第77話 何が何でもキスしたい(煩悩)

「こっち行こう」

「うん……」


 シュウに手を引かれ、私は歩き出す。


「あっちに滝があるらしいんだよ。見てみよう」

 

 デートだ。

 これはデート。


 別に初めてではないはずだ。

 二人きりではないにせよ、デパートに買い物に出かけたこともあったし、花火大会や夏祭りにだって行った。

 

 でも、こうして付き合ってから二人きりで出かけるのは初めてだった。


「……ん」


 ドキドキする。

 しかし手から伝わってくる温もり、そしてシュウとの確かな繫がりが、じんわりとした幸せを与えてくれる。


 本当に言ってよかった。


「シュウ?」

「なんだ?」

「――好き」


 ずっと言いたかった言葉だった。

 今となっては、手足を操るように、好きにいえる。


「え、あ、うん。俺もだよ……」


 恥ずかしがりながらも、シュウは応えてくれる。

 笑みがこぼれる。

 

 こんな日が来るなんて、思ってもいなかった。


「どうしたんだ、急にそんなこと言いだして」

「イヤ?」

「嫌じゃないけど、びっくりした」

 

 でも、これですべて満足した、というわけではない。

 幸せだけど、まだ足りない。

 もっと、密着したい、もっと触れ合いたい。


 こんなにも近くにいるのに、物足りなさが消えなかった。

 言いたいことをいって少しは落ち着くかと思っていたのに、まったくそんなことはなかった。

 

 むしろ以前より自分の感情に振り回されている。

 シュウからすれば、ものすごく貪欲な子に見えてしまうかもしれない。

 でもそんな私でも受け入れてくれるから歯止めが利かなくなる。


「んぅ……」

「どうした美也?」


 キスしたい。

 あとぎゅーってしたい。


 昨夜やったように。


 でも外だし、人目だってあるし、何よりシュウから外はダメだといわれている。

 仮に今ここでしてもきっとシュウは拒まないし、嫌がらないだろうが、文句の一つや二つ言ってくるのは


 二人きりの時や屋内でなら大丈夫と言われているのだ。

 今はシュウと一緒にいる時間を大切すべきだ。


「でさ、あそこに三重塔があって――」


 ♢


 俺と美也が旅館に帰ってきたのは夕方ごろだった。


 清水寺などの歴史的建造物だけでなく、駅の方面にも足を向けた。

 二人きりでデートすることになるとは思いもよらなかったので、まるで計画もなかったが、美也とデートできたことだけでも嬉しかった。


 そして須郷と綾瀬はというと、すでに部屋に帰ってトランプをしていた。


 途中までゲーセンで遊んでいたそうだが、すぐに飽きて旅館の部屋でだらけていたようだ。


 夕飯までトランプで暇をつぶすことになった。

 いよいよ修学旅行みたいな緩い雰囲気が出始めている。

 だが今日も歩き過ぎたのでこれくらいだらだらするのがちょうど良かったかもしれない。


「明日でもう帰るのかあ」


 須郷がしみじみとした口調でいう。

 

「早いものね」


 綾瀬が須郷からカードを取る。

 

「俺は結構長く感じたけど」

 

 俺が綾瀬からカードを取る。


「……うん」


 美也が俺からカードを取る。

 

「……」


 俺の手札にババ。

 手札は三枚。さっきから美也は見事にババだけを取らない。

 

 最初の手札からババだけが動いていない。

 そして美也の手札は順調に減って、残り二枚となっていた。

 まるで美也が俺の手札を読んでいるかのようだった。


「帰ってから何するんだ、秀斗?」

「勉強が残っている、あとバイトだな」

「真面目な奴ね」

「遊んでばかりもいられないだろ」


 夏休みとはいえ、俺は将来に向け勉強しなければならない身だ。


「ほい、俺アガりだぜ」


 須郷が揃った手札を、投げ捨てた。

 

