不滅の絆

第47話 黄玉の瞳

 どうして私には父親がいないのか、母親にことがあった。

 私には、母親と同じ眼があった。

 言葉によらずとも、互いに思いは伝わっていた。


 母親が父親について何かを語ってくれたことはない。

 ただ母親は左手の薬指にはめた指輪を、常日頃から身に着けていた。料理の時も、風呂に入るときも、絶対に手放そうとしなかった。


 そして、私が尋ねると母親は悲しげに笑った。


「私にはこの眼があったからね。あの人のこともよくわかっていた。ちょっとわかり過ぎるぐらいにね」


 黄玉に輝く瞳。

 常人には見えないものすら見抜く眼。


 時にそれは人に不気味さを与えるほど、妖しい輝きを放っている。


「あの人の想いと私の想いを天秤にかけて……私はあの人の想いを尊重することに決めたの。その選択に後悔はしてないけど……だからこそお母さんは幸せを取り逃しちゃったのかな、って」


 母親は最後まで内容を仄めかしたままだった。

 父親は何者で、どういう人なのか。 

 

 それを知ったのは、母親が亡くなった後だった。

 公安と名乗る青白い顔をした男が、美也の元に訪れ、説明してくれた。


 自分の父親が、日本の首相である、白石玄水という男であることを。この新田という男は、その父親の使いであることも。

 ただそのことを知っても、受け入れがたいことであった。


 母親は病弱で、稼ぎも十分とはいえなかった。

 なのに障害を持って生まれた私を、たった一人で育ててくれた。

 そんな母親を見捨た男が、一体どの面下げて使いをよこしたのか、という思いも少なからずあった。


 そんな反発心と、唯一の家族が死んだ直後とあって、私はささくれ立っていた。

 母親は、私のをただ一人理解できる人間だった。その存在があったからこそ、不自由なく暮らせていた。

 母親がいなくなっただけで、自分がどれだけ不便な体をしているのか身に染みて思い知った。


 三年経った後も傷は癒えず、ある日新田の目を誤魔化して外に出た。


 特に何か目的があったわけでもなく、彷徨うように家を出た。

 目指したのは、幼い頃母親と一緒に遊んでいた公園だった。

 私と母親が両方とも元気だった時期は短かったものの、その時期はよく公園に遊びに来ていた。


 昔と違って、公園はすっかり寂れていた。 

 遊具の多くは撤去され、ボール遊び禁止等の張り紙が目につく。


 力なく、ベンチに座った。

 何もないこの風景が、私の思い出を風化させていくようだった。


 途中雨が降り始めても、家に戻る気概すらなく、公園のベンチに座ったまま、雨に打たれていた。


「風邪ひくぞ?」


 何者かに、傘を差しだされる。

 顔を上げた。


 こちらを心配そうに覗き込むのは、ひとりの青年だった。

 歳は私より少し上。

 背が高く、歳の割には大人びた印象があり、しかし遊び慣れていなさそうな若々しさもある。


「こんなところで、何をしているんだ?」


 彼の目を見た。

 優しげでもあり、力強くもある。

 

