邂逅 一

 六月六日

 「ふぅーー、疲れたー!」あたしはそう言って伸びをする。

 「一時間頑張ったから、休憩しようか」維純ちゃんが時計を見て言った。

 あたし――百目鬼鈴は、維純ちゃんの部屋で勉強を教えてもらっていた。何故維純ちゃんの家かというと、勉強を教えてもらう交換条件で、今月初めから一人暮らししている維純ちゃんの家事をみる事になっていたからだ。

 「ごめんね。午前授業の後で疲れてるだろうに・・・」

 はや兄と維純ちゃんが通う科峰高校は、ただでさえ平日に七時間授業をやるのに、加えて土曜の午前中も授業がある。交換条件とはいえ、少し申し訳なさがある。

 「いいよ別に。いつも午前授業の後バイト行ってたし」

 「でも、ぶっちゃけ勉強時間足りてる?はや兄なんかほぼ毎日どっちゃり勉強してるよ?今サインコカインタンジェントとかやってるんだよね」

 「コサインね。その間違いダメ。ゼッタイ。」

 「本当に四六時中勉強しててね。あいつ、トイレにまで年表やら世界地図やら貼ってるし・・・。そんで勉強できないあたしの事馬鹿にしてくるし!あー思い出したらムカついてきた!維純ちゃんあのウザ兄貴にギャフンと言わせてやってよ!その気になればはや兄よりテストの点数取れるでしょ!」

 「無理。モチベーションが無い」

 この子は無関心なものに対してはとことんやる気がない。そして覚える気が無い。前々から知っていた事だが、さっき改めてそう思った。というのも、勉強の前に、維純ちゃんの家事を拝見したのだが、お米が炊けない、洗濯機のボタンの意味が分からない、洗剤の使い方が分からない・・・ここら辺は、普段家事をしてなかったらできなくてもしょうがないかもしれないが、電子レンジの使い方が分からない、ゴミ袋が縛れない、コンロを使う時に換気扇を回すのを何回言っても忘れる等、中々擁護出来ない箇所も多かった。この子は本当に偏差値73の学校に通っているのだろうか。

 いや、頭が良い事は間違いないのだが、何でこんなにもあらゆるものへの関心が無いのだろう。

 折り畳み式の小さいテーブルを囲んで、あたしの斜め前に座っている維純ちゃんを見遣る。暗緑色の無地の長袖シャツに、紺色の長いジーパン。続いて、部屋を見渡す。目立った家具は、勉強机と箪笥だけ。インテリアの類が一切無いどころか、教科書以外の本すら見当たらない。強いて目につくものといえば、ホックに掛けられている埃を被ったけん玉くらいだ。

 「維純ちゃんて、何か、人生のモチベーション低いよね。ただ、惰性で生きてるって感じ?」

 あたしは、思った事をそのまま口に出す。

 「うん。間違っちゃいないよ」

 維純ちゃんはあっけらかんと答えた。いや、そこは否定してくれよ。

 この子に生きがいとか、趣味とかはあるんだろうか。出会った時からこんなんだったっけ?もっと小学生位の時は・・・。そうだ、小学生位の時は、はや兄と一緒だったんだ。維純ちゃんが何か好きな事で遊ぶというよりは、いつもはや兄の遊びにくっついていた。霊感体質のことでからかわれる事が多かった維純ちゃんは、はや兄しか頼る人がいなかった。

 いつからだろう。二人の距離が離れていったのは。そりゃあ男女だと思春期になるにつれ接し方は変わってくるだろうけど、この二人の場合、それがあまりにも顕著な気がした。

 その後、維純ちゃんとたわい無い会話を少ししてから、勉強が再会された。


      *                     *


 六月七日

 ――今日は雨が降りそうかなぁ――

 天気予報等を見る習慣がない私――宵村維純は、玄関先で、どんより曇った空を見上げていた。

 濡れるのは面倒だし、一応折り畳み傘を持っていくか。そう思った私は、一旦自分の部屋に戻り、茶色いショルダーバッグに折り畳み傘を入れた。

 このショルダーバッグは休日に除霊のバイドに行く際に使っているものだ。中には、お札が数枚入ったチケットケース、矢立て、スティックのり、ジッパー付き袋に入った塩少々、小さな懐中電灯、千何百円か入ったミニ財布が常時入っていて、バイトに行く際にスマホやら自転車の鍵やらをを追加して持参している。今日は雨が降りそうなので、残念ながら自転車の鍵の出番は無いが。

 再度玄関のドアを開けると、どんよりした空気が襲ってきた。今年は梅雨入りが早いな。微かに頬をなでる向かい風も、ジメジメと湿っぽい。この絶妙に人に嫌悪感を抱かせる湿っぽさは、私自身を連想させる。

 天会寺に到着する頃には、ジメジメプラス四十分近く歩いた事で、かなり汗だくになっていた。女子力が低い私は当然ハンカチなんか持っていないので、服の袖で汗を拭う。疲労でぐったりしながら庫裏のインターホンを押すと、いつものように「いらっしゃい」と言って優里香が中に入れてくれた。

 「今日は除霊に行くんだっけ?」

 私は、前を歩く優里香に声を掛ける。

 「あーそれなんだけど、依頼主が急かしてきてね、一昨日もう終わらせちゃったんだ。今日はお札作るの手伝ってもらっていい?」

 「分かった」

 いつもの畳の部屋に通されると、机の上に古い日付の経済新聞――優里香が愛読している――が広げられていて、その上に、既に記入済みのお札が少しと、まだ白紙のお札が沢山あった。

 お札は、霊力の高い人間が作らなければならないという訳では無いが、除霊の度に結構使うので、自分達で作っていった方が都合が良い。私はショルダーバッグから矢立を取り出し、お札作りの作業に入った。作業といっても、書く文字は手が覚えているし、信念を込めて書かなきゃいけない訳でもないので、優里香と話しながらやっていた。

 「そういえば、この間家に入ってきたっていう赤服の霊はどうなったの?」

 「あーあいつ?一週間くらい居座ってたんだけど、そのうち諦めてでていったわ。まあ、強い怨念抱いてる感じじゃなかったし、誰でもよかったんでしょ」

 浮遊霊は地縛霊と比べて、情念が弱く理性的な霊が多い。私相手だといいリアクションが期待できないと判断して、新しいカモでも探しにいったのだろう。

 「プライベート空間に入られるの地味にキツイよね。ラップ音とか煩くない?」

 「いや、なんか慣れない?」

 「私維純ほど図太くないからな」

 「悪かったね図太くて」

 「でもその図太さのおかげで今日まで生きてるんだよね。維純は私や師匠でも聴こえない音を聴けるくらい、霊力が強いのに」

 「まあ、我ながらスルースキルには自信があるよ」

 優里香や為辺さんでも聴こえない音というのは、一回目に公民館に行った時の、汽車の音の事だろう。霊界のものを視る力、及び霊界の音を聴く力は、霊力の高い人間の方が強い。あの地縛霊は私が一番霊力が高い事を見抜き、私にだけ聞こえる音を鳴らして、私をおびき寄せたのだろう。一人ずつ始末する為に。地縛霊のくせに食えない奴だ。

 そんな話をしているうちにお札を全部作り終えてしまった。為辺さんは仕事で不在との事なので、遠慮なく居座って優里香と話していた。

 だいたい三十分くらい話し、そろそろお昼時というタイミングでお暇する事にした。

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