Episode2-C それは偶然の一致

 それは偶然の一致だった。

 そう、おそらくきっと……



 2020年2月20日 午後2時00分。

 真梨(まり)と真司(しんじ)は、とあるラブホテルの一室にいた。

 ともに30代の男と女として脂が乗りに乗った彼女たちは、真昼間からベッドの上で一戦どころか二戦も交えていた。


 一息ついた後は甘いピロートークが……かと思いきや、サイドボードに置いてあった各々のスマホを手にとり、真梨も真司も再びベッドへと寝転がった。


 フリータイム終了までには、まだ少し時間がある。

 それに、今日は真梨も真司もそれぞれ有給をとっての逢瀬であるから、いちゃつき戯れる時間もいつも以上にある。


 けれども、互いの顔をみることなく背中合わせの体勢でのスマホいじり。 

 スマホ社会の現代ならではの、なんとも虚しい光景かもしれない。

 でも、”虚しい”だけならまだ幾分がマシであるだろう。


 なぜなら、真梨のスマホの待ち受け画面は彼女の2人の子どもの写真であり、真司の”それ”は彼の2人の子どもの写真であるのだから。

 彼女たちはシングルマザーとシングルファーザーのカップルなどでは断じてない。



 ダブル不倫。

 真梨は子どもたちの父親でない男とセックスした後に子どもたちの写真を見ても罪悪感に苛まれることはないし、真司も子どもたちの母親でない女とセックスをした後に子どもたちの写真を見ても罪悪感に苛まれることはない。

 そのうえ、彼女たちが知り合ったのは、子どもの学校のPTA活動を通じて、だ。

 お互いにノリノリで――総評としては幸せであるも平凡な日常生活に、刺激的なスパイスをにちょっとふりかけてみようか、と裏切りの不貞行為へと突入したのであった。 


「真司、今、”偶然の一致”について書かれているサイトを巡ってるのよ」


 真梨は真司の顔ではなく、スマホを見つめたまま言う。

 真司も真梨の顔ではなく、スマホを見つめたまま答える。

 背中越しの会話。


「へえ……”偶然の一致”って……有名どころでいえば、エイブラハム・リンカーンとジョン・F・ケネディをめぐる”偶然の一致”とかか? 俺もあの2人の人生については、何か目に見えない運命の力が働いているような気がする」


「そう、まさにそうなのよ」


 真司の言葉を聞いた真梨の顔がほころんでしまう。

 やっぱり、真司とは話が合う。

 自分の夫などよりも、ずっと――


 仮に自分の夫に同じ話題を切り出したなら、「は? 偶然の一致? そんなことは世の中に多々あるだろ。それよりも、晩酌用の枝豆が切れてるぞ」と言うだけだろう。

 まあ、夫の年収は平均よりやや上といったところだが、借金や暴力癖は皆無で、毎晩の晩酌は息抜きに仕方ないとはいえ酒癖が悪いわけでもない。子どものことはとても可愛がってくれるから、配偶者としては”当たり”と言える。


 それを言うなら、今自分の隣にいる真司だって自分の妻のことを、配偶者として”当たり”だと思っているに違いない。

 真司の妻は、そう美人ではないうえ地味で芋臭い雰囲気だが、共働きの上に家事も育児もそつなくこなしているとの真司談だ。

 美貌や女としての魅力は正直、自分の方が上だと真梨は思っているも、子どもたちの出来(成績や運動能力、リーダーシップ等)については、悔しいが現時点では向こうの方が上だ……



