第65話 嫌いな人
「秀斗、お前、お土産何にするんだ?」
売店を見て回っている中、須郷が尋ねてきた。
「確か妹いたよな? 何買っていくんだ?」
「別に気を遣う仲でもないし、なんでもいいんじゃないか?」
適当に俺は品を取ってみる。
鼻〇ソ味、ミミズ味、腐った卵味など、なかなかエグイ味のビーンズが入ったお菓子だ。
これを実家の家族に送りつけるのも悪くないかもしれない。
「俺も実家の親に何買ってやろうかな。綾瀬は何買うんだ?」
「お土産は私買わないわよ」
「実家暮らしなのに?」
「私親嫌いだし」
「反抗期かよ」
フン、と綾瀬は鼻を鳴らした。
「でもまあ、お姉ちゃんがいるし。一つくらいは買って帰ろうかな」
「お前、姉いたの?」
「まあね。お姉ちゃん、一人暮らしだから。あまり顔合わせてないけど」
口調から察するに、姉とは仲はいいらしい。
「ところで、美也ちゃんの家族ってどうなってるんだ? 兄弟とか?」
「……っ」
ここで須郷が踏み込んだ。
いきなり話を振られ、美也は少しだけ肩を震わせる。
面食らったような表情をしていた。
この二人は美也の両親の事情は何も知らない。
まさか須郷も綾瀬も、美也が駆け落ちした両親の間に生まれ、そして父親は首相の白石玄水だとは夢にも思わないだろう。
二人が知らされていることといえば、言葉が喋れないという障がいを持っていること、紆余曲折あって治療のために俺の元で暮らしているということ。
精々その程度だ。
「……いない」
周囲の雑音にかき消されそうなほど、か弱い声だった。
「ん? 兄弟がいないってことか。じゃあ一人っ子なんだな」
「……うん」
視線を伏せながら、頷く。
「じゃあ、お母さんとかに何かプレゼントとか——」
「あー! あーっ! 須郷ッ!」
「え、なに?」
「そんなことより、こっちにいいもんがあるぞ‼ 鼻〇ソ味、ミミズ味、腐った卵味とかあるビーンズなんだけど‼」
「それさっき言っただろ」
これ以上その話題に触れるのはマズかった。
絶対的にタブーな話だったが、事情を知らない須郷を責めるわけにもいかなかった。
「実家への土産は絶対これにした方がいいぞ? な? これにしよう? ていうか、これにしろ」
「お、おう、そんなに勧めるんだったら、まあ、いいけどな」
須郷もさすがに何か察したのか、これ以上の言及を避けた。
「……美也ちゃん。あっちのお店見に行かない? ここ人多いし、あっちにも面白そうなものがありそうよ」
「うん」
綾瀬と一緒に美也が隣の店に移動した。
おそらく綾瀬なりの気遣いなのだろう。
「なあ、一体さっきのはどういうことなんだ?」
二人になった途端、須郷が尋ねる。
「……ここじゃ言いにくい。場所変えよう」
俺と須郷は一旦表に出て、ベンチに腰かけた。
「で、何だ? 察するに、美也ちゃんの家族に何か事情があるんだろ?」
「まあ、な」
言っていいものか、とここに来て少し悩む。
ただ、須郷も綾瀬も他人のことをべらべらと話すようなタイプではない。
新田から口止めされているのはあくまで父親の件であって、母親の件に関しては表に出しても問題はない。
「俺も詳しいことは知らないけどな。美也は駆け落ちした両親の間に生まれたみたいだ」
「駆け落ち? 今の時代にか?」
「美也の母親が超いいところのお嬢様みたいでな。当時縁談とかがあったらしいんだ」
当時のやり取りは新田も知らないほどだ。
俺には想像もつかないが、とりあえず実家の方と揉めにもめて、美也の両親は西ノ宮野家の手の届かない関東にまで逃げてきたのだろう。
「でも、関東に来た美也の両親は程なくして別れたみたいだ」
それも、美也を産んでから別れたのか、美也がお腹にいる時点で別れたのか、それとも母親も妊娠に気付かずに別れたのか、わかっていなかった。
「美也は母親の方に引き取られたんだけど、三年前に母親が亡くなって、美也は身寄りがなくなって」
「なるほど。で、多分父親の手配か何かでお前の元に来たってことか?」
「そんな感じだ」
その父親が毎日テレビに出ているこの国の首相と知ったら、須郷も腰を抜かすに違いなかった。
「でも、妙な話だよな」
須郷が腕を組んだ。
「駆け落ちまでしたカップルが新天地に来て急に別れるなんて話、あるか? しかも、結果的には子供まで産んで」
「……さあ、その辺の事情はよく分からないな」
美也の出生や両親の件は、まだまだ分かっていないことが多かった。当事者にでも聞かない限りは。
ただ、俺が一番気になっているのはそのことではなかった。
美也の母親のこと。
その人は、俺が昔お世話になった人かもしれない、ということだった。
美也を一目見たときに覚えた既視感、その人が勤めていた病院、そして心理カウンセラーとして働いていたということ。
確証が持てないが、多分そうだろうと思っていた。
ただ、お世話になったといっても小学生くらいの話なので、俺も覚えていないことが多かった。
顔写真でもあれば思い出せそうなんだけどな、と内心思った。
♢
「大丈夫、美也ちゃん?」
「……?」
「さっき、ちょっと動揺してたみたいだけど」
「うん……だいじょーぶ」
「なら、いいけど」
無関心を装うも、女子同士とあってか親切を滲ませるような口調だった。
「家族のこと——」
「ん?」
「何か悩みでもあるの?」
「……う~ん」
悩みといっていいものか、と悩んでいた。
「家族と仲悪いとか?」
「……」
仲が悪い以前の問題だった。
「お母さんとか?」
「ううん。おかあさん、は……」
「お母さんは?」
「……いい人」
「そうなんだ?」
うん、と美也は頷く。
母親のことを思い出しているのか、美也は柔らかな顔を見せた。
「じゃあ、おとうさ—―」
「ダメな人」
「え?」
「あの人は……ダメな人」
母親の時とは打って変わり、美也はすん、とした顔をしていた。
「そう、なのね」
綾瀬は同情するようにいった。
「私もさ、親と仲悪くてさ。仲悪いっていうか、ネグレクトっていうのかな? 親なのに、全然かかわりがなくて。お姉ちゃんがほとんど世話をしてくれたから、そんなに不自由は感じなかったけど」
「……」
美也は黙って話を聞いていた。
「仕事でずっと家をほったらかしにするような人でさ。だから、私もお姉ちゃんも親は嫌いだったし、中学の頃からずっと他人みたいな距離感で接してたけど、今にして思えば、もっと違うやり方があったかな、って思うんだよね」
「……?」
「親がずっと家を空けるようになってから、私たちも無視してたんだ。でも、私の方から話そうとする努力してればちょっとは関係も変わってたかな、って思うことは時々あるかな」
後悔、ということのほどではない。
あくまで可能性の一つとして、考えているだけ。
ただ、自分の家族を早い段階から見限って、可能性を潰していたのは事実だった。
「美也ちゃんは、ちゃんとお父さんと話したことある?」
「……ううん」
「まあ、そうか。そうだよね」
喋ることができないのだから、話すことができないのは当たり前だ。
「けど、いつか喋れるようになったら、お父さんと話してみるのもいいんじゃない? 案外、お父さんの方は仲良くしたいのかもよ?」
「――……」
美也は答えなかった。
視線だけを泳がせる。
「……うん」
間をおいて、短く返事した。
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