チキンレース 一

                除霊師編



 五月九日

 土曜の午前授業の帰りに、私――宵村維純は、学校近くのコンビニに立ち寄っていた。おにぎりとホットスナックを買い、イートインコーナーで食事を済ませる。決して家に帰るまで待ちきれない程お腹が空いているわけではない。これからバイトに行くにあたって、わざわざ家に帰るより、ここから直接向かった方が時間も体力も無駄にしないで済むからだ。

 コンビニを出て、眩しい太陽の光に目を細くする。まだ空気は爽やかだが、だいぶ暖かくなってきた。制服も五月に入ってから夏服になった。私が通っている科峰とがみね高校の制服はフル装備だと中々にコスプレっぽくて恥ずかしいが、それも暫くは持ち越しだ。

 駐輪スペースに停めてあるくすんだ銀色の自転車に鍵を差し込む。スタンドを外して手押しで歩き、コンビニの駐車場に面した道路に出てから自転車にまたがった。バイト先は、高校近くのコンビニから南東に、自転車で10分程の山の中にある。


 バイト先に向かって自転車で走っていると、民家がまばらになっていき、木々の割合が増えていく。緩やかな坂を登りながら、若々しい緑を何と無しに眺めた。

 目的地の山の麓の大きな石段の前で自転車を止め、邪魔にならないよう道路の隅に駐輪した。山の中程まで続く長い石段を見上げ、溜め息を一つついてから登り始めた。もうかれこれ一カ月近く通っているが、この長い石段はかなり疲れる。暑くなってきたからなおさらだ。

 手すりで真ん中を区切られている階段を中程まで登ると、手すりが途切れて踊り場になっている。踊り場で、少し息を整える為に足を止めた。踊り場の左右にはそれぞれ踊り場と同じくらいの面積が広がっている。落下防止用の柵がついて町を展望できる様になっており、山側からしだれた枝が屋根のようになっていた。まあまあ趣のある場所だが、今までここで景色を見ている人を見たことがない。ここら一帯は老人が多いし、わざわざ石段をのぼってまで景色を見に来る人は稀だろう。

 30秒ほどそのなんちゃって展望台を見て息を整え、残りの階段を登り始めた。

 階段を登り切った先にはバイト先――天会寺てんかいじが鎮座していた。


 庫裏くりのインターホンを押すと、中から「はーい」と声が聞こえ、この寺に住み込んでいる少女――砂流さりゅう優里香ゆりかが出てきた。少女といっても私よりは歳上だが。髪は少し色素の薄い癖のあるショートカット。服装は黒地に白の水玉のTシャツの上に深緑のパーカーを羽織り、薄い青のジーパンというスタイルだ。ラフさ重視の格好といったところだろうか。かくいう私も普段着の時は人の事をいえないが。顔立ちは少し大人びていて、三白眼が特徴的だ。

 「師匠はあともう少しで帰ってくるはずだよ」と言って、優里香は中に通してくれた。

 師匠とは、私を除霊師にスカウトした男、為辺ためべいずるの事だ。彼はこの寺で僧侶をしている。

 優里香の居住スペースである広い畳の部屋に着くと、彼女は部屋の端にある小さく細長い机の上にに乗ったノートパソコンの前に座った。パソコンの画面には何かの指標のようなグラフが見える。

 優里香の趣味は資産運用であり、いつもこの部屋の中で株だの先物だのの取引をしている。

 私は部屋の中心にある机に肘をつき、部屋の障子を眺めながら今までの事を思い出していた。



 「お前、除霊師になる気はないか?」


 あの春の日、為辺さんは私にそう言った。私は5秒程考えた後、「それってお金は貰えるんですか?」と言った。私の返答内容が意外だったのか、彼は少し目を見開いてから、「ああ。お前はまだ学生みたいだし、アルバイトとして、という事なんだが」と言った。

 その話は、私にとって悪い話ではなかった。高校生になったらバイトをやろうと考えていたし、人間よりも幽霊の相手をする方が私にとって気が楽だった。勿論、彼がインチキ除霊師だったら話は別だが、先程、鷹の霊を操り怨霊を退けたところを確かに見ている。

 バイトをしてみたい旨を伝えると、彼はまた少し目を見開いてから、「分かった。取り敢えず今はこの後学校だろう?学校が終わった後にでも話ができたらいいんだが」と言ってきた。私は、「今日はまだ授業がないので、午前中で終わります」と話した。彼は、「じゃあ午後に此処に来てくれ」と言って寺の名前が印刷された名刺を渡してきた。その名刺を見て、ああ、本当に力のある僧侶もいるんだな、と思った。幼い時に霊のことを神主や僧侶に相談してみたこともあったが、対処できないどころか、変な目で見られることが多かった。そんなことがあったから、本物の霊能者なんて実は居ないんじゃないかと、今まで思っていた。


