第74話 無遠慮

 見慣れない天井だった。

 目を瞬かせ、体を起こす。


 関節を伸ばし、息を吐いた。


「すぅ……すぅ」


 すぐ左手の方で、美也が寝息を立てていた。


「美也、朝だぞ」


 揺り起こす。

 

「……ん」

 

 美也は静かに目を開けた。

 いつもは俺が起こそうとするとごねるのだが、今朝はやけに素直だった。


 美也が体を起こした。

 目をこすり、俺を見上げた。


「食堂に行かないと」

「……ん」


 ぼーっとした顔の美也が小さく頷く。


「早く着替えて――」

「ん」


 一息の間に、すっと美也が俺の元にすり寄ってくる。

 ぽん、と俺の肩に顎を乗せた。


「ん……ふふ♪」


 朝からご満悦の様子である。


「ねえ?」

「な、なんだ?」

「……好き」


 耳元でささやかれる。

 美也の吐息が耳朶を打った。

 昨夜と同じだ。

 しかし昨夜とは違って、脱力した、気の抜けた告白だった。


 ぎゅっと、美也の腕が俺の背中に回される。


「好き……んぅ、好き……えへへ♪」


 ♢

 


「「……」」

「な、なんだ、お前ら」

「お前、昨日何かあったのか?」

「え? い、いや、別に何も?」


 俺は首を振る。

 ぼーっとしていた。


 旅館の朝食の席。


 昨日の件を経て、無事俺と美也は男女の関係となったわけだが、俺からすれば美也は「付き合ったばかりの彼女」よりはもっとずっと近い存在に思えた。


 結婚一年目の夫婦みたいな。

 しかし想いの強さや熱だけは、付き合ったばかりのカップルそのもののような気がする。


 問題は俺と美也とのことを、二人に説明すべきかどうかだ。

 


「そう? 今朝から様子変だけど?」

「至って普通だが?」

「じゃあ、何でさっきからずっと納豆かき混ぜてるんだよ」


 

 須郷と綾瀬に揃って指摘される。


「あ、ああ。これは、あれだよ。俺、納豆大好きでさ。特に混ぜ方には、こだわりがあるんだよ、ハハハ……」

「ふうん、納豆が大好き、と?」


 綾瀬が目を細める。


「そ、そうだ」

「じゃあ、私の分も食べてね」

「え?」

「あ、ついでに俺のも。俺納豆苦手でな」


 二人分の納豆が渡される。


「納豆だけ食えって?」

「納豆大好きなんだろ? 頼むぜ?」


 ご飯一杯に対して納豆三人分。

 たとえ納豆好きでも辟易する量であることは違いない。


「あ、あのさ、お前ら」

「なんだよ」


 打ち明けるべきだろう。

 なんだかんだ二人は応援する立場だった。


 結果だけ報告したっていいだろう。

 

「実は……」

「ていうかさ、今日はどこ行くの?」


 綾瀬が唐突に尋ねてくる。


「今日? 今日はまあ、ぶらぶらとするだけだ。のんびりとな」

「つまりノープランってことか」

「たまにはそういう日があっていいだろ」

「出発は何時にするの?」

「昼前にしよう」

 

 今日はゆっくりする日だと決めていたのはよかったかもしれない。

 ぶっちゃけ旅行などどうでもよくなっていた。


 今はもう、美也との時間を大切にしたかった。


 朝食を終え、部屋に戻る。

 すでに和文老人は帰ったのだろうか、と思いを馳せた。


「美也、あのさ」

「ん?」

「俺たちはさ、その、付き合ってるってことでいいんだよな?」

「……うん」

「そのことをさ、あの二人にも言うべきかな?」

 

 美也に確認する。

 美也が拒絶する理由は特にないだろうが、念のためだった。


 もう俺だけの問題ではないのだ。


「……いうのが、いい」

「……そうか」

「うん」


 やはり伝えるべきらしい。

 

 時計を見る。

 外に出るまでまだ二時間は残っている。


「……」

「……」


 美也は恋人だ。

 だが、そのことを意識すればするほど、自分が何をするべきか、自分が何をしたいのかわからなくなる。


「ねえ?」

「な、なに?」


 この尋ね方は、と既視感を覚える。

 昨夜でも、今朝でも聞いた。


 美也が自然と距離を縮めてくる。

 

