第82話 サシ

「まあ、座れ」


 俺の部屋だというのに、新田は我が物顔である。


「だいたい、こんな遅くに来るなんて非常識じゃないですか?」

「俺に常識を説くんじゃないよ」


 ついに開き直りやがった、この男。


「今日は珍しく真剣な話だ」

「珍しく?」

「ああ、珍しく」


 真剣な話という割には、胡坐をかく新田の表情は仕事終わりのサラリーマンのそれである。

 小指で耳の穴をほじっていた。


「むぅ……」

「そう睨むな。タイミングは悪かったとは思ってる」


 二人の時間に水を差されたからか、美也は不機嫌そうに頬を膨らませていた。

 そして俺も、不機嫌だ。


「じっと俺たちのことのぞき見していた癖に……」

「別に減るもんじゃねえんだからいいだろうが。お前らなら機会なんていくらでもあるだろうに」

「そういう問題じゃないんですけど」

「とりあえず本題に入りたいんだが、いいか?」

「どうぞご自由に」

「お前、どっか空いている日ないか?」

「……それが用件ですか?」

「そうだが?」

「電話で聞けば済む話でしょう」

「言っただろ、真剣な話だって。いいから答えろ」

「……明日は空いてませんけど、基本バイトが入っていなければ空いてます」

「そうか」


 新田は頷いただけだった。


「真剣な話っていうのは?」

「白石首相がお前と話したがっている」


 そうきたか、と静かに驚きを噛み殺す。

 いずれそうなると想定してはいたものの、その時がこんなに早く来るとは思わなかった。


「……っ」


 美也が少しだけ目を細めた。


「いつ頃ですか?」

「さあな。それは向こうの予定次第だ。何せ日本の総理大臣だからな。お前と話すためだけの時間をつくるのも大変なんだろうよ」

「俺と美也のことは伝えてくれましたか?」

「伝えたぞ。伝えたからこそお前と話をしたいといっているんだからな」

「なんか、言ってましたか?」

「美也の母親のことをぼそぼそ喋ってた気がするが、よく覚えていない」


 使えない男だ。


「予定が決まり次第、お前に伝える」

「わかりました。でも、話すのは俺とだけなんですか? 美也のことは?」

「言ってなかったな。多分、お前と一対一サシで話すつもりだな」

「……」


 美也の表情が若干険しくなる。


「内容はわからないが、大事な話になるのは間違いない。たとえば、今後美也をどうするか、とかな」

「……なるほど」


 元々美也が俺と一緒に暮らしているのは、病の治療のためだ。

 美也の病は元々治療法がなく、一つの試みとして俺の下に預けられた。

 今の美也の言語能力からみるに、その目的はほぼ達成できたといっていい。


 当初の目的からすれば、俺と美也が一緒にいる理由はなくなったことになる。


 それを踏まえて、美也を今後どうするのか。

 今のまま俺の下で暮らすのか、それともまた別のところに住ませるのか。

 白石玄水の考えが読めない以上、話の行方がどう転がっていくのかまるでわからない。


 ただ、少なくとも美也に不利な決定を下すことはしないだろう。

 仮にも彼は、美也の父親なのだから。


「ま、用心しとけよ」


 そういって、新田は立ち上がる。


「俺は帰るからな。夜分遅くにすまなかったな」


 早々と部屋を出ていった。

 

「……むぅ」


 早速美也が不満げな顔をする。


「俺と美也の父さんが話し合うのが不満なのか?」

「……あの人、きらい」


 プイっ、と顔を背ける。

 美也としては極力関わり合いたくないらしい。


「でも、話はしなくちゃ」

「む~」


 それでも美也は納得しない。


「大丈夫だから」

 

 美也の頭を撫でる。


「ん……」


 俺の手を受け入れる。

 納得はしていないだろうが、とりあえずこの場は収めるようだ。


「じゃあ、寝ようか?」

「……うん」

「電気消すぞ」

「あ」


 美也が俺の袖を掴む。


「ちゅー、は?」

「……さっきやったのに?」

「あれは……無効」

「えぇ……」


 さすがにあれをもう一回繰り返すのは避けたかった。

 理性が持たない。今度こそ止められなくなる。


「……一回だけだぞ?」

「……うん」


 だが俺も、美也とキスするのはとても気持ちが良かった。


「――ちゅ」


 唇を触れ合わせるだけのキス。

 惜しむ気持ちを噛みしめつつも、唇を離す。



「むぅ」


 やっぱりまだまだ足りないのか、美也は唇を尖らせた。


「また今度するから、な?」

「あした、する」


 頑張れ、明日の俺。

 今日の俺は匙を投げる。


「……寝よっか」

「うん」


 電気を消した。



 ♢



 普通の恋人にとって、デートは待ち合わせから始まるものだろう。

 

 ――ごめん、待った?

 ――ううん、俺も今来たところさ。


 そんなやり取りが想起されるものだが。

 俺たちは普通の恋人らしい待ち合わせのドキドキ感を味わうことが出来ない。


 それだけが、惜しいところだった。


「前々から行ってみたいところがあったんだ。今日はそこに行こうと思う」

「……どこ?」

「行けばわかるよ。多分、美也も気に入る」

「……?」


 無計画といってもある程度の当たりはつけなくてはならない。

 しかしどうやって美也をリードすればいいのか、未だよくわからない。


 なので今朝のうちに、こっそり電話で祐奈にデートの秘訣を聞いておいた。


 一応彼氏がいる身なので、俺より恋愛経験はあるはずと見込んでのことだ。


『そんなもの、決まってるでしょ』

「おう、兄を助けるつもりで教えてくれ」


 電話越しから、ふふん、と胸を張る祐奈が見えるようだった。

 さすが我が妹。頼りになる。


『芋けんぴよ』

「……は? 芋けんぴ」

『女の子の髪についてた芋けんぴを取ってあげるのよ。髪に芋けんぴついてたよ、って』

「出典どこだ、それ?」

『……少女漫画です』


 やはりこいつに頼るべきではなかった。

 

 結局のところ自分で頑張るしかないわけであったが、行く場所の当てはあった。

 俺が美也と出会う前、つまり普通にひとりで暮らしていたとき、家からそう遠くないところに行ってみたい場所があった。


 ただ一人で行くには問題があるというか、恥ずかしくてなかなか中に入れなかった。


「ほら、着いたよ」

「……?」

「こういう場所は、初めて?」

「うん」


 店の前に立つ。

 窓から薄っすらと中が見える。


 すると、つぶらな瞳と目が合う。

 真っ白い毛並みの、猫だった。


「猫カフェっていうんだけど」

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