんて、到底出来やしないだろう。
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