第66話 盲目の少女

「そっちはもう終わったのか?」


 綾瀬と美也が店から出てきた。


「まあね。あんまりいいものは見つからなかったけど」

「……うん」

「でもいいんじゃない? まだ歩くんだし、ここで荷物が増えても仕方がないでしょ?」


 俺と須郷はベンチから立ち上がり、エリアから移動を始める。

 

「アンタらはベンチに座って何してたの?」

「そりゃ、あれだ。男二人同士、立て込む話もあるってわけよ」

「なにそれ」

「な? 秀斗?」

「……別に大した話じゃない」


 再びマップを広げる。

 

「次、どこに行くんだ?」

「私もう疲れたんだけど」

「随分と早いな」


 まだ二、三時間くらいはいる予定だったのだが。


「女ってどんだけ歩いても疲れない生き物だと思ってたわ」

「はあ? そんなわけないでしょ」

「まあ、ここまで歩きっぱなしだし。ちょっとゆっくりできるところにでも行くか」


 昼も食べていないことだし。

 食事をとれるところを探すか。


「美也もそれでいいよな――って、あれ?」


 後ろを振り返ってみる。

 そこには誰にもいなかった。

 

「美也は?」


 周りを見渡しても、やはり美也の影はなかった。

 

「さっきまでここにいたんだがな」

「どこいったんだろ」


 須郷と綾瀬も美也の姿がないとわかってか、心配そうな色を浮かべた。


「どのタイミングではぐれたんだ……」


 平日といっても、夏休みシーズンとあってか、園内はかなりの人が溢れている。

 美也の外見は目立つとはいえ、見つけ出すのはかなり難儀しそうだ。


「にしてもはぐれちまうとはな……いつも秀斗にべったりなのに」


 ――待てよ。


 本当にはぐれただけなのか。

 新田も警告していた。

 西ノ宮家の動きには気を付けろと。


 ――もしかして、連れ去る……なんてことじゃ。


 自分の発した言葉が思い出される。


「ちょっとこれ持ってろ!」

「え、あ、おい! 秀斗!?」


 須郷に荷物を押し付ける。

 気づけば、俺は駆けだしていた。



 ♢



 ――美也の眼にはね、神様が宿っているんだよ。


 母親は今際の床で、私にそう言った。

 母親の身体は既に弱り切っていた。

 自力で呼吸すらままならず、機械に繋がれてやっと命を維持できる状態だった。


 息も絶え絶えで、しかし真っすぐと私の眼を見詰めていた。


 そのときでさえ、母親の眼は私と同じ、琥珀色に輝いていた。


 ――だからね、きっと美也も見つけられるよ。……大切な人を。

 ――私はもう見つけられたから。だから、私は、大丈夫。


 母親は私の頬に手を添えた。


 ――次は美也の番だね。


 母親はうっすらと笑いかけた。



 ♢


 

 なんでそんなことを、今思い出したのだろう。

 

 トボトボと歩きながら、私は思い返していた。


 母親の言葉を今まで一度たりとも疑ったことなどなかった。

 しかしあの時の私は、きっと母親以上の理解者を見つけられないだろうと思っていた。


 裕福とはいえなかったけれど、母親と過ごした日々は幸せだった。

 いつも母親が支えてくれるという安心感が、いつも私を包み込んでくれた。

 

 母親が亡くなった瞬間、目の前が真っ暗になってしまった。

 私はこれからどう生きればいいのか、誰を頼りにすればいいのか。


 この先の未来まで黒く塗りつぶされてしまったみたいで。

 だからこそ、偶然見つけた一筋の光に縋りついてしまったのかもしれない。


 彼と出会って、一緒に暮らして。

 まるで昔を取り戻したみたいだった。


 

 でも、母親と彼が違うところも確かにあった。

 彼は私の意図をすべて理解できるわけではなかった。


 考えてみれば当たり前の話だが、ずっと母親が基準だったために自分の意図を伝えるのが大変だった。

 自分がどれだけ不自由な体だったのか。

 彼に自分の想いを告げられないのが、歯がゆかった。


 でも、それでも彼はずっと私と目を合わせて、私の『声』に耳を傾けてくれた。

 喋れない私に寄り添ってくれた。

 一人の女の子として尊重してくれた。


 私は段々、別の感情を彼に抱くようになっていった。

 一緒にいると安心感と共に、心臓がドキドキするようになった。


 密着していると、心がふわふわするようになった。


 彼の匂いを嗅いだり、心臓の音を聞いたりすると、顔が熱くなるようになった。


 今ならわかる。

 この感情の正体。


 きっと私は母親の言う通り、『大切な人』を見つけることができたのだ。


 でもそれだけじゃ物足りなくて。

 今よりももっと親密になれたら。

 これからも、ずっと一緒に入られたら。

 

 もしそうなれたら、それはとても幸せなことだ。


 でも、と同時に不安に思うことがあった。

 私は喋ることができない。  

 自分の想いを、相手に伝えられない。

 家族はおらず、いざというときに頼る人もいない。

 ずっと入院していて、まともに外も出歩けない。


 そんな私と、ずっと一緒にいるって、言ってくれるのか。

 二か月もの間一緒に暮らしていた彼なら、その大変さをよくわかっているはずだ。


 そのうえで、私のことを――


「……ん?」


 思考が現実の世界に引き戻される。

 周囲を見渡す。


 彼が――シュウがいない。


「……シュウ……シュウ」


 口から彼の名が漏れた。

 

「どこ……?」


 周りに人はたくさんいるのに、急に世界に一人取り残されたかのような、そんな気分だった。

 どんどん体温が奪われ、視界が暗くなっていくような感覚を覚える。


 

 つい最近までは一人が当たり前だったのに。

 孤独でいることが当然だったのに。

 

 今はただ、彼がそばにいないだけで、どうしようもなく不安になってしまう。


 こういう時に瞳は何も見せてくれない。

 あの人を見つける手がかりを示してくれない。


 一瞬だけ、一瞬だけでも、視界に捉えることができれば――


「――……美也っ!」

「……っ⁉」


 その時、ぐッと後ろから手を引かれた。

 力強く手を握られ、じわっとしたものが心の中にあふれ出した。

 

「はぁ……はぁ……探したぞ」


 肩で息を切らしたシュウが、そこにいた。


「よかった……。まだそんなに遠くに行ってなくて」

「……シュウ」

「ごめんな。少し地図に気を取られてた」

「……シュウは」

「早く合流して――ん? どうした?」

「ううん、なんでもない、よ♪」


 ――ああ、そうか。


 そういうことなんだ。


 私が彼を見つけたんじゃない。

 きっと、彼が私を見つけ出してくれたんだ。


 あの日、雨の中。

 一人でいる私に、手を差し伸べてくれた、あの時に。


「はぐれないように、今度はしっかり握ってるんだぞ?」

「……うん♪」


 シュウは、ずっと私の傍にいてくれるんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る