 学校が終わり天会寺に向かう。今まで中に入った記憶はなかったが、場所だけは知っていた。門を潜ると、お堂と覚しき建物が何個かあった。こんなに何個もお堂があったのか。お寺なんて昔幼馴染みと何回か遊びに行ったくらいで、中がどうなっていたかなんて覚えていなかった。取り敢えず人が中に居そうな建物を探そうと、境内を歩き回る。不審者に思われないか少しびくびくしていた。

 インターホンの付いた建物を発見し、その前で足を止めた。為辺さん以外がでてきた場合を脳内でシミュレーションしてから、名刺を片手にインターホンを押すと、為辺さんが出てきたのでそのまま中に通してくれた。

 「お前は親戚にも霊感のある人間はいないのか?」

 出されたお茶を少し飲むと、為辺さんが聞いてきた。

 「居ないですよ」と返し、続けて「あの、お坊さんって全員が霊感あるわけじゃないんですよね」と尋ねてみた。

 「ああ、霊感は基本的に遺伝するからな。霊感のある僧侶の家系の方が少なかったりする。だが、霊感のある人間から零感ぜろかんが生まれることもあるし、逆に零感から霊感のある人間が生まれることもある。お前は後者だな」と言い、お茶を少し飲んだ。

 「遺伝するとはいえ、視えない人間に比べれば視える人間は圧倒的に少ない。だから、近隣県内で霊能者の互助組織を作って、情報を共有したり助け合ったりしてるんだ。俺もその構成員だ」

 その言葉には驚いた。そんなものが存在するだなんて、今まで微塵も思わなかった。

 「除霊ができる人間以外にも、霊感が強い家系の人間が入ってたりもするな。保険みたいに、互いに掛け金を出し合って霊障による万一の事態に備える仕組みもある。ただ、お前みたいにそういう家系じゃない奴は、こちらも見つけるのが難しいからな。見つけ次第、組織を紹介するようにしている」

 「それって、もっとおおっぴらにPRすることできないんですか?」と尋ねると、「あのなぁ、PRするってことは視えない人間にも広報するってことだぞ。詐欺だのカルト教団だの思われるだろうが」と返された。まあ、そりゃそうだ。

 その後、彼が霊に関する講義をしてくれた。「今から教える事は、全て俺ら互助組織のにすぎない。実際、別の地方の奴らは違う事言ってたりするからな。科学で証明できない分、全て憶測にすぎないんだ。ただ、これらの解釈は先達から続く歴史や経験から辿りついたものだ。お前はまだ知識もないし、取り敢えず教科書だと思ってくれていい」と前置きし、本題に入った。


 ・今自分たちがいる世界は、「現世げんせ」といい、霊達のいる世界は「霊界れいかい」と呼ぶ。二つは表裏一体になっている。

 ・霊は、主に死霊であり、怨恨や未練を抱き死んだ生き物の魂が霊界に捕らわれたもの。その怨恨・未練の原因となった一、二個程の情念に強く捕らわれている為、生きてる人間に比べて情動が強く、理性が弱い。それ故に無関係の人間に理不尽な悪意を抱くものも多い。

 ・霊界に干渉する力を「霊力」といい、俗に言う「霊感」。霊力が強い人間は「霊感体質」と呼ばれ、霊力を用いて霊に携わる者を「霊能者」という。視えない人間は霊力の弱い人間であり、霊を認識できないことが多いので、基本的に霊の標的にされることはない。

 ・霊力の他に「念力」というものがあり、強く念ずることにより、物理的・又は心理的に作用を及ぼす力の事をいう。現世より霊界の方が顕在化しやすい。

 ・霊は念力を用いて霊界と現世の境を曖昧にさせ、かつ恐怖等で心に隙が生じた人を霊界に引き込む事ができる。故に、霊を認識できる霊感体質が集中的に標的にされる。


 彼の説明は分かりやすさを重視したものでなく淡々としたものだったが、今までの自分の経験と重ねて納得できる部分が多く、すぐに理解できた。

 「最初はこれ位分かってればいい」と為辺さんは講義を切り上げ、今後の事を話した。

 最初は真言の練習や札の作成を行うこと、自分がいない時は同居人が面倒を見ること、除霊の現場へはこちらがいいと認めたら連れて行くことを伝えられ、その日は帰された。

 その日以降は、為辺さんは仕事があるとの事であまり会わなかったが、代わりに彼の同居人の優里香に教えてもらっていた。

 真言は沢山種類があるようだが、最初は代表的な退魔のものを一つ覚えればいいと言われたので、それの練習をした。お札は、紙を短冊型に切り、決められた文字を書いていく。どちらもすぐにマスターできた。

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