第70話 ベイアトリスが命じます──〝剣を収めよ〟

『──…グスタフ22世の娘アドリアンネ・ソフィア・ルイゼの娘たる──わたくしエリン・ソフィア・ルイゼは、宇宙歴四七九年七月二十一日、ベイアトリス王家エストリスセンの家を相続しました。もって帝政ミュローンの皇位の継承を宣言します──…


 ……いま星域エデル=アデンが混乱の渦中にあること、その原因が王家をはじめ我らミュローンのいさかいにあることは承知しています。

 そしてその混乱は、すでに流血を伴う事態をさえ招いている。

 この混乱を治め、秩序を回復することが〝ミュローン〟たるわたくしと〝我々貴族〟の務めと心得ます。


 ミュローン皇帝たるわたくしが、星域エデル=アデンの諸邦、市民に望むことは、真実の声を聞き自らの声を上げること、またその声に耳を傾けることです。


 〝我々ベイアトリス〟の祖、アトレイ・フレトリクスはかつて言いました──〝真実とは問いかけることにこそ、その意味もあれば価値もある〟と……。


 ……これを聞く〝ミュローン〟にすべからく期待します──私兵をもって威をふるうことを止め、道理をもってまず対話の席に着くことを。


 またこれを聞く星域エデル=アデンの諸邦、市民にすべからく望みます──いたずらに混乱を助長することをせず、自らの視野の中の隣人に眼差しを向け、その手を差し伸べることを。



 ベイアトリスが命じます──〝剣を収めよ〟

 そして〝隣人の声を聞き、自らの真実を問うのです〟


 わたくしは、真実を求めるその声と眼差しに必ず応え、差し伸べられた手を必ずとることでしょう──』



 ──ベイアトリス朝ミュローン帝政連合の皇位とアデイン連邦王国の王位を継承し、『エリン2世』となったエリン・ソフィア・ルイゼ・エストリスセンの就任の声明メッセージ(その要約)である。


 エリン2世は七月二十一日に帝都の混乱を収めると〝自らの声〟をその日のうちに発信していたのだが、帝国本星系ベイアトリスの『星系間情報伝達システム』のネットワークがフォルカー卿の命令で破壊されたことが影響し、このメッセージがエデル・アデン星域へと拡散していくのには若干の遅滞タイムラグが生じている。


 ここヴィスビュー星系へはエリン2世が自ら送り出した〝女王陛下の艦H.M.S.〟〈ラドゥーン〉に乗った皇帝の名代──首席侍従武官アマハ・シホ上席宙尉──によってその声明メッセージは届けられ、帝国本星系ベイアトリスの外では最も早く新皇帝の声が伝わることとなった。



7月24日 1025時 【帝国軍艦HMSエクトル/第一艦橋】


 艦橋の大型スクリーンの中で、〝新皇帝〟『エリン2世』が語っていた。

 その映像の隣──スクリーンの半面には、現在いまはもう『航宙軍』の自航軌道船渠ドック〈アカシ〉の〝領宙〟の内側に進入を果たした〝叛乱艦〟〈カシハラ〉が捉えられた映像が並んでいる。


 ポントゥス・トール・アルテアンの言うところの〝庶流の女〟──エリン・エストリスセンは〝叛乱艦カシハラ〟に座乗してはいなかった。彼女の身はすでに帝国本星系ベイアトリスにあり、彼の地で戴冠して『エリン2世』となって皇位の継承を宣言したという。その事実が第一艦橋の空気を重くしていた。

 二つの映像を並べてみていた帝国軍艦HMS〈エクトル〉艦長ラルス=ディートマー・ヴィケーン帝国宇宙軍ミュローン大佐は、同じ映像を傍らで見るアルテアン少将の横顔の表情を盗み見た──。司令官の腹積もりによっては、第一艦橋にいる全員に〝箝口令かんこうれい〟を敷く必要があるかも知れない。


 だがアルテアン少将はその視線に気付くと、至って冷静に応えてみせた。

「〝剣を収めよ〟…… 〝隣人の声を聞き、自らの真実を問へ〟とは…──また随分と〝かわいらしい〟ことを言うものだ……そうじゃないか?」 アルテアン少将はあらためてヴィケーン大佐を見て訊いた。「──卿はどう思う?」