 そしてその瞳の中に、どこか、母親と似た雰囲気があった。


「……」


 不思議な青年だった。

 私とこんな近距離で目を合わせたはずなのに、怖がる様子がなかった。

 初めて会ったはずなのに、どこか安心感を覚えてしまう。


「と、とりあえずだな。こんなところで座っていると風邪をひく。近くに俺のマンションがある。そこで、シャワーでも浴びるか?」

「……」

「まあ、嫌なら別にいいんだ」

「……(こくり)」


 私はおもむろに立ち上がる。


「え、俺の家に行くってことでいいのか?」


 戸惑う青年を他所に、私はこくりと、頷いた。


 ♢


 祭りが終わっても、未だ人がまばらに歩き回っていた。

 近くのコンビニには少々浮かれ気味の若者たちがたむろしている。


 それを横目で眺めつつ、美也と共に家へと帰る。


「……」


 美也はさっきから考え込むように俯いていた。

 無表情に見えて、どこか険しさの差し込む表情に、俺は掛ける言葉がなかった。


 ただ俺の手だけは頑として離そうとしなかった。

 思えば祭りが始まってからずっと握りっぱなしだ。


 やがて家の前まで着く。ここまで来ると、辺りはあるべき静寂を取り戻していた。

 祐奈たちも先に帰っただろうか。


 玄関をくぐり抜けようとした矢先、携帯に着信が入る。

 電話の相手を見て、俺はふと足を止めた。


「……?」


 足を止めた俺に、美也は首を傾げた。


「ごめん、美也。先に家上がってくれないか?」

「……?」

「少し、野暮用が、な」


 俺の様子から何かを察したのか、美也は静かに頷いた。

 名残惜しそうに、手を離す。

 美也の熱だけが掌に残った。


「……」


 美也は玄関に上がった。


 俺は家から少し離れ、電話に出る。


「はい、もしもし」

『よお、新田だ』

 

 数日、間が空いただけで随分久しぶりに感じた。


『今、お前の後ろにいるよ』

「はぁ?」


 パッと後ろを振り向く。 

 不健康そうな肌色をした男が薄闇の中から浮き上がってくるように現れる。

 見る人が見れば完全にホラー映画の演出である。


「……ていうか、なんて格好してるんですか」


 いつも通りの皺だらけの背広かと思いきや、鼠色の浴衣姿に、どこかの景品でもらってきたのか、狐の面をかけていた。

 祭りを全力で楽しむ中年おじさんだ。


「公安が自分の仕事忘れてどうするんですか?」

「俺の仕事を忘れたか? 美也の保護と監視だぞ? だが、あの場で背広なのは浮くだろうが」


 一人っきりのおじさんが浴衣姿でいるのも浮きそうなものであるが。


「それで、一体何の用ですか?」

「美也が言葉を発したな?」

「見てたんですか?」

「ああ。ばっちりと見ていたぞ。人目も憚らずいちゃつく二人組を」


 美也との二人っきりの思い出に水を差されたようで、ひどく不快だった。

 


「まあ、それはいいとして、問題は美也のことだ」

「……しゃべりましたね」

「寝言の時とは違って、明確に自分の意思でな。何かそのきっかけに、心当たりは?」

「心当たりといわれても、別に俺は何もしてませんからね」

「いいや、美也の変化にお前が関係しているのは間違いないだろう。それだけは疑いようがない」

「でも、俺は何ら特別なことを彼女にしてませんよ」

「お前はそう思うのか?」

「俺は一介の大学生でしかないですし」

「ま、そうかもな。ただお前がどんな存在だろうが、お前の代わりは誰にも務まらん」


 新田は懐から煙草を一本取り出すと、火をつけて、吸い始めた。

 煙が夜空に上る。


「お前、これからあの子とどう接するつもりだ?」

 

 どう答えていいのかわからない、ふわっとした質問だった。


「どう、といわれても……俺はいつも通り接するしかないでしょう」

「お前はいちいち面倒見がいいからな。いつも美也に気を回してばっかだろ、お前」

「否定はできませんね」


 祐奈にも指摘されたことでもあるし、俺自身悩んでいることでもあった。


「あの子は今、自分なりに自分の殻を破ろうとしている最中だ。お前が余計な気を回す時期じゃない」

「……そうなんですかね」

「せめて見守ってやれ。見守るっていうのも一つの選択肢だぞ。ま、どうするかはお前の好きにすればいいが……」

「もしかしてそれ言うために、わざわざ呼び出したんですか?」

「まさかな。美也に変わった様子がなかったか、聞きたかっただけだ」


 新田は自前の携帯灰皿に煙草を押し当てた。


「じゃあな。今日はもう寝な」


 新田は俺に背を向けると、すっと暗闇の中に姿を消す。

 俺はその背中を見守りながら、家に戻った。

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