第86話 邂逅

「よし、着いたぞ」

「……ここって」


 新田に案内されたのは、駅前だった。

 真夏の午後七時はまだ明るいほうで、人も多い。


 人目を忍ぶには無理がある。


「俺が案内するのはここまでだ」

「あとはどうやって行くんですか?」

「さあな。まあ、ここで待っとけ。すぐに迎えが来るだろうよ」

「それならいいんですけど」

「それと、くれぐれもバレないようにしろよ? バレたらお前だってただじゃ済まねんだからな?」

「わかってます」

が全部うまくいったとして、美也と白石首相を会わせてどうするつもりだ?」

「それは、二人に任せるしかないでしょう」

「なんだ、そっから先はノープランか?」

「会わせることが目的ですから。それが何に繋がるかは、二人次第です」


 これは親子の問題だ。

 俺はその橋渡しをするだけに過ぎない。


「ま、上手くいくことを祈っておけ」

「そうします」

 

 新田は人混みを縫うようにして去っていく。

 壁に背を預け、しばらく待つ。


 すると、携帯が鳴りだした。

 知らない番号からだった。


「はい、もしもし?」

『黒瀧秀斗だな?』


 低い、男の声だった。


「どちら様でしょうか?」

『今から言う指示に従って動け。一度しか言わない』

「え、ちょっと、誰なんですか?」

『言う必要があるのか?』


 この人が案内役だろうか。


『まず、そこから左手の方に行くと細い小道があるな?』


 まるで俺をリアルタイムで監視しているかのような物言いだった。

 思わず周囲を見渡す。


『キョロキョロするな。不審に見えるぞ』


 やはりどっかから俺を見ているらしい。

 道行く人、一人ひとりが俺を見ているような気がして、寒気を感じる。


「……細い小道ですね?」

『ああ。そこから真っすぐ行けば飲み屋が並んでいる通りに出る。その通りで、一件だけ看板が出ていない店がある。そこに店に入れ』

「看板が出ていない店?」

『行けば分かる』


 カーナビでももっとマシな道案内するぞ、と文句の一つも言いたくなった。


『あとこの通話が終わったら、携帯の電源を切っておけ』

「え、なんでですか?」

『何か不都合でもあるのか?』

「そ、そういうことじゃないですけど」

『そうか。なら言った通りにしろ』


 電話が切れた。

 言いたい事だけ言って切りやがった。


「看板の出ていない店か」


 携帯をしまい、電源を切る。

 ここは言われた通りにするしかない。


 とりあえず、言われた通りに小道を抜ける。

 歩けば歩くほど、人通りが少なくなる。


 やがて、両脇から飲み屋が現れる。

 通りは寂れているものの、店内は活気があり、まさに知る人ぞ知る隠れ家的な店だった。


「看板のない店って……」


 一軒だけ該当する店があった。

 いや、これは店といっていいのだろうか。


 店の入り口が従業員専用出入り口かと勘違いするほど無骨なドアだった。


 看板が出ていないので、何の店なのか、営業しているのか、そもそも店なのか、外からではわからない。

 店内の灯りが薄っすらと窺える。


 赤坂の高級料亭で政治家が密会している、という都市伝説はよく聞くが、意外とこういう誰も寄り付かなさそうな店を選んでいるものだろうか。


 これもこれで風情があるものだが。


 店に近づく。

 独特の濃厚な臭いが、鼻を突く。


「……豚骨スープ?」


 豚骨ラーメンの臭いだった。


 ドアを開けた。


「す、すいません」

「へい、らっしゃい!」

「うお」


 店の奥から相撲取りのような太い声が飛んでくる。


「こちらの席へどうぞ!」

「あ、はい」

 

 店内はカウンター席だけの細長い通路のようだった。

 太い声の主は六十過ぎのガリガリのおじさんで、どっからそんな声出しているんだ、と心配になってしまった。


 案内された席の隣に、客が一人座っている。

 店内にはその客しかいなかった。


「……失礼します」


 恐る恐る、席に座る。

 店内は空調が効いていないにもかかわらず、隣の客は上下をぴっちりスーツで揃えている。


 腕を組み、前かがみになって座っていた。

 そのせいで、顔がよく見えない。

 

「……何を頼む?」

「はい?」

「ちなみに私のおすすめは煮卵入りラーメンだ。なかなかの絶品だぞ」

「……じゃあ、それで」

 

 すると、隣の客が店主にアイコンタクトする。


「ハイヨォ!」


 注文を受けた店主がラーメンを作り始めた。


「……」

「……」

「……携帯の電源は切っているか?」

「は、はい。切ってますけど」

「そうか。すまないな。疑っているわけではないが、念のためだ」


 隣の客が顔を上げ、こちらを見た。


「自己紹介は、お互い必要ないな?」

「……ええ」


 よく知っている顔だ。

 彫りの深い、精悍な顔立ち。

 切れ長の目。歳の衰えを感じさせない、がっしりとした体つき。


 白石玄水総理大臣、そのものだ。


 ただテレビ越しで感じていたほどの迫力や威圧感はなく、巨漢だと思っていた体も思っていたより小さく見える。

 街ですれ違っても男前のおじさん、としか思わないだろう。


 芸能人をテレビで見るのとリアルで見るのとでは全然違うとよく言うが、この場合は悪い意味で全然違った。

 

 首相と会うということで俺は身構えていたので、拍子抜けした。


 しかしそれでも特筆すべき点がある。


 目だった。

 切れ長の目。

 どこか美也の面影がある。


 確かにこの目の前の男と美也は親子なのだと、思い知らされる。


「会えてうれしく思う」

「おれ――私もです」

「そう固くなる必要はない。ここは非公式の場だ。それに今の私は、ラーメンを食べに来ただけの中年に過ぎない」

「そう、ですか」

「……」

「……」

「水、注ごうか?」

「あ、ありがとうございます」

「……」

「……」


 お互い、コミュ障なのかもしれない。

 びっくりするほど間が持たない。


 世間話をする間柄ではないとはいえ、さすがにこの沈黙はキツイ。


「あの、ここで話をして、大丈夫なんですか? あんまり他人に聞かれちゃまずい話ですけど」 

「店主のことか? 心配ない。彼は官房長官の次に私が信頼を置いている人物だ」


 何者なんだ、あの店主。

 ラーメン屋の店主の器に収まっていいのか。


「この店はな、月乃と一緒によく来た店でな。東京に来てから、ここの店主には随分と世話になった」


 白石玄水は水を飲み干す。


「月に一回、この店で月乃と一緒にラーメンを食べる。それがささやかな、楽しみだった」


 ちょうどその時、店主が「おまたせしゃしたぁ!」と怒鳴りこんでくるかのような勢いでラーメンを運んでくる。



「……のびないうちに、食べよう」


 

 

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