チキンレース 三

 私と為辺さんは車で、笠見山に向かった。駐屯所から笠見山は、思ったよりも近かった。両側に木々が生えた道に差し掛かり、車は上へと登っていく。私は助手席に乗り、後部座席には駐屯所で借りた自転車が乗っている。

 「お前は自転車に乗れるよな?」と、為辺さんは運転しながら聞いてきた。

 「ええ、まあ・・・」と正直に答えた後に、やっぱ乗れないと言ったほうがよかっただろうか、と思った。自転車と私だけがその例の地点に連れてかれる事になった時点で、これから彼が私に何をさせようとしてるのか見当がついていた。

 「本当はこういう体を張るのは、優里香の方がなんだが、如何いかんせんあいつは運動神経が悪くてな。自転車に乗れないんだ」と為辺さんは言った。優里香が運動神経が悪いというエピソードは彼女自身から何度も聞いていたが、その度に驚かされていた。私自身も運動神経は悪い方だが、彼女に比べればましなんだなぁ、と思う。

 「今回の依頼の話が入った時、本当は優里香に任せようと自転車の練習を命令したんだが、服の至るところがぼろぼろに破けて、性的暴行をくわえられたみたいな恰好で帰ってきてな。これじゃあどんなに練習しても間に合わないだろうなと思ったわけだ」と、為辺さんが少し遠い目をして言う。一体どんな転び方をしたのだろう。


 それから、この後の手順を為辺さんが話し始めた。私がやるのは「囮」だった。自転車に乗った私がその例の道を走り、霊をおびき出せたところを、為辺さんと優里香が待ち伏せして除霊するとの事だった。

 問題の場所に到着し、車が止まる。車からでると、少し空気が違って感じた。山の中なので空気が違うのは当然だが、そうじゃない。いつもより霊、いや、「霊界」の存在を近くに感じる気がした。普段生活してる中で霊に絡まれることは多かったが、この感覚は中々ない。胸がざわざわする。正直、少し不安を感じていた。

 「街と比べてだいぶ嫌な感じがするだろう」隣にきて為辺さんが言う。「山や海みたいに、事故が多くて人気ひとけの少ないところは、霊の負の感情がたまりやすいんだ。それ故、街中に比べて現世と霊界の境がより脆くなってしまう。――街の霊と一緒だと考えない方がいいぞ」

 為辺さんは、念を押すように言った。確かに自分は、山や海なんてそんなに行ったことがなかったし、悪い念がうずまいているなあ、という場所には注意して近づかないようにしていた。

 「まあこれも修行の一環だ。除霊の依頼はこういうヤバめの場所に向かうことも多いし、不可解な事故が多いから調べてくれって警察の依頼もそう少なくない。除霊師になるんだったら、こんくらいは慣れてもらわないとな」そう言いながら、為辺さんは後部座席から自転車を降ろす。

 「じゃあ、俺はこれから優里香を迎えに行くよ。待ち伏せの準備が整ったらまた連絡するからそれまで待っていろ。・・・あと」為辺さんは自転車のタイヤの空気の確認やサドルの高さ調整をしながら話していたが、急に手を止めて、こちらを見ながら念を押すように言う。

 「絶対にブレーキはかけるなよ」

 当然だろう。聞いた話だと、ブレーキをかけると霊はどこかへ行ってしまうらしい。

 「・・・それは、絶対にかけろというフリですか?」

 そういうと、彼は眉を顰めて「そんなわけないだろう」と真面目に返してきた。冗談の分からない人だ。


 それから為辺さんは、優里香を迎えに車で去っていった。私は連絡がくるまで、車の邪魔にならないように端にどいて待った。だが、もともと人通りが少ない道なのか、一回も車や人が通らなかった。

 ここのざわざわする空気にも慣れてきた。うん、大丈夫だ。


 自転車の籠からブーブー音が聞こえてきた。為辺さんからの電話だ。

 「こっちは準備が整った。そろそろ出発してくれ。霊もそうだが、車にも気をつけろよ」と彼は電話越しに行った。そっか、車にも気をつけなきゃいけないのか。警察も職権乱用して通行止めにしてくれればいいのに、と思ったが、自腹でやってることだからそこまでするのは難しいのかもしれない。

 通話が終わり、スマートフォンを自転車の籠に入れる。スマホだけ置くのは危ない気がしたので、制服のニットベストを脱いで、スマホをくるんだ。

 自転車に跨り、これから走る道を見つめた。私から見て左側は木々が生い茂っており、右側はガードレールの向こうが崖になっていた。崖といっても断崖絶壁ではなく、緩やかな斜面に木々が生えており、落ちたとしても怪我ですみそうだ。だからといって死なないとは限らないが。道路は比較的広く、車が余裕ですれ違えそうだ。加えて見通しも悪くない。こんな場所で事故るのだから、よっぽど追いかけてきた気配がヤバかったのか・・・。

 大丈夫。少し走った先には為辺さんと優里香がいる。

 一回だけ深呼吸をして、私はペダルに足をかけた。

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