邂逅 二

 庫裏から出ると、小降りではあるが雨が降っていたので、バッグから折り畳み傘を取り出した。折り畳みなので小さいが、この程度の雨なら全然凌げるだろう。お昼は帰りにコンビニで買おう。それで、午後はどうするか。疾風にならって勉強でもするか?でもテストが近い訳でもないしなぁ。また図書館でも行くかな。私は、どうしても暇な時は図書館に行く様にしている。自転車でいけるし、お金も掛からない。ここで本を読んだり、パソコンでオカルト掲示板を見て自分の状況と重ね合わせたりしている。掲示板は、明らかに嘘っぽい話が多いが、中には自分と同じような体験をしてる人も多く、中々興味深かった。

 そんな事を考えながら階段を降りていると、手すりを挟んだ反対側の階段を、誰かが登ってくるのが見えた。黒い傘をさしていて、背格好から男性だと分かった。

 あまり注視していたつもりは無かったが、すこし雨で石段が濡れていた所為だろうか。私は、足を滑らせてしまった。慌てて体勢を立て直そうとしたがバランスを崩し、前のめりに踊り場にダイブしそうになる。

 ――あ、ヤバい――

 為す術もなく激痛を待っていた、その時。私の視界を赤いものが遮った。

 ドサッ。

 痛みは感じなかった。そして、何かに体を支えられていた。私はそれに顔を押し付ける形になっており、視界は暗く覆われている。

 「・・・大丈夫?」

 真上から声が聞こえ、顔を上げた。二十代前半位の男の人だった。その人は、踊り場に立って私の体を支えているようだった。

 ――階段から足を滑らせたところを、助けられた――

 停止してた思考が再起動し、すぐに密着していた体を離す。

 「あの、ごめんなさい」

 いたたまれなくて思わず目線を下に向け言ってしまう。踊り場の下の階段に黒い傘が転がっていたので、先程の男性が急いで昇ってきてくれたのだと分かった。慌てて頭を下げる。

 「あ、ありがとうございました」

 そう言って下げていた頭をあげると、くん、と髪の毛が引っ張られる感じがした。見ると、私の髪の毛が男性の赤いチェック柄のシャツのボタンに引っ掛かっていた。体を支えてもらった時に絡まったようだ。男性も気付いたようで、「あ」と声を出した。

 ――馬鹿、これ以上迷惑掛けてどうするんだ!――

 「すみません、髪引っこ抜きますから!」

 私がそう言うと、男性が驚いた表情をした。

 「いや、駄目でしょ!あー、そこの木の下で髪ほどくから!」

 そう言って男性は踊り場の端にある展望スペースを指差した。

 男性の勢いに押され、私達は階段に転がっていた自分達の傘を拾い上げてから、そこのなんちゃって展望台に移動する事になった。

 男性がもくもくと、絡まった髪の毛をほどいてくれている。この場所は山側から枝が垂れているので、ある程度雨を凌げるのだが、たまに枝の間を縫って零れる水滴が、頭や肩に降ってきた。雨が葉を打つ音以外は何も聞こえず、気まずい空気が流れる。知らない男性と近距離で居続けるというのは、コミュ障の私にはハードルが高過ぎる。

 「・・・君、お寺には何の用だったの?」

 気まずい空気を打開する為か、男性が私に話しかけてきた。

 「バイト、です」

 何のバイトだよと言われたらまたお寺の掃除と答えよう。そう考えていたのだが。

 「バイトって、除霊の?」

 彼のその言葉に、私は伏せていた顔を上げた。彼と目があう。

 「・・・知ってるんですか?」

 バイトと聞いただけで除霊という言葉が出てくるなんて。冗談を言っているような雰囲気でもなく、当てずっぽうとは思えなかった。すると、彼は「はい、とれたよ」と言った。一瞬何の事を言われているか分からなかったが、ああ、そういえば髪が絡まっていたんだっけ、と思い直す。