 どちらの配偶者も”当たり”。

 でも、結婚後に更なる”大当たり”に出会う運命が自分たちには用意されていた。

 それに――


「真司、私たちこそ本当に”偶然の一致”ね」


「ああ、そうだな。ここまで一致していると俺たちの間にも何らかの力が働いているんじゃないかって思うよ」


 背中合わせのまま、彼女たちは頷きあった。

 自分たちは故リンカーン大統領や故ケネディ大統領のような公人ではなく、純然たる一般人だ。

 しかし、何か目に見えない運命の力が働いているとしか思えない”偶然の一致”が、自分たち2組の夫婦の家庭にはあった。



 真梨の夫の名前は、進士(しんじ)だ。

 そして、真司の妻の名前は、茉莉(まり)という。

 名前をうっかり呼び間違えた場合でも、呼び間違いとはならない幸運な偶然の一致。

 さすがに姓までも同じというミラクルはない。

 それに、どちらの名前も自分たちの世代では割とよく見られるものだし、漢字のバリエーションも結構多い名前といえばそうである。


 ちなみに、真梨と真司の妻・茉莉がこの世に生を受けたのは1985年であり、真司と真梨の夫・進士がこの世に生を受けたのは1981年だ。

 それぞれの夫婦が結婚したのは2007年であった。

 なお、両夫婦の各1人が配偶者を裏切り、配偶者に裏切られてしまったのは2017年であるも……


 偶然の一致は、まだまだある。

 真梨の2009年生まれの長男の名前が翔馬(しょうま)なら、真司の2009年生まれの長男の名前は大翔(ひろと)だ。

 真梨の2012年生まれの長女の名前が恵鈴(えりん)なら、真司の2012年生まれの長女の名前は鈴音(すずね)だ。

 読みこそ違えど、それぞれの長男と長女の名前には共通する漢字がある。



 スマホを手にしたままの真梨が寝返りを打つ。

 そして、スマホを手にしたままの真司も寝返りを打った。

 向かい合わせになった男と女。


「私たちが子どもの頃だったら、”偶然の一致”の例を調べるのに、図書館に行ったりしなきゃならなかったわよ。そもそも、歴史の中での”偶然の一致”について書かれた本や資料があることすら、人から聞いたり広告で見たりしなきゃ知らなかった。ほんと、便利でいい時代になったわね」


「ああ、そうだな。一般人が目にする、手に取ることのできる情報の量とスピードは、俺たちが子どもの頃とは段違いだ。何より、俺たちがこうやって手軽に会えるのも、この時代だからこそだろ? 不倫してた奴らは昔からいたんだろうけど……どんな手段で連絡とってたんだろうな。家電に電話したりとか手書きのラブレターとかか? よっぽどうまくやらない限り、すぐにバレたろうに」


 真司と真梨は顔を見合わせて笑う。

 自分たちはうまくやっている。本当にあらゆる意味でうまくやっている。だから、これからも大丈夫だ。


 そうは言っても、不貞行為の証拠は――L〇NEのやり取りやハメ撮り写真は、各々のスマホの中にある。

 しかし、破滅への扉が開かれないように、スマホのパスワードはしっかりかけているし、何より真梨の夫も真司の妻も、配偶者の一挙一動を気にして知りたがるといったタイプではなく、勝手にスマホを覗かれる可能性が極めて低いことも一致していた。

 まあ、このことについては”一致”というよりも、人としてのマナーであるのかもしれないが……



 その時、真梨のスマホに着信があった。

 夫からだ。

 真梨の全身の血の気がサアッと引いた。


 夫が昼間に電話をかけてくることなんて、滅多にない。

 そもそも昼間は夫も仕事中であるため、よっぽど緊急のことがない限り、電話などあるはずなどない。


 何か不測の事態が起こったのだ!

 子どもたちに何かが? それとも、義両親に何かが?


 真梨は、今日は有給を使って職場を休んでいる。

 ひょっとしたら、この電話よりも先に、真梨が出勤しているはずの職場に電話をしていた――有休を使って休んでいることがバレてしまった(「お前は今、どこにいるんだ?!」と問い詰められてしまう)かもしれない。


