番外編 宵村維純観察レポ
六月十三日
宵村維純は、謎が多い。
彼女は、私――砂流優里香にとって、初めての霊が視える友達なのだが、まあまだ出会って二ヶ月位なので、お互いの事を完全に理解している訳ではない。
それにしても、この宵村維純という人間は、中々に奇想天外だった。
以前会話してる時に、「スルースキルを極めているから、何があっても動じない」と聞いた。確かに彼女は、霊の脅かしや強い情念等で動揺を見せる事がまず無い。
「じゃあ、何があっても絶対に驚かないの?」
「急な驚かしだったり、大きな音だったり、視覚的に強く訴えるものがあったりしても動じないかな。只、意外性とかで驚く事はあるよ?例えば、優里香が昼位になって『そういえば昨日の
要するに、見るにしろ聞くにしろ、第一に入ってきた情報だけでは、動揺する事がないという事だ。実際、彼女の不意をついて猫騙しをしてみた事もあったが、彼女は体を揺らすどころか瞬き一つしなかった。流石、言うだけのことはある。
只、私が真に彼女の動じなさに驚いたのは、つい最近の事だった。
近頃は依頼が無く師匠も留守が多い為、維純と内職をする事が多かったが、この間、その最中に黒い悪魔が現れたのだ。地を這い宙を舞う・・・アレだ。
私は特別虫が苦手という訳ではないが、そんな人間でもこの悪魔だけは例外的に扱うだろう。半ばパニックになりながら殺虫剤を探したが、そんなゴタゴタしてる中、悪魔は維純の方へ向かって行き・・・。
維純は悪魔を掴み取ろうとした。素手で。
只、悪魔も動きが素早いので、触られる事なく維純を通り過ぎ、維純は悪魔を目で追いながら「ダメだ、反射神経が足りなかった」と呟いていた。
「え・・・今、素手で触ろうとした?」
「うん。そうだけど」
「いやいや!普通新聞紙とかで叩いたりするでしょ!素手て!」
「ゴキブリって抗菌力が高いから、そんな汚くないんだよ。それに、私なんかに汚物扱いされたら可哀想じゃん。ましてや私ごときに殺されるなんて・・・」
「どんだけ自己評価低いんだよ!!」
この悪魔をもってしてここまで動じない上に、素手で生け捕りにしようとしたのは、流石に
因みに、この悪魔は追いかけていたら師匠の部屋の押入れに逃げ込んだので、そのまま扉を閉めて閉じ込めた。その後どうなったかは知らない。・・・まあ師匠も男だし、出くわしても自分で何とかするだろう。
とまあ、そんなものを見せられてしまっては、彼女の生態に興味が湧くのは仕方のない事だろう。
というわけで、今日は維純をよりよく知るために、お家にお邪魔させてもらう事にした。・・・決して内職に飽きて暇つぶしを求めていた訳ではない。
「私の家なんか行っても、何も面白くないよ」
維純の自宅へ向かう途中、彼女はため息をつきながら言った。
「そんな事ないよ。維純の家だったら何があっても面白いよ」
「人を何だと思ってんだか・・・」
そんな事を話しながら彼女の家の近くまで来た時だった。
「あれ、維純ちゃんじゃん」
維純を呼び掛ける女の子の声がした。その声の方を向くと、中学生位の長髪美少女が民家の前に立っていた。
「鈴。どっか出掛けてたの?」
「夕飯の買い出し!今日も両親仕事でいないから、あたしが作るの!」
今日は土曜なのに親が両方とも仕事なのか。大変だなぁ・・・。
「ええっと、その人は・・・」
鈴と呼ばれた子は、私に目を遣りながら維純に尋ねた。
「私、砂流優里香っていいます。維純とは同じバイト先なんだ。今日はバイト終わりに一緒に遊ぼうってなって・・・」
維純の代わりに私がそう答えると、鈴ちゃんは目をキラキラさせながら維純の肩をバンバンと叩いた。
「てことは、維純ちゃんの友達!?やったじゃん!」
「・・・そういう事言われると虚しくなるから辞めてくんない?」
鈴ちゃんの熱い反応に対して、維純は冷ややかな声で言った。
「ええと、そちらは・・・」
「あたしは百目鬼鈴!維純ちゃんの幼馴染みです!」
私の言葉に、鈴ちゃんは輝いた目をこちらに向けて言った。
「いやー本当によかった!維純ちゃんに幽霊以外の友達ができて!」
「別に私は幽霊を友達にした事なんて一度も無いんだけど・・・」
何だ、霊感体質に理解のある友達いるんじゃん。彼女のいつもの口ぶりからすると、私や師匠以外に霊感体質に理解のある人が周りに居ない、というような感じだったのに。
「ねえねえ、良かったら二人の出会いとか聞かせてよ!」
「いやいや、出会いて。そんな恋人の馴れ初めを聞くみたいに・・・」
「いいよ!鈴ちゃんも普段の維純の話とか聞かせてよ!」
私と鈴ちゃんはすっかり意気投合した。鈴ちゃんが家にあげてくれるとの事なので、私は喜んで了承する。維純だけは「打ち解けるの早いんだから・・・これだから陽キャは」等とぶつぶつ呟いていたが。
それから鈴ちゃんの家のリビングで楽しく談話した。鈴ちゃんは維純のちょっとした昔話を、私は維純と仲良くなった経緯を話せる範囲で話した。維純だけはリビングのソファの隅で居心地悪そうに体操座りしていたが。
