第43話 「殲滅完了、だぜ」
「ようやく来たか」
ゲーム内時間で夜が訪れる。
拠点周辺にゾンビの影がちらほらと見え始める。
「……」
「ねー、ねー。兄。コントローラー替わってよ」
「なんでだよ」
「私がチェーンソーもって突撃してくるから」
「チェーンソーって……」
パニックホラーの殺人鬼くらいしか持たない武器だ。
「ゾンビの群れに近距離武器で突っ込むやつがいるか」
「でも遠距離武器当たらないじゃん」
「弾幕を張れば当たるさ」
「弾幕ってか……弓じゃん」
「そのために弓矢をつくっておいたんだ。ざっと百五十発だな」
弓矢を構える。このゲームは一人称視点なので、キャラを俯瞰的に見ることができない。
敵がどこにいるのか把握しなければ、弓使いといえど、囲まれる危険性がある。
弓を番え、慎重に狙いを定める。
ゾンビに向かって放つ。
「おいおいマジかよ。胴体撃ち抜いたのにピンピンしてやがるな」
「頭撃たないと一撃で死なないよ」
「このゲーム、銃とかないのか?」
「拳銃ならあるけど、弾は無限じゃないしエイムが難しいから、あんま使えない」
「ふーん」
俺もシューティングゲームが得意なわけではないので、銃の扱いは得意ではない。
「やっぱ兄、作業は得意でもゲームは下手だね」
「くっ、ゾンビがタフなんだよ。意外と」
「……」
距離を取って弓矢で応戦するも、画面で確認できるだけ十体。
画面外まで範囲を広げれば、三十体はいるかもしれない。
周囲に罠や防壁を張っているとはいえ、じりじりと防衛ラインが突破されていく。
ここまで襲撃が苛烈だとは思わなかった。
堪え性のない祐奈が音を上げるのも無理はないだろう。
「……っ」
「あ、コントローラー」
さっとコントローラーが美也に奪われる。
「……ふっ」
「え?」
襲い掛かってきたゾンビの頭に矢が刺さった。
すぐに矢を番える。
放たれた矢は吸い込まれるように敵の頭を撃ち抜いた。
「……む」
美也の眼がキッと引き絞られる。
黄金色の瞳が妖しい光を帯びた。
高速で矢を番える。
ほとんど狙わずに矢を放つ。
しかし矢は面白い様にゾンビの頭に突き刺さり、ゾンビの大軍は前線から崩壊を始める。
殲滅が完了するまで、そう時間がかからなかった。
「……ふんす」
一仕事やり切ったような顔で、美也は俺にコントローラーを戻した。
思わず、妹と顔を見合わせる。
「美也さ~ん、お風呂が沸いたわよ~」
一階から母さんが呼びかける。
「……む」
美也はコントローラーを俺に戻し、急いで一階に降りていった。
「なんじゃあ、ありゃ」
セーブデータを作成しながら、祐奈が漏らした。
♢
出会ってから印象ががらりと変わるというのは、そうないことだろう。
例のごとく美也の髪を梳かしながら、そう思う。
人は見かけによらない、とよく聞くが、人の外面とはその人の内面が滲み出ているものだ。
少なくとも印象が百八十度覆るということは、あまりない。
ところが、この目の前の女の子はどうだろうか。
出会ったばかりの頃は、静謐ながらもその中にあどけなさが残る少女という印象が強かった。
実際にその印象も間違いではなかったが、的を射ているわけでもなかった。
「ふへへ♪」
俺に体を預け、顔をふやけさせている美也は、どう見ても「静謐」な印象とは程遠い。
見た目から溢れるお嬢様らしい高貴さや他人を寄せ付けない高潔さも、今となっては霧のように霧散している。
第一印象に引っ張られて見落としていたのかもしれないが……本当は根は明るい子かもしれない。
美也のこれまでの行動を抜き取って考えてみれば、美也の本来の性格は見た目の印象とほぼ真逆なのではないかと疑わざるを得ない。
「……?」
「ん? あ、すまん。手が止まってた」
「……」
しかし黙っていれば大人しく内向的に見えるのだから、不思議だ。
「よし終わったぞ」
ブラシを置くと、美也はこちらを見上げ感謝の意を示すように頷いた。
「もう寝るぞ」
「……」
「どうした?」
「……」
美也は何をするわけでもなく、こちらに向き直ってじっとしている。
「……ん」
「え?」
美也が俺に向かって腕を広げた。
まるで犬に「おいで~」と、迎えるかのようだった。
「え、え? 何だ?」
「ん」
美也は急かすように喉を鳴らす。
見れば美也の頬はほんのりと赤く染まっていた。
――え、マジで?
これはつまり、そういうことなのか。
「んー」
美也は甘えるような声で再び喉を鳴らした。
この状態になると、美也は俺がどう言おうと聞く耳を持たない。
羞恥心で顔が熱くなる。
だがそれは向こうも同じはずだ。
俺がうじうじしてても仕方がない。
美也に顔を近づける。彼女の華奢な体に腕を回した。
「んふぅ」
そのまま密着すると、耳の横で彼女が息を吐く。
貯めて吐息には、普段にはない色気が滲んでいた。
いつもはあどけなさを感じる彼女の仕草だが、今はゾッとするほどの艶めかしさに満ちていた。
おまけに互いに薄い寝巻姿だったので、より密着度が高まっていた。
心臓が鼓動が頭の中にまで響いている。
もしかして美也にも聞こえているんじゃないかと心配になった。
「……んぅ」
美也がさらに身を寄せてくる。
美也の熱い息が耳元に触れる。
甘い香りが全身を包んだ。
風呂上がりの美也の素肌はしっとりとしており、俺の肌に吸い付くようだった。
とんでもないことをしているな、俺、と今更ながらに思った。
これは傍から見れば、言い訳できない証拠が揃っている。
すぐに離れなければと思うものの、体が動かなかった。
美也の腕が俺の腰を完全に固定しており、容易に抜け出せそうもない。
美也と俺には体格差以前に男女の力の差もあるので強引に振りほどけばさすがに抜け出せるだろうが、何故かこの時間は、美也に主導権を握られているような気がしてならない。
腕力ではこちらが遥かに上なのに、抵抗する気すら起こらない。
だが年下の女の子になす術もなく主導権を握られているというのに、不思議と悪い気はしなかった。
「ふわぁ」
美也が安心したように欠伸をする。
「ね、眠いのか?」
「……うん」
「――え?」
恐ろしいほど自然に返事が返ってくる。
「え、今なんて?」
「ん?」
美也が首を傾げる。
気のせいなのか?
ただ喉を鳴らしただけなのか。
確かに「うん」という言葉は口を開かなくても発音できるが、それにしたってあまりにも自然過ぎた。
「……」
だがそれから口を開く気配はない。
考えすぎかもしれないな、と頭を冷やす。
あるいはこれも寝言なのかもしれないのだ。
俺は医者ではないのだから、美也の身に起こる変化などわかるはずもない。
俺がいくら考えたところで詮無いことだ。
「そろそろ寝るか」
「……うん」
抱き合ったままベッドに横になり、布団をかける。
電気を消す。
美也が瞼を閉じた。
いつか暗闇を恐れて俺に縋りついてきた時とは違い、今の美也の寝顔は穏やかで、安心しきっていた。
彼女の頭を優しく撫で、俺もまた目を閉じた。
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