第41話 「甘えて♪」

「対等ってどういう意味なんだ?」

「そのまんまの意味よ。兄のことだから、どうせ余計なもの色々背負い込んでいるんでしょ?」

「そりゃまあ、俺は美也を預かっている立場だし」

「そうやって世話焼くのもいいけどさ、もっと肩の力抜いたっていいんじゃない? 妹のありがた~いお言葉だよ?」

「力抜けって言われてもなあ」

 

 意識的に力を入れているわけでもないし、美也に対しては自然に接しているつもりだった。

 力を抜けと言われても、要領を得ない。

 

 バスケ部時代に「違う違う。こうやってドリブルするんだ」と監督が実演してくれたものの、自分と何が違うのかさっぱりわからなかったことがあったが、まさにそんな気分になった。


 その後適当にドリブルをやって見せたが「うん、そんな感じだ」といわれたものだから、余計に分からなかった。


「ほら、私と新一みたいにさ。気兼ねない仲が長続きするって」

「お前らは幼馴染だからな。年季が違うだろ」

「でも美也ちゃんだって兄と会って数か月なのに、もうべったりじゃん。金魚のフンみたいじゃん」

「我が妹ながら例えが最悪すぎる」


 だが祐奈の言う通り、美也に気を遣い過ぎている節はあるかもしれない。

 美也は普通の人とは比べ物にならない、きついハンデを背負っている。その一点のみに注目して、余計なお節介を焼いていたのかもしれない。


「今日はカレーか」


 父さんがぼそっと零す。


 キッチンから、カレー独特の香辛料の香りを嗅ぎ取る。

 

「お待たせ。できたわよ」


 母さんと美也が食卓にカレーを並べた。

 何の変哲もない普通のカレーだ。


「母さんと美也でつくったのか?」

「私は手伝っただけ。ほとんど美也さんがやってくれたわよ」

「そうなのか」

「……(こくり)」

「まあ、いいじゃん。とりあえず食べようよ」

「そうだな。食べるか」


 いただきます、と手を合わせ、スプーンを取る。

 カレーを口に運んだ。


「ん?」


 真横から強烈な視線を感じる。

 見てみると、美也が俺の目をじっと見詰めていた。


 俺の反応、一挙手一投足見逃さまいと目をかっと見開いていた。

 とても食卓でする表情ではない。


「な、なんだ?」


 思わず祐奈に助けを求めるように目を向けたが、祐奈は肩をすくめただけだった。

 美也は、その答えを俺だけに求めているようだ。

 

「……うん、美味いよ。すげえ美味しい」


 とりあえず口には出してみたが、本心でもあった。

 具材はちゃんと切り揃えられてあり、中まで熱が通っている。ルーは焦げ付いておらず、いい感じにとろみがあった。


 俺がやろうとすると毎回焦がしてしまうか、水のようにべちゃべちゃになってしまってしまうのだが、今回のカレーはまさに期待していたカレーそのものだ。


「……んへへ♪」


 美也は俺の反応に、満足げにうなづいた。

 

「美也さん、筋がよかったわよ。この調子なら他にも料理作れそうね」

「そうなのか? 俺の家で作ってた時は全然そんなことなかったが」

「だから兄の教え方の悪かったんでしょ? 兄、自分が思っている以上に料理下手だから」

「お前がいえた口か」

「私、家庭科の評定三だったし」

「評定で三取ったくらいでマウント取るなよ」

「でも兄、家庭科二だったことあったじゃん」


 くそ、さすが我が妹。

 俺の生涯の成績における唯一の汚点を指摘してくるとは。


「これから毎日料理作ってもらえば? 兄一人だと自炊もできないんだから」

「でも、それは流石に申し訳ないからなあ」

「でたっ」

「え?」


 進◯ゼミで予習してた部分がテストに出題された時のような反応だった。


「そういうのを遠慮っていうんじゃん。悪いとこ早速出たね」

「……(こくり)」


 同意だと言わんばかりに、美也はうなづく。


「やりたいようにやらせれば? たまには」

「……いいのかな、任せて」

「……♪」


 美也はにっこりと笑う。

 思い返せば、俺が美也を頼ったのは、この時が初めてかもしれない。


 その内容が「毎日料理を作ってくれ」になるとは、俺も予想外だったが。


 ♢


「〜〜♪」

「やっぱこれだけは俺がやるんだな」


 風呂上がりにブラシで美也の髪を梳かす。

 これは美也のお願いというより、二人の間にできた暗黙の了解だった。


「んへへ♪」


 それに、この時間の美也が一番上機嫌そうだった。

 無防備に身体をあずけていていたり、髪を触らせたりと、美也はだいぶ俺に気を許している。

 それが感じられて、俺もこの時間だけは手放せそうになかった。


 きっと美也も、この時間だけは無くしたくないだろう。

 そう信じたい。


「終わったぞ」

 

 ブラシを置く。

 美也はそのままベッドに横になった。


「電気消すぞ」


 俺もベッドに寝そべり、リモコンで電気を消した。

 消した途端、美也が身を寄せてくる。


 いつもなら俺の胸元に顔を埋める形で抱きついてくるのだが、今日は趣向が違った。


 何の前触れもなく、気づけば俺は美也の腕に頭を抱えられていた。


「え?」


 止める間もなく、美也は俺の頭を胸元に引き寄せる。

 一瞬何が起きたのか、理解できなかった。


 頬が柔らかい感触に挟まれる。

 鼻腔をくすぐる甘い匂いに、思考が停止する。


 

「……え、あ」


 あまりのことに、言葉が出なかった。


「……」


 後頭部に、美也の手が添えられ、上下する。

 いつも俺が美也にやっていることを、そのまま返されている。


 年下の女の子にこんなことをやられるのは、さすがに恥ずかしさの方が勝った。

 だが抵抗することもできず、されるがままになる。


 ――ドクンドクンドクンドクン。


 心臓の鼓動が聞こえてくる。

 鼓動は激しく鳴っており、ペースも早かった。


 美也の顔は見えないが、どう考えてもこれで平静としていることはないだろう。

 頭にかかっている美也の呼吸も、普段より荒くなっている気がした。


 かくいう俺も、無事で済んでいるわけもない。

 美也は見た目以上に女性らしい凹凸を持っていた。

 美也の呼吸に合わせて胸元が上下し、その度に俺の顔が持ち上げられる。

 加えて頬に当たるダイレクトな感触から、おそらく美也は下を着ていない。


 夏なので、蒸れるという理由から下を着ない女性は一定数いるだろうが、まさかそこに顔を埋めることになるとは。

 

 美也の体温も高く、それが伝播するように俺の顔も熱くなっていく。


 ――ね、眠れねえ。


 こんな状況で眠れるのか、と焦りを覚える。

 一分、十分、三十分と、時間が流れていく。


 ――ドクン、ドクン、ドクン。

 

 美也も少し慣れたのか、心臓の鼓動が収まっていく。

 呼吸のリズムも、さっきよりはゆったりとしていた。


 それに合わせてか、俺もだんだんと心が落ち着いてくる。

 心臓の音には人をリラックスさせる効果があると聞いたことがあるが、本当にその通りだと思った。


 美也に抱かれている今は、自分が子供になったかのような気分だった。

 嫌な気分ではなかった。


 自然と瞼が下がっていく。意識が朦朧としてくると、身体がふわふわとした感覚に包まれているのがわかる。


 ――ドクン……ドクン……ドクン。


「……すぅ」


 鼓動の間隔がゆっくりになる。

 美也の腕にこもっていた力が弛緩した。


 それと同時に、俺の意識が沈んでいくのがわかった。

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