第42話 「私が望んだこと」

「……あ?」


 目が覚めたとき、隣に美也はいなかった。 

 時計を見ると、すでに朝食の時間になっていた。


 一人暮らしを始めてから朝食は抜きがちになっていた。

 母さんがそれを知ったら色々と小言を言われるに違いない。


「……一階に降りるか」


 まだベッドは温もりが残っていた。

 美也も数分前に一階に降りたのだろう。


 美也が俺より早く起きるのは初めての出来事だった。


「おはよ」

「おはよぉ、兄」


 一階に降りると、祐奈があくびをしながら食卓についていた。

 相変わらずタンクトップ一枚に短パンという、緩み切った服装だった。


 俺が言えた口ではないが。


「あれ、美也は?」

「兄、口を開けばすぐ美也ちゃんのこと聞くね」

「たまたまだ」

「美也ちゃんなら、キッチンでお母さんと一緒にいるよ」

「え、また?」


 キッチンでは、美也と母さんが二人並んで朝食をつくっていた。

 昨夜と同じ光景である。


「あら、秀斗。起きてたのね」


 二人が料理を持って食卓に着く。


「美也さんったら、秀斗より早く起きて朝食つくってくれたのよ? お礼くらい言ったら?」

「……」

「そうなのか……いや、なんか申し訳ないな」

「もう兄、そこはちゃんと『ありがとう』っていうんでしょ」

「そうだった……ありがとうな」

「……ふふ♪」


 美也は目を細めて口元を緩ませる。 

 改めて美也に「ありがとう」というのは気恥ずかしかった。


 俺の体感では、美也との心の距離は随分と狭まったように思っていたが、祐奈の言う通りまだまだなのかもしれない。


 全員が食卓に着き、手を合わせる。


「じゃあ、私も仕事行ってくるから。お留守番お願いね」

「いってらっしゃい」


 俺たちが起きるより早く朝食を済ませた母さんは、家を出る。

 

「祐奈は、今日の予定は決まってんのか?」

「ん? いや、何も。兄が宿題手伝ってくれるなら別だけど」

「宿題くらい自分でしろ」

「逆に兄は? 今日どうするの?」

「俺も特にないな。家でだらだらするだけだ」

「なるほど。美也ちゃんと家でイチャイチャするだけと」

「勝手に兄の言葉を翻訳するんじゃない」

「でも結局はそういうことじゃん」

「……」

  

 話の中心にいながら、美也は食事中は耳を貸さない。

 テレビにも目を向けたことがないことから、美也は食事中は食事に集中したいタイプなのだろう。


「あ、でも兄が暇なら手伝ってほしいことがあるんだけど」

「何だ? 宿題の手伝いはパスだといったんだが」

「ゲームだよ、ゲーム」

「ゲームだ?」

「……?」


 美也がちらっと祐奈に視線を投げた。


「そうそう。ちょっと進行が滞ってて」

「何のゲームだ?」

「ホラゲ」

「……なんでそういうの買っちゃうのかねえ。ビビりのくせに」

「いやぁ、好奇心でつい」


 俺が映画好きなら、妹は大のゲーム好きだった。


 ただ祐奈は飽き性の上、計画性がなく、負けず嫌いで沸点が低い。アクションも下手くそなので、よほどプレイヤーに接待するゲームでもなければすぐに投げ出してしまう。


「兄、別にホラー耐性は大丈夫でしょ?」

「まあな。ホラー映画で鍛えられているし。でも、美也はどうだろうな」

「……?」


 今更美也を一人きりにして妹とゲームするのは無しとして、美也にホラー耐性はあるのだろうか。

 

「美也は、怖いの大丈夫か?」

「……」


 美也は咀嚼を止める。


「……(こくり)」


 合間を置いて、美也は頷く。


「本当かな。あとでひとりで眠れなくなったりしない?」

「大丈夫だろ。どうせ一緒に寝るんだし」

「……そうだったね」


 祐奈の声が数トーン下がった。


 ♢


「で、何で昼間からカーテンまで閉めるんだよ」

「ホラゲーやるんだから、雰囲気出さないと」

「……っ」


 祐奈の部屋は相変わらず整理がなっていなかった。

 並べられていない教科書、脱ぎっぱなしの服、散らかったプリント類。


 華の女子高生だというのに、本当にそんなんで大丈夫なのかと心配になる。

 

「で、どんなホラゲーだ?」

「サバイバルホラー。ゾンビに溢れた島で生き残るっていうやつ」

「ふうん」


 どうやらこのゲーム、拠点や武器をつくるクラフト要素も含んでいるようで、日数が経つにつれて敵も増え、強くなる。

 計画性がなければあっという間に詰んでしまうだろう。


「ま、やってみるか」

「……」


 ゲームを起動する。

 メニュー画面が開き、セーブデータをロードする。


 その最中、隣の美也は画面に釘付けだった。


「うわ、何だこの拠点。豆腐ハウスかよ」

「夜さえ過ごせれば十分じゃん」

「そんなんで襲撃に耐えられるわけないだろ。罠も張ってねえし」


 ゾンビの襲撃は基本夜に行われる。

 襲撃に備えて拠点を強化したり罠を設置したり、武器を生成しなければならない。


「素材集めるか」


 単純な作業がこの手のゲームで一番重要だ。

 

「素材集めから始めるの?」

「お前は面倒臭がるかもしれないがな、そんなんじゃいつまでもジリ貧だ」

「え~。私早くゾンビどもを殺戮して回りたいんだけど」

「血の気が多いなあ」

「兄って安牌プレイ好きだよね」


 特に何か起きることもなく、サクサクと木材、石材を集めていく。


「で、罠をつくって……あとは武器だな」


 銃があればいいのだが、クラフトでつくれる遠距離武器は弓しかない。

 ゾンビの最大の脅威は数だ。


 近距離武器で戦って囲まれれば、即ち死だ。

 映画でも何回も使いまわされた流れだ。


「ねえねえ、美也ちゃん?」

「……?」


 祐奈が延々と続く作業に飽きたのか、美也に話題を振った。


「美也ちゃんさ、今度の夏祭りどんな格好で行くの?」

「……?」

「どんな格好って……どういう意味だ?」

「そのまんまの意味。普段通りの服で行くの?」

「それしか服がないからな」

「だったらさ、私の浴衣着て行ってみれば?」

「浴衣っていうと……お前が一回だけ着て二度と出さなかったアレか」


 高校一年の時の祐奈が両親に強請って買ってもらった浴衣。

 しかしその年の夏祭りに着て以降、浴衣はクローゼットに押し込められたままである。


 曰く「着付けが面倒くさい」とのことらしい。


「私と美也ちゃんはほとんど体格も変わらないし。サイズは合うんじゃない?」

「いや、でも胸のサイズが――」

「あ?」

「すいませんでした」


 すぐに突っ込んだ首を引っ込める。


「お前はもう着ないのか? あの浴衣」

「いいよ。やっぱり私はカジュアルなほうが好きだし」

「……」

「でも、せっかくだし着ていくか? 美也」

「……」


 美也は目を瞬かせる。

 

「……(こくり)」


 数秒の間を置いたのち、静かに頷いた。

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