「シュウ?」


 どこか甘えるような言い方。


 俺の首元に、美也の腕が絡みつく。

 身体が密着する。

 

 朝っぱらからこんなことしていいのだろうか、と頭が混乱する。

 

「ん……ぎゅー」


 でも、そうか。

 もう俺たちには「恋人」という関係が成立している以上、遠慮する必要はないわけだ。

 美也の祖父のお墨付きまでもらっている。


 こうしてやたらにくっついてくるのも、今まで我慢していた分の反動かもしれない。

 

「んぅ」


 美也が顔を寄せてくる。


「あ、ちょっと待って」

「ん?」

「今朝納豆食ったばっかりだぞ? 三人分のやつを」


 美也の唇に人差し指を立てる。

 

「……む」


 さすがに美也もがっつきすぎたと思ったのか、少しだけ体を離した。


「べ、別に、そういうのは嫌じゃないんだぞ? ただタイミングというか――」



 キスするタイミングってどういうタイミングだ?

 

 自分でも不思議に思った。 

 昨夜は流れでやったことだが、適切なタイミング、というのがよくわかない。


 そもそも一般のカップルってどのくらいの頻度でするのだろうか。

 

「ん……ちゅ」

「え?」

 

 頬に美也の唇が触れた。


「ん」


 肩に美也の顎が乗せられる。

 

「好き、だから……」

「ん?」

「もっと……したい」


 身体がさらに密着する。

 

「……そっか。そりゃ、そうだよな」

 

 普通のカップルの物差しを当てはめればいいという問題ではない。


 俺たちは俺たちのペースでやればいい。


 俺たちは、多分普通のカップルではないのだから。



「でも、こういうのは二人きりの時でだけだぞ? 人前とか、あいつらの前じゃ控えてくれよ?」

「……手、は?」

「手を繋ぐくらいは、いいけど」

「……ちゅー、は?」

「時と場合に寄るけど」

「……ぎゅー、は?」

「それは、人前ではちょっと……」

「んぅ……」


 あまり納得いっていないようである。


「二人きりの時なら、いくらでもするから。な?」

「……うん」


 こんな取り決めをしても、あまり意味がなさそうである。

 美也はそう辛抱強いほうではない。


 そして、それは俺も同じだ。

 美也だけが我慢をしているわけではない。


 ――コンコン。


 部屋の襖がノックされる。


「入るぞ」

「は、はい」


 美也と一旦距離を取る。

 入ってきたのは、新田だった。


「イテテ、あったまいてえ」

 

 ボサボサの髪を掻きながら、新田は眠そうにいう。


「どうしたんですか?」

「いや、昨日のことでちょっと聞きたいんだがよ」

「昨日のこと……」

 

 そう言えばこの人、武藤とかいう人に懐柔されていたな。


「酔ってたのか知らねえけどよ、全然覚えてなくてな」

「そうなんですか?」

「で、携帯見たらよ、知らないやつの電話番号が登録されてたんだ」

「へえ」

「ほら、見てみろ」

 

 新田が携帯の画面を見せてくる。

「武藤きゅん」、という名で番号が登録されていた。


「なんですか、これ」

「俺がききてえよ、誰だよ『武藤きゅん』って」

「本当に何も覚えていないんですか?」

「ああ。お前は、何か知ってるか?」

「……別に?」


 話せば長くなるので、俺は返事を濁した。


「電話すればいいんじゃないんですか?」

「イヤだよ、おっかねえ」


 消すべきかねえ、と新田は携帯をポケットにしまった。


「何か昨日、変わったことはなかったか?」

「変わったことですか……そうですねぇ」


 新田にも言うべきだろうか。

 俺と美也との関係。



 この人に報告するということは、つまり美也の父親――白石首相の耳にも届くということだ。


 俺と美也が付き合って、それにどういう反応を示すのか、まだわからない。

 しかし実の父なら、報告するべきだろう。


 美也をチラッと見やる。


「……うん」


 美也は小さくうなづいた。


「実は――」

 

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