第80話 再生
「じゃあバイト行ってくるから」
「うん」
「前みたいに、ついてこなくていい?」
「うん」
「その間、ずっと部屋で待ってるのか?」
「ううん」
「そう? どっか出かけるのか?」
「うん……お出かけ、する」
「そっか」
一体どこに行くのだろうか、と俺は疑問に思う。
美也が一人で行くことのできる範囲はそう広くない。
だが、これも一つの変化かもしれない。
俺と美也との関係が確かになった今、ずっと内向的だった美也の関心が外に向かいつつあるというのなら、歓迎すべき変化だ。
「夕方には帰ってくるから」
「うん」
「じゃあ、行ってきます」
「あ」
美也が俺の服の袖をつかんだ。
「まって……」
「どうした?」
「ん……」
あっという間に詰め寄られ、気づけばキスされていた。
自然と抱き合う姿勢になる。
身長差がある俺と美也では、直立している状態のキスは体勢がきつかった。
それでも離すまいと、互いにぎゅっと腕に力がこもった。
「んぅ……ちゅ」
身体が離された。
「……いってらっしゃい、シュウ♪」
♢
今日もガソリンスタンドは給油レーンが、がらがらだった。
夏休みに入って盛況しているかと思えば、平常運転で逆に安心した。
「お久しぶりです、店長」
「おお、久しぶり」
店長はパソコンのモニターから視線を逸らさないまま、そう返した。
「大阪に行ってたんだって?」
「はい。休みをいただいてありがとうございます。これ、お土産です」
「ありがとう。デスクに置いておいてくれ」
「はい」
スタッフルームに入り、支度を済ませる。
タイムカードを切り、出勤する。
「あ、黒瀧先輩お久しぶりっす」
毛利が挨拶する。
「お土産は?」
「早速ねだってくるのか」
「だって、大阪に行ったんっすよね? 期待するじゃないっすか」
「中に置いてあるから。休憩中に取っておけよ」
「やった! さすが先輩っす」
「一人一個までだぞ?」
「お、これは黒瀧氏。お久しぶりですな」
「張本先輩、お久しぶりです」
次いで張本先輩が顔を出した。
「今日は例の女の子は一緒でないのでござるか?」
「そういえばそうっすね。例の愛しの彼女さんがいないじゃないっすか」
「別に彼女じゃ……」
彼女だった。
「……今日はまあ、どっかに出かけてるらしい」
そういえば、この二人にも言うべきだろうか。
俺と美也のこと。
だが無暗に言いふらすことでもない。
ここの連中は頻繁に美也と会うわけでもないので、伝える必要はないだろう。
変にいじられるのも嫌だった。
「旅行中は何してたんすか?」
「え? そりゃ道頓堀とか回ったり、例のテーマパークに行ったり――」
「そうじゃなくて。美也ちゃんと何か進展はあったんですか?」
「……なんでそんなことをお前が気にするんだ?」
「お、それは気になりますなあ。白石女史と黒瀧氏の関係」
これはどう答えるべきだろうか。
わざわざ嘘をついてまで隠し通すべきだろうか。
後ろめたいことなど毛ほどもないので、打ち明けること自体は良いのだが。
いや、やはりだめだ。
秘密の関係にするつもりはないが、俺と美也の関係は単純な恋人と言い表すにはずっと複雑だ。
あらぬ誤解を招かないためにも、現時点で明言するのは避けた方がいい。
「……サークルの連中と一緒だったから別に何もなかったよ」
「あぁ、そんな感じっすか」
つまらないオチの怪談話でも聞いたかのような反応だった。
「やっぱ所詮黒瀧先輩じゃ駄目っすね」
「どういうことなんだよ、それ」
「黒瀧氏、ちゃんとすればかっこいいのもったいないでござるな」
「やっぱ先輩には彼女なんて夢のまた夢ってことっすね」
くそ、馬鹿にしやがって。
今朝だって夫婦みたいなキスしてから来たというのに、この言われようだ。
「早く帰りてえ……」
家が恋しい。
一刻も早く美也の元へ帰りたい。
時計を確認する。
あと八時間の勤務。
異様に長く思える。心なしか針の進みが遅く感じた。
俺は小さくため息を吐いた。
♢
支度を済ませると、部屋を出て鍵を閉める。
私は記憶を頼りに、とある場所に足を向ける。
一人で外を散歩することはあっても、せいぜいマンション付近をふらふらとするだけだった。目的をもって遠出するのは初めてのことだ。
今の私とシュウには、目には見えない、けれども確かな繫がりがある。
そのおかげか、心に余裕ができていた。
今までできなかったこと、やってみたかったこと。
それを試してみたい気持ちが浮き上がってきた。
人の多い場所に出る。
異様な私の容姿を見ても、視線を向ける人は少ない。
不思議なことだが、どうも私の姿は人の認識を歪ませるようで、すれ違った程度では私のことなど全く気にも留めない。
限られた人だけが、私を正しく認識できるようだ。
それこそ、シュウのような人だけが。
目的の場所につく。
ショッピングモールだった。シュウと服や水着を買った場所だ。
そして、初めてシュウが私にプレゼントをくれた場所でもある。
自分の手首を撫でる。
ピンクのレザーブレスレット。
外出するときは身に着けるようにしていた。
中に入る。
巨大な商業施設は中が複雑に入り組んでいる。
マップを見て、目的の店へ向かう。
五階の隅に、それはあった。
本屋だった。
店内に入り、見回る。
参考書のコーナーの前に立った。
小さい頃から勉強は嫌いじゃなかった。むしろ、時間を忘れられる分夢中になれる。
特に理数系の科目は勉強をしなくなって久しいものの、内容ははっきり覚えていた。
また、始めてみるのもいいかもしれない。
シュウと一緒にいる時間は楽しいし、幸せだ。
しかし私はシュウとは独立した一個人だ。
一人の人間としてどう日々を過ごすのか、考えなければいけない。
私は参考書を手に取り、レジに向かった。
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