第87話 小人
誰かとラーメンを食べるのは久しぶりだった。
大学生になってから誰かと飯を食うことは頻繁にあったが、大学近くに目ぼしいラーメン屋はなかった気がする。
貼り紙によると、麵をスープの底に三回からませて食べるのがいいらしい。
あるよな、こういう食べ方に拘る店って。
「餃子でも頼むか?」
「いいんですか?」
「今日は私の奢りだ」
「ありがとうございます」
「といっても、大した額ではないがな。せいぜい二千円程度だ」
白石玄水は肩をすくめる。
「しかし一貫千六百円の高級寿司やら、百グラム一万の松坂牛なんていろんなものを食べたがな、結局この場末のラーメン屋のラーメンが一番うまいものだ」
「……そういうものかもしれませんね」
さすがにそこまで高いものを食べたことはないが、馴染みのあるものが一番おいしく感じるという感覚は分かる。
「すいません、餃子一つ」
「ハイヨォ!」
店主の掛け声が響く。
淡々とラーメンをすする。
「ハイギョーザイチョォォイ!」
餃子が届く。
すげえ元気じゃん、ともはや感心すらしていた。
「……」
「……」
しかし相変わらず会話が続かない。
牽制しあっているかのような張り詰めた空気だ。
互いに鞘に手をかけ、どちらが先に鯉口を切るのか窺っている。
ラーメンをゆっくり味わう余裕もない。
しばらくしてラーメンを食べ終わる。
延々と沈黙が続いていたように思えば、意外と食べ終わるまであっという間だったような気もする。
「替え玉を頼むか?」
「……いや、それは遠慮しておきます」
「そうか?」
「結構腹いっぱいなので」
「そうだな。私もこの歳だと胃もたれが、な」
白石玄水は懐からタブレットケースを取り出すと、錠剤を水と共に飲み込んだ。
おそらく胃薬の類だろう。
「美也の様子は、どうだ?」
ため息交じりにいわれる。
ここにきて、ようやく美也に触れる。
「……元気にやってますよ」
ひとまず無難な返答をしておく。
「……体調を崩したりはしていないか?」
「今のところは」
「そうか」
何とも言えない曖昧な態度の返事だった。
「……あの子は体が弱いというよりは、精神が体に与える影響が大きいんだ。言ってしまえば、ストレスに弱い。体調を崩さないということは、君の下でうまくやっているみたいだな」
お題目を唱えるかのような淡々とした口調だった。
「あの……」
恐る恐る、俺は尋ねる。
「あなたは、俺に何か話があって呼び出したんじゃないんですか?」
元々俺を呼び出したのは向こうだ。
わざわざ一緒にラーメンを食うためだけに貴重な時間を割いたわけでもあるまい。
何か重要な話を切り出してくるはずだ。
「その前に、君の方こそ私に話があるんじゃないのか?」
「え?」
「違うのか?」
逆に質問で返された。
「……じゃあ、一つ話があるんですけど」
「聞かせてくれ」
この男に尋ねたいことは色々ある。
だが、今言うべきことは一つだけだ。
「実は美也を、大学に行かせてやりたいと思っています」
「……ほう」
話を本当に聞いていたのかと疑うほど、反応が薄かった。
「美也が大学に行きたいと?」
「本人はまだ返事を保留にしているんですけど。でも、個人的には行かせてやりたい」
「そうか。なら行かせてやればいいのではないか?」
「え?」
驚くほど他人行儀な答えに、目を見開く。
「あの子は既に高認試験をパスしている。大学の費用だって、あの老人の後ろ盾がある。そしてあの子の学力は既に大学レベル以上だ。条件は揃っている」
「そりゃ……そうですけど」
そんなことは既に分かり切っている。
俺が得たかったのは、美也の親としての白石首相の了承だった。
「話はそれだけか?」
「そう、ですけど」
「そうか。なら、私の話に移らせてもらうが」
白石玄水は水を口に含み、唇を湿らせた。
「私の話は単純だ。私はもう、美也から手を引くことにする」
「え? それは……」
「君に身元を完全に預けることにする。君になら、託せる」
巌とした口調だ。冷静なようにも聞こえるが、意地になった子供のようにも聞こえる。
「前々から考えていたことだ。私が新田を介して美也の面倒を見るのも限界がある」
「でも、急にそんな……」
「私が縁を切ってしまえば、あの子はもう首相の娘ではなくなる。ただの普通の女の子になり、そこに絡むしがらみも消える。なら、そのほうがいい」
俺に説いているというよりは、自分に言い聞かせているかのようだった。
「親子の縁を断つってことですか?」
「……親子か」
ふん、と白石玄水は鼻で笑う。
「私があの子の親だと、本当にそう思うか?」
「……どういう意味です?」
「少なくとも、あの子はそう思っていないだろうな。私のことを父親だと、認めたくないだろう」
「何で決めつけるんです?」
「あの子は、私が月乃や自分を捨てたものだと思っている。……そして、実際のところその通りだ」
口調が鈍重になっていく。
「あの子が私を恨むのも当然だ。それだけのことをしたんだから」
「……なにがあったんですか?」
俺は真実を何も知らない。
この男の過去に何があったのか。
「そうだな。まあ、君と会うのはこれっきりだ。土産話として、聞かせてあげようか」
白石玄水は財布から二千円を取り出し、カウンターに置く。
「ご馳走様」
「ありあざっしたぁ!」
店主が頭を下げると同時に、席を立つ。
「少し、外で話そう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます