第73話 君に「好き」って言いたくて

「美也? どこ行ってたんだ」

「んぅ……」


 帰ってきた美也に尋ねると、さっと視線を逸らされる。


 言葉を濁す、とはまさにこのことだろうか。

 館内で迷子にでもなったのだろうか。

  


「まあ、いいや。ともかく寝るよ」

「うん」

「明日も早いし」

「うん」

「疲れたし」

「うん」


 本当に長かったな、今日という日は。

 はあ、と大きくため息を吐く。


 和文老人との会話を思い出す。



「シュウ?」

「……なんでもない」


 敷かれていた布団に横たわる。

 姿勢を楽にすると、どっと疲労が襲ってくる。


 アルコールも摂ったからか、とても眠い。

 頭が回らない。


 美也もすぐ隣で横になる。

 まだ眠るには早い時間だからか、美也の意識ははっきりしているようだった。


「美也は疲れていないのか?」

「うん」

「あれだけ歩き回ったのに?」

「うん」

「そうか。元気だな」


 若いっていいな。

 

「俺はもう寝るけど、美也はまだ起きてる?」

「――ううん」


 美也は首を振る。

 やはり、まだ一人で眠りにつくことはできないらしい。


「じゃあ、一緒に寝るか」

「うん♪」

「もう一つ布団敷いて――」

「……む」

「やっぱ一つでいいか」


 やはり布団を一人分しか敷いていなかったのは意図的であったらしい。

 あざとい真似を覚えたものだ。


 寝返り一つ打てない狭さ。

 これも慣れたものだ。

 

 美也の体温や息遣いがダイレクトに伝わってきても、それは安心感へと変換される。

 それがまた眠気を誘う。


「……」

「どうかしたのか、美也?」


 思案するような顔を浮かべていた美也は、俺の声にはっと顔をあげる。


「やっぱりまだ眠たくないか?」

「……ううん」

 

 どうしたのだろう。

 さっきから様子が変だ。


 俺と目を合わせてくれない。  


 いつも寝る時は目を合わせて、ちょっと微笑んで、目を閉じる。

 そこまでがワンセットだ。

 なのに今夜は俺から目線を逸らすばかりだ。


「なにかあったのか?」

「……」


 なにかあったのだ。

 といっても、俺に教えてくれる気はないらしい。


 俺に隠し事とは珍しい。

 気にはなったが、それもまあいいか、と息を吐いた。


「電気消すぞ?」

「……うん」


 電気を消す。

 辺りが真っ暗になった途端に、美也が身を寄せてくる。


「……ん」


 俺の腰に美也の腕が回される。 

 

「……もうちょっと寄らないと、布団から出ちゃうぞ」

「……っ」


 俺もまた、美也を抱き寄せるかのように腰に手を回す。

 美也は少し驚いたようにびくっとした。


「……」


 互いに呼吸が落ち着いてくる。

 身体が触れあい、体温が共有され、どこからが境界なのか曖昧になってくる。

 ドクンドクン、と聞こえてくる心臓の音がどちらなのかすらわからない。


 それくらい美也との距離が、近い気がした。


「ねえ?」

 

 頬に手を添えられた。


「シュウ?」

「ん? どうした?」


 美也が俺の目をじっと見ていた。

 

「ありがとう♪」

「え?」

「――好き」


 一瞬頭が真っ白になった。


「シュウのこと、好き」


 美也の顔が近づいてきたと思うと、思い切り身体を抱きしめられる。

 甘い匂いが、俺を包む。

 

「……好き、好き」


 耳元でささやかれ、体が硬直する。

 だが、不思議なほど呼吸は落ち着いていた。


「俺も――」


 この日が来ることを、ずっと待っていたからかもしれない。

 

「俺も、美也が好きだよ」


 美也の身体を抱きしめ返す。

 ちょっと強く抱きしめすぎたからか、「あ」と美也が声を上げた。


 でも俺は力を緩めなかった。


「大好きだ」

「……ひぅ」


 耳元でささやくと、美也もまた体を硬直させる。 

 俺の頬に、何か生暖かい感触が流れる。


「美也?」


 体を一旦離した。

 美也は涙を流していた。


 潤んだ瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。


「シュウ……」


 美也が顔を寄せてくる。

 そのまま抱き着くのかと思いきや、美也の顔はどんどん俺の顔に迫ってくる。

 美也が目を閉じた。


「……ん」


 ――ちゅ。

 

 唇に温かく、柔らかい感触が触れる。

 唇を触れ合わせるだけ。

 

 ただそれだけなのに、全身に電流が走ったような感覚がした。


 美也はすぐに顔を離した。

 

「ん……シュウ……」


 再び唇を重ねた。

 これもまた、触れるだけのキスだった。


 再び美也は体を離す。

 咄嗟に俺は美也を抱き寄せて、キスした。



「んっ……んぅ」


 少しだけ美也は驚いていたが、すぐに受け入れた。

 下唇が吸われるような感触があった。

 身体がこれ以上ないくらい密着している。


 不思議な感覚だった。ここが旅館だということも忘れ、時間の概念のない空間で美也とキスしているかのようだった。


 息苦しさを覚え、体を離す。

 秒数は数えていなかったが、息が切れるほど長いことキスしていたとわかった。


 美也の瞳から、また涙がこぼれ落ちる。


「……髪が濡れるぞ」


 美也の髪を、耳にかけさせる。

 

「……キス、しちゃったな」

「う、うん」


 恥ずかしげに頷いた。

 まだ唇に温もりが残っている。

 


 心臓の鼓動がうるさい。

 

 美也の身体も異様に熱かった。


「……シュウ?」

「ん?」

「これから……ずっと一緒?」


 潤んだ瞳で、いわれる。


「これまでもずっと一緒だったろ?」

「……いってほしい」


 手をぎゅっと握られた。


「当たり前だろ? ずっと一緒にいる」

「……うん」


 ――ちゅ。

 

 再びキスされる。

 体を離し、見つめ合う。


 沈黙が流れる。

 告白して、返事をもらって、キスして、それで満足――とはいかないようで。


 美也も俺も、どこかで熱いものが燻ぶっている。

 それがじりじりと、胸を焦がすようで、息が苦しくなる。


「……美也」

「……シュウ」

「――……もう寝るぞ」

 

 布団をかぶる。

 

「え……」

「続きは……旅行が終わった後にしよう」


 明日も早い。

 これ以上やったら眠れなくなる。


 そんな予感が……確信があった。

 

「今日は一旦、寝るから」

「……うん」


 美也はそう返事をするも、顔の頬の赤さ、体の熱は全く収まっていなかった。


「……うぅ」

「目を閉じるんだ。そうすれば自然と眠れる」


 目を閉じる。

 排熱するかのように深呼吸する。

 

 心を無にする。

 美也の身体の温かさとか、柔らかさとか、美也の「好き」って言った時の声とか表情とか、唇の感触とか唇の感触とか唇の感触とか思い出さ――


「くっ、眠れない……!」


 眠れるはずがない。

 今日いろんなことがあり過ぎて疲れているというのに、全然眠れる気がしない。

 頭が過去最高に冴えていた。


「シュウ」

「どうした?」


 美也が顔を近づける。 

 まさかまたキスするつもりでは、と思ったが鼻先が触れあう距離で止まった。


「『眼』……」

「え?」

「みて……」


 美也の瞳を見詰める。

 この世のものとは思えない琥珀の瞳。


 呼吸が落ち着いてくる。

 急に眠たくなってくる。


「……おやすみ」


 額にほのかな温もりが触れて、俺は意識を落とした。

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