第85話 悪巧み

 明日という日は意外と早く来た。


「シュウ?」

「ん……もう朝か」

「おはよう♪」

「おはよう、美也」


 今日の夜か、と時計を確認する。

 まだ午前九時。


 新田が俺を迎えに来るのは午後七時だ。

 

 朝食を摂り、テレビをぼんやりと眺める。

 勉強を始めようにも、なかなか手がつかない。


 かといって、外に出かける気分にもならない。



「……っ」


 美也も、なんだかそわそわとしていた。

 テレビのチャンネルがいつの間にか変わっていた。


 昨日の総理の記者会見の様子が映し出されている。

 記者の矢のような質問を、涼しい顔でいなしている。


 わずか四十半ばで総理にまでなった男。


 当然注目は集まったものの内閣発足当時は期待半分、不安半分といった具合だった。

 若手議員時代からざっくばらんな物言いと大物相手に一歩も退かない毅然とした態度、場を支配する威圧感、知性とユーモアを感じさせるジョークがマスコミ受けし、面白おかしく報道されることがしばしばあった。

 

 なので国民からすれば白石玄水は「マスコミにつくられたスター」のような存在であり、総理としての手腕はいかがなものか、疑問視する声も多かった。


 だが、今となって、白石首相の手腕を疑う者はいないだろう。


 政治家は公約を守らないというし、「どうせ政治家なんて誰がなっても一緒だろう」という虚無感のようなものが漂うなか、確かで具体的な目標と確実にそれを実行する決断力、国内・国外問わずはっきりとした態度を示すその姿は多くの国民の心を掴んだ。

 

 こいつは他の政治家とは違うかもしれないぞ、と誰もが思い、誰もが彼に期待するようになった。

 

 俺だってその一人だ。

 

 俺は別に政治に特別興味のある方ではないが、まだ白石玄水が議員だった時、とあるワイドショーに出演した際に放った言葉が印象深かった。


 古株の議員に「君はまだ若いんだから」とからかい交じりにいわれた時だ。 

  

 ――理想論が過ぎるよ、君の意見は。


 勉強しなおしてこい、若造、と言外に言い含めるようだった。

 それに、白石玄水は眉一つ動かさず返した。


 ――政治家が理想を語って何が悪いんですか?


 俺は彼の手腕やカリスマというよりも、理想を追い求める青臭さが好きだった。

 まだこういう政治家が日本にいるんだ、と新鮮に映った。


 今日の夜、彼と会うことになる。

 改めてそう思うと、やはり緊張してきた。


 だが、その前に。

 俺には一つ、片付けなければならない問題がある。


「なあ、美也」

「ん?」

「やっぱり、美也はお父さんと会う気は無いのか?」

「……ない」


 美也は首を振る。


 白石玄水と会って、話をする。

 そのこと自体は良い。むしろ俺が望んだことでもある。


 だが、この機会を逃せばもう二度と美也は父親と会うことは叶わないだろう。

 そこだけが、引っかかっていた。


 美也にとって、家族と呼べる人間は彼しかいないのに。

 一度も会うことのないまま、すれ違い続けることに何の意味があるのだろうか。


「あの人だって……わたしに、会いたくない」

「なんでそんなことわかるんだ?」

「……」

「そんなこと、会ってみなくちゃわからないだろ?」


 父親の話になった途端ネガティブ思考になる美也だが、今回ばかりは俺も強引だった。


「一度くらい、会ってみたいと思わないか?」


 こうでもしないと、この親子は何も変わらないだろう。


「……どうやって」

「ん?」

「どうやって会うの?」


 首相の場所は新田しか知らない。

 その新田でさえ、どこまで知っているのかわからない。


 セキュリティー上、詳細な位置までは把握していないかもしれない。


「新田に頼るしかないだろうな……」


 だが、頼みの綱はあいつしかいなかった。


「どうする? 会いに行く?」

「……ううん」


 美也はそれでも首を振る。

 やっぱり駄目なのか。


「話を……」

「え?」

「シュウとの話をきいてから。……それから考える」

「話を聞くって……」


 首相との密会の内容で、会うかどうかを決めるということだ。

 

 これ以上譲る気配はない。


 だが、美也がそう提案するということは、「父親に会いたい」という思いは少なからず抱えているはずなのだ。


 首相は美也と会うつもりは今のところない。美也は首相にバレないようこっそり密会を聞く、つまり盗聴する必要がある。


「新田に頼むしかないか」


 あんまり借りをつくりたくない相手だが、やむを得ない。

 

 ♢


「時間だぞ」


 午後七時。

 時間ぴったりに新田が迎えに来た。


「首相は取れる時間が少ない。早く行くぞ」

「あの、ちょっと待ってもらっていいですか?」

「あ? なんだ?」

「協力してもらいたいことがあるんですけど」

「断る」


 話を持ち出す間もなく首を振られる。


「まだ何も言ってないんですけど」

「あのなぁ、今回は日本の首相が直々に来ているんだぞ? 俺だって変なことはできない」

「せめて話ぐらいさせてくださいよ」

「なら手短に済ませ」

「美也を、父親に会わせてあげたいんです」

「なに?」

 

 美也が父親に会いに行くには、まず首相がどこにいるのか場所を把握しなければならない。場所を知っているのは、新田くらいしかいない。

 そして、美也の要望通り首相との密会を盗聴するとなっても、この男の協力は欠かせない。


「協力していただけませんか?」

「随分と無茶するな、お前ら」


 どこか他人事のように、言われる。


「首相がどこにいるのか、知ってるんでしょう?」

「……大体の場所はな」

「大体?」

「詳しい場所の説明は別のやつからされる。だから俺が美也に場所を教えることはできんぞ?」

「でも、あんたなら特定することくらいできるはずだ。公安なんでしょう?」

「簡単に言うけどなぁ」

 

 新田は髪を掻きむしる。


「位置情報の漏洩にしても盗聴にしても、一つでもバレたら俺の首が飛ぶ。協力なんてできるわけないだろ」

「『ハコスミ』の身なんでしょう? 最後くらいいいじゃないですか」

「馬鹿いえ。俺だって自分の身が大事なんだよ」

「そこを何とか」

「俺はただの公僕なんだよ。お上には逆らえねえ。察しろ、それくらい」


 さすがに難しいのか。

 ただ、新田は俺の申し出に「できない」とは言っていない。

 やろうと思えば、場所の特定も盗聴もできるということだ。


 何が何でも、俺はこの人を説得しなければならない。

 


「時間がない。さっさと行くぞ」

「待ってください、まだ話は終わってない」

「こっちは済んだ話だ」

「お願いです」

「しつこいぞ、お前」


 語尾を荒げる。

 声が中にいた美也に聞こえたのか、美也が顔を覗かせた。


「……美也」


 新田は渋い顔をした。


「ほら、行くぞ」

「……待って」


 美也が玄関まで駆け寄り、新田を引き留めた。


「新田、さん」

「……なんだ?」

「……お願いします」


 美也が頭を下げた。

 それに、新田も俺も、声を失う。

 

 社会人もびっくりの、平身低頭のお願いだった。


「……マジかよ」


 ため息交じりの声だった。


「これで断ったら、いよいよ俺が悪者だな」

「え、じゃあ」

「わかったわかった」


 降参だ、といわんばかりに新田は両手を上げた。


「最後の頼みだ。一つくらい善行を積むとするか」

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