 そんなアルテアン少将の冷静な様子に、ヴィケーン大佐はいよいよ慎重になって応える。

「一切の作戦行動を停止し母港へ戻るべきかと…──参謀本部より、すべての作戦行動の停止命令も一緒に届いております……」

 自らの旗艦艦長のその言に、アルテアン少将は薄く嗤って言った。

「……正気かね? 艦長」

「…………」

 慎重な面差しのヴィケーン大佐を揶揄するように言う。

青色艦隊後備戦隊われわれは〝皇帝〟に弓を引いた〝咎人とがびと〟なのだぞ」 それから冷徹とすら見える表情かおとなって続けた。「──今頃『帝都ベイアトリス』ではイェールオースら王党派が軍と王宮を押さえているだろう。戻ったところで我らは粛清の対象だ……」

 アルテアンの言っていることの意味は理解できた。しかし、すでに『国軍』は王党派が掌握し、青色艦隊の将兵はアルテアンの私兵ではない。

「しかし、大命は下されたのです。この上は…──」

 アルテアンは重いヴィケーンの言葉尻を遮った。


「──随分と時間は掛かったが、ミュローンの〝二十一家〟は割れたのだ。『第一人者殿フォルカー卿』も帝都にはもういない。今頃は帝国本星系ベイアトリスを脱出しているだろう。〝地獄の窯の蓋〟は開いたのだよ……」 事も無げにそう言ってアルテアンは嗤った。「──卿も〝ミュローン〟だろう……腹を括れ」

「…………」

 ヴィケーンは、そのときになってようやく理解した。

 彼は〝この状況〟を想定していた、というのだ。やや旧式化しているとはいえ3隻の主力艦が帝国の中枢から離れ〝反ベイアトリス派〟の手の中にある。

 アルテアンのみならず〝反ベイアトリス派〟の諸家もまた、今回の〝この状況〟に際し同じように振舞うだろう…──アルテアンの目を見て、ヴィケーンにはそう思えた。


 アルテアンは、そんなヴィケーンの眼前で麾下の全艦へと回線を繋いだ。

「こちら旗艦〈ヘクトル〉……青色艦隊少将ポントゥス・アルテアンより命令を伝える──艦隊はこれよりスルプスカ星系へと帰投する。以上だ」

 それでヴィケーンの直観は確信に変わった。

 なるほど、スルプスカ星系は強引な併合から日が浅く基地化されたそこには『国軍』の戦力が集中している。〈ヘクトル〉もまた同地スルプスカを母港としていたが、そもそもスルプスカの併合を強く推したのは〝反ベイアトリス派〟に組する軍閥や官僚、政財界人であったと現在いまになって思い当たる。

 表情に色を失ったヴィケーンに向き直ったアルテアンが言う。

「──スルプスカで他家と戦力を糾合し〝捲土重来〟を期すぞ、艦長」

 事ここに至れば一蓮托生という訳であった。ヴィケーンは黙って肯いた。



 * * *


 宇宙歴SE四七九年七月二十四日。

 ポントゥス・トール・アルテアン指揮下の『回廊北分遣隊』のうちの──〈セティス〉〈トリトン〉〈ヴィーザル〉を除いた──5隻の航宙艦がベイアトリス参謀本部の指揮統制を離脱し、スルプスカ星系を目指すこととなった。

 この後、各地の〝反ベイアトリス派〟の艦隊から同様の動きが起こる。そして、最終的にはスルプスカ星系を中心にミュローン連合構成星系の約五分の二が反旗を翻し、新皇帝『エリン2世』のベイアトリスと対峙することとなる……。



7月24日 1350時 【H.M.S.カシハラ 装載艇/乗員船室クルーキャビン


 ベイアトリス王立宇宙軍勅任艦長宙佐ツナミ・タカユキ以下〝女王陛下の艦H.M.S.〟〈カシハラ〉の乗組員クルーらは、『エリン2世』のそのメッセージを装載艇の狭い船室キャビンで聞いたのだった──。


「…………」

 〈カシハラ〉副長ミシマ・ユウは、スクリーンの中の彼女エリンの顔がいよいよ〝遠い存在となった〟という実感を受け入れようと、ただその映像を凝視していた。

 周囲では〈カシハラ〉の乗組員クルーがそれぞれの感慨をもって同じ映像を見ていた。ある者は安堵の表情で、ある者は誇らしげ傍らの者の肩を叩いてわらって、ある者は感極まって泣き出していた……。

