第59話 意趣返し

「むぅ……」

「ご、ごめんって」


 美也の機嫌は新幹線に乗っても治らなかった。

 


 俺が美也の脇腹を突いた後、美也が「ひゃぁ!?」と大きな声を上げた。

 それだけならまだよかったものの、美也がスナイパーに狙撃されたように大きく体を仰け反らせたものだから、周りの客の目を集めてしまい、恥をかかせてしまった。


 それから、眉をひそめっぱなしだ。

 俺から目を背けるように新幹線の窓を眺めている。


「まあ、軽々しく女の子に触って恥をかかせたお前が悪いな」

「元はといえば、お前がやれって言ったじゃないか」

「まさか本当にやるとは思わないだろ」

「本気で怒ってはなさそうだけど、機嫌は取っておきなさいよ? せっかくの旅行がギクシャクしたままじゃもったいないし」


 後ろの座席に座る二人から声を掛けられる。

 確かに激怒しているようには見えず、軽く拗ねている程度とは思うが、美也が俺にヘソを曲げることなどあまりなかったので、どうすればいいのかわからない。


「な、なあ、何でもするから……そんなに拗ねないでくれよ」

「むぅ……」


 美也と目が合う。

 頬を膨らませいかにも、「私、怒っています」と言いたげな目を俺に向ける。

 本気で怒っている人がそんな真似はしないだろう。


 しかし形だけの謝罪を求めているわけでもないようだ。

 どうすればいいだ、と考え込んだ矢先だった。


 ――つんっ。


「あうっっ⁉」


 本気で刺されたかと思った。

 痛みはなかったものの、それくらいの衝撃が脇腹を走った。


 思わず飛び上がる。


「ふふ♪」


 美也が悪戯っぽく笑う。

 大声を上げて立ち上がってしまった俺は、周囲の客の目を集めてしまう。


 恥ずか死。


 赤面したまま俺はゆっくりと着席した。

 

「とんだ意趣返しだったな」


 須郷が美也を褒めたたえるように言った。


 ♢


 新幹線は東京大阪間を二時間半ちょっとで走り抜ける。

 予定では、新大阪に着くのは一時過ぎとなる。

 

 その後、どこかで遅めの昼食を取り、宿泊先である京都へと向かう。


「いやあ、でもワクワクするよな。俺たち学生だけで旅行ってのも」

「修学旅行と違って、先生はいないしね」


 後ろの席の二人が興奮したように言う。

 そもそもこの旅行は毎年サークルの恒例行事であり、映像作品の制作と聖地巡礼というちゃんとした目的があったのだが、部員の減少に伴いその目的も風化し、単なる旅行という今の形に落ち着いた。


 アナウンスにより、間もなく新大阪に着くことが告げられる。

 

 新幹線が減速し、駅に到着する。

 荷物を降ろし、新幹線を下りた。


 時刻は予定通り一時過ぎと、少し腹が減った頃。

 須郷と綾瀬が以前に新世界やら道頓堀やら某有名テーマパークに行きたいといっていたが、今日はとりあえず宿泊先に移動するのが優先なので、それは別の日に後回しである。


 なので新大阪周りで適当に腹を満たすことにした。

 昼食はお好み焼きに決まった。

 特にお好み焼きが好きではないものの、本場に来ると食べたくなるものだ。


 お好み焼きが出来上がるのを待つ間、バイト先の店長がうざいとか、大学の後期の履修はどうしようとか、今回撮る映像作品はどういうコンセプトでいくのか、など、そんな話題で盛り上がる。

 そして話題は、将来のことに移る。


「そういや秀斗は大学院行くんだって?」

「今のところはな」

「心理系の職に就くつもりなんでしょ?」


 一応俺だって帝東大というそれなりに名の知れている大学に進学して、心理学を勉強している身だ。


 高校の時から決めていたことだ。

 今さら変わることはない。


「いいなあ、ちゃんと目標あって。俺は一応司法書士っていう目標もあったんだけど、周りの友達は公務員になる奴多くてさ」

「揺らいでんのか?」

「まあ、ぶっちゃけな」


 大学に行っても、進路に悩むのは相変わらずである。

 大学卒業はゴールラインではなくスタートライン。今までの学校生活諸々は助走でしかないのである。


「綾瀬は高校教師だったっけ?」

「まあね」


 俺が尋ねると、綾瀬は言葉少なに答える。


「こいつが教師とか信じられねえよな」

「は? どういうことよ、それ」


 須郷に噛みつく綾瀬。

 