 真梨は夫からの電話に出ることに決めた。いつもと同じ声の調子となるように努めようとしたものの、通話ボタンを押す人差し指は震えていた。

 やはり、電話口の夫の声の調子はいつもと違っている。

 しかし、妻の不貞に勘づいてというわけではない。


 真梨の夫の話を要約すると、以下となる。

 昼食後、真梨の夫は勤務先前の横断歩道を(もちろん青信号で)同僚とともに渡っていた。

 その時、信号無視のバイクに接触し、転倒してしまったらしい。

 怪我は打撲とかすり傷で、そう大事には至っていないが、念のため病院に運ばれたし警察の聴取も受けた、と。


 それを聞いた真梨は、夫の身を案じると同時に”安堵”もしてしまった。

「――だ、大丈夫なの? 私、今から”会社を早退して”、あなたのいる病院に迎えに行くわ」と、真梨は夫へと答えた。



「ごめんなさい、夫が事故にあったのよ。夫がいる病院まで行かなきゃならなくなったわ」

 すぐさま身を起こした真梨は、(セックスの痕跡は洗い流した方がいいと頭では分かっていたが)シャワーは浴びずに身支度へと取り掛かる。


 と、続いて真司のスマホにも着信があった。

 妻からだ。

 真司の全身の血の気も、サアッと引いた。そう、あらゆる意味で。


 真司の妻の話を要約すると、以下になる。

 昼食後、真司の妻は勤務先前の横断歩道を(もちろん青信号で)同僚とともに渡っていた。

 その時、信号無視のバイクに接触し、転倒してしまったらしい。

 怪我は打撲とかすり傷で、そう大事には至っていないが、念のため病院に運ばれたし、警察の聴取も受けたのよ、と。

 さらに、真司の妻は続けた。

 運ばれた先の病院に、”PTA活動でよく顔を合わせるお父さん”もいたのよ。なんと、私と同じく信号無視のバイクとの接触事故に遭ったらしいの。ほぼ同じ時間に、同じ市内とはいえ離れた所で同じような事故に遭うなんて、奇妙な”偶然の一致”よね。



 ”PTA活動でよく顔を合わせるお父さん”が、誰のことなのか、真司には聞かなくても分かった。

「――だ、大丈夫か? 俺、今から”会社を早退して”、お前のいる病院に迎えに行く。今夜の子どもたちの夕飯は俺に任せておけ」と真司は早口で答えていた。

 彼も真梨と同じく、妻の身を案じると同時に”安堵”していた。

 いや、その心配や安堵よりも、恐怖の方がより勝っていた。

 それは、彼から話を聞いた真梨も同じだったろう。



 不倫はバレずに済んだ。

 今のところは……


 しかし互いの配偶者が、事故現場と事故加害者は異なれど、同じ日の同じ時間帯に似通った事故に遭い、同じ病院に運ばれた。

 何か目に見えない力が、自分たちの運命に絡みついてきているのは明らかだ。


 互いに無言のまま、彼女たちは部屋を出た。

 フロアの突き当たりにある、エレベーターへと早足で向かう。


 ラブホテルを出たら、自分たちはもう他人――正確に言うなら、偶然にも同学年の2人の子どもを持っている、顔見知り程度の他人へと戻るのは暗黙の了解だ。

 さらに、同じタイミングで病院へと駆けつけるのではなく、念のため、少し時間をずらして到着するつもりでもあった。

 そして、病院内で顔を合わせてしまったなら、「あ! え~っと、よくPTA活動や子ども会でよくお会いする方でしたよね? 偶然ですね」と白々しい演技に、真剣に励まなければならない。

 幸せな家庭と平凡な日常生活を失わないためにも……


 エレベーター内へと滑り込んだ真梨と真司。

 ただ今の時刻、午後2時20分。

 2020年2月20日 午後2時20分。



 真司の指が慌ただしく1階のボタンを押した。

 自分たちを乗せた年季の入った箱はそのまま下降していくのかと思いきや、グイインという嫌な音を立てて止まった。

 

 真梨と真司は1階のボタンを押した。

 重なり合った指先。

 いや、そんなことは構わず、彼女たちは必死でボタンを押した。

 1階のボタンだけでなく、並ぶ全てのボタンたちを彼女たちはバンバンと連打し続けた。

 ドッと噴き出る汗。

 だが、動かない。エレベーターは動かない。扉も開かない。

 

 閉じ込められた?!

 エレベーターの中に閉じ込められてしまった!!!




※※※



 仮に、彼女たちが病院内や公共施設のエレベーターに閉じ込められてしまったなら、”偶然、乗り合わせただけ”と言い訳できただろう。

 しかし、ラブホテル内のエレベーターではそうはいくまい。



 その後、真梨と真司は無事に救出された。

 だが、エレベーター自体が老朽化していたこともあり、救出には”なかなかの時間”を要することになった。


 彼女たちの救出にあたった作業員や救急隊員たちも、閉じ込められた”カップル”の身を案じつつも、包帯姿のまま病院から駆けつけてきたそれぞれの配偶者たちに、気の毒そうな目を向けていた。

 

 2020年2月20日、真梨と真司は全てを失ってしまい、そして”失わせてしまった”。




――完――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る