第63話 血族

「すぅ……すぅ……」


 耳元に吐息がかかる。

 暖かな体温と、果物ような甘い香り。


 しっとりとした朝の空気を感じ、俺は目を覚ました。

 

「んぅ」


 すぐ傍らでは、美也が俺の首に手を回し、頬擦りをしながら眠りこけていた。


 よくもまあ、この姿勢で互いに眠れたものだ。

 滅茶苦茶恥ずかしいじゃん、酒の力ってやはり偉大だ、と思った。


「美也、朝だぞ」

 

 少しだけ体を離し、美也の身体をゆする。


「むぅ」


 最近は美也の方が早く起きるので、美也の寝顔を見るのは久しぶりだった。

 やはり何度見ても美也の容姿はため息が出るくらい綺麗で、圧倒的だった。


 こんな子と一緒にいて、胸の高鳴りよりも先に、安心感、安堵の方が来るのは不思議な感覚だった。


「朝ごはん食べるぞ。早く起きて」

「ん~、いやぁ」


 喉を鳴らしながら、俺にすり寄ってくる。

 まるで猫みたいだ。


「まだ……」

「まだ?」

「まだ……一緒」

「ん?」


 なんだろう、寝言だろうか。それとも寝ぼけているのか。

 苦しそうな言い方をしているのが気になった。


「美也?」

「ん~、シュウと一緒、が……」


 どんな夢を見ているのだろうか。

 

「うぅ……ずっと、いっしょに……」


 美也が眉をひそめながら、うなされるように口にする。

 少なくともいい夢を見ているとは思えない。


 俺にどこか縋りつくように、身を寄せてくる。


「美也、起きて」

「……っ。……?」


 美也が薄く目を開ける。

 琥珀色の瞳が俺を捉えた。


「大丈夫か、結構うなされてた——っ!?」

「~~っ!」


 がばっ、と美也が飛びついてきた。

 突然のことに体が反応できず、そのまま布団に押し倒される。


「ど、どうした?」

「んぅ」


 俺の首筋に深く鼻先が押し当てられるのを感じる。

 息遣いをすぐ間近に感じ、体が硬直する。


 目視でも、美也の背中が上下するのがわかった。


 俺がなにも言えない間に、美也は少し落ち着いたのか、強張っていた体の力が抜けていく。

 完全に俺に体を預けているような状態だった。


「何か、夢でも見たのか?」

「……うん」

「……そっか」


 深く尋ねようとは思わなかった。


「とりあえず朝飯、食べようか」


 ♢


「おぇ……」

「朝から景気悪そうだな」

 

 朝食をとるために、食堂に集まる。

 朝起きた時点で昨日の酔いはすっかり取れていたが、綾瀬だけは違ったようだ。


「ゲロ吐きそう」

「朝食の席でゲロとか言うなよ、お前」


 須郷が眉を顰める。


「お前、今日大丈夫なのか?」

「平気よ平気。さすがにこういうのは慣れてるから」

「慣れてるなら飲むのを控えて欲しいんだがな」

「その時はまた須郷に介抱してもらうからいいのよ」

「なんで俺に介抱される前提なんだよ」

「朝から喧嘩するなよ、お前ら」


 全く、とため息を吐きながら朝食をかきこむ。


「……」


 美也も黙々と朝食を口にする。

 普段通りの美也だった。


 さっきのは一体何だったのだろう。

 おそらく変な夢でも見ていたのだろうが、一体どんな夢を見ていたのかわからずじまいだった。


 美也があそこまで怯えるような仕草を見せたのは、初対面の日に電気を消したあの時以来だ。


 酔った須郷を車で送り届けた後のことだ。懐かしい。


 結局美也が怯えていたのは暗闇が怖いという恐怖症を持つ故だったが、今回はよくわからなかった。


 少しだけ、気になる。

 


「何時に出発するつもりなんだ、秀斗?」


 須郷が尋ねてくる。

 今日は大阪観光の予定だった。


「まあ、準備が整い次第いつでもいいけど」

「……あ、あと一時間は待ってくんない?」

「いいけど、一時間だけだぞ?」


 水をがぶがぶ飲む綾瀬を横目に、俺は朝食を進める。

 その後は「夜はよく眠れたのか」とか、「お土産は何を買っていくのか」とか、「大阪での修学旅行はどこに行ったのか」とか、そんな話題で盛り上がる。


 朝食を済ませると、一旦それぞれの部屋にもどって支度をする。 

 

「……美也、さっきは大丈夫だったか?」

「ん?」

 

 心配だったので、一応尋ねる。


「寝苦しそうだったからさ」

「……うん……だい、じょーぶ」

「大丈夫?」

「うん」


 特に含みのある言い方には思えなかった。

 本当に何とも思ってないようで、もしくはもう夢のことなど忘れているのかもしれない。


「なら、いいんだ」


 支度を終え、一時間が経った後、旅館を出る。

 外で須郷と綾瀬と合流した。


「で、頭はスッキリしたか?」

「……だいぶ」


 顔を洗ってきたのか、綾瀬の長い前髪の先端部分は濡れていた。

 朝食の席の時よりは、いささか顔色はよく見える。


「じゃあいくぞ、大阪」

「おうよ、ちなみに今日はどこで撮るんだ」

「またデジカメ持ってきたのか、お前」

「へへ、まあな」


 すでにカメラを構え始める須郷。


「今日は結構人が多いところ行くから、のんびり撮影している暇はないぞ」

「やっぱそうかぁ」


 テーマパークと繁華街を中心に回っていくので、今日はあまりゆっくりしていく時間がない。

 

「さっそくいくぞ」


 駅に向かって歩きだす。

 

「にしても、今日はUSN混んでるんじゃないか? アトラクションの待ち時間、大丈夫か?」

「一応平日だし、大丈夫じゃないか? よっぽど長ければ別のに乗ればいいだろ」

「プレイパスとか買えばよかったんじゃないの?」

「結局数時間くらいしかいないし、何回も行くことないからな。買う必要もないだろ」


 駅に近づくにつれ、人が多くなっていく。


「……っ?」


 唐突に、美也が立ち止まって振り返った。 


「どうした、美也?」

「……」


 美也は人混みをじっと見詰めてた。

 視線の先では、高級そうなスーツを着た老人が歩いていた。


 そして、あっという間に群集の中に消えていく。


「なにか、あったのか?」


 美也がふるふる、と首を振った。



 ♢

 

 一方、先程まで秀斗たちが泊まっていた旅館に、一人の老人が訪れた。

 

 老人は高級そうなスーツを身に着けており、ハットをかぶっていた。 

 老人の年齢は今年で七十を越えるものの、足腰はしっかりしており、瞳には力強い光が宿っている。


 若い人が対峙すれば、それだけで参ってしまうような威厳があった。


 老人が旅館に入る。

 受付に向かうと、若い女性従業員が対応した。


 老人の姿を認めると、少しだけ顔が強張った。

 どこかの偉い人だと判断したようだ。  


 実際身につけているものや、纏う雰囲気が一般人のそれとは訳が違った。

 


 そんな従業員をよそに、老人はハットを取った。



「……予約していた、西ノ宮というものだ」



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