「人に教えている姿が想像できん」

「そういうあんたもどっこいどっこいでしょ。そもそも教員になろうとする人は、そっちの学部にもいるんじゃない?」

「それなりにいるぞ」


 教職課程のある学部なので、卒業要件を満たしながらついで感覚で教員免許取るのに必要な単位を揃える奴もいる。

 全国から学生が集まってくるからか、いろんな考えを持つやつが入り乱れている。 

 それが大学という場所だ。


「ねえ、美也ちゃんはなんか将来の目標とかはないの?」

「……む?」


 綾瀬が美也に話を振った。


「そりゃもうお前、決まってんだろ」


 美也が何か言う前に、須郷が口を挟む。


「あれだろ、ずばり秀斗の嫁だろ」

「……っ!」

「お前、昼間から酔ってんのか?」


 冗談だっつの、と須郷が笑い飛ばす。


「……」


 美也はぽっと顔を赤らめる。

 視線を下げ、ぼーっとしている。


「どうした、美也?」

「……っ⁉」


 俺が声をかけると、ビクッと肩を震わせた。


 須郷が俺と美也の関係に触れたからか、話題は自然と色恋沙汰に移る。


 ちょうどその時、お好み焼きが出来上がる。

 四人で皿に分けながら、話題は進む。


「お前この前、一緒に呑んだ子とはどうなったんだ?」

「一緒に呑んだって、何のこと?」

「須郷がこの前飲み会で一緒になった子とちょっといい感じになったって自慢してきたんだよ」

「へえ。で、どうなの?」


 いやあ、と須郷は照れるように言う。 

 反応を見る限り、悪い結果ではなさそうだった。

 美也も少し興味を持ったのか、須郷の方をじっと見ている。


「会がお開きになったらさ、ちょっと連絡先交換して」


 おお~、と俺と美也と綾瀬の声が被る。

 

「でな、その後カラオケ行ったんだよ」

「いいじゃん。あんた、カラオケ上手いし」

「そりゃ熱唱したよ、彼女意外とアイドル好きでさ」

「でも、お前、アイドル嫌いじゃなかったっけ? 歌えたのか?」

「歌えたぞ。今流行ってる、ファブリーズって五人組」

「『アイドルなんてもんにハマる奴の気が知れねえ』ってバカにしていた男とは思えないわね」

「彼女出来ることに比べたら、どうでもいいんだよ。ファブの歌を歌うくらい」

「んで、その後は?」

「その後は、まあ、連絡なし」


 あ~、と俺と美也と綾瀬の声が被る。

 最初の照れたような仕草はなんだったんだ、と落胆した。


「いつも通りだな」

「いつも通りね」

「うるせえ。っていうか、そういう綾瀬はどうなんだよ」

「私? 私はいいのよ。別に」

「そういえば、お前の異性のタイプって聞いたことなかったな」


 男同士なら性癖の暴露をすることなど日常茶飯事であるが、異性に異性のタイプを聞くのは他意があるようで聞きづらい。 

 だが俺らの仲では関係がない。


「ん~、そうね。やっぱ……王子様みたいな人、とか」


 あ~、と俺と美也と須郷の声が被る。


「ずっと女子高に通ってた女子が言いそうなタイプだな」

「え、何で分かったの?」


 まさかの図星である。


「まさかお前からそんなメルヘンチックな言葉が出てくるとはなあ」

「良いでしょ別に……人の自由でしょ」


 須郷の揶揄に、言わなきゃよかった、と早くも綾瀬は後悔の色を浮かべる。


「ていうか、お前、女子高だったんだな」


 だからいつも胡坐をかいているのか、納得だな、と思った。

 スカート丈を無視して教室で堂々を胡坐をかく綾瀬が目に見えるようだ。


「秀斗は……お前はいいか」

「え、俺のことはいいのか」

「あんたはいいでしょ」

「興味ないし」

「どうでもいいし」


 ひどい扱いだ。


「じゃあ、美也ちゃんの異性のタイプは何?」


 綾瀬が尋ねる。

 美也は箸を止め、目線を彷徨わせる。


「……匂い」

「え、匂い?」

「うん」


 美也は再び箸を動かした。


「匂いと……音」

「なんか、前にも同じようなこと聞いたな」


 須郷がつぶやく。


「そうだっけ」

「フェチな子ねえ」


 咄嗟に自分の体臭を嗅いでしまう。

 あと、音って何のことだ?


 声のことか?


 わからねえな、と頭を悩ませる。

 すると、ふと、美也と目が合った。


「えへへ♪」


 美也は愉快そうに笑みを浮かべた。








―――――――――――


 どうやらこの世界ではファブリーズなるアイドルグループが人気のようですね。

 


 この名前にしたのは、家でふと目についたからです。




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