邂逅 三
六月八日
傘を借りた翌日は、ちょうどバイトがある日だったのだが、今日は傘を持参せずに天会寺に向かった。今日返してもよかった――というか、なるべく早く返すべきなのだろうが、先に優里香に狛井さんの事を確認しておきたかったのだ。
今日は昨日と同じく内職だった。為辺さんはいないが、狛井さんの事を聞く絶好のチャンスだ。
「ねえ、狛井さんって知ってる?」
私は、札に筆を走らせる優里香に声を掛ける。昨日狛井さんが言っていた女の子とは、間違いなく優里香の事だろう。何か知っているはずだ。
「知ってるけど・・・維純こそ知ってるの?」
優里香が驚いた表情で言う。やっぱり既知のようだった。
「実は昨日の帰りに色々あって・・・傘を借りたんだ」
「色々?」
「・・・話せば長くなる」
言葉の裏に「あまり話したくない」という意思を込めて返すと、優里香はそれを察したのか流してくれた。
「へえ、昨日来てたんだ・・・何か言ってた?」
「為辺さんは居るかって聞かれて、居ないって言ったら帰ってったよ。・・・狛井さんて、為辺さんの友人なんだよね?」
「・・・うーん」
少し歯切れの悪い返答だ。表情を曇らせ、僅かに首をかしげている。友人じゃないの?と聞こうとしたら、先に優里香が口を開いた。
「・・・というのもね、師匠、居留守使ってるんだ」
「え!?」
思わず声がうわずる。
「じゃあ、友人じゃないの?」
そう聞くと、優里香がまた「う〜ん」と言って困った様な表情で首をかしげる。
「私もよく分かんないんだよね。師匠には、俺は居ないって答えろ、としか言われないし。詳しく聞こうとしても絶対に何も言ってくれないんだ。・・・ただ、悪い人ではないと思うんだよね」
それは同感だった。狛井さんの寂しげな表情を思い出す。こちらを騙しているとか、そういう風には見えなかった。
「あと師匠、狛井さんの話すると不機嫌になるんだよね・・・。それで私もあんまり聞けないっていうか。予想だけど、昔喧嘩して師匠が一方的に絶交した、とかじゃないかな?」
「ああ、それは想像つくかも・・・」
「だから、怪しい人ではないと思うよ。ただ、師匠には狛井さんの話絶対に振らないで。私前にしつこく聞きすぎて酷い目にあったから」
「・・・何されたの?」
そう聞くと、優里香は当時の事を思い出したのか、沈んだ表情で言った。
「わカらナいホうガいイ・・・・・・」
くねくねでも見せられたのだろうか。
それにしても、あの時の狛井さんの『いつも会えないんだよね』と言いながら浮かべた、寂しげな微笑み。なんとなく彼は、為辺さんが敢えて会っていないという事を知っているんじゃないか、と思った。
六月九日
――ここか、狛井骨董店――
私は、菓子折と黒い傘を持って、名刺に書かれた住所に来ていた。
天会寺のある山は、山の斜面に多くの家が立っている。天会寺の近くは閑散としているが、そこから少し北に逸れると、山の上方に向かって階段が何個か伸びており、その脇に家が並んでいて、住宅街のようになっている。この狛井骨董店は、その階段が折れ曲がった角の所にあった。店の名前が上の方に小さく書かれているだけで、ショーウィンドウで中が見える訳でもないので、一見するとお店だと分かりにくい。
上半分が格子状のガラスになっている緑色のドアをゆっくりと開ける。チリンチリン、とドアに掛けられていた鈴が鳴った。
「・・・すみませーん」
控えめに呼びかけると、こちらに背を向けて商品棚をいじっていた狛井さんが振り返る。
「あ、ごめんね!この間の・・・そういえば名前を聞いてなかったね」
狛井さんが、手にとっていた物を商品棚の上に置き、こちらに歩み寄る。
「宵村、と申します」
「宵村さんね。まだ早い時間帯だけど、バイトは終わったの?」
「はい、最近依頼が無くて。少し内職だけしてきました」
最近はあまり依頼が来ない上に、為辺さんが本業の方が忙しいようで、ずっとお札を書いている。そのお札も結構増えてしまったので、今日は早々にお開きとなった。
「そうか。そしたら、お茶を飲んでいってよ」
狛井さんの言葉に、私は慌てて「いえいえ、申し訳ないです!」と首を振る。散々迷惑を掛けた上に、お茶までご馳走になる訳にはいかない。
「遠慮しないで。ちょっと宵村さんに聞きたい事もあったし」
そう言って狛井さんはお店のドアを閉めた。どうやら帰らせる気はないらしい。
「・・・分かりました、ご馳走になります。あと、こちら、お借りした傘と、つまらない物なんですけど・・・。どうも、ありがとうございました」
そう言って私は借りた傘と菓子折の入った紙袋を差し出す。狛井さんは「わざわざごめんね。ありがとう」とそれらを受け取って、「なんか悪いなぁ・・・」とボソッと呟いた。
狛井さんが傘と菓子折を持って部屋の外へ消えていったので、待っている間に店内を見渡した。少し暗めの照明が店内を照らしている。小物が半分くらい、家具が半分くらいといったところだろうか。店の入り口付近に木の机が三つ置いてあり、その上にアクセサリーやら時計やら、レトロな人形やらが置いてあった。入り口から見て奥の方は、箪笥や椅子などの家具が置いてある。壁にも小物がぶら下がっている。安っぽいデザインの人形等も何個かあるが、これも値打ちのあるものなんだろうか。まあ、そもそも骨董品の定義がよく分かっていないが。
視線を巡らせていると、こちらを見て微笑んでいる狛井さんと目が合った。しまった、キョロキョロしすぎたか。
「骨董品屋に来るのは初めて?」
「はい・・・」
「高校生じゃ中々入らないよね。まあ、うちは特にこだわりとか無いから、リサイクルショップみたいな感じでもあるかな?住民も
狛井さんが苦笑しながら、店内に隣接している扉を開ける。
「どうぞ」
私は案内された部屋に入る。どうやら、応接間のようだ。勧められたソファに座ると、狛井さんはお茶を用意すると言って、店内に隣接している方とは別の口に消えていった。待っている間に中を見渡すと、いかにも骨董品っぽい砂時計や小物入れが飾られていた。ここにあるものは、売り物ではないのだろうか。
狛井さんはお茶を配膳し終わると、私の正面のソファに座った。何か大事な話をするような雰囲気だ。ここまでくると、だいたい想像はついている。恐らく、為辺さんがどうしているかとか、自分と会わない理由は何かとか、そういう事を聞いてくるんだろう。
「単刀直入に言うけどさ」
もしかしたら、仲を取り持つようお願いされてしまうかもしれない。
そう思って身構えていたのだが、彼が続けたのは思いもよらない言葉だった。
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