 そんな中でミシマが黙ってスクリーンに見入っていると、横から艦長のツナミが声を掛けてきた。

「──終わったんだな」

 視線を上げたミシマに、こちらもまた新皇帝の声明メッセージから視線を上げたツナミが言う。ミシマは、再び目線をエリンへと落として返した。

「…いや、これからだよ……」 そのミシマの声は呟くようだった。「──彼女にとっても、僕らにとってもヽヽヽヽヽヽヽ… ここから先の方が厳しい戦いになるだろうね」

 覚悟を内に秘めたような寂しげな横顔の表情は、映像の中の新皇帝からも見て取れた。

 なるほど、二人はよく似ているのだな……。

 今更ながらそう思うツナミは、ミシマの使った〝気になる言い回し〟について、いまは敢えて考えないことにし、同期クラスの一人一人の顔へと視線を巡らすと、最後に〈カシハラ〉の映るスクリーンに目を遣るのだった──。



 対加速度慣性制御イナーシャル・キャンセラーシステムが故障したことで有人操艦による加速発揮が困難となった〈カシハラ〉は、総員で装載艇へと移乗し、航宙軍第1特務艦隊によるチャフとフレアの飽和的投射の影で密かに艦を脱出をしていた。

 装載艇はレーザ回線によってリンケージした〈カシハラ〉を遠隔操艦できるようマシバ・ユウイチ技術長によって改造がなされ、航宙軍から──故障・遺棄した1基をハッキングしたという体裁で──提供された無人索敵機〝コウモリ〟を中継することで更なる遠距離から〈カシハラ〉を操ってみせた彼らは、最後まで帝国宇宙軍ミュローンの『回廊北分遣隊』の目を惹き続けたのだった。


 ……とは言え、航宙軍籍〈アカシ〉の同盟領宙への侵入を果たす直前まで、ミュローン艦隊の砲撃を受け続けた〈カシハラ〉がリンケージを維持し続けたことは奇跡と言えた。


 とまれ奇跡に助けられながらも『エリン2世』より預かった〝女王陛下の艦H.M.S.〟〈カシハラ〉を〈アカシ〉領宙へと送り届けた彼らの装載艇が航宙軍によって揚収・救助されたのは、ポントゥス・トール・アルテアン率いる5隻の航宙艦が星系ヴィスビューを離脱していく最中──七月二十五日十八時──のことである。



 * * *


 その後〈カシハラ〉の乗組員クルーは航宙軍艦〈タカオ〉に収容され、帝政本星ベイアトリスへと送られた。

 ビダル・クストディオ・ララ=ゴドィ勅任艦長宙佐の指揮する〝女王陛下の艦H.M.S.〟〈ラドゥーン〉が合流し、ベイアトリスまでの先導にあたった。

 その航宙の間、ツナミ・タカユキ、ミシマ・ユウ、ハヤミ・イツキの幹部三名は、かつての術科教官であったコオロキ・カイ第1特務艦隊司令から〝絞られた〟らしいが、ベイアトリス王立宇宙軍の勅任艦長に対する礼儀を考えれば流石にそれは風聞の域を出ない。

 ──が、皇帝の名代たる首席侍従武官アマハ・シホ上席宙尉がもたらした『エリン2世』の親書により航宙軍を離脱した〈カシハラ〉の乗組員クルーに対する処遇が顧慮こりょされたことは、おそらく間違いのないことである。

 その首席侍従武官アマハ・シホ上席宙尉であるが、〈カシハラ〉の幹部乗組員クルーと再会を果たすや一人一人の頬面を張り倒してみせている。──その光景はまるで〝血気にはやった弟らの短慮に遠方から駆けつけた姉(兄?)が母に替わって叱りつける〟ようであったという。



 〈カシハラ〉は目的地と定めた〈アカシ〉の領宙においてクサカ1佐指揮する航宙軍護衛艦〈コウヅ〉の臨検を受け、その後、派遣基地護衛隊によって軌道船渠ドックまで曳航されることになった。

 至る所を焼かれ破孔の生じた艦体はすでに航宙船舶としての機能を失っていたが、巡航艦としての優美さをどこか留めていることが不思議であった。



 六月六日の〝あの日〟、いまだ皇女の身であったエリンが逃げ込んで来て、正規乗組員クルーが不在の中を候補生だけでシング=ポラス星系テルマセクを抜錨して7週間余り──。ツナミら候補生を〝育てたふね〟はまさに強運に恵まれた〝運命の艦〟であった。

 だがその強運の艦も、最後にはその運と候補生らの〝意地と生命いのち〟を引き換えたように〝鉄屑〟となって旅を終えた…──。


 彼女カシハラは満足だったろうか……。

 ──それは誰にもわからないことだ。


 ただ、この艦と共に旅した7週間を、生涯、記憶に留める者は居るわけだった。

 だから彼女は幸せだったのだと、この旅を艦長として共にしたツナミ・タカユキはそう思うのである。

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