第48話 変わったもの、変わらないもの

「あら、おかえりなさい」


 家に上がると、母さんが出迎えた。


「ただいま」

「花火、綺麗だったわねぇ。やっぱり美也さんと見たの?」

「まあね」

「……秀斗さっきから浮かない顔してるわよ? もしかして、美也さんとのデート上手くいかなかったの?」

「いや、そういうわけじゃないんだけどさ」

「デートであることは否定しないのね」

「そういや、美也は?」

「もうお風呂入っちゃってるわよ。綺麗だったわよねえ、美也さんの浴衣。私がメイクアップしたんだけどね」

「まあ、ちょっと元に戻るのがもったいないクオリティではあったな」


 保存用に写真でも撮っていれば良かったと軽く後悔する。


「祐奈はもう帰ったのか?」

「今部屋にいるわ。秀斗より一時間早く帰ってきてたわね」

「そうか」


 母さんから根掘り葉掘り聞かれないうちに、さっさと自分の部屋に向かう。

 祐奈が星くんとの関係を両親に言っていないのは、母さんからの追及が面倒臭いからであろう。


 父さんは放任主義なところがあるものの、母さんは子供の事情に何でも首を突っ込みたがる。


 学校の様子、交友関係、恋愛事情など、いちいち聞かれるのは実の母親といえど鬱陶しかった。


「あ。兄、帰ってきてたんだ」


 祐奈の部屋を通りかかったところで、声をかけられる。


「そっちはずいぶん早いお帰りだったようだな」

「まあね」


 祐奈はコンビニで買ってきたのか、アイス棒を咥えながら頷く。


「……なあ、ちょっと今いいか?」

「うん?」


 祐奈はアイス棒を一度口から離し、俺の顔をじっと見た。

 

「……とりあえず、部屋入りなよ」

「悪いな」


 部屋の扉を閉じる。

 下から聞こえていたテレビの音が消え、部屋が静けさに包まれた。


 相変わらず汚い部屋の、数少ない足場に腰を下ろす。


「で、急に改まってどうしたの? 何か悩み事? 相談でもある?」


 俺の態度を見て取ったのか、祐奈はいつになく真剣なトーンで尋ねた。


「別に相談って訳じゃないけどさ……質問なんだけど」

「質問?」

「お前らさ、どうやって付き合い始めたんだ?」


 祐奈は質問の意図を察しかねるのか、こてんと首を傾げる。


「どういう質問なの、それ?」

「そのまんまの意味だ。お前ら幼馴染みだったのに、どういう流れで付き合うことになったんだ?」


 俺自身、自分が何でこんなことを尋ねているのだろうと我に返りそうだった。

 ただ、どうしてもこの質問をぶつけなければ気が済まないという思いもあった。


「兄にいってなかったっけ? 告白の方は新一のほうからしたんだけど、私は返事に迷って、結局押し切られる形で付き合い始めたんだよ。で、だらだらと関係が続いて今に至るって感じ」

「それって、特に進展していないってことだろ? 別れようと思わなかったのか?」

「別に? 関係は進展してないけど、仲が冷めた訳じゃないし。それにさ」


 祐奈は再び、アイスをペロリと舐める。


「私はさ、待ってるんだよね」

「待ってる? 何を?」

「新一が一歩踏み出してくれるのを」

「なんじゃそりゃ。お前が歩み寄ればいいだろ」


 星くん曰く、今まで付き合って半年近く経つも、手を繋いだこともないらしい。

 高校生の付き合いにしては随分清い関係とも取れるが、本当にそれで大丈夫なのかと心配になってくる。


「新一って、ああ見えて見栄っ張りだからさ。自分がすべきことを自分でしなきゃ気が済まないタイプなんだよ。それこそ、男の沽券とか、プライドとかさ。そのくせチキンで、臆病だから、まったくアプローチしてこないし」

「お前、よくそれで待っていられるな」

「私と新一の仲は今に始まったことじゃないし。一、二年待つことくらいどうってことないよ」

「ふーん」


 我が妹ながら、幼馴染みのいない俺にはわからない感覚だ。

 

「それに、全く進展がないわけじゃないんだよね。例えば約束の時間に私より早く着くとか、車道側を歩いてくれるとか」

「それはチキンとか臆病とかは関係ないと思うが」

「まあ、なんていうの? そういうさ、小さい変化を楽しむっていうのかな? ちょっとずつでも、ゆっくりでも、気長に待てば新一は応えてくれるから。私と新一の付き合いってそういう感じ」

「普通のカップルじゃ理解しがたい感覚だな」


 よほど信頼し合っていなければ、このような考えには至らないだろう。

 それもそれで、ひとつの恋愛の形なのかもしれないな、と俺は思う。


「で、聞きたいことってそれだけ?」

「ああ、聞きたいことは聞けたと思う」

「ふーん、そう。まあ、役立てたならいいけど」

 

 祐奈はそう言って、再びアイス棒をパクリと咥えた。

 俺は立ち上がり、祐奈の部屋を出る。


 自分の部屋に戻る頃には、祐奈の話がストンと腑に落ちていた。


 ♢


「ん……」


 風邪を引きそうだった。

 祭りの非日常、そして風呂上がりに美也を梳くという日常の温度差に。


 祭りの時は髪をアップにしていたにもかかわらず、今は完全に下ろしている。

 

 女性って髪型一つでこうも印象違うんだなあと、人体の神秘に感動しかける。


「……これで終わったぞ」

「……うん」


 ブラシを置く。

 いつもだったら、そのまま電気を消して眠るところだ。特に今日は歩いたからか、いつもより疲れがたまっていた。


「電気消すぞ」

「……」

「……どうした?」


 またハグを要求されるのかと身構えたが、美也は俺の顔をじっと見つめたまま何かをする気配はない。


「……」

「……っ」


 ただ、美也が昼ドラのヒロインのような熱を孕んだ顔をするものだから、思わずたじろぐ。


「早く寝よう。もう俺、疲れたからさ」


 電気を消す。

 枕に頭を置くと、そのすぐ横に美也が寝そべる。

 

 触れてもないのに、美也の体温が伝わってきそうな、距離だった。


 誰が取り決めたわけでもないのに、二人して向き合う。


「……シュウ」

「ん?」


 美也がそっと俺の手に触れてくる。

 闇の中で輝く瞳が、俺の目をのぞき込んでいた。


「……お」


 吐息を含めながら、美也が小さく口を開く。


「――……おやすみぃ」

「……ああ」


 美也の手を握り返した。


「おやすみ」

 

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