第44話 「あ~ん♪」
午後五時を過ぎたあたりから、街がざわつき始める。
涼しげな格好をした若者たちがたむろし、その足は一様にとある場所を目指していた。
「夏祭りがあるのは住野神社だっけ?」
「そう。花火が上がるのは住野川だけど、みんな神社に行って見るのが毎年の恒例だね」
「それにしても人が多いな」
「年に一度のお祭りだしね」
祐奈と一緒に神社へと向かう。
目的地に近づくにつれ、見るからに人が多くなる。むわっとした熱気と喧騒はまさにお祭りの雰囲気だった。
夏祭りも花火大会も、規模としては中々大きく、地方のテレビ局でも毎年取りあげられているイベントだ。
地域外からも足を運ぶ客も多いので、毎年賑わいを見せている。
「で、美也はまだ来ないわけか?」
「お母さんが意気込んでたよ。『美也さんを街一番の美人にしてあげるッ!』って」
「目に浮かぶようだな」
「なんだかんだ、お母さんあの浴衣のデザイン気に入ってたからね」
「お前は今日、星くんと一緒に動くんだっけ?」
「まあね。その予定――と、言ったそばから」
「祐奈、それと秀斗さん!」
「お、星くん」
星くんが手を振りながら走ってきた。
「ごめん、祐奈。待った?」
「遅いよ。彼女待たせるなんて何考えてんの?」
「三分ぐらいしか待ってないし、何なら時間は間に合ってるだろ」
仮にも恋人だというのに、何と冷たいことか。
「お前ら先に見回ってきたらどうだ?」
「あれ、いいの?」
「美也がいつこっちに来るかわからねえからな。それまで付き合わせるのも悪いし」
「じゃあ私たちは先に行ってるからね」
「ああ。楽しんでこい。星くんもな」
「はい、秀斗さんも」
「兄も美也ちゃんと楽しんでよ」
祐奈と星くんの姿が人混みに消えていく。
それを見送り終えると、俺は大人しく美也の到着を待つ。
浴衣の着付けにどれくらい時間がかかるかは知らないが、見るからに時間がかかりそうな装いだ。
一時間近くかかってもおかしくない。
波のように押し寄せる人混みを横目で眺める。
その中にはカップルと思わしき二人組も頻繁に見受けられた。
仲睦まじく手を繋ぐ姿は、傍から見れば目をそむけたくなるほどキラキラとしていた。
俺と美也もそんな風に見えるのかな、だとしたら恥ずかしいことこの上ないな、とぼんやりと思う。
そしてさらに待つこと十五分。
ふと何者かの気配を感じ取り、人混みの中に目をやる。
人と人との間隙を縫うように、小柄な人影はこちらに歩みを進める。
そしてようやく人混みの中から抜け出し、俺の元へとたどりついた。
「え?」
驚きのあまり固まってしまう。
目の前にいる人物が、あの美也だと信じられなかった。
「あ、あのぅ」
「……?」
「し、白石美也さんで、いらっしゃいますよね?」
「……む」
俺の反応が気にくわなかったのか、美也が眉を顰める。
「ご、ごめん。なんか、すごい、雰囲気変わってて」
美也の着ているのは乳白色の浴衣だった。
紅色の花模様が華やかさを演出しており、流麗な体のラインはくっきりと浮かび上がっている。
加えて薄く化粧も施されており、彼女の薄い、桃色の唇は艶やかさを帯びていた。
髪はお団子に纏められており、普段長めの前髪をわけて額を見せていることで、明るい雰囲気を出している。
――美也って、こんなに美人だったのか。
あまりの変わりように、本気で困惑していた。
普段の美也も十分綺麗な顔立ちをしているものの、洗練された華々しさが彼女を雰囲気を一変させている。
「うまく言葉にできないけど……すっごい綺麗だと、思う」
「……ん♪」
言葉足らずな俺の褒め言葉にも、美也が満足げに笑う。それだけでも十分だと語るようだった。
「じゃ、行こうか」
「……うん」
美也が俺に手を差し伸べた。
その手を握ろうとして、ふと躊躇う。
「……ん?」
「あ、いや、なんでもない……」
不意に先程眺めていたカップルの姿が頭をよぎった。
手を握るという行為自体は今まで何でもやってきただろうに。
何を今更迷うことがあるのか。
彼女の柔らかい手をそっと握る。
「……」
「……なっ!」
美也が指を絡めてきた。
いわゆる恋人繋ぎだった。
「えっと、この繋ぎ方でいいのか?」
「……うん」
「……さいですか」
毎度思うのだが、美也のおねだりは俺が断らないギリギリの範囲を突いてくるのだから、質が悪かった。
そして、美也はそれもわかった上なのだろう。俺が断らないと知っているのだ。
「……ん♪」
まんまと丸めこまれている気がするが、まあいいかと、美也の手を握り返した。
じんわりと美也の体温が手から伝わってくる。
それを感じながら、一緒に歩き出した。
♢
空は暗くなりつつも、色鮮やかな提灯の光が眩しいほどに輝いていた。
気を抜けば他人と肩がぶつかりそうなほどに人が多い。
手を繋いでいるとはいえ、美也とはぐれてしまえば見つけ出すのは容易ではないだろう。
「何かやりたいものとか、食べたいものはあるか?」
「……」
初めての夏祭りに目を輝かせ、どの出店に行くかキョロキョロしている――かと思ったが、違った。
美也は表情こそ明るいものの、そこまで浮ついた感じではない。
意外なほどに落ち着いて見えるが、しかし握っている手から伝わってくる熱は高かった。
「お。秀斗君か?」
たこ焼き屋の店主から声を掛けられる。
大学から一人暮らしを始めたとはいえ、俺もこの街で十八年近く育ってきた人間だ。
顔馴染みは多い。
特に夏祭りに店を出す面子は毎年あまり変わらない。
「お久しぶりです」
「大学生活は順調かい?」
「おかげさまで」
「随分見ないうちに男前になったもんだよ。身長も伸びたかい?」
「もう成長期は過ぎましたよ」
店主は快活に笑うと、俺の隣でボーっとしている美也に視線を向けた。
「おやおや。わざわざ彼女さん連れてこっちまで帰ってくるとはねぇ。しかもこんな、えっらい別嬪さんを」
「あはは……」
もうこのやり取りだって慣れたものだった。
どうせこの店主と頻繁に会うわけでもないので、余計なことまで説明しなくていいだろう。
「ほら、たこ焼き持っていきな」
「お、いいんですか?」
「遠慮すんなよ。熱いうちに食べな。……二人の仲もアツアツなうちに、な」
「アハハ……」
内心苦笑いしながら、店を去る。
たこ焼きだけでは少し物足りないので、近くの店でフランクフルトを買う。
「さて、食べるか」
座れるスペースで腰を下ろす。
「美也はどっちから食べたい?」
「……ん」
美也はたこ焼きの方を手に取った。
まだ熱いたこ焼きを「ふーふー」と息を吹きかけて冷ます。
そのまま自分の口に運ぶかと思いきや、俺の口元に差し出してきた。
「え?」
「……ん♪」
美也は目を細め、愉快そうに笑う。
心臓が跳ねる。
その表情はこれまで見てきた美也のどの表情よりも、蠱惑的で、まるで小悪魔のような無邪気さと妖しさがあった。
「た、食べさせてくれるんだな。ありがとう」
でも自分で食えるから結構です、と言い出せる雰囲気ではなかった。
もう美也は完全にその気だった。
「あ、あ~ん」
躊躇いながらも、たこ焼きを口にする。
ゆっくりと咀嚼し、舌の上で転がし——
「あっっっつ‼」
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