第89話 想いの結晶

「もうこんな時間だな」

 

 白石玄水はわざとらしく、腕時計を見やった。


「君と話せて楽しかったよ」

「待ってください」


 俺は立ち上がる。


「まだ終わってませんよ」

「……美也と会うつもりはない。決めたことだ」

「それでいいんですか、もう二度と会えなくなるんですよ?」

「あの子だって、私と会うことなど望んでいない」


 頭を掻きむしりたくなる衝動に駆られた。

 それは違うだろ、と大声を上げたくなる。

 さっきから同じことの繰り返しだ。


 結局この人は美也のことを考えているようで、自分の行いから目を背けたいだけだ。

 美也の気持ちを、言い訳にしているに過ぎない。


「逆に問うが」

「はい?」

「君は、どうしてそこまで美也に会ってほしがるんだ? 会ってどうしてほしいんだ?」

「俺に答えを求めないでください」


 強い口調でいい返した。


「少なくとも、会うことで何か答えが出るかもしれない。ただそれだけの話です」

「答え?」


 その言葉には、まるで窮境の中にいる少年が一筋のクモの糸に縋りつくような切実さがあった。


「このまま、一言も交わさないままでいいんですか」

「……」


 白石玄水の瞳が揺れた。


 言葉に詰まった。

 視線を伏せる。


 沈黙が続く。

 この人だってわかっているはずなのだ。

 目を逸らし、逃げ続けることに意味などないことを。


 いくら関係を否定したところで、血の繋がりはこれ以上ない絶対的な絆だ。

 その繋がりは断ちたくても断てるものではない。


「……もうこの話は終わりだ」


 白石玄水は首を振り、立ち上がった。

 やっぱり、駄目なのか。


 この話は単に俺の感情論から始まったものだ。

 理論で説き伏せるのも、限度がある。

 結局のところ、感情に訴えかけるしかなかった。


 それが、ダメなら、打つ手なしだ。


「お開きとしよう」


 だが、まだ何か手が残っていないものか。

 何かあと一つ、きっかけがあれば、彼も一歩踏み出せる。


 この機会を逃せば、きっと後悔する。 

 美也も、そしてこの人も。


 後悔に後悔を重ねて欲しくはなかった。



「……待って」


 思考が中断される。 

 静寂の中、鈴を転がしたかのような声が聞こえてくる。


 その人物は肩で息をしながら、こちらに歩み寄ってくる。


「美也……」


 遠くからでも目立つ、淡色の髪と黄玉色の瞳が暗闇の中から浮き上がってきた。

 そうか。

 自分の意思で、来ることを選んでくれたのか。


「い、一体、どうやってこの場所が」


 何が何だかわからない白石玄水は、これ以上なく狼狽えていた。


「……シュウ、返して」

「ああ、そうだった」


 俺は懐から、とあるものを取り出した。


「それは」

「あなたにとっては、見覚えがある品でしょう?」


 取り出したのは、ペンダントだった。

 美也の瞳と同じ色を持つ、宝石のペンダント。


 美也は外出する際、必ずこのペンダントを身に着けていた。

 美也の、母親の形見だ。


 ♢


 時刻は数時間前にさかのぼる。


「美也、ちょっとペンダントを貸してくれないか?」

「……?」

「大丈夫だ、なにもしやしない」


 そういう新田に、美也はおずおずとペンダントを渡した。


「それは……琥珀のペンダント?」

「琥珀じゃねえよ、これは」

「違うんですか?」

「黄玉……トパーズっていう宝石だ」

「へえ、色が同じだから全然見分け付きませんけど」

「トパーズは鉱物で、琥珀は樹脂の化石だ。ほら、琥珀に閉じ込められてた蚊の血液から恐竜のDNAを取り出して復活させる~なんて映画あっただろ?」

「確かに」

「まあ、その話はいいんだよ。実はな、このペンダントには監視用に盗聴器と発信器が取り付けられている」

「え?」

「お前をこれを持って首相のもとに向かえばいい。それで俺と美也が会話を傍受する。位置情報も発信してるから、場所も丸わかりだ」

「でも、バレませんかね」

「完璧な策なんてねえんだ。バレるのも覚悟しておけ」


 発案者は俺だ。

 それなりのリスクを背負う必要があるわけだ。


「……」


 美也が心配そうにこちらを見つめる。


「大丈夫だ、なんてことないよ」


 実際バレたらどんな目に遭うかわかったものではないが。


「それより美也は、俺と首相の会話を聞いてどうするか、ちゃんと決めるんだ。会うか、会わないかを」

「……うん」


 美也は神妙に頷く。


「ねえ?」

「うん?」

「……それ、大事なもの、だから」

「……お母さんのもの?」

「うん」


 俺の手を、美也の手のひらが包み込んだ。


「大切に、扱ってね」

「……ああ、任せろ」


 ♢


「返すよ、これ」


 美也にペンダントを渡した。


「……ここまで来て、まだ逃げるつもりですか?」

「……」


 逃げるというより、体が固まって動けないのだろう。

 だが、せっかく会ったのだから、最後に父親らしいことをしたっていいはずだ。


「じゃあ、俺はこれで」


 ここからは親子水入らずで話し合うべきだろう。 

 むしろこの機会が今までなかったことの方がおかしかったのだ。


「……全部、君の計画通りというわけかね?」

「……さあ」


 俺は肩をすくめた。

 公園を出る。


 しばらく歩くと、道路脇に黒塗りの車が停まっていた。

 運転席の窓を覗き込み、ノックする。


 窓が下りた。


「……うまくいったか?」

「今のところは」


 新田が顔を出した。


「面白い話が聞けそうだぞ」


 助手席に乗り込む。

 

「首相のプライベートを盗み聞きできるなんて、超スリリングだな」

「いい趣味ですね」

「それが俺の仕事だ」


 新田がイヤホンを渡してくる。

 


「このイヤホンで盗聴を?」

「まあな。生憎音質は保証しかねるが」

「聞き取れれば、それで十分です」


 盗聴器は最大三十時間は持つらしい。

 わざわざ新田が特に用もないのに家に訪れていたのは、こっそり盗聴器のバッテリーを充電するためだったそうだ。


「にしても、お互い喋らねえな」


 イヤホンから沈黙が流れてくる。

 

「十九年経って初めて会った親子なんですから。待ってあげましょうよ」


 お互い言うべきこと、尋ねたいことはいろいろあるはずだ。

 

『はあ……』


 イヤホンからため息が漏れた。

 白石玄水のだろう。


「お、喋り出すか?」


 仲が進展しない男女の様子を窺う中学男子のようなテンションだ。


「静かにしてくださいよ」

 

 イヤホンに聴力を集中させた。





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