どうやら鈴ちゃんが維純と仲良くなったのは、彼女のお兄さんと維純が仲良くなった事がきっかけらしい。維純が前に話していた「途中から視えなくなって離れていった幼馴染み」は、恐らくこのお兄さんの事だろう。この子自身はずっと零感との事だ。
・・・そうだ。もしかしたら、鈴ちゃんだったら維純が動揺してしまう位苦手なものとか知ってるんじゃないだろうか。そう思った私は、聞いてみる事にした。
「ねえ、維純の弱点とかって知ってる?」
「はぁ?」
ずっと丸まっていた維純が顔を上げる。
「維純ってさ、本当何にも動じないのよ。でも、やっぱり友達として苦手なものの傾向くらいは掴んでおきたいなーって思って」
「いやいやどんな理屈よ。大体苦手なものはあります。人間です。ニンゲンコワイ」
「いや、そういうんじゃなくてさ。もっと精神的にヒッ!てなるようなさ・・・」
「あたし、知ってるかも」
「え?」
鈴ちゃんの鈴のような声に、私たちは揃って顔をそちらに向けた。鈴ちゃんはニンマリ微笑んでから立ち上がり、リビングの端に向かっていく。
そこには、コンパクトなタイプのピアノが置かれていた。鈴ちゃんはそのピアノにかけられた布をどかすと、ピアノの前にある椅子に腰かけた。
何をするのだろう。鍵盤を思いっきり叩いてみるのだろうか。それとも、恐怖を煽るような不協和音でも奏でるというのだろうか。
固唾を吞んで注視していると、彼女はピアノを弾き始めた。
ポロロン、と音を鳴らしてからゆっくり鍵盤を押していく。
ド、レ、ミ、ファ
これは・・・音階?
ソ、ラ、シ、ド
上のドまで上がると、何オクターブか下のドを一回鳴らし、今度はド、シ、ラ、ソ・・・と下がっていく。そして下のドまでいくと、また低いドを鳴らしてから、先程と同じように上がっていく。ずっとそれの繰り返しだった。
なんだろう。凄く単調なのに、どこか懐かしいメロディ。
そうだ。これは。
20メートルシャトルランだ。
まさか、こんなのが効くわけ・・・。
そう思いながら維純の方に目を向ける。維純は、今まで見た事がない程の苦悶の表情を浮かべていた。
――メチャクチャ効いてるやん――
「維純ちゃんが苦手なのって、こういう系統のものじゃない?」鈴ちゃんは弾きながら言葉を発する。「維純ちゃん屈指のトラウマなんじゃないかな」
言いながら、鈴ちゃんは速度を上げた。ご丁寧に「速くなりますよ」の合図の音も付けて。
維純の頬につーっと、汗が流れる。
「維純ちゃんって昔から運動音痴だからね。普通の人でもまあまあトラウマだし、維純ちゃんなんか相当ヤバイんじゃない?」
言いながら、さらに速度を上げた。ただでさえ白い維純の顔が、さらに白くなる。
「あ、そうそう!運動苦手といえば面白いエピソードがあってね!」
「分かった分かった!もう分かったから、辞めてあげて!」
弾きながら無邪気に思い出話を始めようとする鈴ちゃんに、私はストップを掛けた。
「いやー、楽しかったなぁ!維純の色んな話が聞けて!」
「私は地獄だったよ。色んな意味で・・・」
鈴ちゃんの家を後にして、私と維純は、維純の家の前で立ち話をしていた。
「一番の収穫は、維純の弱点を知れたことかな。これで、もしそういう霊に出くわしても私が率先して対処できるから、安心だね!」
「そんなピンポイントでシャトルラン鳴らしてくる霊いないでしょ・・・。でも、優里香は私以上に運動苦手なのに、何で平気だったの?」
「私、シャトルランは疲れる前にそもそも追いつけなくてアウトになってたから、あんまトラウマは無いんだよね」
「優里香の運動音痴って死ぬ程洒落にならないよね」
「それにしても、鈴ちゃんいい子じゃん!維純にああいう友達が居て、少し安心したわ」
「・・・うん、そうだね」
維純から、少しだけ歯切れの悪い返事が返ってきた。まただ、この違和感。
この違和感は、今日鈴ちゃんと遭遇してからずっと微かに感じていたものだ。維純と鈴ちゃんは、幼馴染みと言うだけあって、お互い親しげに接していた。
だが、それでも維純の方は、うまく言えないが、どこか壁を作っているような、そんな感じがしたのだ。
私と維純は、まだ出会ったばかりだ。維純が私に全てを
それなのに、私の倍以上は一緒にいるであろう鈴ちゃんよりも、私に心を許している気がするのだ。下手したら、師匠ですらもう少し壁が薄いのかもしれない。
「・・・優里香?」
維純の黒い瞳が私を覗き込む。私が急に黙り込んだのを疑問に思ったのだろう。
――まあ、いいか――
「ううん、何でもないよ」
何はともあれ、維純は私に心を許してくれている。今日は彼女の新しい一面を発見する事もできた。
そうやって、これからも少しずつ維純の事を知っていければいいと思う。
大切な友人として。
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