命の唄

第79話 日常

 東京千代田区永田町。

 内閣総理大臣官邸。


 夜九時を回っても、一室から光が漏れていた。


 官邸内の警備は約百名ほどの官邸警備隊が行っている。

 ただし彼らはあくまで官邸職員という位置づけであるため、拳銃などの所持は許されていない。


 顔パスで敷地に入る。

 階段を上り、とある一室の前で止まった。


 ノックする。


「……入れ」


 ドスの利いた声が扉の奥から響く。


「失礼します」


 部屋に入る。

 首相の執務室。

 

 机に腰かけた男が、新田を睥睨へいげいしていた。


「何の用だ」

 

 息を吐くように、白石首相はいう。


「もうすぐ帰るところだったのだが」


 目頭を摘まんだ白石首相の顔には疲労が滲んでいる。

 歳は四十代半ば。


 歴代首相どころか政界の中でも若輩者であるにもかかわらず、圧倒的なカリスマと人気から首相にまで昇り詰めた男。

 目の前にするだけで肺が重く感じた。


 新田は白石首相のことが苦手だった。

 今まで馬が合わない上司はいたものの、性格がうざいとか、考え方が違うとか、その程度だった。

 人間相手に本能的な「怖さ」を感じたのは、初めてだった。


「急ぎ報告したいことが」

「……なんだ? 大阪で何かあったのか?」

「はい、実は――」


 一通りの出来事を報告する。

 話の核心は、黒瀧秀斗と白石美也が正式に恋愛関係に発展したということ。


 それに白石首相がどういう反応を示すのか、全く予想がつかなかった。


「……そうか」


 話を聞き終わると、白石首相は脱力するように背もたれに体を預けた。


「君の目から見て、彼らはどうだ?」

「どう、とは?」

「見たまま、感じたまま、いってみなさい」


 就職試験の面接官のような質問をされる。


「……仲睦まじいと思いますが。少なくとも、そこらのカップルよりずっと親密な関係を築けているかと」

「なるほど」


 納得しているのかしていないのか、曖昧な返事だった。

 

「そうか、あの子が……」

 

 椅子をくるりと回し、新田に背を向けた。


「あの子は、滅多に他人を信用しないからな。あの子が懐く青年がいるだけでも驚いたものだが」


 それには新田も頷いた。

 本来の美也は、猫並みに警戒心の強い子だ。


 新田と初めて会った時も、隙を見せまいとじっと新田を睨んでいた。

 それが、黒瀧秀斗には最初から気を許していた。

  

 不思議といえば、不思議だ。


「月乃も、そうだった」

「え?」

「滅多に他人に気を許さなかった。月乃は明るく社交的に見えるが、どこか他人と一線を引くような、そんな態度だったな」


 新田に背後を見せている白石首相の表情は窺い知れない。


「だが初めて会った時から、なぜか私のことを信頼してくれた。不思議なものでな、私もそんな彼女に気を許していた」


 温かさの通う声だった。


「なぜそんなに彼女に惹かれたのか、私にはわからない。ただ、一つ奇妙に思うことがあってな」

「……なんですか、それは」

「彼女の容姿は人混みの中でもとても目立つ。変わった髪色と瞳だからな。嫌でも目が行くだろう。だが実際、道行く人は彼女のことを見向きもしなかった。私だけが、彼女の特異な容姿に惹かれていた。まるで世界で私だけが彼女を認知しているかのような、そんな気がしたな」


 ピンとこない話だ、と新田は思う。

 確かに美也の容姿は変わっているだろうが、新田にはそれ以上の特別な印象はない。

 

 むしろ大学では、もっと目立つ髪色、髪型をしている人間はごまんといる。

 きっと大多数の人間がそう思うのではなかろうか。

 

 それとも白石首相や黒瀧秀斗だけが感じとれる何かがあるのだろうか。


「……黒瀧秀斗の予定を聞いておいてくれないか?」

「予定?」

「ああ。彼と直接、話がしたい」

「ご多忙では?」

「それくらいの時間なら、何とかつくれる。それに彼とは――いつか話をしなければ、と思っていた」


 白石首相は席を立った。


「では、私はもう帰るからな。君も今日は帰りたまえ」


 そう言い残し、新田は部屋に一人残される。


 はあ、と息を吐き、肩を回した。

 


 ♢


「あ……」


 見慣れた天井だ。 

 目を瞬かせる。


 朝日が眩しい。


「シュウ?」 


 美也が俺の頬を人差し指で突いた。


「ふわぁ……おはよう、美也」

「うん、おはよう♪」


 美也がにっこりとして返す。

 美也は既に寝巻から着替えていた。


「もうご飯作ってくれているのか?」

「うん」


 食卓の上には、すでに二人分の朝食が用意されている。

 頼んでもいないのに、毎朝俺より早く起きてご飯をつくってくれるとは、本当に頭が上がらない。


 支度を済ませ、食卓につく。


「いただきます」


 美也と共に朝食を摂る。

 今日の予定は何も決まっていない。


 大学生の夏休みといっても、俺は休みすべてを遊びに費やすほど怠惰な学生ではない。

 遊んだ分、勉強に励まなくてはならない。


 コースの知り合いから遊びに誘われることがちょくちょくあるが、すべて断った。


「美也は、何かしたいことある?」

「ううん」


 美也は首を振り、俺のベッドに腰かける。

 まあ、たまにはお互い好きなことをする日があったもいいだろう。

 

 パソコンを開き、テキストを広げる。

 勉強を始めた。


「……」


 一方で美也は、おもむろに本棚から適当なテキストを取り出し、読みだす。


 柔らかな空気が流れていた。

 いつもの日常が戻ってきたのを感じる。


 午前中が終わると、美也がいつの間にか作ってくれた昼食で腹を満たす。


 午後も勉強――は味気なかったので、二人でゲームをすることになった。


 ストーリー重視のアドベンチャーゲームなので、操作やプレイングで苦戦することはないだろう。

 暇つぶし程度で始めたもので長々とするつもりはなかったが、俺も美也もストーリーと雰囲気に引き込まれてしまい、スクリーンの前から離れられなかった。


「……あ、もうこんな時間か」

「……ん?」


 美也が時計を見た。


「もう晩御飯の時間だな」

「……むぅ」

「続きはそのあとにしよう」


 結局その後もだらだらとゲームを続け、日を跨いだことにも気づかないままクリアしてしまった。


「やばいな、もう深夜だ」

「……む」

「早く風呂に入って寝ないと」


 二人して急いで寝る支度を整える。

 普段長風呂の美也も手短に風呂を済ませ、ベッドに入った。


「おやすみ」

「……うん、おやすみ」


 自然と身を寄せ合う。

 

 こうして一日が終わる。

 いつもの日常といえば全くその通りで、特別な日でも何でもない。


 しかし恋人となった今では、今まで通りのなんでもないことも、一つひとつが特別なことに思える。


 明日は何をしようか。

 


 美也の温もりを感じながら、目を閉じた。

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