第67話 ぽさ
その後も園内を転々として、軽食を取ったり、再びお土産を見たり、また絶叫アトラクションに乗ったり。
敷地を出た時には既に夕方になっていた。
「ありゃ、もうこんな時間か」
須郷が腕時計を見た。
「さすがに、はぁ、疲れたわね。……はあ」
「体力ねえな、お前」
サウナから上がってきたのか、と思うほど綾瀬は額から汗を流してた。
「お前が一番盛り上がってたくせに」
「別に盛り上がってないし」
「嘘つけ。さっきまで、女みたいにキャーキャー言ってたくせに」
「……女みたいで悪いわけ? 私女なんですけど」
「ハッハハ……」
「何、その乾いた笑い、なんなの?」
相変わらず痴話喧嘩の絶えない須郷と綾瀬だった。
「……♪」
「あのさ、美也」
「ん?」
「近くない? そもそも、歩きづらくないのか?」
「ううん♪」
美也はいつものように俺と手を繋いでいた。
ただ、お互いの距離が妙に近かった。
肩と肩が常に触れているような距離だった。
先ほどから上機嫌そうに鼻歌まで歌いだしている。
「ふ~ん、ふ~ん♪」
「何かいいことでもあったのか?」
「ん~、えへへ」
尋ねても、そういって美也は笑みを返すだけだった。
無邪気な、子供のような笑み。
「まあ、なんでもいいか」
何を考えているのかわからない表情よりも、こっちの方がずっといい。
本来の美也は、こんなに笑う子なのだ。
時間も時間なので、出入り口に向かう。
人々の喧騒を背に、ゲートをくぐる。
それだけで空気が変わったように感じ、思わず振り返る。
数時間という短い時間だったが、随分長いこといた気がする。
「……?」
「なんでもないよ。美也は楽しかったか?」
「うん♪」
即答する。
「そっか。じゃあ、またいつか行こうか」
「……っ」
いつか、なんて不確定な未来の言葉、美也に対して使ったのは初めてだ。
また来年も、といったのは確か実家から帰る時だったか。
あの時も、美也といつ別れることになるのかという不安の中で、意を消して言ったセリフだ。
だが、今は自然と言えた気がした。
「……うん」
照れ隠しなのか、美也は小さく、俯きながら頷いた。
テーマパークを出て、大阪の道頓堀に向かう。その頃には日は沈んでいた。
道頓堀の夜景が眩しく輝いている。
巨大なグ〇コの看板を見て、俺たちは年甲斐もなくはしゃいだり、写真を撮ったり。有名なドラマの撮影地に来て、少しだけ撮影を行ったり。
ド〇キの観覧車を見に行ったり。
「なあ、これ上から夜景見たらすげえ綺麗なんじゃねえか?」
須郷が観覧車を指さしながら、提案する。
レールを回る長円型で、内部のゴンドラが水平移動する珍しい観覧車だ。
「よし、お前ら撮ってきてくれ」
「え?」
唐突に俺は須郷からビデオカメラを渡される。
「もちろん美也ちゃんと一緒にな?」
「え、何で? これ四人乗りだろ? 一緒に乗れば——」
「はあ? 鈍感ね、あんた」
何故か綾瀬が突っ込んでくる。
「素直に二人で行きなさいよ、ホラ」
ばんっ、と背中を叩かれる。
「だから、俺高いところ苦手で――」
「女々しいこと言ってないで、さっさと行く!」
「俺たちはその間に、店探しておくからな」
二人に押される形で、俺と美也はゴンドラに乗り込んだ。
マジか、と俺は上を見上げた。
長円形の観覧車は縦に長く、確かに頂上付近の夜景は見ものだろうが、果たしてそれを楽しむ余裕があるかどうかは別だ。
「……む」
美也が手を握りしめてくる。
俺の目を見詰めてくる。
「だいじょーぶ……」
美也が勇気づけてくれる。
「わ、わかった。大丈夫、大丈夫。オーケーオーケー」
安全バーが下りる。
スタッフが手を振りながら、「いってらっしゃい」と声を掛ける。
ゴンドラが上昇すると同時、水平に回転し、外側を向いた。
「うぉ」
腹の下に浮遊感を覚える。
正面を向いた。
「うぉ!」
いきなり高い。
高度でいえばビル二、三階程度だろうが、それだけでも俺は十分高く感じる。
ゴンドラはどんどんと上昇する。
だがその時、そこから一望できる夜景が、視界に飛び込んでくる。
都会の派手な灯りが、夜を照らしている。影の向こう側には輝く通天閣や、あべのハルカスが見えた。
無数に集まった建物の灯りが、完成された一枚の絵になって目の前に現われる。
足元から聞こえてくる騒がしさが、今となっては一流オーケストラの演奏のように思える。
「スゲエな……」
「……」
頂上付近にまで来たときには、すでに恐怖感はなくなっていた。
「……」
美也がつないだ手に、更に指を絡めてくる。
そこで俺はいまゴンドラに乗って昇っているんだ、ということを再認識する。
「……き」
「ん? どうした?」
「きれい、……だね」
美也が上目遣いで俺に笑いかけた。
夜景のことをいっているのだろうが、すでに美也の関心は夜景でなく俺に向いていて、俺がどんな言葉を返すのか、どんなリアクションをするのか、じっと見ていた。
「そうだな。綺麗だな」
俺はそう返し、手を握り返した。
――本当はお前の方が、綺麗だゼ。
なんて浮ついたセリフが頭に浮かんだので、全力でスルーした。
美也はその反応で満足だったのか、笑みを深めた。
「えへへ♪」
美也が俺の肩に頭を乗せた。
肩に重みを感じる。
美也のスキンシップには慣れているつもりだったが、今の雰囲気と状況が完全にカップルのそれだった。
顔が熱くなるのを感じる。
たぶん美也はこの夜景よりも、俺とこのシチュエーションを楽しむことの方が大事なのだろう。
美也の視線は正面を向いていたものの、目を細め、どこかボーっとしているような顔をしていた。熱に浮かされたような表情だ。
俺も、もはや夜景のことなどどうでもよくなっていた。
ただ、肩に乗っかる重みとつなぐ手の感触に、美也の存在を強く意識する。
それだけで俺の心は占められていた。
ゴンドラが一周するのにかかるのは約十五分。
そしてその時間はすぐに尽きた。
ゴンドラが下降を始め、あっという間に観覧車の搭乗口に戻ってきた。
「はい、お疲れさまでした~」
スタッフの掛け声とともに、俺たちはゴンドラを降りた。
「あ~、終わったな」
「うん……」
寂しさの滲む声で、美也が言った。
「でも、楽しかったな?」
「……うん♪」
「……あ」
ここで俺は、重大なミスに気付く。
やばい、取り返しのつかないミスをしてしまった。
「しまった」
「……?」
「須郷から頼まれてた撮影、忘れてた」
手に持ったビデオカメラの重みを、今初めて感じた。
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