「あ、私もアガり」

「早いな」


 俺と美也だけになる。

 俺の手札はババ含めて二枚。


 そして美也の残りは一枚。


「ほら、美也。取って」


 美也がカードには一目もくれず、俺の目をじっと見つめた。

 心の中に何者かが侵入し、思想や感情が暴かれるかのような感覚。


 この感覚は慣れないものだ。


「……ん」

「あ」

 

 俺の手札には依然としてババ。

 美也は揃った手札を捨てる。


「はい、秀斗の負けだな」

「じゃあジュース買ってきて。適当に」

「マジか……まあいいけど」

「やったぜ。俺は適当な炭酸を」

「はいはい」


 財布を手に取り、外に出た。


「あ……」


 美也も慌ててついてくる。

 

「中で待たなくてよかったのか?」

「うん……一緒が、いい」

「そうか」

 

 露骨な好意がくすぐったい。

 浴衣に着替えてから身体的な距離も近い。


 ジュースを買い、須郷たちともうしばらくトランプで遊ぶと、夕食を摂りに食堂へ向かう。

 それが終わると風呂に浸かり、それぞれ部屋に帰る。

 

「はあ、もう今日も終わりか」


 明日になれば、家に帰る。 

 京都・大阪からもお別れだ。


 三泊四日の旅も、随分と長く感じた。

 テレビのチャンネルをぼんやりと眺めた。


「……ん」


 美也が距離を詰めてくる。

 肩と肩が触れあった。


「どうした?」


 美也がそっと、俺の腰に手を回してきた。 

 

「まだ寝る時間じゃないぞ?」

「ん……まだ、ねない」

「そうなのか?」

「寝たく、ない」


 そういいながらも、美也は目を閉じた。

 腕に力を込め、更に強く抱きしめてくる。


「ん」


 美也が俺の肩に顎を乗せる。

 少しでも顔を寄せれば、キスできる距離だ。


 つまりこれは、そういうことなのだろう。


 なんて罪深い生き物なのだろうか。


 美也の腰に手を回す。

 顏を近づける。


 そっと唇を重ねた。

 柔らかい感触が唇に触れる。

 美也の身体からふっと力が抜けた。


「んぅ……はむ」


 また下唇が吸われるようなキス。

 今回は最初から深めのキスだった。


 少し息苦しくなり、唇を離した。

 顔が熱い。

 全身の血が煮えたぎっているように感じる。

 頭がぼーっとしてくる。


「ん、もっと……」


 美也が唇をぶつけてくる。

 勢いのあまり、布団に倒れた。

 

 首元に美也の腕が巻かれる。

 強く身体を押し付けられながら、何度もキスされる。


 押し返そうとする力も出なかった。

 ただ美也を受け入れる。

 時間が無限に延長されているように感じ、軽く眩暈がする。 


「……はあ」

 

 ようやく体が離れた時に、時間の感覚が元に戻る。

 視界に時計が映りこむ。


 ニ十分くらいずっとキスしていたらしい。

 こんな長いことするつもりじゃなかったのに、と内心苦笑いする。


「……ごめんね」

「え?」


 なぜか美也は謝った。


「がまん、できなくて……」

「あぁ……びっくりはしたけど、元々二人きりの時ならいくらでもするって言ったの、俺だし」


 さすがにこんな滅茶苦茶されるとは思いもよらなかったが。


「謝ることないよ」


 美也の頭を撫でた。


「ん……もう一回、だけ」


 再び身体が密着する。


「……もう一回だけだぞ?」

「……うん」


 ちゅ、と軽く唇が触れる。


「えへへ、大好き♪」

「……もう寝ようか」

「うん」


 努めて冷静にいう。

 リモコンで電気を消した。


 今日眠れるかな、と抱き着く美也の体温を感じながら不安に思う。

 一方美也は安心したのか、すでに寝息を立てていた。


 昨夜のように、美也の不思議な力で眠らせてくれるわけではないようだ。


「はぁ……反則だろ」


 案の定今夜はろくに眠れなかった。

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