第46話 「あなたのことが――」

 公園に向かう前に、最後に祭りの雰囲気を楽しむ。

 定番の射的、ヨーヨー釣り、金魚すくい。

 普段はこういう催しはしないし、興味もなかったが、美也に付き添う形でやってみると、案外楽しめた。


 傍から見ると、柄にもなくはしゃいでいたかもな、と恥ずかしさを覚える。

 まあ美也も楽しんでいたようだし、結局知り合いにも出会わなかったのだから、良しとしよう。


 一通り店を見終わった後、境内から出て、祐奈が言っていた公園へと向かう。


「ここから少し歩くけど、大丈夫か?」

「……」


 美也は普段履き慣れない下駄を着用していた。

 長い距離を歩くには向かないだろう。

 だからこそこまめに休憩を入れていたのだが、坂道を上るとなると少し過酷かもしれない。


「ゆっくり行こうか」

「……うん」


 手を繋ぎ、坂道を上る。

 緩やかな勾配の坂だった。しかし道のりが長く、元運動部の俺でさえもきつかった。


 ようやく坂道を上り終わる。

 美也は軽く息が上がっていたが、そこまできつそうではなかった。


 意外とタフなんだな、と感心してしまう。


「もうすぐ公園だな」


 着いたのは広い公園だった。

 ざっと学校の体育館くらいあるだろうか。


 すでに何人か場所を占領してはいたが、それでも十分すぎるほどのスペースが余っていた。

 

 腕時計を見る。

 花火が上がるまであと十五分ほどだった。


 揃ってベンチに腰掛ける。

 さきほどの賑やかな雰囲気とは違って、周囲は静寂に包まれている。

 互いの呼吸が聞こえてきそうだった。

 そのためか、どうしても美也の存在を意識してしまった。


「……っ」

「あ……」


 全く同じタイミングで目が合う。 

 こういう時、少女漫画なら互いに気まずくなって目を逸らすのがオチなのだが、俺たちの場合はそうでもなかった。


 謎の引力に吸い寄せられるかのように、美也から目を離せない。

 それは美也も同じようで、見つめ合ったまま沈黙が過ぎる。


 薄く化粧をかけ、上目遣いでこちらを見上げる美也は息を呑むほど美しく、しかし同時に愛くるしささえ感じた。

 薄闇の中差す月明かりが、美也の淡色の髪と黄金色の瞳を輝かせている。およそ現実とは思えない、幻想的な雰囲気があった。


「は、花火上がるまでもう少しだな」


 強引に話題を振る。

 美也が返事をしないことはわかっていても、沈黙に耐えられなかった。


「美也は花火を見るのは初めてだっけ?」

「……うん」

「夏祭りに来ることも?」

「……うん」

「……そっか」


 何といえばいいのかわからない。

 ほんの少し前まで入院生活を余儀なくされ、外の世界を全く知らずに生きてきた女の子に、どうやって接すればいいのか。

 しかもその女の子は、障害によって意思疎通ができず、親もいない。


 あまりに重すぎるハンデだ。

 そんな子に俺はどうすればいいのか。

 答えは見つかっていない。



 ――美也ちゃんって、兄と対等な関係って言いきれる?


 ふと、祐奈の言葉を思い出した。


「対等な関係、か」

「……?」


 美也の顔を見つめ返す。

 出会ったばかりの頃は庇護欲を搔き立てられるような弱々しい存在感を放っていた美也は、今では見違えるほど明るく、力強い存在感を持っている。


 美也に起きた大きな変化といえるだろう。

 そして今も変わろうとしている。


 そんな存在に俺は、何をするべきなのか。そもそも、何かするべきなのか。


 思考の渦に陥りかけたその時、頬に何か柔らかい感触が当たった。


「み、美也?」

「……」


 美也が心配そうな顔つきで、俺の頬に手を伸ばしていた。

 自分が眉根を寄せていたことに気づいたのはその時だった。


「大丈夫だ。何ともないよ」

「……?」


 美也は少し首を傾げるも、そのまま手を離す。


 その時、ひゅ~と一筋縄光が打ち上げられた。


 視線が、その光を追う。

 光は真っ暗な夜空を切り裂くように空を上る。

 

 そして、はるか上空で巨大な光の花弁を咲かせる。


「……上がったか」


 約一万二千発の花火が、一時間近くかけて空に打ち上げられる。

 轟音とともに咲く光の花は、空を色鮮やかに染め上げた。


 こんなに近くで、はっきりと花火を見たのは初めてかもしれない。

 祐奈のやつ、いいところを教えてくれたな、と心の中で妹に感謝した。


 横目で美也の様子をちらりと見やる。


「……」


 美也は目を細め、花火を見上げる。

 光が眩しく、逆に表情は見えづらかった。

 


 再び花火に視線を戻した。


 花火を直で見るのも久しぶりだが、誰かと一緒に見るのも久しぶりだった。

 ましてや、家族ではない他人と見るのは初めてのことではないか。


 だが、こうして誰かと――美也と一緒に見る花火も悪くはないと思った。


 花火が次々と上がる。

 同じ時を延々と繰り返しているようで、時間が無限に感じられた。

 ただいつかは終わりは来るもので。


 ひと際大きな花火が上空に咲いた後、再び光が上がることなかった。

 訪れた沈黙が、ささやかなひと時の終わりを告げる。

 ああ、終わってしまった、と喪失感を覚える。


「……」


 帰ろうか、と言い出しかけたところで、喉が詰まった。

 花火は終わっても、その余韻がまだ残っていた。

 まだ少し、日常に戻りたくないと時間が引き延ばされていく。


「……っ」


 美也が指を絡めてくる。

 ただ俺は何と返せばわからず、押し黙るほかなかった。


 公園にいた人が次々と帰路に着く。


 夜風が頬を撫でる。

 夏とはいえ、夜は少し冷える。特にこの公園は風を隔てるものがなく、少しばかり肌寒さを感じた。


「もう帰ろうか」

「……」


 手を引こうとするも、美也はそのまま動こうとしなかった。


「どうした?」

「……」


 何か言いたげに、俺をじっと見詰めてくる。

 ずっと俺の手をふにふにと握っていた。

 その感触がくすぐったく、しかし美也の意図が分からずただ黙っていた。


 そして美也が、小さく、痙攣するように唇を動かした。


「――シュウ」

「――………………ふ、ぇ?」


 自分でも驚くほど間抜けな声が出た。

 美也は真面目な表情のまま、俺を見上げている。


 聞き間違いか? それとも空耳か?

 思考が混乱に陥る。


「シュウ」


 静けさに包まれた公園に、はっきりと言葉が響く。

 小さくも、透き通るような声をしていた。それが空耳ではない、と告げているかのようだった。


「――シュウ、シュウ」

「……は、はい。なんでしょう?」

「……っ」


 続きの言葉を待つも、美也は何も言わなかった。

 言おうとして、直前で詰まったかのように口を閉じてしまう。


 何かを伝えようとしていることはわかる。

 しかし肝心の一言が言えず、美也はもどかしそうにしていた。


 そして、美也は諦めたように肩を落とした。

 悲しげな顔をしていた。

 まるで自分の無力さに打ちひしがれているようで、何とかしてやりたくても、俺にはどうすることもできなかった。


「……帰ろうか」


 結局俺ができたのは、優しく美也の手を引くことだけだった。


「――……うん」


 美也は大人しくついてきた。




 ――第二章〈完〉

 第三章に続く……




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