 彼は私から体を離すと、山側に背を向け、落下防止用の柵まで歩いていく。柵を左手で掴み、薄灰色の空に目を遣りながら口を開いた。

 「自分は、出の親友なんだ」

 出・・・と言う事は。

 「為辺さんの、親友?」

 彼は空を見つめながら、こくりと頷いた。

 「もう、久しく会えてないんだけどね」

 私は彼の顔を見つめる。確かに彼は見た感じ為辺さんと年齢が近そうだ。為辺さんと違って地味だが、どこか儚さを感じさせる顔立ちだと思った。

 「いつも会えないんだよね。行っても女の子に居ないって言われちゃって」

 彼が少し寂しげな表情を浮かべて微笑む。女の子とは優里香の事だろうか。

 「今日は、居るかな?」と、顔をこちらに向けて聞いてきたので、「仕事で居ないですね」と正直に答えると、「・・・そっか」と、また寂しげに微笑んだ。親友と言っていたが、連絡先は知らないのだろうか。疑問に思ったが、それを聞いてしまうのは何となく失礼な気がしたので、聞かなかった。

 「君はさ、今までこの場所から空を見た事はある?」

 彼はふいにそう言って、空に目線を戻す。

 「いえ、見た事ないです」

 「綺麗だから今度見てみなよ。今は生憎の天気だから、晴れてる時にね。自分は夕方の空が好きでね、出に会えないで帰る時も、いつもここで空を見てから帰っているんだ」

 そう言って彼は目を細めた。その夕空を思い出しているのだろうか。

 「夕方の空って一括りに言っても、季節や雲の量、細かい時間帯の違いとかで、全く違う空になるんだ。まあ、それは夕方に限った話じゃないけど、それでも夕方の空は別格だと思う」

 「・・・はぁ」

 空に興味なんて無い私がつい返答に困っていると、それを感じとったのか、男性がハッとしてから、はにかむ様な笑みを浮かべた。

 「ご、ごめんね、つい熱くなっちゃった。じゃあ、出も居ないみたいだし、自分は帰るよ」

 「あ、いえいえ。あの、色々ありがとうございました」

 「いいって」

 庫裏を出た時に比べて、雨はだいぶ本降りになっていた。私達は踊り場にでる手前で、傘を開く。開いてから、折り畳み傘が破れている事に気付いた。さっき階段から落ちた時に、枝に掠ったのかもしれない。まだ雨は全然弱まる気配が無いが、こればっかりはしょうがない。そう思って傘をさそうとした。

 「あれ、傘破れてる?」

 しかし、男性が気付いて声を掛けてきた。

 「あー、落ちた時に枝に引っ掛けちゃったみたいで。でも大丈夫です、家近いんで」

 本当は歩いて40分なのだが、この場を切り抜ける為に嘘をつく。これ以上この男性に迷惑を掛ける訳にはいかない。

 しかし、「自分の傘使いなよ。自分の家、ここから歩いて5分も掛からないから」と言って、黒い傘を差し出してきた。この人はどんだけ良い人なんだ。

 「え、そんな悪いですよ!何なら途中コンビニで買うんで!」

 「ここら辺近くにコンビニないし、その間に濡れちゃうでしょ」

 「いや、でもこんな高そうな傘受け取れないですよ」

 「でも風邪ひいちゃうよ。傘に関しては、バイトの帰りにでも返しに来てくれればいいから」

 そういって男性は、シャツのポケットから名刺を取り出した。

 「自分は狛井こまい長庚つねやす。この近くで骨董品屋をやってて、基本的にそこにいるから。返しに来るのはいつでもいいからね」

 彼はそう言って名刺を渡すや否や、傘を押しつけ階段を駆け降りていってしまった。

 「あ!・・・もー・・・」

 しょうがない。後日バイトに行く時に返すとするか。私は、渡された名刺を見る。彼の名前の下には住所と電話番号、そして「狛井骨董店」という文字が印刷されていた。

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