第50話 寝起きASMR

 体をゆさゆさと揺すられる感覚がした。

 耳元が妙にくすぐったい。


「――ウ」


 吐息が耳にかかる。

 思わず身をよじった。


「――シュウ」

「……ん?」


 ゆっくりと目を開ける。

 目線を彷徨わせると、すぐ黄金色の瞳とぶつかった。


 美也が至近距離で、俺の顔を覗き込んでいた。


「シュウ」

 

 目覚めた俺を見て、美也は優しく微笑む。


「美也? あれ、もう朝か」


 美也が起きているということは寝坊したのか、と思ったが、時計を見てもいつも朝食を食べる時間より少し早かった。


 体を起こすと、コーヒーの香りが漂っていることに気付く。

 美也の格好も、いつの間にか寝巻から普段着に着替えられており、髪も整えられている。


 食卓を見ると、すでに朝食が用意されていた。


「もしかして、作ってくれたのか?」

「……うん」


 美也が用意してくれたのはトーストにベーコン、スクランブルエッグと洋風の朝食だった。

 黒瀧家の朝食メニューに似ている。

 しかもコーヒーまで用意してあった。


 おそらく、母さんの仕込みだろう。


「わざわざつくってくれて、ありがとうな」

「ふふ♪」


 美也は嬉しそうに笑う。

 母さんから料理を習ったとはいえ、朝が苦手なはずの美也が俺より早く起きて朝食をつくったと思うと感じ入るものがあった。


「じゃあ、朝ごはんにしようか」


 手早く着替え、身繕いを済ませ、朝食の席に着く。

 ホテルの朝食かと思うほど見栄えがよかった。

 

 俺が作るときは見栄えなど露ほども気にしなかったが、改めてみると見栄えのいい料理は見るだけで食欲がそそられる。

 それに、作り手が丹精込めて作ったのがよくわかる。


「いただきます」


 朝食に手を付ける。 

 どれも作りたてでおいしく、コーヒーも言うことなしだった。


 ちなみにいつも俺はブラックで飲むが、美也はコーヒーにミルクをたっぷり入れるので、ほとんどカフェオレみたいになっていた。

 おそらく苦いものが苦手なのだろう。


 思えば初めてコーヒーを飲んだ時も顔をしかめていた。


「あれ?」


 携帯に着信が入った。

 こんな朝っぱらから一体誰なんだ、と眉を顰める。


「ごめん、席を外すよ」


 席を立ち、廊下に出る。 

 電話の相手は須郷だった。


「もしもし?」

『お、秀斗。お前、昨日のメッセージ見たか?』

「メッセージ? 何の?」


 そう言えば昨夜、携帯が鳴っていた気がする。

 その時は既にベッドに入っていたので、記憶が曖昧だった。


『これからお前の家に行くってメールだ』

「は?」


 ピンポーン、とチャイムが鳴る。

 まさかと思い、モニターを覗きこむ。


『よう』


 モニター越しで、そして電話越しで、須郷の声が聞こえる。

 

『久しぶりね』


 今度はモニターから綾瀬の声が混じった。


「綾瀬も来ているのか? 一体何の用だよ」

『そりゃお前、来るべき旅行について作戦会議するためだ』

「今年はわざわざ集まって話し合うのか?」


 去年の九州旅行の際は俺が全てのプランを考えたし、それについて二人からは何の不満も聞いてはいない。

 

『みんなで話し合って決めた方が楽しいだろうが』

『秀斗一人に任せておくのも気が引けるしね』

「だからって、こんな朝っぱらからか?」

『深夜に押しかける方がよかったか?』


 なぜ最初から深夜か朝かの二択しかないのか。

 

「とりあえず上がれ。話はそれからにする」


 エントランスの扉を開錠する。


「悪い、美也。朝から人が来ることになっちまった」

「……? ……うん」


 なんとも思っていないかのように、美也は軽く頷く。

 俺の家に人が上がり込むのはしょっちゅうだし、須郷や綾瀬とは初対面ではないので、美也にとっては慣れたものだろう。


 玄関のチャイムが鳴り、俺はドアを開けた。


「よっ」

「お邪魔するわ」

「ったく、こんな朝っぱらから来やがって」


 ブツブツ言いつつも、結局は家に上げる。

 二人が何の脈絡もなく訪ねてくるというのは珍しい話でもない。


 迷惑極まりないことにはかわらないが。


「お、美也ちゃんも久しぶりだな」

「一週間ぶりくらいだっけ?」

「……うん」

「「え?」」


 端から返答を期待してなかった二人は、美也から言葉と呼べるものが発せられたことに、目を見開く。


 そうか、二人は美也が喋るのを見るのは初めてなのか。


「あれ、今、しゃべらなかった?」

「その説明は追々するから。とりあえず座れ」


 ♢


 相撲観戦するオヤジのようだ、と俺は思う。

 二人は床に胡座をかいており、男の須郷ならともかく、一応女性である綾瀬が大胆に胡座をかく姿は、休日のおっさんのようでもあった。


「ふーん、なるほど。花火大会か。知らないうちにそんなもんに行ってたのか」

「私たちを誘ってくれてもよかったのに」

「どうせお前ら、今まで家でゴロゴロしてただけなんだろ? 誘っても来ないだろ」



 二人は妹と違って気乗りしないイベントにはとことん気乗りしない。

 飲みに行ったり、カラオケに行ったり、ボウリングに行ったりはするが、ただ歩き回る催しに参加するタイプではない。


「でも、やっぱりなんか二人雰囲気変わったよね」

「ん?」


 綾瀬がそう指摘する。


「確かに。ちょっと変わったな、お前ら」

「須郷までそう言うのか。何が変わったって言うんだ?」


 漫画の主人公が重大な試練に打ち勝った後の仲間のセリフのようだった。


「なんつーか、距離感縮まったような。親密度上がったよな」

「ね。前から仲よさげだったけど、より和やかさが感じられるというか。なんかあったの?」

「……いや、別に何も」

「……」


 俺も美也も、特に何か言うことはない。

 実際のところ色々あったのだが、人に言いふらすことでもないだろう。


「それはさておき、今日は旅行の段取りについて話し合うじゃなかったか?」

「おう、そうだった」

「わざわざ俺の家に来たってことは、お前らの方から何か提案があると考えていいんだよな?」

「私たちも秀斗が実家に帰っている間に、色々話し合ったのよ」

「ほう、なら聞かせてもらおうか」


 珍しく二人からの提案だった。


「考えたんだけどよ、どうせならホテルじゃなくて旅館に泊まるのはどうかなって」

「旅館か」


 どんな突飛なことを言い出すかと思ったが、案外普通の提案だった。


「でも、旅館って京都ってイメージだよな。旅行の行き先は大阪なんだぞ?」

「そりゃさ、京都に宿取って、大阪に日帰りで行くってことならいいんじゃない?」

「なるほどね」


 そもそも旅行の行き先を指定したのは美也からだった。

 彼女がなぜ大阪を指定したのか不明だが、美也の同意さえ取れればそのプランでも悪くない。


 むしろ都会に慣れている俺らからすれば、温泉街でゆっくりするような旅行の方がいいかもしれない。


「美也はどうだ? 今の話」

「……ん」


 美也は少し考え込むように首をひねる。


「……うん」


 そして小さく、頷いた。



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